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『図書』2023年2月号 目次 【巻頭エッセイ】奥田直美

◇目次◇
《対談》〈絵画の素〉の味……岡﨑 乾二郎・三輪健仁
聖チャールズ……南條竹則
モリのガジュマル……モリテツヤ
トゥルハン后の墓所に眠る人々……林 佳世子
「孝」とルソー……河野有理
帝王を動かすちから……大月康弘
ベルギーでの忘れがたい学恩……森 洋子
幽霊とお化け……谷川俊太郎
サイボーグばあちゃん……近藤ようこ
エンデと『モモ』と遊びについて……那須田 淳
幕末から明治初期の西洋体験……新関公子
「過剰殺戮」に思う……川端裕人
R・H・トーニと社会経済史……近藤和彦
高野版と五山版……佐々木 孝浩
こぼればなし
(表紙=杉本博司)
 
◇読む人・書く人・作る人◇
雑 念
奥田直美
 

 カライモブックスは夫とふたりで営んでいる古本屋だ。石牟礼道子さんの言葉の世界に惹かれて、二〇〇九年京都西陣に開店。途中の移転を経て一四年を京都で過ごしたけれど、この春ここを閉じることにした。次の移転先は水俣。石牟礼道子さん夫妻の旧宅が新天地となる。

 移転前に『さみしさは彼方』をタイトルに冠し、エッセイ集を出していただくことになった。自分の書いたもの、夫の書いたもの、一〇年に及ぶ文章を読み直せば、あんなに切実で生きていることそのものだった幸福も痛みも、もうそのかたちにはないことに驚く。今あるのは、また別の切羽詰まった現在だ。

 わたしにとって、言葉にすることは摑みどころのない自分を理解することだけれど、時々に書いてきた文章を読み直すうち、そこに雑念を見ることがある。思いのままにならない現実の悔しさが紛れ込んだのだなあと思う。でも、書いた当時は雑念だなんて思わなかった。思いを言葉に切り取ることに必死だったから。その生々しさが消えてようやく、これはわたしが摑み取りたかった時間には関係のないことだった、と思うのだ。

 当時のわたしには雑念が雑念でなかったように、今のわたしだから、雑念が雑念としてある。その自身の変化に満足はしながらも、それほどの執着さえ雑念だと思えてしまうことを考えれば、ほんのり虚しさもにじむ。過ぎ去りゆく時間のなかで、それでもわたしは未来に何を書きとどめおくのか。校正刷りの自身の言葉を前に、逡巡している。

(おくだ なおみ・古本屋・校正)

 
◇こぼればなし◇

〇 夢のなかで繰り返し見る情景が、誰しもあるのではないでしょうか。当方の場合、とある道を小さな駅まで歩き、電車に揺られ、というのがその一つです。

〇 現実にあった光景を忘れているだけかもしれません。いつか歩いた坂道。幼い頃、犬に吠えられた曲がり角。何度か乗り降りした駅。あるいは映画で見たか、活字からイメージしたのか、昔誰かに聞いた話か。そのいずれでもあり、いずれでもないような気がします。

〇 言葉で説明できなくても、年に何回かの頻度で、眠りに落ちれば確実に出会える情景。情景というより、毎度同じテンポ、同じ行動の、ある種の体験。さて、どこなのか、いつだったか。醒めてから、追えば追うほど朧げに、心許なく遠ざかっていく情景でもあります。

〇 造形作家で批評家の岡﨑乾二郎さんの新著『絵画の素 TOPICA PICTUS』の冒頭近く、「Aletheia アレーテイア」の項を読んでいて、自分を形づくる核のようなものに関係しているのかもしれない、そんな夢の情景を反芻しました。

〇 「忘却とは無ではない、むしろ豊穣でまた肥沃ですらある」(同書一四頁)。「忘却は一種の空白であるけれど、その空白は充溢していて、どんな実在する対象をも(それを認めないほどに)凌ぐのである」(一六頁)

〇 本号対談にも出てくる、一七世紀フランドルの画家ダフィット・テニールス(子)の不思議な緊張をはらんだ絵と岡﨑さんの「記憶」をめぐる文章です。デューラーの水彩スケッチ《森の中の池》と岡﨑さんの作品「Aletheia アレーテイア/An overflow from the River Lethe」の図版と合わせて綴られます。

〇 不確かさや曖昧さ、空白。その逆の、疑いのなさや明瞭さ、これでもかという実在性。それが二にして一であるような世界でしょうか。

〇 本書帯文の谷川俊太郎さんの言葉に「絵にひそむ豊かな時空」とあります。この本には、絵からあれこれ考えたくなる無数の「絵画の素」が満ち、読む人ごとに、読み方により「素」は様々な仕方で展開し、絵画作品同士も繋がっていく豊かな時空を体験できるでしょう。

〇 図版はオールカラー。「参照図版」は古今東西の絵にとどまりません。松の樹と熊が描かれた、ロシアで最も有名なチョコレートの包装紙。モンドリアンの食生活と作品世界に大きな影響を与えたであろう、ダイエット理論書収録の概念図。一九三一年の小樽港の絵葉書や、果物のオレンジを詰めて運んだ一九〇〇年代前半の木箱のラベル等々、多彩です。

〇 『図書』読者の皆様はとくに、絵画に描かれた、本を読む人物や書物と視覚・聴覚・触覚のかかわり、また絵のなかの書架・書棚と、「人の属す時間の外の世界」について書かれたいくつかのエッセイも楽しめると思います。

〇 最新刊『力と交換様式』が話題の柄谷行人さんが、「哲学のノーベル賞」とも称される二〇二二年バーグルエン哲学・文化賞、さらに二〇二二年度朝日賞を受賞されました。


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