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【鼎談】現代に生きる仏教と仏教学――『岩波 仏教辞典 第三版』21年ぶりの改訂(後編)

 

2023年11月、『岩波 仏教辞典 第三版』を刊行。扱う内容は、仏教の成立から、インド哲学・宗教との関係、中国・チベット・東南アジアへの伝播、経典の漢訳、そして日本における仏教思想の展開や文化との関わりまで、コンパクトな判型ながら総合的。第三版では、とくに近現代の分野を重点的に増補したが、その改訂の中で感じられた仏教と仏教学の現在を語り合う。(この鼎談の抄録は、『図書』2024年3月号に掲載)

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大谷栄一/菊地大樹/末木文美士

  「社会参加仏教」の広がり

末木 鎌倉新仏教中心の史観は、『岩波 仏教辞典』初版が出たころ批判が出始めましたが、まだその見方は残っていました。

 30年前の常識では、宗教はだんだん合理化し、世俗化して進歩していくという見方も強かったけれども、進歩史観を見直す中で仏教の再発見があり、宗教は時代と無関係ではいられないという面もあります。ここで、新たに加わった項目の「社会参加仏教」について、大谷先生にお聞きします。

大谷 宗教の捉え方は海外での研究動向を受け、日本でも見直しが進んできて、近代西洋のプロテスタンティズムをモデルとした宗教概念のあり方が批判されてきました。末木先生が『禅の中世』(臨川書店、2022年)の中で、「鎌倉新仏教中心論は近代主義的な歴史観によるものだった。それは合理主義、密教否定、神仏習合否定などの特徴を持ち、プロテスタント的なキリスト教をモデルとする、いわばプロテスタント仏教主義と言うべき性格を持っていた」とおっしゃっていて、これは宗教に関しても仏教に関してもいえることです。この20年間は、宗教や仏教をどう捉えるかが問題になった時期でもありました。宗教は、近代世界では私事化された個人的なもの、心の内面の問題と考える人が多い反面、より積極的に社会に関わるべきという議論もあり、それを実践する教団や個人も現れてきています。

 一つの重要なきっかけが2011年の東日本大震災です。多くの宗教者が救援・復興支援の活動に関わり、宗教施設の公共性を考え直しはじめました。東日本大震災以降の宗教と公共空間について象徴的なのが、「臨床宗教師」とよばれる資格制度です。東北大学の「実践宗教学寄附講座」(現在は「死生学・実践宗教学研究室」として継承)で、2012年以降、その養成がはじまります。臨床宗教師の定義は、「被災地や医療機関、福祉施設などの公共空間で心のケアを提供する宗教者」とされ、僧侶だけでなくクリスチャンや神職、新宗教の教師などさまざまな宗教者がトレーニングを経て資格取得にいたる。ほかに「臨床仏教師」や宗教者以外が取得できる「スピリチュアルケア師」の資格もあります。その特徴はいずれも「臨床とケア」。お寺の中ではなく外に、臨床の現場に出ていく。「ケア」という言葉は1995年の阪神・淡路大震災以降に広まりましたが、臨床宗教師のケアの具体的手段としては「傾聴」があります。これまで教えを説く立場だった僧侶が、悲しんでいる人に寄り添い、話を聴く、それも公共空間において、ということです。その他、世界の「社会参加仏教」の活動には、環境保護、貧困撲滅、平和運動など色々あります。

大谷栄一氏

末木 菊地さんは、臨床宗教的なケアの実践にも関わっていらっしゃいますね。

菊地 はい。阪神・淡路大震災から約30年、東日本大震災から十数年を経て、スピリチュアリティの受け止められ方が変わっています。「スピリチュアリティ」という言葉は、パワーストーンや星占いなどからケアの専門家の本質まで言い表す言葉で、幅広い意味をもちますが、死生観のような、医療や社会活動では解決し切れない気持ちをスピリチュアリティ(霊性)と捉え直して、社会の中で一人ひとりに向き合う臨床宗教師の活動は、僧侶が寺院の外に出て活動するという意味では「社会参加仏教」だと思います。

 『岩波 仏教辞典』初版が刊行された1980年代末は、近代主義の行き詰まりが感じられていた時代でした。その行き詰まり感は70年代半ばごろから出てきたものですが、それを先取りしたのが黒田俊雄です。いわゆる新仏教ではなく、大寺院に伝承される密教を見直す顕密体制論を打ち出しました。それが1975年。その後の流れにつながる大きな転換点です。そこから、近代的な説明では不可解と思われる宗教もそのまま受け止める社会に変わってきたのかなと思いました。

 東北大学の養成コースでは、臨床宗教師・スピリチュアルケア師を目指す人々が、全く同じことを一緒に学びます。後者は、主に医療や介護などの現場で活動する人を想定した資格ですが、私もスピリチュアルケア師を目指して、東北大学で臨床宗教教養講座と実践講座を受講しています。この講座ではまず、スピリチュアルケアは公共空間で行われることを強く意識し、特定の教派・宗派にもとづく布教活動をしないことを厳しく言われる。公共空間では諸宗教が手を取り合うことが求められ、かつ宗教性を前面に押し出さないことにも注意します。スピリチュアルケア学会などでも倫理綱領を定め、臨床の現場で活動する会員たちにこの点を徹底的に教育するんですね。根底には宗教性を意識しながらも、このような形で進められる臨床的なケアは政教分離のもとにある公共空間でも許される活動だと理解しているからです。

 私はもともと、前近代の寺院制度そのものよりは、それに乗っかって活動していた宗教者の実践に関心がありました。そういった興味が広がっていき、現代につなげることを考えていたとき、東日本大震災が起こりました。仕事のうえで何も貢献できないもどかしさを感じながらも日は過ぎていく。その間に、宗教者が次々に被災地に入りました。当時は批判もありましたが評価も高く、そこに自分が悶々と考えてきたものの答えがあるかもしれないと思って。いま専門としていることと、これからやろうとしていることが、いずれつながるかもしれないし、つながらないかもしれない。でも一度その場に飛び込んでみようと東北大学の講座を受講しています。

菊地大樹氏

大谷 深い感銘を受けるお話ですね。

菊地 宗教実践を考えるうえで私が頼りにしている一つは、アメリカの研究者のジャクリーン・ストーンさんの研究です。専門は前近代日本宗教ですが、Right Thoughts at the Last Moment(University of Hawai'i Press, 2016)では、仏教の臨終行儀について書いています。死の淵にある人の臨終に宗教儀礼を施して、キリスト教であれば天国へ、仏教であれば浄土へ導き、安楽な死を迎えてもらうための儀礼です。この本では、10世紀末の源信からはじまり、最後の章で現代のターミナルケアや脳死の問題に触れているのですが、こういう方法もあるのだと知りました。現代のスピリチュアルケアや緩和ケアは非常に優しいとジャッキーさんは言います。死にゆく人に寄り添い、怖くありませんよと慰めて、死の苦しみを和らげる。それに比べて前近代の臨終行儀は厳しくて、愛する人から切り離し、この世に未練を残さないよう煩悩を断ち、死の苦しみや恐怖に一瞬も心を乱すことなく、極楽浄土に往生するよう念じ続ける(正念を保つ)といった一種の修行だったそうです。何の前提もなく前近代と近代をつなげて、千年前の臨終行儀と現代のスピリチュアルケアとはイコールだなどとは言えませんが、経緯を辿って千年後にこうなったという説明はしてもいい。厳しい修行から逸脱して、家族に温かく見守られて最期を迎えたという史料もあり、そこからは、歴史性を超えた人間らしさを見出すことができますし、日本の場合、臨終行儀に仏教が果たした役割は大きいと思います。ただ、仏教の正統教義だけでは様々な臨終儀礼のすべてを説明しきれないのも確かです。そこに仏教民俗を認める余地があるんじゃないでしょうか。

 私が東北大で学んだことの一つは「お迎え」現象。岡部健という、この分野では草分け的な医師がいて、自身のスピリチュアルケアを教え子たちに受け継ぎました。岡部先生は緩和ケアに携わる中でお迎え現象についての語りを聞き留め、不可思議なものもそのまま受け入れて記録をしていたようです。学術的な資料としては不十分だったものの、岡部先生自身がガンにより緩和ケアを受けて亡くなったあと、河原正典医師ら、この研究を引き継いだ人たちが社会学的な方法で報告書を作り、一般に還元するために『「お迎え」体験』(宝島社新書、2020年)という本まで出した。西洋人であっても日本人であってもターミナル期にある人がお迎え現象を体験し、しかしながら見えるものが違うということには、文化的な背景や歴史性、つまり過去からの伝統を引き継ぐ部分があると思うんです。今後、実践と研究の両方から探っていきたいと思っています。

仏教と戦争

末木 今日の世界情勢を見ると、宗教が人間に安らぎをもたらすと同時に、争いのもとにもなるという両面が顕著に出ています。この問題を研究の視点で見るとどうでしょうか。

大谷 仏教と戦争の問題につながるお話ですね。仏教辞典では「戦時体制と仏教」「従軍布教」「超国家主義と仏教」などの項目が新しく立てられました。

 ここ最近、戦後80年近く経って、ようやく仏教教団の戦争協力に関する研究が教団内部から起こってきました。浄土真宗本願寺派と浄土宗が、戦争協力の実態について所属寺院を対象に調査して、その成果が報告書としてまとまったんですね。いずれもテレビ番組で取り上げられるなど、戦争と仏教の関係が改めて注目されている印象です。仏教教団による戦争協力はセンシティブな問題で、なかなか研究が進みませんでしたが、時間が経ち、戦争経験者が少なくなる中で本格的に着手され始めました。研究者の間では、戦争協力の断罪でもなく、「戦争協力をした宗教教団」と「反戦を訴えた僧侶」という二項対立的な枠組みでもない捉え方で、戦争との関わりを考え直そうという動きが出てきました。近代の戦争と仏教研究に新しい波が訪れています。

 ただ難点は、教団中央の動きは宗報や当時の文書などからわかるのですが、地方の末端寺院の具体的な動きについては史料が見つかっておらず、史料を探すところから始めなくてはいけません。問題意識はこの20年間で盛り上がってきているので、研究にしっかり還元したいと思っています。

菊地 日本の臨床宗教師は欧米、特にアメリカのチャプレン(おもに教団外の団体や施設に奉仕する宗教者)をモデルにしていますが、戦時には正式に軍人として従軍するチャプレンと違って、近代以降の日本の宗教者は宗派の自主的な戦争協力の形で動員されたようです。この違いが軍の史料に宗教者の記録が残りにくい理由でもあると思います。最近のアメリカは分断・対立が激しいので、チャプレンが割って入ってなだめることで場が和む、ということが小さい場でも大きい場でもあるようです。9.11直後の説教があえて融和を説いたという話なども聞きました。日本の仏教がそういう役割を果たしていけるかどうかは見守っていきたいと思っています。

仏教の世俗化とジェンダー

末木 日本の場合、明治になって僧侶の肉食にくじき・妻帯や蓄髪ちくはつが許可される(1782年「肉食妻帯自由令」)と同時に、僧侶の大部分は一般の平民に組み込まれて宗教者という特殊身分がなくなりました。いわゆる世俗化ですが、制度による世俗化の強制があったようです。仏教教団が世俗化に対応し、大部分の僧侶が受け入れたという歴史を見ると、仏教の戒律はどうなってしまうのかと思われます。例えば妻帯問題は、仏教教団における女性の地位の問題に直結しますね。

大谷 第三版では「肉食妻帯自由令」や「寺族じぞく」が新たに立項されましたが、これらは現在進行中の問題です。2023年9月5日に真宗大谷派で初の女性宗議会議長が選出されましたが、それがニュースになること自体が仏教界の現状を示していると思います。第二版以前でも「女人成仏」「女人禁制」「五障三従」「変成男子」の項目や語句はありますが、やはり女性と仏教の関わり、くわえて肉食妻帯自由令以降の戒律の無効化の問題は、近現代の仏教を考えるうえで重要です。ある中国の留学生が、お坊さんが結婚していて驚いた、中国では考えられないと言っていて、日本の仏教の特質を実感しました。

末木 明治のころの戒律論の問題もややこしい。福田行誡ふくだぎょうかい釈雲照しゃくうんしょうなどが戒律を守れという運動を盛り上げる一方、田中智学は、仏教者も妻帯すべきだとして『仏教夫婦論』(同盟舎、1887年)を書いた。仏教は生きている人の生活に関わるべきだという、近代仏教の方向性を示す動きでした。ジェンダーに関することとしては、中世から近世にかけて男性の僧侶が妻帯し、女性との関係をもつようになる一方で、大寺院では男性社会が作られて、少年愛もあった。同性愛の広がりなど、考えていくべき課題もあります。

末木文美士氏

仏教における自死

菊地 辞典の校了直前、「自殺」という項目を見て、仏教では自殺が「禁じられている」という記述は問題ではないかと思いました。そこで、「仏教に自殺を禁じる宗派や思想は元来ない」と書き換える提案をしたのですが、末木先生からはそこまでは言いきれないのではないか、と指摘されました。なぜ私がそこまで言ったかというと、スピリチュアルケアを勉強する中で、親族のケアについて学んだからです。遺族が葬儀をあげたいと思っても、自死であれば葬儀もあげられず、周りから同情どころか冷たい目で見られてしまう場合もある。カトリックなども寛容になってきているし、元来日本に自死は罪という原則はないのだから辞典の記述も変える必要があるのでは、という発想だったんですね。ところが末木先生によると、五戒の不殺生戒(殺してはならないという戒)からは、自分を大事にする思想が出てくるのが普通であり、自殺を否定しないという書き方では、仏教では自死を肯定すると誤解されてしまう。私はスピリチュアルケアの根底に宗教があると考えていますが、辞典の記述では、私自身の特定の立場に引っ張られないよう一線を引く重要性を認識しました。

末木 これは少し議論になりましたね。自死も原則から考えれば殺生の枠に当てはまるということで、提案を受け止めて表現を変えることにしました。仏教では自死した人を排除することはありませんが、だからといって自死を勧めることもありません。

 辞典は長期的な使用に堪え、標準的な解釈を提供するものです。その前提の上で、変化する仏教の現状や新しい研究成果を可能な限り盛り込もうとしました。その試みがどこまで成功したか。読者の皆様には大いに活用して、ご意見をお寄せいただきたいものです。

(2023年12月4日、岩波書店)
(おおたに えいいち・近代仏教)
(きくち ひろき・日本中世史・宗教史)
(すえき ふみひこ・仏教学)

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