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思想の言葉:柄谷行人【『思想』2024年8月号 特集|鈴木忠志】

◇目次◇

【特集】鈴木忠志

思想の言葉 柄谷行人

〈インタビュー〉身体・言語・集団(第1部)
鈴木忠志/本橋哲也・成田龍一(聞き手)

 

―創造と変革―

鈴木忠志の方法論
渡辺保

同時代人としての鈴木忠志
──鈴木忠志は何をなし遂げたのか
菅孝行

文学の人
平田オリザ

利賀・静岡・鳥取
中島諒人

過剰の思想
金森穣

見えない身体
エレン・ローレン

演劇の仮面の下の哲学者
徐馨

橋を架ける人
安藤裕康

〈インタビュー〉身体・言語・集団(第2部)
鈴木忠志/本橋哲也・成田龍一(聞き手)

 

―演劇の思想―

鈴木忠志を哲学する
大澤真幸

〈日本〉の果てまで連れてって
──現代演劇と伝統
苅部直

虚構の世界,現実の舞台
水野和夫

言葉と身体の再祝祭化
──鈴木忠志の演劇と批評と国際交流
上田洋子

世界的であると同時にローカルな新しい伝統の創出
──鈴木忠志と早稲田小劇場の1976年の転身をめぐって
梅山いつき

鈴木忠志演劇論〈序説〉
──騙る身体と利賀の思想
本橋哲也

戦争と女たち
──鈴木忠志の演劇における「現代世界」と「戦後日本」
渡邊英理

饒舌と沈黙
──モデルケースとしての『トロイアの女』比較分析
寺尾恵仁

〈討議〉鈴木忠志と戦後日本
成田龍一・本橋哲也・吉見俊哉

 
◇思想の言葉◇

鈴木忠志と「劇的なるもの」

柄谷行人

 鈴木忠志と出会ったのは、一九七三年である。その年の初めに、私は「マクベス論」(『意味という病』講談社文芸文庫)という評論を発表したのだが、それを読んだ鈴木が、編集者を介して会いたいといってきた。私は先ず早稲田小劇場に招かれ、白石加代子がタクワンをかじる狂女を演じた『劇的なるものをめぐって』を見せられた。それを見ながら、私はこのような作品をこのように演出する人が、なぜ私の評論を面白いと思うのだろうかと考えていた。

 この「マクベス論」は、そのことに言及しなかったけれども、「連合赤軍事件」(一九七二年)を意識して書いたものである。そして、私はこれを書くとき、演劇のことをまったく考えていなかった。当時の私の活動の場であった戦後文学的な場所は、演劇とは何のつながりもなかった。そこで演劇といえば、プロレタリア演劇が思い浮かべられるくらいだった。だから、この評論が演劇関係の人たちの間で非常に評判がよいという話を聞いて驚いたのを覚えている。たとえば、この評論を、面識がなかった福田恆存が絶賛しているという話を伝え聞いてうれしく思った。私はこの「マクベス論」の中で、福田の『人間・この劇的なるもの』という評論を引用しながら、福田とは反対に、マクベスが最終的に示すのは「人間は演技などできやしない」ということだと書いたから、なおさらだった。

 だが、演劇人でもあるとはいえ、「シェイクスピア全集」を翻訳している福田のような文学者ならともかく、なぜ鈴木忠志があんな評論を気に入ったのか、不審であった。私は、演劇に縁がなかっただけではなく、政治的にも芸術的にも「前衛」とは程遠かった。また、一九六〇年代に華やかに見えた現代詩やアングラ演劇は苦手であった。特に現代詩となると、私は皆目わからなかった。そこでは毎日のように、世界が崩壊し、革命がおこっている。しかし、現実には何もないではないか。といっても、私はそのようなものを馬鹿にしていたのではない。その逆に、私にとってわけがわからないことを書ける人たちに畏敬の念をいだいていた。ただ、そんなことができない以上、私は彼らの真似をすべきではないと考えた。自分にわからないこと、自分にとって疎遠なことに、理解したふり、共感したふりをするのは絶対にしないと決めていたのである。時代遅れだと思われても、結構だ、と。

 だから、私は過激ではなく先端的でもなかった。ただ、わからないことをわかるふりをしない、自分が本当にわかったことだけを書く、しかし、わからないことをわからないままでかたづけたりしない、いつかわかるまで待つ。その点では、私は徹底的であった。ところが、そのような私に、「前衛」の代表者であった鈴木忠志が会いたいといってきたから、驚いたのである。しかし、鈴木と話してみると、彼は想像とは違っており、私と通じ合うものを感じた。また、意外なことに、彼は保守とされる福田恆存が好きだといった。

 私は劇を見た感想を述べなかった。鈴木もそれを求めなかったからだ。しかし、その後、私はあることに気づいた。鈴木がいう「劇的なるもの」は福田恆存の言葉から来ているのでないか、と。しかしもちろん、彼は「劇的なるもの」を称揚しているのではなく、批判しているのである。たとえば、『劇的なるものをめぐって』では、白石加代子が難解な形而上学的な事柄を語りつつ、タクワンをかじる。そして、歌謡曲が流れる。ここでは、言葉と行動は完全に分裂している。この分裂が不可避的であるときに、どうして「人間・この劇的なるもの」がありうるだろうか。私は、「マクベス論」で「人間は演技などできやしない」と書いたが、それは、人間は必ず、自分が考えていることとは違うことをやってしまうということである。マクベスは「人間は哀れな役者だ」という。演技したつもりだが、実のところ、演技させられていただけだ。役者というよりも操り人形だ。

 それ以後、私は寺山修司や唐十郎とも親しくなった。私は人見知りで出不精であるから、やはり、彼らの方から声をかけてきたのである。私はむしろ彼らと知り合ってから、演劇のことを考えるようになった。思えば、私の同世代の文学・芸術関係の友人を見渡すと、演劇人が多い。やや年少の中上健次をのぞいて、小説家はいない。なぜそうなのかは考えてみる価値はある。たぶん、世界全体のことを考えるようなことは、小説では難しくなったのだろう。その上、小説家は知的に遅れていた。たとえば、一九七〇年代には文学批評で「引用の織物」とか「間テクスト性」ということがいわれるようになったが、それをいち早く実現していたのが寺山、鈴木、唐たちであった。

 鈴木の作品の多くは、シェークスピアやギリシャ悲劇、チェーホフなどの西洋の古典テクストにもとづいている。ただし、その演出は日本の能や伝統芸能に由来する固有の身体技法にもとづいている。外国の聴衆にとって、これは近づきやすい。書かれたテクストを共有しているので、演じている役者たちが英語と日本語でやりとりしていようと、男がリア王の娘たちを演じていようと、あらすじ上の理解において支障はない。というより、聴衆は、あらすじ上の理解をカッコにいれて、眼前にある役者の身体を注視することになる。

 しかし、鈴木がやっていることは、黒澤明が映画でドストエフスキーやシェークスピアの作品を日本の文脈に置き換えたようなこととは違っている。黒澤においては、シェークスピアの言葉が日本の文脈=身体に同化されている。ところが、鈴木の場合、たとえばリア王の娘たちを演じる男性たちが太い男の声で語るとき、そのような同化は否定されてしまう。そこには、狂女が難解な形而上学を語りながらタクワンをかじるのと同じように、言葉と行為の分裂がある。ゆえに、鈴木の演劇が海外で普遍的なものとして受けいれられるのは、その素材が普遍的だからでもなく、また演出が日本的なものとしてエキゾチックに見えるからでもない。またもとより、身体が普遍的であるとか、「日本的なもの」が普遍的なものだということでもない。普遍的なものは、言葉と行為、普遍性とエキゾチズムといった二項のどちらかにあるのではなく、それらの亀裂にある。そして、それは鈴木が初期から一貫して考えてきた問題なのだ。鈴木の演劇が、世界で、歴代の日本の演出家としてもっとも高い人気と評価を得てきた理由の一端は、そこに見いだされる。

 鈴木忠志との付き合いが深まったのは、一九八八年以後、一緒に雑誌を出すようになってからである。それは『季刊思潮』という雑誌だった。編集長となった山村武善が雑誌をやりたいと鈴木に相談したところ、柄谷が共同編集者として入るならやってもいいといったそうだ。鈴木の思惑は、自分が何かするというよりも、柄谷に現実にコミットする文筆活動をさせたいということのようであった。実際、雑誌を編集するにつれて、それまでの拠点だった文壇を超えた文化人・知識人との交流が広がり、私自身のあり方も変わっていった。この雑誌は、その後『批評空間』と改称して、二〇〇二年まで続いた。鈴木のおかげで、私は人と一緒に活動することを覚えた。その点で、鈴木は優れた組織者でもあるということをあらためて感じる。

 

初出『演出家の仕事 ― 鈴木忠志読本』(静岡県舞台芸術センター、二〇〇六年)を改稿

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