堀内美江 エンデさんのこと[『図書』2023年3月号より]
エンデさんのこと
「お酒の飲める日本人女性に、はじめて会ったよ。また来なさい。」
ミュンヘン大学に留学中、恩師である故・子安美知子氏に連れられて、最初にミヒャエル・エンデさんの自宅を訪れた際、二人でイタリアワインの瓶を空にしてほろ酔い気分でおいとまする私に、エンデさんはそう声をかけてくれました。それが、『ジム・ボタン』シリーズ、『モモ』、そして『はてしない物語』の作者であり、現代の文明について、そして人間の本質について、語り続けたドイツのファンタジー作家、ミヒャエル・エンデとのはじめての出会いでした。それからたびたびエンデ邸や近くのレストランで、密度の濃い会話の席の、その端っこにちょこんと座り、エンデさんが、子安先生や奥様、ご友人らと交わされる話を聞く機会に恵まれました。
一九九〇年前後、日本でもすでにエンデさんの作品は人気でしたが、あまのじゃくの私は、作品を一冊も読んだことがありませんでした。ドイツで最初のクリスマスの日、食事会に呼ばれた時に、正直にそのことを言うと、『モモ』のドイツ語版に、サインを入れてプレゼントしてくださいました。そうして二年間、何度も同席させていただいたその都度、エンデさんは幼い頃の思い出や家族について、現代社会や文化、自分の作品について、様々な話をしました。私にとってエンデさんは、世界を代表するファンタジー文学の作家ではなく、おいしいお酒やお食事をごちそうしてくれる、知り合いのドイツ人という感覚でした。ですから「エンデ」と呼び捨てにするのは、とても気が引けるのです。エンデさん、と書かせていただくことを、お許しいただきたいと思います。
当時はドイツ語の勉強として楽しく聞いていたこの会話の断片が、いつしか自分の行動を決める指標となっていることに、今になって気づくのです。もしも私がドイツに行かなかったら、エンデさんを大作家として緊張しながら訪問していたら。そう考えると、重なったひとつひとつの偶然が、偶然ではないのかもしれない、そう思えてしまうほどです。
そういえば、『モモ』の作品の最後の辺りでも、時が止まった町を走り回り、灰色の男たちの居場所を探すモモの前に、ある方向を指さしたまま止まっている左官屋の姿が描かれます。偶然、そう、確かにそれは偶然止まった瞬間になされた姿でした。しかし主人公モモは、それを(自分に示した場所)と直観し、その方向へ進み、灰色の男たちを見つけだすことに成功します。エンデさんは、この〈直観〉という力の特性について、子安美知子氏によるインタビュー『エンデと語る』(朝日新聞社、一九八六年)のなかで「モラルとは直観」であり、「直観とは明白な体験だ」と述べています。明白な体験とはすなわち、(自分はこれを、自分の手で確かめた)、(自分はこれを、自分の手で成し遂げた)という本物の感覚を伴う行為と、そう言いかえることができるかもしれません。
ある日、放送局関係の知人から、子供向けのラジオ劇の脚本を書いてくれないか、と頼まれた──それが、エンデさんが『モモ』を書き始めるきっかけでした。当時エンデさんは、デビュー作『ジム・ボタン』シリーズの大成功を受けて、一躍人気作家の仲間入りをしていました。確かにこの大成功は富と世間の注目をもたらしましたが、その反面、現代の問題を描き出す文学が主流だった当時のドイツでは、ファンタジー世界を描くエンデさんやその作品は、現実逃避文学と見なされ、しょせん子供向け、という評価が一般的でした。その息苦しさから、エンデさんはイタリアに移住する決意をします。
ドイツで完成した『モモ』の脚本は、結局採用されませんでした。しかしそれによって、エンデさんはこの物語を、今度は小説として書くことになり、作品を生み出す喜びを得たのです。移住先で書かれた小説『モモ』には、自由な空気と創造する喜びを自分に取り戻させてくれた、イタリアへの感謝が込められています。
この本の出版に際しては最初、絵本『かいじゅうたちのいるところ』などで有名な画家、モーリス・センダックに挿絵を依頼しましたが、断られてしまいます。そこでエンデさんは、それなら自分で挿絵を描こう、と決めたそうです。また文字の色にもこだわり、少し懐かしい、セピア色で印刷してほしい、と自ら注文しました。表紙のイラストも、本を開いて表紙と裏表紙を並べると、時間の国が目の前に広がるような、そんな秘密のお楽しみを、読者のために用意しました。
エンデさんは晩年、長野県北部の黒姫童話館に自分のプライベートな資料を自ら選んで送り続けました。そこに所蔵された書簡のうち、叔父に宛てた手紙には、この本の装丁のアイデアが嬉々として報告されています。エンデさんの、このいたずらっ子のような一面を、ぜひ本を広げて見ていただけると、面白いかもしれません。
さて、物語に戻りましょう。主人公モモは常に〈行動〉しています。親しい人たちとは自分の手足と言葉で、子どもたちとは「遊び」という自由な想像力で、つながろうとします。ひとりの時もあります。その時は自分の周りにあふれる宇宙や自然を、目や耳を使って味わいます。困った時は、自分の足で、行くべきところへ行こうとします。本に描かれるモモは、〈明白な体験〉をする人の姿と言えるかもしれません。
エンデさん自身もまた、常に〈明白な体験〉を大切にする人ではなかったかと思います。絵を見る時、彼は必ず画家の名前を知る前に、絵そのものを味わう人でした。また来日時、食事の席で出された物を前にして、これは何ですか、とは聞かずに先ず食べてみてから、「このムースは野菜の味がするね、これはきっと……」と話し出す方でした。さらには自分の作品も、何かの教訓や警告としてではなく、ひとつの〈体験〉として受け取ってほしいと願う人でした。イタリアに住んでいた頃は、ふらりとやってきた青年を、広い屋敷の庭にキャンプさせることもあったそうです。それもまた、自分にやってくる機会全てを、〈体験〉としてありのまま受け取ろうとする姿勢の表れではなかったかと思います。
エンデさんの、現代社会に対する言葉が、予言めいた警鐘として、私たちの耳に深く、そして重く突き刺さるのは、この〈明白な体験〉の積み重ねが、彼の言葉や判断に厚みや重みを与えているからではないかと思うのです。そしてその厚みや重みが、人として「正しいもの」、「善きもの」だと感じるからこそ、私たちは彼の作品や言葉に惹かれるのかもしれません。
とはいえ、エンデさんも、現代の〈体験〉を変容させつつある新しい機械システムや仮想体験に対して一方的に反対だったわけではありません。ご自宅のトイレが日本製だと伝えた時には、「文明には否定的でも、水洗トイレは絶対に手放すことは出来ないよ」と言い、当時流行り始めたコンピューターゲームに夢中になり、仕事机の向かい側にコンピューターを置いて、私たちにそのゲームがいかに面白いかをわざわざ説いてくれるほどでした。もっとも、夢中になりすぎて、しまいには奥様から、一日三時間まで、と約束させられる羽目になったという笑い話も、後で付いてくるのですが。
〈直観〉とは、人を瞬時に「今自分が何をすべきか」決断させ、行為させる原動力だ、と『エンデと語る』のなかで彼は続けます。人生は小さな決断の連続であり、行為の連続です。ひとつの行為は自分自身の苦い、あるいは満ち足りた〈明白な体験〉となって、新たな人生の道を作り出します。しかし直接的な体験が制限された日常では、この〈直観〉力を育てることもできません。自分自身を高めたい、でも高められない、そのジレンマは、『モモ』にもすでに、規律に縛られた子どもたちの諦めや、消費文明の歯車としてしか生きられなくなった大人たちの哀れさとして描かれます。この閉塞感、手詰まり感は、私たちが現代社会の中で、特にこの三年間の自粛生活の中で、知らないうちに溜め込んでしまった感覚と共鳴します。
作中では、登場人物たちの失敗や、八方手詰まりの場面がしばしば描かれます。モモも、灰色の男たちの策略で、いったんは孤独と絶望に陥ります。もう先が見えない、どうしていいかわからない、にもかかわらず、心の底から湧いてくる何かがある。それをエンデさんは、人だけが持っている〈希望〉への意志と呼びました。
さらにこの物語に輝きを与えているのは、登場人物たちの素朴さではないでしょうか。年の離れた掃除夫や自称観光ガイド、はたまた人間ではないカメだとしても、彼らとただ一緒にいるだけで醸し出される穏やかな空気、たわいない会話とそこから生じる温かさ。お金になるわけではない、何か得があるわけではない、にもかかわらず湧いてくる愛おしい思い。それが〈愛〉という魂だと、エンデさんは考えていました。
エンデさんの人生にも深い愛情を注いでくれた母親がいました。傍らで自作を声に出して朗読し、書評を全て切り抜いて保管した前妻インゲボルクがいました。ドイツで行きつけのトスカーナ料理店に連れて行っていただいた時には、店のマダムをマンマと呼び、「私のイタリアのお母さん」などと甘えて冗談を言う人でもありました。他方、熱烈なファンに追いかけられ、ファクシミリを使用していた当時は、印刷の紙がなくなるほど延々と手紙が送り続けられたりと、辟易していたこともありました。人と接する時、そこには熱が生まれ、その熱は心地良い時もあれば、あまりに熱すぎることもあります。しかしその熱はエンデさんにとって切り離せないものだったのではないか、と思います。
ドイツ留学後、日本で歌舞伎を案内した時にはすでに、エンデさんの体調は優れず、食事もあまり楽しめなかったようでした。その後毎年のように夏の間ドイツに滞在した私は、ご病気が重くなり、シュトゥットガルトのホスピスでエンデさんが過ごされる間、ご自宅の猫のお守りをしながらお見舞いに行く機会を得ることができました。一年ぶりに会ったその姿は、初めてお会いした時とは全く異なり、真っ白な髭の、仙人のような姿でした。しかしその太く落ち着いた声は変わらず、休み休み話す短い会話のやり取りのなかでも、エンデさんは、今味わっている、死へ近づくという未知なる時間を冷静に〈体験〉なさっているようでした。
今年は『モモ』発刊五〇周年。急激に変わり、また変わり続ける世界でどう生きるか、私たちはその答えを見つけようと、これからも模索し続けるでしょう。その途上に『モモ』があるとすれば、それは私たちひとりひとりにとっての道しるべとしての役割を、果たしてくれるのかもしれません。あの指差す左官屋のように。ではそれが指し示す先は? ──それは、私たちひとりひとりの〈明白な体験〉が導いてくれると、そう信じたいのです。
(ほりうちみえ・ドイツ文学)