【文庫解説】ヘッベル『戯曲 ニーベルンゲン』
本作は、中世ドイツの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』を近代的なリアリズム演劇へと昇華させた、ヘッベル(1813-63)の最高傑作です。英雄ジークフリートの謀殺、その妻クリエムヒルトによる復讐を軸に、押し留められない愛憎の情と、それが招く悲劇的結末を見事に描いた作品です。以下は、訳者・香田芳樹先生の解説の抜粋です。
「劇場がたいへんな騒ぎだ。ベルリンでは『戯曲ニーベルンゲン』はすでに〈尋常ではない成功〉をおさめて上演されたという報告を受けた。シュヴェーリンではまもなく上演されるが、支配人はいまからお祝い気分。ミュンヘンは大忙しだし、ウィーンでは上演は謝肉祭後だというのに、すでに読み合わせが始まっている」(一八六二年一二月一九日書簡)。「劇場(ブルク劇場)はすし詰め状態で、一〇時には一番高い席もなかった。[…]土曜日の次の公演も全部売り切れている。[…]それどころか皇帝のご母堂、ゾフィー大公妃からも昨日大賛辞を頂戴した。このうえ何を望めるだろう?」(一八六三年二月二四日書簡)ヘッベルが出版者カンペに書いた書簡の興奮した調子から、ドイツ語圏の主要都市で戯曲が大成功をおさめていたことがわかる。しかしその好評は容易に得られたものではなかった。
一八世紀半ばにようやく再発見された叙事詩『ニーベルンゲンの歌』に最初に興味を示したのは中世好きで知られるロマン派の詩人たちであった。光よりは闇を、理性よりは狂気を好んだ詩人たちは叙事詩の描くグロテスクで暗い人間ドラマに共感を寄せ、民族の遺産としてリライトする作家も現れた。ヘッベル以前に『ニーベルンゲンの歌』の戯曲化に成功したのは三人の作家である。『水妖記 ウンディーネ』の作者であるフリードリヒ・ド・ラ・モット= フーケーの『北の勇者』(一八一〇)と、エルンスト・ラウパッハの『ニーベルンゲンの宝』(一八三四)と、エマヌエル・ガイベルの『ブルンヒルト』(一八五七)である。(ワーグナーが楽劇『ニーベルングの指環』に着手したのは一八四八年だが、完成はヘッベルの死後ずいぶん経った一八七四年である。)この三作品で今日文学史的価値を失っていないのはかろうじてフーケーのものだけであろう。ヘッベルも残りの二作品を失敗作としてこき下ろしているが、ラウパッハの戯曲はそれでも彼の『戯曲ニーベルンゲン』にとって意味をもった。それは妻のクリスティーネが一八五三年そこでクリエムヒルトを演じるのを観たからである。「献辞」にもあるとおり、彼女の演技に創作意欲をかき立てられたヘッベルはクリスマスプレゼントに妻から贈られていたカール・ジムロックの翻訳を手に取る。文学史を学び、北欧神話のエッダを研究し、周到な準備を積んだ彼は一八五五年一〇月に満を持して『戯曲ニーベルンゲン』の執筆を始める。
しかし「いにしえの詩人の代弁者となる」という彼の謙虚な野望は古代叙事詩を劇場作品に作りかえるのにもちろん十分ではなかった。一万行近い叙事詩を舞台で上演可能な形にするためには相当の換骨奪胎が必要であり、ヘッベルは戯曲への整形にずいぶんと苦労をしている。旧約聖書のユーディットや、ヘロドトスのギュゲスは比較的多くの改作の余地を彼に残していたのに対し、完成された民族叙事詩の登場人物に個性を与えることは熟練の歴史作家にとっても至難の業だった。原作はさほど役に立たない。なぜなら一三世紀に生きた『ニーベルンゲンの歌』の作者には作中人物に〈個性〉があるなどとは思いも及ばなかったからだ。出自や身分や族内順位や官職によって人は行動と思考の様式を定められており、英雄は英雄の、皇女は皇女の存在 が彼らの行動と思考だったのである。それまで彼が手がけた歴史劇と比べて圧倒的に登場人物が多い『戯曲ニーベルンゲン』は心理的な肉づけに途方もない努力を作家に要求した。
登場人物たちは叙事詩の基本的性格を受け継ぎながらも、それぞれに個性豊かに描かれ、それが作品の悲劇的要素を増幅する。ジークフリートは原作ではクサンテン国の王子という設定であるが、そうした出自には言及されず、最初は怪力無双の神話的英雄として描かれ、やがてクリエムヒルトの愛を得て、高潔な騎士に変身する。直情的な荒武者は忠誠心の堅い家臣に変わるが、素朴な心根を利用され宮廷の権謀術数に巻き込まれ、非業の死を遂げる。
二人の女主人公、クリエムヒルトとブリュンヒルトをヘッベルはとりわけ思い入れをこめて描いたが、それは女優であり愛妻であるクリスティーネを二人の役に重ね合わせたからであろう。深窓の姫君として育ち兄の庇護のもとに守られているクリエムヒルトは原作では殿方の愛の従順な受容者に過ぎないが、戯曲では愛に積極的な可憐な女性として描かれ、喜怒哀楽の感情も豊かで、これが後篇の復讐心に燃える王妃の姿に矛盾なく結びつくように計算されている。特に原作ではほとんど描かれなかった母としてのクリエムヒルトの葛藤をヘッベルは丁寧に描く(第三部第一幕第四場)。ここに自身も二人の女性との間に子どもをもうけ、それぞれの子どもを失った親としてのヘッベルの傷心が垣間見えるのではないだろうか。
同じく女主人公のブリュンヒルトの役作りにもヘッベルは苦心した。もともと彼女は父神オーディンの怒りを買って火焰城に幽閉されたワルキューレ女神だが、そうした神話的出自に困難を感じた彼は、グリムの神話学からワルキューレと妖精が同じものと考えられていたことを学び、彼女を火焰山が人間界に託した妖精ノルンとして描き直した(第二部第一幕第一場)。これによって人間的な感情をより豊かに表現できる女性となり、叙事詩ではプライドが高く嫉妬心の強い女傑だが、戯曲ではそれに加えてジークフリートに密かな恋慕の情をいだくも、その彼に裏切られ、望まない結婚を強いられ辱められ、復讐を誓う悲劇のヒロインとなったのである。
叙事詩では神話的形姿しかもたない人物をヘッベルは戯曲でキリスト教の終末論の文脈でよみがえらせた。ベルンのディートリヒはドイツ中世文学を代表する英雄で、『ニーベルンゲンの歌』では教育指南役(師傅のヒルデブラントとともにアッチラの宮廷に食客として滞在している。彼の実在するモデルはゲルマンの一派である東ゴート族の王テオドリックで、名前のベルンとはイタリアのヴェローナのことである。世界史上、西ローマ帝国を支配したゲルマンの傭兵隊長オドアケルを倒し、四九三年ラヴェンナに首都をおく東ゴート王国を建設したことで知られている。彼は幼年期東ローマ帝国の首都ビザンチンに人質として送られ、そこで王家の子弟として教育された。おそらく彼のこの経歴がアッチラの宮廷でのディートリヒの滞在を連想させたのであろう。ドイツ最古の英雄叙事詩『ヒルデブラントの歌』(八〇〇年頃成立)でもアッチラの宮廷からローマへ帰還するディートリヒが描かれている。そしてこの異国・異界から現れるいにしえの王という設定はキリスト教の終末思想と相俟って、彼をアンチキリストと戦う「最期の騎士」と同一視した。ある年代記では赤髭王と彼の息子が相次いで亡くなったとき、黒い馬に乗った亡霊が人々の前に現れたとされる。「みな恐れおののいたが、亡霊は悠々と近づいてきて言った。「恐れる必要はない。わしはいにしえの王、ベルンのディートリヒである。みなの者に言い渡す。やがてローマ帝国全土に多くの災いと災禍が広がることであろう」」(『聖ブラジエンのオットーの年代記』)。紀元千年を過ぎて起こる自然災害による飢餓、十字軍、各地での戦乱、叙任権闘争といった混乱に人々はサタンの不吉な兆候を見た。ヘッベルは終末論の中でのこうしたディートリヒの役柄を正しく学び、劇中彼を「長い不在のあと再び巡りくる太陽の年」の到来を妖精から聞ける予言者として描いている(第三部第四幕第一七場)。彼はゲルマンの族長として「野蛮な先祖」の血を受け継ぎながらも、同時にキリスト教的美徳の体現者なのである(第三部第四幕第七場)。それゆえアッチラにクリエムヒルトの陰謀を明かし、彼を説得して戦争を回避させようとするのだ。死屍累々の山を見たアッチラが世界の支配者としての権利をディートリヒに委ねることを告げると、彼は「十字架上で息絶えた方の名において」その任を受ける。これは終末論のいう第一の旧約の国と第二の新約の国が終わり、新たな第三の国が来たことを示している。
(全文は、本書『戯曲 ニーベルンゲン』をお読みください)