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西谷修 「ショック・ドクトリン」のインパクト[『図書』2024年4月号より]

「ショック・ドクトリン」のインパクト

──『ショック・ドクトリン』現代文庫化に寄せて

 ナオミ・クラインは二十一世紀に入った世界でもっとも重要な著作を発表し続けている著述家であり、ジャーナリストというより思想家である。

 二十一世紀というより、マルクス主義の失効以後と言った方がよい。階級闘争、唯物史観、左右の対立、それを資本主義経済論が支えるといった議論は、市場のグローバル化でまったく場違いになり、仲間うちでしか意味のない閉塞に陥っている。

 そこにナオミ・クラインは新しい世界の稜線を描き始めた。『ブランドなんかいらない』(原著一九九九年、邦訳二〇〇一年、はまの出版)は、その最初のマニフェストだった。この本は、PRによるブランド価値の創出が、一方で先進国の消費者マインドを煽りたて、他方で低開発国の社会を食い物にし、人びとをいかに搾取しているかを暴いて、反グローバル化(=もうひとつのグローバル化)運動に指針を与えた。

 そして『ショック・ドクトリン』(原著二〇〇七年、邦訳二〇一一年、岩波書店)はグローバル経済下で世界に何が起こっているのかを決定的に示した。戦争・災害・クーデターや体制転換という「ショック(衝撃と恐怖)」がハゲタカ経済システムの降り立つ空白を作り出し、それがいたるところで人間の生活空間や社会組織を解体して、途方もない富の偏在を生み出すということを、一見関係がないいくつもの歴史的事象(ハリケーン被災、9・11とイラク戦争、チリの軍事クーデター、サッチャー革命、ソ連崩壊、アジア金融危機ほか)をとりあげて描き出した。そして国家(とりわけ覇権国のアメリカ合州国)が、民主主義とは程遠い無名の株主たちの乗る神輿みこしになっていることも(著者はそれをコーポラティズム国家と呼ぶ)

 クラインは膨大な調査で、各所で起きていることをつぶさに調べ上げ、そこから大きく錯綜した社会改造圧力のメカニズムを描き出す。その手法を近年では地球温暖化という大テーマに広げている。巨視的に見れば誰もが分かるはずなのに、そして今では人びとの日常生活にも切迫した問題を引き起こしているのに、温暖化への傾斜は止まらない。それはなぜなのか、人びとの心理や諸アクターの思惑も含めてその構造を具体的に描き出すだけでなく、生産性(成長)と効率を是とする世界改変のブルドーザーに押し潰される人びとの抵抗の現場に立ち、そこから共に声を上げ世界に発信し、各地の人びとの生存のための抵抗、自律の要請、そこにしか民主主義も人間の未来もないことを示し続けている(『これがすべてを変える──資本主義VS.気候変動』原著二〇一四年、邦訳二〇一七年、岩波書店)

 中でも『ショック・ドクトリン』は核心的な著作である。事実の記述が総合情報として優れているというのではなく、「自由」の心理療法と「自由」の経済政策とはじつは同じベクトルをもつという、かつてどんな諸科学の学者も踏み込まなかった観点を切り拓いたからだ。

 この本には「災厄資本主義の勃興(The rise of disaster capitalism)」という副題がついている(邦訳者は含意を明示する工夫をして「惨事便乗型資本主義の正体を暴く」としている)。著者が「災厄資本主義」と呼んでいるのは、ミルトン・フリードマンに代表される自由市場の教説、いわゆる「新自由主義」のことである(その呼称を広めたのはデヴィッド・ハーヴェイあたりだが)。日本では「小さな政府・規制緩和・市場開放」と要約された経済政策のことだ。ただし、これは狭義の経済政策ではない。市場のあらゆる制約を排し、人間活動のあらゆる局面も商品としてそこに投入する。すると市場がその商品の良し悪しを決定する(売れるものがよい商品)。だから政治など必要ない。それで初めて個人の創意と欲望の自由は生かされ社会全体は「最適化」される、という考えだ。つまり市場は、雑多な利害に動かされた政治的決定やいわゆる社会的要請などよりも、公正かつ適正な審判を下す超越的ルーレットだというわけである。

 この考えは、共産主義ソ連の出現に対抗し、国家統制を「自由の敵」として嫌悪するフリードリヒ・ハイエクによって唱えられた。「人為」に対する「成行き」の放埒ほうらつ状況を理想とする「市場原理主義」である。だから究極的には政治を、つまり「ポリス」の管理を不当として排除する。したがって、政策主導で市場の活性化を導くケインズ流のやり方も、社会主義だとして拒否する。だが、「ポリス」のない「自由市場」など現実には存在しない。むしろ超政治的に(国家を超えて)現存する諸条件を取っ払ってしまわないかぎりありえない「理想」である(カール・ポランニーはまったく逆に、「市場を社会に埋め戻す」ことを考えていた)

 それを実験するチャンスが訪れたのが、一九七三年、冷戦下のチリで軍事クーデターが社会主義政権を倒したときだった。軍事独裁政権を作ったピノチェトは、フリードマンの弟子たちを受け入れ、チリの社会主義的要素を、制度も文化もその担い手だった人間も含めて一掃した(数万の「行方不明者」、十万を超す亡命者)。規制緩和・市場開放とはこのこと、つまりこの行為なのである。それまでの、一定の地域の人びとの生活を支えていた制度や慣習、言いかえれば「社会的条件」が一掃され、「自由」な空白が作り出されて、その「無制約」がルールとなった。すると、国家が公共的使命として担っていた事業はことごとく「民(私)営化」され、その分だけ市場が拡大する。教育・福祉・交通・通信インフラ、公共事業のすべて(宇沢弘文が「社会的共通資本」と呼んだもの)が市場に「解放」されるわけだ。一時はそれでチリ経済は「発展」したが、やがてピノチェトは、「災厄」を生き延び再生した民衆によって追われることになる。

 それが「新自由主義」と呼ばれるものだが、その実施が可能になるためには、既存の一社会が崩壊し、「空白」が生まれてそこでドラスティックな変革が行なわれなければならない。この「考え」に取り憑かれたイギリスのサッチャーは「社会などというものはない」と言い放ったが、それはイギリスから「社会的なもの」を一掃するという宣言でもあった。「社会的なもの」とは、分断され生存の根を絶たれた個々人を最後にすくい取る「セーフティー・ネット」でもある。あるいは、生活する人びとの相互のつながりそのものが「社会性」である。「新自由主義」はその社会性を排除することを目指している。

 だからこの「考え」は、クーデターを待つし、戦争による体制崩壊を待ち、大災害による既存の社会解体を待つ。そのことを称してナオミ・クラインは「災厄資本主義」と呼んだのである。

 ただ、この本のタイトルは「ショック・ドクトリン」であり、そこに込められているのは上記のことがら(つまり資本主義と言われる経済社会体制)に尽きるものではない。著者はこのきわめて印象的な表現の由来を明るみに出している。それは二十世紀の一時期、ある偏った精神医学で開発された「ショック療法」である。これはある種の「精神病」を治療し、患者を「苦しみから解放する」ために、病んだ人格を一度無力化・空白化し、そこに新しい人格を植え付ける(刷り込む)というものだった。そのとき、もっとも効果的なのは、患者を孤立させ、さまざまな方法で心理的に追い込むだけでなく、電気ショックを与えるなどして人格意識を破壊することだった。そのためこの治療は「ショック療法」と呼ばれた。

 著者が強調するのは、これがCIAなどの諜報機関が、スパイ容疑者を捕えて自白を促すための拷問手段として開発されたということだ。「敵性」の人間の頭を空にし、こちらの意図通りに知りたい情報を聞き出すのが目的だ。冷戦下のスパイものなどではごく普通に見られる「拷問」だが、人権や民主主義の仮面の下では、けして大っぴらにはできない「研究」だった。しかしその「成果」は米軍の「特殊尋問教程」として使われ、そのことは「テロとの戦争」において、キューバ(つまり米領外)のグアンタナモ収容所や、イラクのアブグレイブ刑務所のスキャンダルなどで明らかになった。

 既存の社会の「生存様態」を一掃することが「自由市場」の条件だと考えるフリードマンらの思想は、この精神医学と同型だとナオミ・クラインは気づいたのである。「市場開放」とは「ショック療法」における「衝撃と恐怖」による人格の自律性の解体と同型の方法だと。たんなる類似や比喩ではない。人間と社会に対して基本的に同じアプローチなのだ。誰がその「ショック」を与えるのか? それは政治国家を超えた「威力」、超大国の軍事力や、自然災害、あるいは国家の放任や役割放棄による「社会」の、つまりは「人びとのつながり」の解体である。要するに「新自由主義」とは、たんにひとつの経済思想なのではなく、市場の自由のために人びとの人格や社会(共同性ないしは公共性と言ってもいい)の破壊を要請する「ショック・ドクトリン」なのである。この「ドクトリン」は「モンロー・ドクトリン」とか「トルーマン・ドクトリン」と同じように受け止めなければならない。つまりアメリカ的「新世界」設定のための戦略教程だということだ。

 この着眼が本書に政治・経済・社会を貫いて歴史と認識論も巻き込んだダイナミックな視野を開き、圧倒的なインパクトを生んでいる。ナオミ・クラインがただのジャーナリストでなく、「思想家」と呼ぶにふさわしい所以ゆえんである。

(にしたに おさむ・哲学、思想史)


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