『科学』2024年2月号 特集「AIのリスクと可能性」|巻頭エッセイ「ヒトにしかできないこと」永田和宏
◇目次◇
【特集】AIのリスクと可能性
AIによる判断がもたらすリスクとAIセキュリティ……佐久間 淳
生成AIが誘発する現状固定化のリスク……中川裕志
人間とAIの感情コミュニケーション──その可能性とリスク……鈴木晶子
パーソナルAIとサービスのガバナンス……橋田浩一
人とAIの共生を考えるには「文化」が重要である……前田春香・翁 岳暄・佐倉 統
AIにおけるバイアスの課題……荒井ひろみ
[巻頭エッセイ]
ヒトにしかできないこと……永田和宏
鉄で土を肥やす……増田曜子・妹尾啓史
植物はどのように重力方向を感知するのか?──デンプン平衡石による植物の重力感知の仕組み……西村岳志・四方明格・森田(寺尾)美代
[連載]
数学者の思案21 数学者のなり方……河東泰之
研究者,生活を語る10【番外編インタビュー第1回】 「人それぞれ」の国,アメリカでの子育て──村山斉さんに聞く……村山 斉
3.11以後の科学リテラシー133……牧野淳一郎
ナナメから見る物理学3 曲がるもの大研究!……村田次郎・金井颯汰・坂本智洋・高橋志門・村田 慧
人間の言語能力とは何か──生成文法からの問い4 ニューラルネットワークとガリステル-キング予想……ノバート・ホーンスティン/折田奈甫,藤井友比呂,小野 創〈編訳〉
〈指定討論〉脳の記憶の特徴は多階層性と動的安定性?……深井朋樹
[科学通信]
市民科学で地球温暖化を抑える──N2O消去微生物の探索……大久保智司
大丈夫,マタタビは安全です──ネコのマタタビ反応に依存性なし……上野山怜子・西川俊夫・宮崎雅雄
農薬曝露による鬱のリスク……木村─黒田純子
次号予告
2023年という年は,ChatGPTが一般社会に受け入れられて動き始めた年,謂わば「生成AI元年」とでもいう年として記憶されるだろう。この流れは加速することはあっても,もとに戻ることはあるまい。
一方,私たち生命科学に関わってきた人間には,その前々年,2021年に発表されたRoseTTAFoldとAlphaFold2の衝撃のほうが大きかったかも知れない。いずれもアミノ酸配列を打ち込むだけで,タンパク質の立体構造をほぼ瞬時に出してくれるソフトである。この方法に対する若干の危惧については別のところ(『学術の動向』2021. 12)で述べたので繰り返さないが,いずれにせよ革命的な技術であり,生命科学研究の進展に著しく寄与することは間違いない。
それはそれとして,ここでは少しChatGPTについて考えてみたい。私は「言葉は究極のデジタルだ」と言ってきた。膨大な数の言葉も,その組み合わせも,いかに数が多くとも,所詮有限である。それに引き換え,私たちの周りの自然や風景,そして私たちの内部に生じてくる感情などは,まさに無限の多様性のなかにある。この世界は,どんな小さな空間を見ても,どんな些細な感動であっても,それを数として数えることも,まとめてしまうこともできない。まさにアナログの世界なのである。
この世界をいかに認識するか。西田幾多郎のように「純粋経験」こそが基本という立場もあるが,私たちが世界を認識するのは,一般には言葉を介してである。「ここに一本の木がある」と言う時,一本の木だけは世界から抽出されるが,それ以外のすべてはその認識から捨象される。認識とはアナログ世界をデジタルな言葉に変換してなされる,一種の抽出,抽象作業である。
創作も同様である。小説にせよ,詩にせよ,私のやっている短歌にせよ,私たちはこのアナログ世界のなかで感じた感動なり,思想なりを,言葉というデジタル情報に変換して抽出してくるのである。これは言語芸術に限らず,絵画や彫刻,あるいは映像まで含めて,アナログ世界を言語あるいは映像というデジタルツールで切り取っているに他ならない。
一方,私たちが小説を読んだり,詩や歌に感動を覚えるのは,デジタル情報から,アナログ情報を再構成する営みから生まれるものである。無限のアナログ情報の中から,その一部をデジタルの情報として抽出したものが〈作品〉であるが,そのデジタル情報から,再び,アナログ世界を再構成する。そこに自らの経験などを上書きしつつ,読者,鑑賞者は自分なりの感動を覚えるのである。言葉に表せない感動を〈作品〉に感じるとはそういうことである。デジタル情報のアナログ化,これが文学に限らず,芸術作品の享受ということであろう。
AIは,そして生成AIは,デジタル情報のデジタル変換はできるが,アナログのデジタル化(創作),デジタルのアナログ化(鑑賞あるいは読書)はできない。これができるのは,今のところ人間だけである。
科学,そして人文科学を含めたサイエンスの世界でもっとも大切なのは,あるいはもっとも大きな喜びは,未解明の問題を解くこと以上に,自然からいかに〈問い〉を見つけるかだと私は思っている。〈問い〉を発することが,サイエンスの基本であり,原点である。
これは言い換えれば,自然という(あるいは社会という)アナログの世界から,いかに〈問い〉というデジタル情報を抽出できるかだと言ってもいい。そして,これは創作という営みと同様,今のところ,人間にしかできない作業であろう。
AIが進化した世界において,人間とは何かを考えるとき,私は,このようなアナログのデジタル化,デジタルのアナログ化こそが,人間の最後の人間らしさとなっていくのではないかと思っている。