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清水憲男 スペインから見た夢──F・リコ『ユマニスムの夢』邦訳によせて[『図書』2023年5月号より]

スペインから見た夢
──F・リコ『ユマニスムの夢』邦訳によせて

 

 半世紀余の昔、確たる展望もないまま学究生活に専念したいと考えていた頃、田中美知太郎の『時代と私』を貪るように読んだ。同書終結部に、以来ずっと私の脳裏を離れずにきた言葉がある。「わたしたちに欠けてゐるのは依然として正確な知識と知性ではないのかとも思ふ。まだわたしたちのところには真の学問が根づいてゐないのである」。その筆致からなんとなく納得しても、もう片方で「そんな馬鹿な」との思いが自分にはあった。「真の学問が根づいてゐない」などと言われても、当の田中をはじめ、数多のすぐれた研究者が日本においでではないか……ただ古代ギリシャ哲学の碩学がこうした断定をなさる以上、それなりの真実があるのかも知れないとも想像しながら、二十代の私は狼狽した。

 その狼狽から今も抜け出せないでいる。フランシスコ・リコの『ユマニスムの夢』の拙訳を岩波書店から出版することになって(二〇二三年三月)、翻訳に着手する前にリコの同書を再読した。その過程、そして実際に翻訳を進めている間も、田中美知太郎の言葉が幾度か脳裏を横切った。いわゆる参考文献を満遍なく渉猟することはもとより、錯綜した古い原資料を手探りで追い求めて、異国の文化現象をここまで論じきることが、本当に日本人にできたことがあるだろうか。

周縁からの視点?

 ユマニスム、ルネサンスなどと言うとき、その嚆矢をペトラルカと簡単に片づけることはできず、それなりの環境が前もって整えられていなくてはならない。『ユマニスムの夢』の著者リコは、本拠地イタリアの「高尚な」文学や思想に性急に飛びつくことをせず、古代の遺跡や記念碑の発掘、それに共鳴した人物の動きにまず着目する。記念碑や墓碑に刻まれた文言解読への関心が嵩じてラテン語教育・学習熱に繋がり、L・ヴァッラの『ラテン雅語論』に到達する過程を追う。

 著者リコの生まれたスペインは従来バロックをもって知られる国だ。スペインのルネサンスを否定した哲学者オルテガの主張などどこ吹く風と言わんばかりに、リコは自分の問題意識に従って汎ヨーロッパのユマニスムを探る。アメリカの詩人W・H・オーデンはスペインを「利口なヨーロッパにへたくそにハンダづけされた断片」(soldered so crudely to inventive Europe)と書いたが、中途半端にハンダづけされた国からでもイタリアを眺望するや、たちどころに古代ローマの文書記録が目に飛び込んでくる。

 ここから著者の装備がいかんなく発揮される。主要近代ヨーロッパ諸語は言うに及ばず、ユマニストたちの共通語たるラテン語の文典を自在に操る(この当たり前が日本にあってはすでに鬼門)。語学力は研究の質を保証するものではもちろんないが、著者はユマニストたちが刻した多岐にわたる文言を精査することで、当事者たちの喘ぎやほつれを把捉する。そこにズレを見ても性急に切り込むことを抑え、そのズレが実は近似相補的だったり、表面上のパフォーマンスにとどまっていることを読み解く。逆に別人が同類のことを言いながらも、実は深層で大きく異なる場合もある。

夢の系譜

 著者がユマニスムの胚胎を注視したと言ったが、それ以上に着目したのは、その終焉だった。ユマニスムを夢と結びつけ、のっけから「夢でしかなかったのは、理想的な町の設計図を俯瞰しておきながら、それを具現するべき石材や工具を持ち合わせなかったからだ」と書き起こす。かなり硬質な議論の書のタイトルに「夢」という捉えにくい語を掲げた真意はどのあたりにあるのか。

 セルバンテスの『ドン・キホーテ』の終盤(後編六八章)で、お供のサンチョ・パンサがご主人ドン・キホーテにこんなことを言う、「聞いたところによると、眠ることには困った点が一つだけあります。眠りは死ぬことと似ていて、眠っている人と死んだ人とは紙一重だとか」。人は眠って夢を見る。夢を実人生に二重写しにして追うことで積極的に前に進むこともあれば、しょせんは夢でしかないと諦観に至る場合もある。夢を見る当人からすれば夢で起こっていることは、それなりに現実で、夢から覚めれば笑止千万な「夢物語」であることが多い。

 話は少し面倒になる。ユマニストは夢を追って国破れて山河ありの境地に至り、著者はそうした経緯を追ったのか。もちろんそんなことはない。ユマニストは自分たちの文筆行為が夢追いだなどとは夢にも思わず、真剣勝負を挑む。もはや夢は死と「紙一重」ではない。

 夢の現実と非現実の重層性は『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』などでもそうであるように、ヨーロッパ諸語で早くから始まっている。元来ラテン語の)sŏmnusは眠る行為つまり「睡眠」、sŏmniumは「夢見」を指したが、両者は当たり前のように初期段階から混流する。スペイン中世文学初の長編武勲詩『我がシッドの歌』Cantar de Mío Cidでも、それが認められる。直訳すると「自分が見た夢に、とても満足した」(mucho era pagado   del sueño que soñado a, v.412)とある。睡眠中の夢だったものが、覚めた自分を満たしている。

 となると、本書の著者は、中世にひとまず区切りをつけて、それに先んずる文芸や考究に没頭した人たちが創出した知的成果を検証してみると、一つの大いなる夢として捉えることができ、内実を精査すると、次々に興味深いことが浮上してくる、との立場を取ることになる。中世の『我がシッドの歌』のように、「見た夢に満足した」などと余韻にひたる暇はなさそうだ。

 先ごろ他界した小説家の加賀乙彦(筆者にとっては敬愛する小木貞孝先生)は、文学者は自分のイマジネーションをもって夢を回復させると言う。回復させられた以上、それはすでに夢ではなく現実だ。我々はその夢=現実にいかなる返礼をしようというのか。

忍びゆく水脈

 取り巻く環境の中で人は意識・無意識のうちに現実を動かしてゆく。ユマニスム運動は巨大なうねりを見せ、やがてはそのうねりも沈静化してゆく。『ユマニスムの夢』の第8章「白鳥の歌」で、そのあたりが熱く語られる。言うまでもなく「白鳥の歌」は、人が現世を離れる直前に最高作品を残すとのいわれに由来する。ただユマニスムは敢えなく雲散霧消したのではない。イタリアを起点とするユマニスムが次第に輝きを失ってゆくのと軌を一にするかのように、フランスのビュデ、スペイン生まれながら主にフランドルで活動をしたフアン・ルイス・ビベス、とりわけロッテルダムのエラスムスのような「北の」錚々たる思想家たちが新たな展開を図る。

 「白鳥の歌」で想起されるのは、一九六九年に『赤頭巾ちゃん気をつけて』で芥川賞を取って、一躍青春小説の寵児となった庄司薫の『白鳥の歌なんか聞えない』(一九七一年)だ。ここで引き合いに出すのは少し憚られもするのだが、冒頭に引いた田中美知太郎の『時代と私』を読んだ時に負けないほど夢中になって、同じ頃、私はこの軽妙な小説に惹かれた。その頃の自分が「白鳥の歌」の由来を知っていたか否かは覚束ないが、聞こえなかったという「白鳥の歌」が、幻聴であれ、かすかに聞こえたような気がした。

 白鳥の歌を静かなBGMとした夢は北方の深層に伝わり、北方は南方ユマニスムの水脈とつながる。これは通常の意味での「影響」でもなければ、エラスムスなどの独創性や役割に影を落とすものでもない。すぐれた人材を得ることで、同時代、後の我々に想定が困難だった思想として実を結ぶと共に、イタリア・ユマニスムの密かにして確かな水脈を明かすものだった。

 同時に、今一つ確認しておく必要がある。ユマニスムの時間軸とは別に、それを受け入れて、それなりに展開させる知的土壌が、異なる文化圏に堅実に備蓄されていたことだ。受け入れられず、展開されることもなかったとしたら、ユマニスムは自己完結的な文化事象でしかなかった。詩人ヴァレリーの「新しさの中にあって最上のものは、古い欲求にかなうものだ」(Ce qui est le meilleur dans le nouveau est ce qui répond à un désir ancien. Cahier, XX, 1929)を思い出してもよい。イタリアだけに目を向けているのでは、その深層は見えてこないかも知れない。

 フランシスコ・リコはスペイン人だ。スペイン人であるがゆえに書くことができたなどと身びいきはしないが、著者を凌駕する執筆者がありえなかったのが、とりわけ第5章の「新世界への道」と、「補講1」で言及の多いアントニオ・デ・ネブリハ(一五二二年没)についてだ。「南の」ユマニスム運動は「北の」ヨーロッパや、ヨーロッパに「へたくそにハンダづけされた」スペインで開花するだけでは終わらなかった。コロン(コロンブス)到達以降の新世界にまで波及した様子を著者は説く。

 ネブリハに関する論述は著者の独壇場と言ってよい。『ユマニスムの夢』の訳者解説でも言及したが、リコは昨年末に五〇〇ページを越えるネブリハ論を刊行し、スペインで最初のユマニストとして君臨するネブリハの守備範囲、文化史上の意義、また方向性こそ違え、ヴァッラの『ラテン雅語論』に劣らないどころか、長期にわたる影響力をもってヴァッラを遥かに凌ぐ『ラテン語入門』Introductiones Latinae,1481)他を刊行したネブリハについて詳述する。この認識はユマニスムの今後の理解に欠かせない。だが日本でのネブリハをめぐる言及はスペイン研究者の間でさえ、近代ヨーロッパ語最初の文法書を一四九二年に刊行した云々を、さして出ていない。ネブリハが五年ほど滞在したボローニャでスコラ哲学のペトルス・ロンバルドゥスを精読したこと、異端審問に抗して執筆した名著『護教論』Apologiaが日本の学会などでしっかり俎上にあげられたことなどは、筆者の知る限りではまだない。

源泉へのこだわり

 無為に齢を重ねてきた私などが、若い研究者や中堅研究者の仕事を拝見して、「この題材を論じながら、あの文献(近年では入手が少々難しいかもしれないが)さえおさえていない」と驚かされることが多々ある。異国研究の意を決した以上、それなりの覚悟が求められる。中村元が厳しく指摘するように、「世間の人々は人文科学の研究といえば瞑想(ママ))浄机のもと、静かに本さえ読んでいればよいと考えるが、とんでもない。人文科学は肉体労働である。大きな本や資料をいくつもかかえて移動する体力がなければならない」(『学問の開拓』)。言うまでもなく遥か後方で及ぶべくもない私ごときが、なけなしの財布をはたいて、毎年できるだけ長期間スペインに滞在するのは、日本で手持ちの参考文献を引っ繰り返したり、図書館やインターネットで得られる資料では、じきに壁に突き当たるからだ。

 こんなことを書いたのは以下を強調するためだ。『ユマニスムの夢』で論じられるユマニストたちは「参考文献」を渉猟したのではない。「原典テクスト」を求めた。ペトラルカやヴァッラの生きた時代にあって、古代ローマの主役たちに関する「参考文献」は限りなく無きに等しかった。否が応でも「テクスト」、それも印刷術が登場する以前の手稿や写本を含めて血まなこになって探した。人さまが書いた参考文献をそれなりに消化し、安直な換骨奪胎をして論文を生み出すことをもって研究者然とすることなどありえなかったことを、ユマニストを辿ることで痛感させられる。

 著者フランシスコ・リコ当人は、みずから現代のユマニストとして稼働する。かつてのユマニストの知的環境に自分を置いて時空を往来しながら、昨今の研究者にありがちな俯瞰的回想からは、意図的に距離を置こうとしているかのようだ。本来なら紙幅を費やして説明するようなことを飄々と断定し、読者が意表を突かれる記述が本書には少なくないのだが、それはリコ独特の衒学的技巧ではなく、彼なりにユマニストたちを検証すれば、あまりに必然の帰結であって、取り立てて騒ぐまでもないからだ。

 昨年の一一月、物理教育理論専攻でマドリード大学名誉教授の旧友と対談する機会を得た。専攻が違いすぎることもあって話が噛み合わず、ワインを飲みながらの無礼講、話題や発想の食い違いを互いに楽しむような歓談となった。相手が読んでいない『ユマニスムの夢』を話題に上げることも、私はしなかった。ところが奇妙なことに、「あのライン・エントラルゴ(邦訳もあるスペインの思想家で医学史家)は近年稀に見るユマニストだ」、「近代のA・ボルタ(イタリアの化学・物理学者)は一言で言えば要するにユマニストだ」に類する発言が、互いに当然のように飛び交った。日本人同士の会話で「ユマニスト」なる単語が頻出するか否か、私には確信がない。

夢を夢見る

 冒頭でギリシャ哲学の田中美知太郎に言及した。紙幅が心細くなった今想起するのは、同じく約半世紀前に留学先のスペインで目から鱗が落ちるような思いで読んだ中村元の『東洋人の思惟方法』全四巻であり、小冊ながら濃厚な『比較思想論』だ。こうした巨人の言葉は徹底して厳しい。「一人の西洋の哲学者に一生を打ちこんだというと聞えはよいが(中略)、それはけっきょくその哲学研究者がその仰いだ哲学者の精神的奴隷となっているだけではないか」(『比較思想論』)。私が西欧の文化事象に近づこうとした時、該当分野の書物もさることながら、こうした東洋の研究者の発言に刺激されることが多かったように思う。それは同じく中村元の名著である『インドとギリシアの思想交流』、さい)ぐさ)みつ)よし)の『東洋思想と西洋思想』だったりする。こうした書を読むことでデカルトのCogito, ergo sum(我思う、ゆえに我あり)がインドにあることを知らされたり、「平和」の概念が仏教とキリスト教では同質ではないことなどを教えられたりした。異文化への接近は、通常考えられるよりも遥かに難しいことを厳しく教えられた。

 ユマニスム、あるいはルネサンスが始働するには中世を経る必要があった。さらにその研究が今日のように深化するのに五〇〇年からの歳月を要した。いっぽう、六世紀半ばに日本に伝わった仏教が、自分の信仰対象として深めるのではなく、いわば距離を置いた客体として本格的に研究対象とされるまでには、(自分の無知を恐れつつ言えば)井上円了、南条文雄、中村元などの錚々たる仏教研究者の台頭まで、気の遠くなるほどの時間、時代の経過を待たなくてはならなかった。

 軽々な憶測は避けねばならないが、我々が「異国の」ユマニスムに本当に深入りするには、まだ遥か遠い道のりが残されているのかもしれない。そこに深入りすることで我々は何を得られるのか、知的関心、歴史認識と共に何を得ようとするのかを含め、追うべき、あるいは追うことのできる夢はまだまだ続く。それは過去への敬意であり、過去が無意識に現代に課した宿題でもある。夢を見ながら夢を追うことにしたい。

(しみず のりお・スペイン文学・文献学)


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