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司修 『クマのプーさん』を読みながら[『図書』2023年8月号より]

追悼・大江健三郎
『クマのプーさん』を読みながら

 

 Oé さんの『ヒロシマ・ノート』にある、死の意味を、書き写さなければ、とあせっている私。

 [自分の悲惨な死への恐怖にうちかつためには、生きのこる者たちが、かれらの悲惨な死を克服するための手がかりに、自分の死そのものを役だてることへの信頼がなければならない。そのようにして死者は、あとにのこる生者の生命の一部分として生きのびることができる。この、死後の賭けが、宮本定男氏の原爆病院内での活動だったし、峠三吉氏の入党だったのである。そこで、いま僕をとらえる恐怖は、われわれがかれらの死の賭けをすっかりだめにしつつあるのではないか? という疑いに喚起される。しかも、そのことを死の直前の宮本定男氏たちは、感づいてしまっていたのではないか? この恐怖の感覚は僕から離れることがない。われわれ、地球上の生きのこりのすべてが、かれらの死の賭けを否定し、賭金をはらうまいとしているのではないか?/この死者のことを、僕は聖者と呼ぶべきかもしれない。]

 とあるあとに、[聖者という言葉に反感をもつ人たちがあるなら]と、Oé さんは、セリーヌの言葉を引用します。

 《完全な敗北とは、要するに、忘れ去ること、とりわけ自分たちをくたばらせたものを忘れ去ることだ、そして人間どもがどこまで意地悪か最後まで気づかずにくたばっていくことだ。棺桶に片足を突っ込んだときには、じたばたしてみたところで始まらない。が水に流すのもいけない。何もかも逐一報告することだ、人間どもの中に見つけだした悪辣きわまる一面を、でなくちゃ死んでも死にきれるものじゃない。それが果たせれば、一生はむだじゃなかったというわけだ》

 二〇二三年三月三日未明、大江健三郎さんが亡くなったラジオ・ニュースを聞きました。私が台所で朝食のみそ汁に卵を落とそうとしているとき。私は、卵をガスレンジに落としてしまい、みそ汁が煮こぼれて湯気をあげるまで、ぼうぜんとしていました。

 三月三日、雛祭の日は、明治生まれの母の誕生日なので、新潟の銘酒を買ってきて、腰のひくい桐ダンスの上に茶碗酒を献じて、私は昼から呑んで、親不孝を詫びていたのでした。

 おおくの迷惑をおかけしたOé さんに、私はお詫びしていたのかなぁ。雛祭の独り酒なんて面白がるOé さんだったな、と独りごと。Oé さんがそばにいたら、こういったかもしれない。

 「まるで、年とった灰色ロバのイーヨーだな。お祝いはなし、ロウソクはなし、みじめなのは、このわしだけで、たくさんじゃ、といっているみたいじゃないか」

 私は、Oé さんの装幀をするようになってから、Oé さんの前にいるとき、ずっと、『クマのプーさん』の作者、A・A・ミルンのまえがきを、呪文のようにブツブツブツブツやっていました。

 [コブタは、プーより、ずっと教育があります。でも、プーは、気にしてなんかいません。頭のある人もある、ない人もある、と、プーはいいます。それが世の中なのです。]

 これを呪文でとなえると、フクロがプーに頼まれて、イーヨーの誕生祝いを書いたあれになります。

 「おたじゃうひ たじゅやひ おたんうよひ おやわい およわい」

 Oé さんが私のことをこんなふうに書いたことがありました。彼は酒を飲むといつも、A極からB極へ、と笑い話として。

 [Aの極で、司さんは礼儀正しくひかえめで、内気であり、このように話していることでかれを傷つけているのじゃないかと不安になるほどであり、暗い印象もある。(………)Bの極で、司さんは陽気で攻撃的であり、徹底的にぼくを罵倒して、なおも笑いかつ怒りつつ、去ってゆく。]

 とにかくそのようなことがあったのでしょう。けれど、『洪水はわが魂に及び』という本の表紙絵をOé さんに頼まれて描いたのです。本ができると、Oé さんの家に招かれました。

 玄関の扉を開けると、Oé さん、そのとなりに、一〇歳ぐらいの男の子と、六歳ぐらいの女の子、Oé 夫人がおりました。かいだことのない美味しい匂いが、玄関にも応接室にもひろがっていました。クマのプーさんだったら気絶していたことでしょう。

 ところがです。応接室でお茶をいただいていると、Oé さんに抱きついた男の子に、「プーちゃん!」といってOé さんは大きい熊のように噛みついていったのです。プーちゃんも大熊さんに噛みついていきました。そのカクトウの楽しそうなことといったらないのです。『洪水はわが魂に及び』に登場した障害をもつ少年「ジン」でした。鳥の声をいくつもいくつも聞き分ける「ジン」でした。

 プーちゃんの妹は「ながくつしたのピッピ」のようでした。ですがここでは、「コブタちゃん」と呼ぶことにします。

 コブタちゃんが私にいいました。

 「むかしむかしねぇ、ぶたのようにまるまるふとったおじいさんとぉ、がりがりにやせたおばあさんがぁ、いました」

 Oé さんがもっとも体重をたいせつにしてふやしていたころです。

 「おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくにいきました。するとぉ、川上から、どんぶりこどんぶりこと、桃がながれてきました。おばあさんは桃をひろいあげて、さっそくわってみますとぉ」というと、コブタちゃんは、いたずらそうな目で私を見て、「ブタがでてきましたぁ」といいました。

 Oé さんはそれに負けない大声で、「ブタがでてきましたぁ?」といってコブタちゃんに噛みついていったのです。ところがコブタちゃんは、父の歯をじょうずに逃れて、さっきよりも、もったいぶったいいかたで、

 「しばらくするとぉ、さっきの桃より小さな桃がながれてきました。おばあさんはその桃をとって、わってみるとぉ、ブタのウンチがでてきましたぁ」といい、「エッチ」とつけたして部屋を出て行きました。

 Oé さんは、「悲しみについてもよく語る道化」でした。

 コブタちゃんが三歳のとき、Oé さんは、木下順二作の絵本『かにむかし(岩波書店)を読んで聞かせました。コブタちゃんは、カニが柿の木にガシャガシャ登って落ちてしまう場面に惹かれたらしく、眠るまぎわに、ガシャガシャとつぶやいていたそうです。

 『かにむかし』は面白かったけれど、コブタちゃんは多少の抵抗を感じたようです。

 カニがサルをやっつけるために出かけると、仲間にくわわろうとする、「ばんばぐり」や「ハチ」や「うしのふん」がいました。コブタちゃんは、「うしのふん」て、ウンチだ、と抵抗を感じたのです。だれだって、そんなきたないものを仲間にするなんてへんだと思うでしょう。大人になっても、そういう意識をなくさない人が多い世の中です。でも木下順二さんの『かにむかし』では大事な役割をもっていたわけです。

 [うしのふんが/すわっておっていうには/「かにどん かにどん、どこへ ゆく」/「さるのばんばへ あだうちに」/こしに つけとるのは、そら なんだ」/「にっぽんいちの きびだんご」/「いっちょ くだはり、なかまに なろう」/「なかまに なるなら やろうたい」]

 Oé さんは、コブタちゃんに納得してもらうため、そのあと、次のような文を書き入れました。

 「おらは くさいで えんりょにおもうが」「いや さるは たれより くさいぞ」/というて、うしのふんに きびだんごを やって、うしのふんもなかまに なった]

 Oé さんの「幼年の想像力」というエッセイに書かれたものですが、[子供たちと大人の、真の共通語はあるのか、真の共通の観察はあるのか、そして、子供たちと大人は、どのようにして確実な一双の想像力の翼をもつことができるのか?]ということが書かれていました。

 『新しい人よ眼ざめよ』という本に、プーちゃんは、「イーヨー」という名で登場します。

 テレビ撮影隊とヨーロッパの旅を終えて戻った家で、「僕」は妻から、「イーヨーは包丁を持って、そのカーテンのところに頭を突きつけて、じっと裏庭を視ていたのよ」と、留守中の話を聞きます。イーヨーのそれ以前の一連の動きに、妻は、パパが帰ってきたらいいつけるから、ということがあったのでそうなったと。小説中で、イーヨーはこういいました。

 [──いいえ、いいえ、パパは死んでしまいました!]妻が説き伏せようとするとイーヨーは、

 [──いいえ、いいえ、パパは死んでしまいました! パパは死んでしまいましたよ!] それで妻は、

 [──死んだのとはちがうでしょう? 旅行しているのでしょう? だから来週の日曜日には帰って来るでしょうが?]とイーヨーの心を鎮めようとします。ところが、  [──そうですか、来週の日曜日に帰ってきますか? そのときは帰ってきても、いまパパは死んでしまいました。パパは死んでしまいましたよ!]

 この会話は小説として書かれているので、カセットテープからの書き写しではありません。けれど一読者としてその後にも続く、

 [──あーっ、死んでしまいました、あの人は死んでしまった!]

 という言葉などに、神話的な、神秘的な意味を感じつつも、誰もが迎えなくてはならない「死」の現実を感じずにはいられませんでした。 

 

(つかさ おさむ・画家・作家)


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