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小宮正安 「第九」、その「のっぴきならなさ」に寄せて[『図書』2024年12月号より]

「第九」、その「のっぴきならなさ」に寄せて

「第九」のすべてが好きなわけではありません

 「『第九』は好きですか?」と訊かれると、躊躇してしまう。もちろんこの曲に好きな個所はたくさんある。第1楽章冒頭の神秘的な響き、それが盛り上がって怒涛の第1主題が表れる瞬間も、激しく叩きつけるような再現部の始まりも。

 メインとなる第4楽章もそうで、声楽が入る前に、オーケストラが「喜びの歌」を静かに奏ではじめそれが最高潮に盛り上がると、それだけでぞくぞくしてしまう。「喜びの歌」を合唱が何度も高らかに歌い上げる箇所も、最後の最後に打楽器をも交えて華々しいクライマックスが築かれる箇所も、「好き」だ。

 だが、こうやって書き出してみると、それは「第九」という作品の半分にも該当していない。逆に言えば、この曲をまるごと好きなのではない、ということ。

 どんなに快速テンポであっても60分、通常の演奏であれば70分以上の時間を要し、内容もぎっしりと詰まっていることを考えれば、無理もない。たとえば第2楽章は激しい音楽ではあるが、同じリズムが延々と続き、しかも繰り返しが多いため、だんだん飽きてくる。あるいは、ゆったりとしたテンポを基に、天国的な平安に満ちた第3楽章に至ると、既にそれまで音楽に集中してきた疲れもあって、つい睡魔に襲われる……。

2000年5月のラトル指揮ウィーン・フィル

 それでも、そうした状況がまったく起こらなかった演奏会もいくつかある。

 その一つこそ、この度刊行した岩波新書『ベートーヴェン《第九》の世界』でも取り上げた、サイモン・ラトル指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(以下、「ウィーン・フィル」)によるものだ。2000年5月、このオーケストラの本拠地であるウィーン楽友協会大ホールでおこなわれた演奏会である。

 実のところ筆者にとってラトルは、それほど好んで聴く、といったタイプの指揮者ではなかった。カーリー・ヘアをトレードマークに、派手なカマーバンドやベストを粋に着こなす外見からしてクラシック音楽の世界では珍しかったことからも、才気煥発という点ではぴか一の存在だった。だが、演奏を聴いても「何か面白いことやっているよな」というレヴェルでいつも終わっていた。

 つまりラトルの演奏に、感動したことはついぞなかったのだ。むしろ、クラシック音楽に往々にして求められる「感動」を、当のクラシック音楽界の刷新を目指すべく、彼はあえて排除しているのではないか、と思っていたほどだ。

雅やかさや上品さをかなぐり捨てて

 だが、この時のラトルは違っていた。相手が伝統と格式の権化のようなオーケストラであるウィーン・フィルであるにもかかわらず、いやそうであるがゆえに、彼は才気煥発な仕掛けを用いて、真っ向勝負を展開したのである。

 当時ラトルは、ベートーヴェンの作品を演奏する際には、彼が生きていた19世紀初頭の演奏方法に立ち戻る解釈を強く押し出していた。それによって、19世紀後期から20世紀にかけて豊饒化や肥大化を遂げていった近代以降のオーケストラの響き、またそうした響きによって再現されることが当然のように思われてきたベートーヴェン作品の見直しを積極的に推し進めていた。だからこそ、近代以降のオーケストラの象徴的存在の一つであるウィーン・フィルと対峙するという姿勢を鮮明に示したのだろう。

 結果、ウィーン・フィルの特徴である雅やかな丸い音は、折に触れてゴリゴリ・ガリガリとした、あえて耳障りで先鋭なものにとって代わっていた。打楽器をはじめとして、これでもかというほどのビートとダイナミクスがそこかしこで炸裂し、あたかもロックのようなベートーヴェンが出現した。

 極めつきは、最終楽章を飾ったウィーン楽友協会合唱団である。この合唱団は、「帝王」と呼ばれた指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンが何度か正式に録音した「第九」のディスクの常連だったが、そこで聞かれた「お上品」な歌い方をかなぐり捨て、ひたすらシャウトを重ねてゆく、これまた文字通り「ロック」な歌いぶりだった。

激しいせめぎ合いのもたらす緊張感

 それは、「伝統」と「革新」の激しいせめぎ合いに他ならなかった。実際ウィーン・フィルの側も、自分たちの演奏スタイルに一家言を持つ老舗オーケストラとしてラトルの要求を正面から受け止め、時に彼の解釈に立ち向かう気概を見せた。その時の、文字通りの真剣勝負といえる演奏は、団員の必死の形相も相まって、終始一貫してすさまじい緊張感に満ち、対立を超えて融和の世界を描く「第九」に、こよなくふさわしいものとなった。

 となれば、この時の「第九」の演奏が、退屈であるはずもない。第1楽章の冒頭部分から一気に引き込まれ、第2楽章、第3楽章においても集中力が途切れるどころか、ますます曲の中へ没入することとなった。もちろん第4楽章に関しては、いわずもがなである。しかも多くの「第九」演奏会ではゲスト出演的な存在である独唱者や合唱団に至るまで、ラトルの表現したい方向性が徹底されていたことも(おそらくは独唱や合唱にも、充分なリハーサルがおこなわれたのだろう)、緊張感の持続につながった。

 こうして演奏会は大成功を収める。またそうした実績を基に、2年後の2002年にはやはりウィーン楽友協会を会場として、ベートーヴェン交響曲の全曲演奏会がおこなわれ、その模様はCD用にもライブ収録されることとなった。もちろん「第九」も、そのトリを飾る形で取り上げられた。

 ところが、たった2年しか経過していないにもかかわらず、2000年の「第九」に聴かれたラトル&ウィーン・フィルのマジックは、実演やCDからはほとんど、といおうかすっかり消えてしまっていた。独唱者と合唱団は2000年とは異なっていたものの、一体これはどうしたことか?

強制収容所跡地での演奏会

 筆者が聴いた2000年5月の演奏会は、午前11時から13時頃までだった。実は、その後彼らはとある場所へバスや車で移動し、夕方からやはり「第九」を演奏するという、ダブルヘッダーの強行軍をおこなったのである。

 その場所は、オーストリアがナチス・ドイツに併合されていた時代に造られたマウトハウゼン強制収容所の跡地。ナチスの強制収容所といえばアウシュヴィッツが有名だが、マウトハウゼンもまた、凄惨な地獄絵図が繰り広げられた場所の一つである。ナチスが殲滅を図ったユダヤ人、精神障碍者、反体制思想家等々が収監され、重い石材を切り出し、それを運ぶ作業を強いられた。度を超えた過酷な労働によって石切り場で命を落とす者は数知れず、それでも生き残った者は、容赦なくガス室に送られた。

 2000年は、第二次世界大戦の敗北によりナチス政権が崩壊し、ナチス時代の様々な強制収容所が解放されてから55年目の節目に当たっていた。そして、マウトハウゼン強制収容所が解放されたまさにその日を記念して、収容所生活を生き延びたユダヤ人の団体の主催により、その石切り場で「第九」の演奏会が開かれたのである。

 この演奏会を収録したCDも残されているが、屋外に組まれた仮設ステージでの演奏というハンディがあるにもかかわらず、午前中に筆者が楽友協会で聴いた演奏会と同様の、あるいはそれ以上の凝集力に貫かれている。いや、「凝集力」という言葉では済まされない、生々しい「のっぴきならなさ」がある。

 逆に言えば、それほどまでに、「第九」という作品を終始一貫集中して聴かせ/聴き通し、「名演」としての伝説を残すためには、何が必要であるかをこの事例は示してはいないか。

「のっぴきならなさ」がもたらす光と影

 「第九」という作品自体、文字通りののっぴきならなさが支配する時代に生まれた。そもそも作曲者であるベートーヴェン自身が、啓蒙主義、フランス革命、ナポレオンの台頭と軍事侵攻、保守反動といった、世界史においてもまれにみる動乱の時代に生き、そうした時代を色濃く反映させた作品をいくつも書いた(「第九」はその典型的存在である)。さらに、彼が「第九」のテキストとして選んだ「歓喜に寄す」を書いたシラーは、ベートーヴェン以上に激動の生涯を送った。

 だからこそ、「第九」の上演が「名演」となるにあたっては、ベートーヴェンやシラーの体験にも匹敵するようなのっぴきならなさが必要なのだろう。「第九」上演の歴史を見てみると、確かに国や民族の団結、思想やイデオロギーの高揚といった、いわば勝負どころの機会に、この作品が取り上げられてきたことがよくわかる。また、これらの演奏を通じて、初演後しばらくはその壮大さが敬遠されていたこの作品が、逆に人々の注目を浴びるようになっていったことも。

 ただし、そのような背景を持つがゆえに、「第九」が、さらにはその作曲者であるベートーヴェンが、今日に至るまで、ともすれば誤ったイメージを与えられ続けてきたことも確かである。

 作品や作曲者の意図とは関係ないところで、あるいはそれを歪曲する形で、「第九」やベートーヴェンの受容が進んできたという事実。だがそれもこれも、元々「第九」に具わったのっぴきならなさのなせる業なのだろう。今回の新書では、たんなる「第九」礼賛に終わらない、この作品にまつわる光にも影にも言及したつもりである。

 なお、ラトルは2000年の「第九」演奏にあたって、何と彼の当時のベートーヴェン解釈と真っ向から対立するような、19―20世紀型の演奏様式の象徴である、とある指揮者のスタイルも採り入れていた。彼の名はヴィルヘルム・フルトヴェングラー。ナチス支配下のドイツに生き、ヒトラーの誕生日を祝う演奏会で「第九」の指揮をしたこともある。

 そんなフルトヴェングラーを意識しながら、マウトハウゼン強制収容所の解放を記念して、「第九」が取り上げられた。それは、強烈な光も影も宿すこの作品ののっぴきならなさが今一度浮き彫りにされた、最も鮮烈な瞬間ではなかったか。

(こみや まさやす・ヨーロッパ文化史)


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