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松本俊彦 「身近な薬物のはなし」

第4回 アルコール(3) 人間はなぜ酒を飲むのか?

【連載】松本俊彦「身近な薬物のはなし」(4) 

はじめに

  前々回前回と、アルコールには深刻な健康被害や社会的弊害があること、そして、それでいながら様々な規制政策が奏功しないばかりか、強硬な禁止法はときとして為政者の立場を危うくしかねないことを見てきました。

 なぜ人間はかくもアルコールを欲し、また、執着してきたのでしょうか? 今回はそのことについて考えてみたいと思います。

生き延びるためのアルコール

遺伝子の突然変異によって得たもの

 アルコールの摂取は人類の進化を加速させた可能性があります。

 その端緒となったのが、遺伝子の突然変異です。ジャーナリストのブノワ・フランクバルムは、著書『酔っぱらいが変えた世界史――アレクサンドロス大王からエリツィンまで』1のなかでこう書いています。「1000万年前にまずは私たちの祖先に遺伝子変異が起こり……アルコールにふくまれるエタノールをより速く分解(代謝)できるようにな」ったと。

 この、遺伝子の突然変異の可能性を最初に指摘したのが、カリフォルニア大学バークレー校の生理学者ロバート・ダドリーによる、「酔っぱらいのサル仮説(drunken monkey hypothesis)」2です。ダドリーは、私たちの祖先は熟した果実に含まれるエタノールの匂いと味との関係を学習し、それによって進化上の優位性を得た、と主張しています。果実に豊穣に含まれるグルコース、フルクトース、サッカロースは、発酵によってエタノールを生み出します。エタノールは重要なカロリー源ですが、熟成が進みエタノールを含むようになった果実には特徴的な腐敗臭があります。人類はこの腐敗臭に敏感な能力を獲得することで、効率的なカロリー摂取が可能となったわけです。

 もちろん、そのような能力を必要とした背景には、私たちの祖先の「運動オンチ」が関係していた可能性は否めません。少なくとも同じく樹上生活を送る他の霊長類よりも機敏さで劣っていて、それゆえに、樹上の果実にありつくことに失敗し、地上に落ちて腐りかけた果実に甘んじるほかなかったのではないか――だとすれば、人類は生き延びるために、あの腐敗臭に対して嗅覚を研ぎ澄まし、この酩酊物質に引きよせられる本能を獲得した、といえるのかもしれません。

 腐敗物を食料源とすることにはメリットがありました。ダドリーは、私たちの祖先が早くからエタノールが精神におよぼす影響――冒険心を高める効果――に気づいていた可能性を指摘しています1。エタノールにはほかにも利点がありました。果実が細菌で汚染されるのを防ぎ、食欲を増進させ、さらに消化を助けて、体内に脂肪を蓄える働きもあります。

 ダドリーの学説は、その後、マシュー・キャリガンの遺伝学的研究によって裏づけられました。約1000万年前に起きた突然変異により、私たちの祖先のエタノール代謝能力が格段に向上したのです。同じ霊長類でもある程度習慣的にお酒を飲む(楽しむ?)のはヒト、ゴリラ、チンパンジーなどの一部に限られていますが、それは、進化の過程でオランウータンの系統から枝分かれる際に、ADH4(アルコール脱水素酵素4)遺伝子の突然変異でアルコールを分解する能力を獲得したからです。この突然変異によってエタノール代謝能力は40倍に高まり、酔って木から転落したり、肉食動物がひそむ場所で泥のように眠り込んだりする危険を大きく減らすことができるようになりました1

 もっとも、それでも時々はやらかしていたようです。300万年前、私たちの祖先、アウステラロピテクスのルーシーは転落死しました。発掘された右上腕骨の折れ方から、落下距離は12メートル、落下速度は時速60キロと推定されており、足、股関節、肋骨、肩、下顎、内臓を損傷し、かなりの致命傷でした。獣による襲撃の跡がないことから、転落はまちがいなく不慮の事故です。

 なぜルーシーは不注意にもかくも高いところから転落したのでしょうか? ブノワ・フランクバルムは、ルーシーが「発酵した果実の魅力に負けた」可能性、すなわち、酩酊していた可能性を指摘しています1

「待つ」から「作る」へ

 いうまでもなく、発酵した果物を食べるのは、人類の専売特許ではありません。チンバンジーやゴリラなどの類人猿、それから野生の象や一部の齧歯類も腐敗した果実を食べ、酩酊することが知られています。しかし、人類が他の「のんべえ動物」と一線を画しているのは、みずからの手で酒を作る、という点です。

 第4氷河期が終った後、紀元前1万年頃からはじまる中石器時代――人類が農耕をはじめる以前の段階――から、人類はすでにアルコール飲料を作っていました3。人類が最初に作ったアルコール飲料の原材料は、穀物でも果実でもなく、蜂蜜でした。

 最初、人類は偶然この蜂蜜酒を発見したと想像されます。蜂蜜は水と一緒に置いておくと勝手に発酵を開始します。ですから、おそらく最初は、木の幹にあいた穴に蜂蜜と蜜蝋がたまり、そこに雨水が流れこんでできた蜂蜜酒を、何かの拍子に発見したのではないでしょうか? そしてしばらくのあいだ、人類はそれを見つけるたびに、みずからの幸運に手を叩き、小躍りして喜んでいたにちがいありません。

 しかし、ただ「待つ」だけの立場に甘んじることができないのが、人類です。少なくとも中石器時代には、人類は蜂蜜酒作りをしていたと考えられています3。想像するに、いまだ地表に氷河が残る中石器時代、早くも人類は、洞窟で焚き火を囲んで暖をとりつつ、蜂蜜酒に舌鼓を打っていた可能性が高いわけです。

 やがて氷河がすっかり溶け、気候が温暖になってくると、人類は次第に活動的になっていきます。狩猟文化が幕を開け、紀元前9000~8000年頃には、犬の家畜化や羊の飼育、さらに定住と穀物の栽培をはじめます。そして、世界四大文明が花開く頃には、人間は穀物や果実を原材料として大規模な酒造りを開始するようになるのです3

アルコールのために集い、つながる人々

シュメール文明とビール

 農耕と定住をはじめ、多数の人々が密集して暮らすコミュニティを形成するようになると、人類にとってアルコールの役割はますます重要になりました。そのことは、世界四大文明のなかで最も古いメソポタミア文明の遺跡発掘物からうかがうことができます。

 メソポタミア文明の担い手、シュメール人の遺跡からは、彼らとビールとの深い関係を示す証拠が多数発掘されています。粘土版には、しばしばビールの造り方や効能を記す楔形文字が刻まれていました。また、2人の人間がそれぞれ自分用のストローを差し込んで、同じ1つの壺からビールを飲んでいる、という場面を模した絵も残されています(図1)。おそらくシュメール人社会では、人々は同じ1つの壺からビールを分かち合って飲んでいたのでしょう。

図1 一つの壷からストローでビールを分け合い飲むシュメール人 

CDLI Seals 008800 (physical) artifact entry (2023) Cuneiform Digital Library Initiative (CDLI). Available at: https://cdli.ucla.edu/P475540

 シュメール人社会においては、ビールは必要不可欠なものだったようです。作家マーク・フォーサイズの著書『酔っぱらいの歴史』4によれば、シュメールのことわざに、「彼は恐ろしい、まるでビールを知らない人間のように」というのがあるそうです。要するに、シュメール人社会では、ビールが野蛮人を人間にすると考えられていたのです。

 かつて「人類が最初に麦から作ったのは、パンとビール、どちらが先か?」といった論争がありましたが、すでにこの論争には決着がついています。ビールが先です。というのも、神殿ができる以前、そして、農耕が始まる以前からビールは存在していたからです。

 これを踏まえて、フォーサイズは、人類史に関して大胆な仮説を提唱しています。曰く、「私たち人間が定住生活を開始し、農耕を始めた理由は、パン(食べ物)が欲しかったからではなく、酒が欲しかったからだ」と。

 フォーサイズは、ビールがパンに先行し、人類が酒欲しさから定住と農耕をはじめたことを支持する理由として、次の6つを挙げています。

 第1に、ビールは加熱調理を必要としないから、パンよりも簡単に作ることができます。

 第2に、ビールには、人間が健康を維持するために必要なビタミンB群が含まれています。捕食動物は他の動物を食べることでビタミンB群を摂取できますが、穀物を育てている農耕民が、パンだけの食事をしていたら、ビタミンB群不足によって貧血や脚気などの病気になってしまいます。しかし、発酵させてビールにすれば、ビタミンB群を摂取することができるのです。

 第3に、ビールはパンよりもすぐれたカロリー補給源です。というのも、酵母がすでに栄養分をいくらか消化、分解しているので、栄養分の吸収率ははるかに高いからです。

 第4に、ビールは貯蔵し、保存食とすることができます。

 第5に、ビールに含まれるアルコールには殺菌作用があり、水を浄化してくれます。農耕のために定住生活を送ることの最大の問題は、コミュニティ自体が様々な感染症の温床となることです。これは、たえず移動し続けていた狩猟生活の時代には、気にする必要がなかったことです。

 最後の、そして最大の理由は、真なる行動変容には文化的動機が必要だから、というものです。もしもビールがあえて長旅をしてでも手に入れる価値があり、そして、ビールに宗教的な意味があると信じられていたならば、どうでしょうか? たとえその人がいかに狩猟の名手であったとしても、狩猟生活を断念し、定住して醸造用の大麦を育てようという気持ちになるのではないでしょうか?――少なくともフォーサイズはそう指摘し、次のように断定しています。

 「紀元前9000年頃、われわれは農耕を発明したのだった。日常的に酔っぱらうために」4

 古代ギリシアにおける饗宴

 アルコールはコミュニティの秩序と絆を作り上げるのに貢献した可能性があります。フォーサイズは、古代ギリシアの饗宴(シュンポシオン)を例に引き、飲酒を様々な決まりごとで儀式化することによって、ポリス(都市国家)の秩序と市民の平等性に寄与した可能性を指摘しています

 当然、そこには一定の訓練も求められたようです。フォーサイズは次のように書いています。

 「プラトンは極めて具体的に、酒を飲むのはジムに行くようなものだと言っている。最初は上手く行かず、苦痛で終わる。だが練習すれば完璧になる。たくさん飲んでも自分を保てるなら、理想的人間である……」

 饗宴は男子だけの部屋で開催されました(女性は入ることができません。このあたりに市民の平等が実現されていても、奴隷制を許容し、しかも、市民のなかでも男女平等が実現されていない、というポリスの暗部が見え隠れするわけですが……)。そして、成人の男たちは長椅子に寝そべってワインを飲みます。もちろん、前回触れたように、ワインは3倍量の水で希釈されています。

 アテネ(アテナイ)の饗宴では、参加者が勝手に自分のペースで飲むことは認められていません。饗宴の開始にあたって、まずは献杯を3回します。1回目は神に、2回目は戦死した英雄たちに、そして最後に、神々の王であるゼウスに捧げます。献杯した酒は口に運ばずに床に注ぐのが決まりでした。

 献杯が終わると、リーダーの指示でいっせいに飲み始めます。その際も勝手におかわりをしてはいけません。これもまたリーダーの指示待ちだからです。さらに、リーダーがおかわりを指示した際には、残っているワインは飲み干さねばなりません。おかわりが注がれる際に杯のなかにワインが残っているのは、不作法とされているからです。もちろん、飲みすぎたからといって、泥酔して醜態をさらすのは言語道断、御法度です。

 それから、参加者全員が同じクラテル(ワインの入った壺)から酒を飲む、というルールもありました。ここでも、シュメール人と同様、「同じ1つの壺を分かち合う」という原則が堅守されていました。歴史家のトム・スタンテージによれば、「乾杯の際にグラスとグラスを合わせるのは、たがいのグラスを1つにして、同じ容器に入った同じ飲み物を飲むということを象徴的に示している」のだそうです。

 なお、饗宴に供されるクラテルは3つだけ用意されました。1つ目は健康のため、2つ目は愛と喜びのため、そして3つ目は眠りのためです。それ以上は、アルコールの弊害が出て、不作法なふるまいや喧嘩をしたり、最悪の場合には錯乱状態にだってなりかねない、とされていたのです。

 いずれにしても、最も重要なルールは、基本的に参加者はみな平等な立場として扱われなければならない、ということです。確かに、饗宴における飲酒開始やおかわりにはリーダーの指示が必要ですが、これはあくまでも形式的な役割であって、決してリーダーが偉いとか、社会的身分が高いわけではありません。

 こうして見てみると、古代ギリシアの饗宴には、アルコールの弊害を極力抑えつつ、人と人とが対等につながり、親睦を深める工夫が随所に見られることがわかります。

 なお、こうした古代ギリシアの饗宴スタイルは、古代ローマにおいても踏襲されましたが、残念なことに平等性は失われてしまいました。長椅子の配置は階級によって明確に定められ、さらに、提供されるワインや食事の質や量の違いから、むしろ階級の違いを見せつけられる場所となってしまったのです

アルコールが作り出すつながり

 考えてみると、たかが酒のために農耕と定住をはじめた人類は、相当な酒好きといわざるを得ません。一体、なぜ人類はそこまでして酒に執着してきたのでしょうか? 

 フォーサイズは、後にアルコール依存症の自助グループAAの理念に大きな影響を与えた哲学者ウィリアム・ジェイムズが、弟の小説家ヘンリー・ジェイムズに宛てた私信を引用しながら、次のような趣旨のことを推論しています。つまり、アルコールがかくも人類を支配するのは、それが人間の神秘的能力を刺激するからだ。その能力は、通常、冷徹な事実としらふのときの乾いた批判によって、簡単に砕かれてしまう。つまり、しらふであることは、縮小し、区別し、相手に対して「ノー」ということを容易にするのだ。一方、酔いは拡大し、統合し、相手に対してつい「イエス」と応じてしまいやすい精神状態を作り出す。酔いは人間のなかにある応諾機能――「イエス」という機能――を強く刺激し、意見をまとめたり、連帯したりすることを容易にする……といった主張です。

 おそらくこのことは、定住をはじめた人間にとって重要な意味を持ちました。というのも、応諾と連帯とは、様々な局面で協力や分業を実現しやすくするものだからです。そう、天災や外敵からの攻撃に際して、人々が一致団結して対峙し、コミュニティを守ることが可能となります。

 それだけに、為政者はアルコールの効果を怖れもしたわけです。中国古代史研究者の柿沼陽平は、好著『古代中国の24時間――秦漢時代の衣食住から性愛まで』において、古代中国、特に漢の時代には、3人以上で酒席をともにすることが禁じられていた、と述べています。

 「漢代の法律では、3人以上がいっしょに酒を飲むことは群飲とよばれ、禁止されていた。それは、酔っ払ったかれらが意気投合し、もしくは飲酒を名目として集合し、謀反を計画しないともかぎらないからである」

 つまり、為政者は、アルコールが持つ、人々を連帯させる力を十分に理解していたのです。

なぜ一部の人は飲みすぎるのか?

 ここまで、人類にとっていかにアルコールが必要であり、コミュニティ形成に欠かせないものであったのか、ということを見てきました。しかしその一方で、度を超した飲酒によって健康を害したり、酩酊時の暴言・暴力で周囲に迷惑をかけたりして、コミュニティから排除される人もいます。

 なぜ一部の人は飲みすぎてしまうのでしょうか? あるいは、どのような特性、もしくは状況にある人が危険な飲み方をしてしまうのでしょうか?

動物実験から見えてくるもの

 議論の糸口として、興味深い動物実験を2つ紹介しましょう。

 1つは、誕生まもないラットの子どもを離乳後に集団から隔離する、という飼育操作を行う実験です。この実験では、離乳後の社会的隔離は、成人後のラットに深刻な認知・行動障害をもたらすことが明らかにされています。幼少期における社会的隔離は、成人後のラットにアルコールに対する感受性を変化させ、隔離しなかった対照群と比べると、オペラント自己投与実験における反応率が高くなり、アルコール消費量が顕著に増加したのです。

 もう1つは、ラットを「終夜営業の飲み放題バー」に閉じ込める実験です。ラットの集団をいつでも好きなときに好きなだけ飲酒できる環境に置くと、いずれのラットも最初の数日は羽目を外して大酒しますが、やがて大部分のラットは1日2回程度の摂取頻度に落ち着くそうです。食事の前に1回、就寝前に1回という感じです。ただし、3、4日に一度だけアルコール消費量が跳ね上がる日があり、この日はラットがほぼ全員集合して、ちょっとした乱痴気騒ぎの様相を呈するそうです。なんだか人間でもありそうな行動パターンですね。

 この「飲み放題」実験で注目すべきなのは、2つの、両極端なラットの存在が観察されていることです。第1のタイプは、集団の支配者のオス(キング・ラット)です。彼は禁酒家らしく、この実験のあいだ中、まったくアルコールを摂取しないのです。そして第2のタイプは、集団で最も地位が低い、いわば落伍者ラットです。彼は、集団のなかで最もアルコール消費量が多いのです。おそらく彼は自分の神経系を慰撫し、不安や恐怖を紛らわせるために飲むのでしょう。

 これら2つの動物実験から示唆されるのは、孤立や剥奪体験、あるいは、屈従や迫害といった体験は、ラットのアルコール消費量を増加させる、ということです。

 しかし、しょせんは動物実験です。こうした傾向は、はたして人間にもあてはまるのでしょうか?

アメリカン・インディアンと飲酒文化

 世界中を見わたすと、アルコール依存症罹患率が非常に高い民族が存在することがわかります。それは、米国大陸における先住民であるアメリカン・インディアン(本来は、「ネイティブ・アメリカン」と呼ぶべきところですが、アラスカ先住民との区別、ならびに文脈上の整合性から、あえてこの表現を用いさせていただきます。以下、インディアンと略します)とアラスカ先住民、さらにはオーストラリア先住民であるアボリジニです。共通しているのは、いずれもユーラシア大陸以外の先住民であること、そして、いずれも白人によって征服された民族である、ということです。

 医学史研究者シゲリストは次のように述べています。

「白人による征服は火器と同じくらい火酒のおかげである。アメリカインディアンにたいするアルコールの影響はよく知られている。インディアンが用いていた興奮剤はタバコで、これでは酔わない。ウィスキーはインディアンの抵抗力を弱め、インディアンを容易に搾取の餌食とした。同じ征服手段は他の場所でも用いられた」

 確かにその通りです。かつて白人たちがインディアンと不平等条約を結ぶ際、大量のウィスキーを持ち込んだことはよく知られています。

 インディアンにはアルコールに対する耐性がまったくありませんでした。肥沃で気候的に穀物栽培に適したユーラシア大陸とは異なり、白人入植以前のアメリカ大陸には、天然の穀物としてはトウモロコシくらいしかなく、それももっぱら食料とすることが優先されていたため、酒を醸造し、飲んで楽しむ文化はなかったのです。それゆえなのか、節度ある飲酒ができず、白人からウィスキー一瓶を与えられれば、一心不乱に一気に飲み干す、という飲み方になってしまったのです。彼らの飲酒パターンには、もしかするとペヨーテ(サボテンから抽出された幻覚アルカロイド)を宗教的儀式に用い、幻視体験を重視する彼らの伝統が影響していたのかもしれません。

 そのようなむちゃな飲み方は、インディアンが置かれた社会的状況によってますます加速しました。彼らは広大な土地で狩猟中心の豊かな暮らしを送っていたのですが、白人による侵略は彼らのライフスタイルをすっかり変えてしまいました。土地は白人に奪われ、狩猟も農耕もできない狭苦しい居留地に追いやられて、生き甲斐のない毎日を無為に過ごすほかなくなったのです。

 それだけではありません。「里親制度」や「インディアン寄宿学校」といった同化政策が、次代を担う子どもの心を蹂躙し、コミュニティの未来まで破壊したのです。前者は、貧困のため生活困難と州が認定したインディアンの家庭から、子どもを出生前に選定して強制的にとりあげ、実の親を知らさないまま白人の家庭において、インディアンとしての文化も歴史もいっさい教えられることはなく、白人としてのみ育てられる、というシステムです。そして後者は、19世紀後半以降に設立された学校であり、そこでは、彼らの風習や信仰は未開地の卑しい習慣として否定され、部族の伝統である長い髪は強制的に短く切られました。また、英語を話すことを強要し、うっかり母語を話すと口のなかに石鹸を突っ込んで折檻され、聖書以外の書物を読むと独房に連れて行かれる、といった暴力的な教育が行われていました。

 いずれも、「インディアンを殺し、人間を救え」という白人中心主義的発想から行われたものです。そのような養育や教育を受けた子どもたちは、やがて物心がつく頃には、「自分はインディアンでも白人でもない」というアイデンティティの喪失に苦しみ、アルコールに耽溺していったのです。そして、同化政策という暴力は新たな暴力を生み出し、それはアルコールによって増幅されながら、部族社会におけるさらなる弱者へと向かいました。具体的には、暴力は、母系社会でありながら男尊女卑の風習が根強く残るインディアン社会における弱者である女性に向かい、さらには、本来守るべき存在である子どもに向かいました10。そして、こうした家庭内における暴力の被害は新たなアルコール依存症の温床となったと考えられます。

 米国内でレッド・パワー運動が勃興した頃、全米インディアン若者会議議長を務めたポンカ族のビル・ペンソニューは、1969年に上院インディアン教育小委員にて次のように述べています。

 「我々は酒にひたすら没頭する。なぜなら、酔いつぶれているときだけが、唯一我々インディアンが自由な時だからだ」11

 インディアンの飲酒問題はいまもなお解決されていません。インディアン衛生局によると、アルコール依存症に苦しむ先住民の割合は、全米平均の5倍といわれています12。こうしたインディアンのアルコール問題の背後には、先祖伝来の土地と伝統的な生活様式の喪失、さらには信仰や伝統的医療の否定といった歴史的喪失があるといわれています12。それらは部族内コミュニティの破壊と暴力の世代間連鎖を引き起こし、アルコール依存症を再生産し続けています。

 現在、多くの居留地では、アルコール問題対策の一環として居留地内での酒類販売を禁止していますが、その結果、アルコールを求める先住民たちは居留地の外に足を伸し、飲酒運転による悲劇があとを絶ちません。居留地の道路沿いには、いまもなお「飲むなら、運転するな」とのスローガンを大書した看板が多数立っています。

絶望死としてのアルコール関連死

 ところで、インディアンは自殺率の高さでも知られています。とりわけ若年者の自殺が非常に深刻な問題となっています。SAMHSA (Substance Abuse and Mental Health Service Administration: 米連邦政府の薬物政策シンクタンク機関)が行った、全米自殺死亡者データベースを用いた人種別の自殺死亡率に関する分析では、インディアンとアラスカ先住民の自殺死亡率は、全米平均と比べてあまりにも顕著に高いことがわかっています(図2参照)。  

図2 2000~2013年におけるアメリカン・インディアンとアラスカ先住民の自殺死亡率: 全米平均との比較

SAMHSA (Substance Abuse and Mental Health Service Administration): Suicide Clusters within American Indian and Alaska Native Communities: A Review of the Literature and Recommendations. 2017

 

 こうした、若年者における自殺の蔓延には、高い失業率に加え、アルコール乱用が促進的な影響をおよぼしている、と考えられています。事実、88件のインディアンによる自殺未遂のうち47件に、アルコールが無視できない影響を与えていた、という報告があります14

 また、全米疾病管理予防センター(Centers for Disease Control and Prevention:(CDC))の調査15では、米国における全自殺者のうち、自殺直前にアルコール依存症に罹患していたと考えられる自殺者の割合は15.6%でしたが、人種別で見ると、インディアン/アラスカ先住民が最も高い(21.0%)ことが明らかにされています(参考: 最小値は非ラテン系黒人6.8%)。また、自殺直前に飲酒していた者は全自殺者の25.2%でしたが、人種別で見ると、やはりインディアン/アラスカ先住民が最も多かったのです(46.2%、参考: ラテン系29.5%、非ラテン系白人25.5%)。

 以上の結果は、インディアンにおけるアルコール依存症と自殺との密接な関係を示唆するものです。このような依存症と自殺との関連は、ちょうど第1回で触れた、米国中西部のラストベルトでの、中高年白人男性における自殺とオピオイド乱用の同時急増を彷彿させます。こうした、自殺やオピオイド過量摂取による事故死はともに「絶望死」としての側面がありますが、同様のことは、インディアンにもあてはまる可能性があります。

 今回とりあげたインディアンのアルコール問題は、ほんの一例にすぎません。世界中を見わたせば、依存症罹患リスクの高い集団――先住民族や少数民族、あるいは性的マイノリティなど――は、つねに自殺のハイリスク集団でもあります。

 ここで、依存症のもう1つの側面が浮き彫りになってきます。ともすれば依存症とは、意志薄弱かつ自堕落、身勝手な不摂生のなれのはてとして偏見を持って捉えられますが、その背景には自殺と地続きの絶望が横たわっているのです。

 いまから百年近く昔、精神分析医カール・メニンガーは、アルコール依存症を「慢性自殺」と位置づけました16。この言葉には、過度な飲酒という、故意にみずからの健康や生命を削る行為が持つ肯定的効果――一時的に自殺を先延ばしにする効果――が含意されています。

 これは慧眼でした。たとえば、インディアンにとって、アルコールとは屈辱を忘れ、絶望から目を逸らすことで一時的な延命を実現する、いうなれば「ケミカル・ケアラー」として――あるいは、わが国のストロング系チューハイさながらの「飲む福祉」として――機能したのかもしれません。問題は、だからといって、自殺に傾く気持ちが霧散したわけではない、ということです。それどころか、アルコールによる酩酊は衝動性を高め、痛みや死に対する恐怖心を減弱させ、自殺行動という破壊的な問題解決をとりやすい精神状態を準備します。

 これはアルコールに限った話ではなく、すべての依存症の本質です。依存症と自殺とは表裏一体の関係にあります。依存症は、「いますぐ自殺することを先延ばしする」という意味では、短期的には自殺の保護的因子ですが、長期的には危険因子なのです。

おわりに

 今回は、なぜ人間は規制や禁止令に抗ってまでアルコールに執着し、飲むことをやめないのかについて考えてみました。そのなかで、私たちの祖先がこの地球上で生存競争を生き延び、やがて文明社会を作り上げるうえで、アルコール飲料がいかに大きな役割をはたしてきたかを確認しました。しかし、そのような肯定的側面とは裏腹に、アルコールが様々な弊害を引き起こすのもまた事実です。そこで本稿では、なぜ一部の人は飲みすぎるのかを、インディアンのアルコール問題を例に挙げて検討し、依存症の背景にある苦痛や困難、さらには自殺との関係にまで思考の触手を伸ばしてみました。

 アルコールをめぐる連載3回分の旅路を経て、いま改めて気づかされるのは、アルコール関連問題とは、単にエタノールの薬理作用や毒性だけが原因ではない、ということです。たとえば、前回、18世紀英国におけるジン・クレイズ(ジンに狂った時代)をとりあげましたが、あの騒動にしても、決して「蒸留酒」という安価な高濃度アルコール飲料だけが原因だったわけではありません。農業から工業へという産業構造の変化が、「資本家 vs. 労働者」という新たな格差と分断を生み出し、束縛と貧困に喘ぐ人々が苛酷な日々をジンで一時しのぎする過程で生じた現象でした。その意味では、ジン・クレイズもまた、インディアンのアルコール問題と同様、社会に蔓延する絶望の表現型なのです。

 ここで、アルコールをめぐる議論の出発点――第2回「アルコール(1) ストロング系チューハイというモンスタードリンク」――に立ち戻りましょう。私は自問します――曰く、わが国で殷賑をきわめた、「ストロング系チューハイ」という安く酔える酒にも、何らかの社会的文脈のなかで登場を要請された可能性はないのか、と。

 それはわかりません。しかし、自身が診察室で出会った、ストロング系愛好家の若者たちを想起すると、少し思い当たることがあります。彼らは、バブル景気を知る私たち親世代とは違って、実に慎ましい生活をしています。無謀なローンを組んで分不相応な車や洋服を購入することもなければ、クリスマス・デートに法外な金を注ぎ込むこともありません。それもそうでしょう。ブラックな非正規雇用で日々食いつなぎながらも賃金は一向に上がらず、人々の経済格差は広がるばかりで、いまより明るい未来を想像することがむずかしい……。

 そう考えると、よくも悪くもアルコールの流行は時代の申し子であり、ストロング系チューハイもまたその一つなのかもしれません。

 

文献 

1. ブノワ・フランクバルム著/神田順子・村上尚子・田辺希久子訳:酔っぱらいが変えた世界史:アレクサンドロス大王からエリツィンまで. 原書房, 2021.

2. Dudley R.: The Drunken Monkey: Why We Drink and Abuse Alcohol.  University of California Press, 2014.

3. 海野弘:酒場の文化史.講談社学術文庫, 2009.

4. マーク・フォーサイズ著/篠儀直子訳:酔っぱらいの歴史. 青土社, 2018.

5. トム・スタンデージ著/新井崇嗣訳:歴史を変えた6つの飲物――ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラが語る もうひとつの世界史. 楽工社, 2017.

6. 柿沼陽平:古代中国の24時間――秦漢時代の衣食住から性愛まで. 中公新書, 2021.

7. McCool BA, Chappell AM: Early social isolation in male Long-Evans rats alters both appetitive and consummatory behaviors expressed during operant ethanol self-administration. Alcohol Clin Exp Res.: 33(2): 273-282, 2009. 

8. Siegel RK: Intoxication: The universal drive for mind-altering substances. Park Street Press. 2005.

9. E.シゲリスト著/松藤元 : 文明と病気(上・下). 岩波新書, 1973.

10. 鎌田遵:ネイティブ・アメリカン――先住民社会の現在. 岩波新書, 2009.

11. TIME: Nation: The Angry American indian: Starting Down the Protest Trail. Monday, Feb. 09, 1970.

12. Whitbeck B. L., Chen X., Hoyt D. R., Adams G. W.: Discrimination, historical loss and enculturation: culturally specific risk and resiliency factors for alcohol abuse among American Indians. J Stud Alcohol. 65(4): 409-418, 2004.

13. SAMHSA (Substance Abuse and Mental Health Service Administration): Suicide Clusters within American Indian and Alaska Native Communities: A Review of the Literature and Recommendations. 2017.

14. Tower M.: A Suicide Epidemic in an American Indian Community. American Indian and Alaska Native Mental Health Research 3 (1): 34–44, 1989.

15. Centers for Disease Control and Prevention (CDC): Alcohol and suicide among racial/ethnic populations-17 states, 2005–2006. MMWR Morb Mortal Wkly Rep. 58(23):637–641, 2009.

16. Menninger K.: Man against himself. Harcourt Brace & World, 1938.

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著者略歴

  1. 松本 俊彦

    精神科医。国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長/同センター病院 薬物依存症センター センター長。1993年佐賀医科大学卒。横浜市立大学医学部附属病院精神科、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所司法精神医学研究部、同研究所自殺予防総合対策センターなどを経て、2015年より現職。第7回 日本アルコール・アディクション医学会柳田知司賞、日本アルコール・アディクション医学会理事。著書に『自傷行為の理解と援助』(日本評論社 2009)、『もしも「死にたい」と言われたら』(中外医学社 2015)、『薬物依存症』(ちくま新書 2018)、『誰がために医師はいる』(第70回日本エッセイスト・クラブ賞、みすず書房 2021)他多数。訳書にターナー『自傷からの回復』(監修、みすず書房 2009)、カンツィアン他『人はなぜ依存症になるのか』(星和書店 2013)、フィッシャー『依存症と人類』(監訳、みすず書房 2023)他多数。

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