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高木和子 大河ドラマ『光る君へ』雑感[『図書』2024年10月号より]

大河ドラマ『光る君へ』雑感

 

 まさか大河ドラマで紫式部が取り上げられるとは思わなかった。平安朝の多くの女性同様、紫式部は生没年も本名も定かでない。およそ九七〇年代の生まれ、一〇一〇年代半ば以降に没したとされるが、確かな伝記的情報には乏しい。藤原氏で、家族に式部丞がいるから「藤式部」と呼ばれ、のちに『源氏物語』の女主人公「紫の上」の名をもじって「紫式部」と呼ばれたらしい。どうやってドラマに仕立て上げるのか、不思議だった。もとより私は制作には関わっていない。

 第一回目のドラマで、紫式部の母親がくし刺しにされて殺されるのは、衝撃的だった。実のところ母親は紫式部幼少の頃に亡くなったらしく、詳細は不明である。ただ初回に鳥籠が見えて鳥が飛んでいたので、ピンときた。『源氏物語』若紫巻では、病治療に北山に出かけた光源氏が、雀の子が逃げたと口惜しがっている少女を垣間見する。教科書でもお馴染みの紫の上登場の場面で、雀の子が飛ぶのは、絵画にされる際の定番の図柄なのである。すると初回で、まだ少年少女の藤原道長と紫式部が出会うのも、光源氏と紫の上の出会いになぞらえるということか、はたまた『伊勢物語』の「筒井筒」の話をもじっているのか……。

 今回の大河ドラマが『源氏物語』やその他の古典を随所に取り込んでいることは、回を重ねるたびにインターネット上でも話題になっている。翻って思うに、平安時代の物語は、すでにある物語のあれこれを吸収して作られる。著作権といった意識もなく、書き写すことで読み継がれる時代である。正確に書き写すだけでなく、時には筆の赴くままによりよく書き換えもしただろう。そうした物語の制作と伝播の環境を考えれば、『源氏物語』自体、なにがしかは既存の物語のパクリのパッチワークかもしれない。

 

 『源氏物語』は既存の物語だけでなく、当時の歴史をも踏まえている。研究上では「准拠」と呼ばれる類いの議論である。物語冒頭の桐壺帝の時代を、歴史上の醍醐天皇になぞらえる議論は古くからあった。一方で近年、山本淳子氏の『源氏物語の時代』(朝日選書、二〇〇七年)は、制作当時の一条天皇の時代の投影を読む。父藤原道隆の死後、急速に不遇となった定子に対する一条天皇の愛着というまだ覚めやらぬ記憶が、桐壺帝の桐壺更衣偏愛の物語の下敷きになっているというのである。この山本氏の議論の頃から、古い准拠論だけでなく、物語成立当時の時代状況の反映を読む議論が増えた。その当否はともかく、大河ドラマで、定子を寵愛する一条天皇の姿には、桐壺更衣と桐壺帝の物語が透けて見える。

 そうした目で見れば、『源氏物語』には材料はふんだんにある。そもそも光源氏には多くのモデルが指摘される。在原業平、源融、源高明……、藤原道長もその一人だ。道長を光源氏に見立てて紫式部と絡ませる企画も、『源氏物語』の准拠論を裏返した発想と見える。

 とはいえ、彰子をまるで女三宮のごとく、高貴だが内実の伴わない娘として登場させたところは、さすがに驚いた。紫式部は夫の藤原宣孝の死後、『源氏物語』を書き始め、その一部が評判になって、道長の娘の一条天皇中宮彰子に仕え始めたと一般に考えられており、紫式部が彰子に『白氏文集』を教えたことも『紫式部日記』に記されている。彰子を敬愛する記述もあり、ただぼんやりした女性だったとは思えない。

 『紫式部日記』には、道長と紫式部の贈答歌も残る。夜に局に訪ねて来た男に対して戸を開けず、中に入れなかったやりとりは、道長のお誘いを拒んだ証拠とされることもある。この日はともかく二人は男女関係にあったと考えることもできようが、いずれにしてもお手付きの侍女の域を出ないだろうし、もちろん幼馴染でもなかろう。

 では、道長と紫式部が密通して不義の子の賢子、大弐三位が生まれたという大河ドラマの大胆な設定はどこから来るのか。これが大変評判で、「ねえ高木さん、あれってホントなの?」と最近よく聞かれる。「ええっと、子どもの父親なんて、母親にしかわかりませんからねぇ」と、私もつい悪乗りしてしまう。

 

 大河ドラマには、石山寺にお参りに行った「まひろ(紫式部)」と「さわ(女友達)」の二人が寝ているところに、藤原道綱が忍び込んでくるシーンがある。道綱は目当ての「まひろ」ではなかったと「さわ」に詫びを言って何もせずに帰ってしまう。『源氏物語』空蟬巻で、空蟬を目当てに忍び込んだ光源氏が、誤って軒端荻を抱き寄せ、間違いと気づきながらも関係を結ぶのとは大違いである。とかく色恋沙汰に厳しい昨今の世情に鑑みた改変だろうが、何もされなかった「さわ」はかえって傷つく。そこにいささかの諷刺を感じたのは、私だけだろうか。

 そもそも空蟬の夫は、年の離れた受領の伊予介で、先妻との間に空蟬と同じ年頃の息子がいる。これは藤原宣孝の晩年に結婚した紫式部の実人生と重なる点が多く、空蟬は作者の自画像かとも評されるゆえんである。その空蟬は、「方違え」に訪れた光源氏と、一夜の関係を結ぶことを余儀なくされる。『紫式部集』には、「方違え」に訪れた男と、姉と二人で応酬をした贈答歌がある。『源氏物語』で空蟬と軒端荻という二人の女と光源氏が関わる物語は、『紫式部集』に見える紫式部の実人生と、どこか通じるものがある。

 「方違え」とは陰陽道による当時の風習で、不吉な方角を避けるために、いったん別の方角に移動してから目的地に向かうことである。「方違え」の説明が煩わしかったのか、大河ドラマは「方違え」を石山参籠に差し替えているのだが、実はこれまた曲者である。

 石山寺といえば、紫式部が琵琶湖に映る月を見ながら、須磨巻の「今宵は十五夜なりけり」から『源氏物語』を書き始めたという古い伝承が知られる。『源氏物語』の十四世紀後半の注釈書『河海抄』に記されるものである。紫式部が月を見上げて筆を執り、眼下の琵琶湖に月が写る構図の絵画も定番である。石山寺には「紫式部源氏の間」があって、紫式部らしき人形が座っている。

 もっとも今日では、桐壺巻か帚木巻か若紫巻あたりから起筆されたと想定され、須磨巻から書き始めたとはほぼ考えられていない。紫式部が石山寺に参籠した記事も、あいにく『紫式部日記』にも『紫式部集』にもない──、という話を二十年ほど前の秋に、石山寺に招かれた折に、『源氏物語』を朗読したついでに話したら、お寺の方に「当時の女性は、みんな石山にはお参りだったでしょうから」とやんわりと諭された。もちろん二度と招かれていない。

 紫式部に先立って仮名日記を記した藤原道綱母の『蜻蛉日記』中巻では、石山参籠のくだりで、麓の池を見下ろして、鏡のようだと評している。今回の大河ドラマは作り話も多いけれども、ただ単に荒唐無稽なわけではない。「まひろ」は「さわ」と石山参籠した折に、道綱母と会っていた。いわば記録にない紫式部の石山参籠を、『蜻蛉日記』を借用しながら捏造したのである。

 

 『源氏物語』には密通の話が多い。最も重々しいのは、光源氏と藤壺との関係である。桐壺帝が寵愛する、光源氏の実母の桐壺更衣によく似た藤壺の宮は、先帝と后の間の皇女だから、桐壺更衣と違って格段に身分が高い。光源氏は、幼くして亡くした母に似るという藤壺に憧れ、ついに里下がりした藤壺のもとに忍び込んで関係してしまう。

 この密通の場面は、詳細さを欠いて風景描写もない。一方で空蟬との情事の場面は実に事細かに詳細で、女の息づかいが聞こえんばかりである。古くから、空蟬は藤壺の陰画で、高貴な藤壺との逢瀬では描けない詳細な内実を、空蟬の物語が代弁するのだといった解釈もあったから、『光る君へ』が、道長と「まひろ」との不義の舞台に石山寺を選んだのは実に巧妙だ。「まひろ」と「さわ」が二人で参籠し、道綱を道化役にして、空蟬と軒端荻の物語のパロディの舞台とした石山寺で、それを微妙にずらし、光源氏と藤壺の関係よろしく、密通から不義の子誕生へと繋げていくからだ。

 やがて藤壺は懐妊、生まれた子は光源氏に瓜二つだった。桐壺帝は晩年に生まれた子供を手放しに喜んで、「お前だけは幼少の頃から見ているせいか、赤ん坊は皆こんな風なのか、本当にお前にそっくりだね」と光源氏に語りかける。桐壺帝が真相に気づけば、不義の子は皇太子にも天皇にもなれず、光源氏の栄華は成り立たなくなるから、桐壺帝は好々爺の体で気づかない役どころなのだが、臨終に際して光源氏に不義の子の将来を託すところなど、実は気づいていたのかとひやっとさせるものがある。

 光源氏は晩年に迎えた若き妻、朱雀院の娘の女三宮を柏木に寝取られ、薫を不義の子と知りながら我が子として抱く。「もしや父の帝も、本当は知っていて知らん顔をなさっていたのか」と呻くように反芻する。大河ドラマで宣孝を演じる佐々木蔵之介の、妻の不義を察しながらも晩年に生まれた賢子を可愛がる芝居が、何とも素晴らしい。その表情は、柏木の不義を知りつつ苦悩を抱える晩年の光源氏よりは、好々爺のようでありながら慈愛深い桐壺帝かとも見えた。この先、密通がいかに変奏されるか楽しみだ。

 

 典拠を踏まえつつ換骨奪胎するのは平安朝の物語にお馴染みの手法である。パクリと言えばただの真似事と思われがちだが、典拠に対する理解の度合いが透けて見えるので恐ろしい。なまじっかな理解で引用すれば、かえって興醒めになってしまう。大河ドラマ『光る君へ』は、既存の物語の面白いところを借用しながら、新たな物語を紡ぎだす。平安朝の物語の生態をよく理解し我がものとして、方法自体を模倣しているのだといえば、いささかほめ過ぎだろうか。

(たかぎ かずこ・日本古典文学)


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