山田裕樹 岩波文庫「百冊の本」にお世話になりました[『図書』2025年2月号より]
岩波文庫「百冊の本」にお世話になりました
二〇二三年末から二四年前半にかけて五回ほど、「編集者になりたい」というエッセイを本誌に掲載していただきました。もともと五回の不定期連載というお話だったので、出版社に入社してから編集者になったんだぞ、と自分で思えた最初の十年間を楽しんで書かせていただきました。
その五回、四百字詰原稿用紙で約五十枚のエッセイが、四百五十枚に膨らみ、二四年十二月に光文社で本になりました。タイトルは「文芸編集者、作家と闘う」。なんでそんなことになってしまったか経緯を書きなさい、と言われて、はた、と困りました。
確かにいろいろなことがあったのですが、その経緯については、本のあとがきに全部を書いてしまったからです。
原稿の二重売りはいけません。
それでもなんか書け、と言われて、岩波文庫「百冊の本」とのお付き合いについてならいかがでしょうか、と言ったら、それを書け、と言われて、はい、と答えてしまったのです。
もともと、昨年末に出た本の中でも「百冊の本」に触れようとしたのですが、とんでもなく長くなりそうなので、やめてしまった記憶があります。
さて、今から六十年ほど前に、岩波文庫を買うと、巻末に「読書家の道しるべ 百冊の本」が載っていました。いわゆる巻末広告です。中学生時代の後半、児童文学からいきなり河出書房のグリーン版世界文学全集にホップして『静かなドン』に挑み、無駄汗を流して苦労していた私は、「百冊の本」に乗り換えることにしました。
なんと、学校の図書室と市内の図書館にはほとんどの岩波文庫がありました。
まずは、小学生時代に読んで一番面白かった『巌窟王』の原典を読みたいと思いました。最初に読んだ『モンテ・クリスト伯』は、面白さの次元が違いました。冗漫に思えた部分がただの冗漫であるかどうかを知りたく、すぐに再読したりもしました。しかも私は、恥を忍んで書きますが、この作品に登場するヴァランティーヌ・ド・ヴィルフォールという十九歳の女性に、淡い恋にも似た感情を抱いてしまったのですよ。
次は『白鯨』。子供向けを読んでいたので大まかなストーリーは知っています。小学生の時は、理屈っぽいところやペダントリーはすっ飛ばして読んで、ただの海洋冒険小説として楽しみました。この頃の、特にイギリスの海洋冒険小説は、五十年前の日本のSFのように面白かったのです。当時、空想の向かう先は宇宙でなく海だったのでしょうね。『宝島』『ロビンソン・クルーソー』『ピーター・シムプル』『ガリヴァー旅行記』の最初の方、などがそれにあたります。経済的に恵まれなかったメルヴィルが、わしも流行りに乗って一丁当ててやる、と思ってもなんの不思議もないでしょう。実際に、エセックス号という捕鯨船が、白くない鯨にぶつかられて破船事故を起こした、ということもありました。ところが、メルヴィルは特殊な感性と思想と哲学を持っていて、それらが、ただの冒険物語で終わらせることを拒ませたんでしょうね。しかし、この名作が「百冊の本」に入っていないのはなぜでしょうか。
さて、とここで考えました。百冊といっても、小説は半分くらいです。
中学生の私は、百科事典というものの世話になって、その百冊を小説と非小説によりわけました。そして小説限定で、それらを全部、高校生の間に読んでしまおう、と思ったのです。子供版を読んでいてストーリーを知っているものから読んでいけばいいのです。『レ・ミゼラブル』『武器よさらば』『罪と罰』『荒野の呼び声』。「ハックルベリイ フィンの冒険」は子供版もあったっけ。
快調だったのはここまででした。
全十五巻をうたった『水滸伝』は、「著者病気」のために九巻までしかないじゃないですか。『ハムレット』は読了してから、これは戯曲だから読んではいけなかったことがわかりました。『イーリアス』は改行が多いなあ、と思ったが面白くて読了。ただ、これも「叙事詩」だから駄目。それにしても、長編が多すぎて進まないのですよ。そこで戦法を変えて、『デミアン』『友情』『トニオ・クレエゲル』『外套・鼻』と続けました。そうです、短いのを読んで冊数を稼いだのであります。やはり、目標を達成するためには高嶺を各個撃破しかない。『ジャン・クリストフ』『戦争と平和』『静かなドン』『カラマーゾフの兄弟』。うわっ、全部、長いですねえ。
この原稿を書くにあたり、『モンテ・クリスト伯』第一巻をひっぱり出しました。昭和四十年刊の第十三刷。ちなみにこの作品は全七巻。さて、「百冊の本」にそもそも小説は何冊入っていたのでしょうか。
あれから五十五年くらい経ち、そのうち文芸編集者として過ごしたのは四十三年。何が小説で何がそうでないかくらいは、わかるはずでした。ところが、そんなに甘くないのです。『タルチュフ』『どん底』ってなんだったっけ。そうか戯曲だったか。『平家物語』は、小説なんだろうか。『源氏物語』は小説らしいから小説にしてしまえ。では『好色一代男』は?
結局、ああだこうだと考え、ググったりしつつ、戯曲・叙事詩も「物語」ということで小説側に入れてしまうことにしました。結果は「四十八」でした。なぜ、「四十八冊」ではないのでしょうか。
これは当時の業界用語だったのかもしれませんが、たとえば村上春樹氏の『1Q84』なら「一点六冊」と呼ばれ、塩野七生氏の『ローマ人の物語』なら「一点十七冊」という言葉で勘定されるはずです。
その数え方をすると、私が挑戦してしまった岩波文庫の小説に戯曲・叙事詩を加えた「物語」は、「四十八点六十九冊」ということになるのですよ。結局高校時代には読み終わらず、大学三年くらいまで引っ張って、七割か八割まで行きましたが、ここで沈没しました。「百冊の本」、恐るべし。まあ、河出書房のグリーン版全集も併読していましたしね。
数においては、もちろん「非物語」派も負けてはいません。『ファーブル昆虫記』だけで一点二十冊。なんと、もし本当に「百冊」だったとしたら、五分の一がファーブルに取られたわけですね。しかし実際は「百点の本」だったから、そういうことにはならないのです。
では、全部をトータルした「百冊の本」は何点何冊だったのでしょうか。
必死で勘定したところ、答えは「百点二百七冊」でした。数え違いがあったらご勘弁。
それにしても、この当時、四千五百枚の『戦争と平和』を八分冊にして出していたのですね。今は、四分冊が常識のようです。
ここで、塩野七生氏が『ローマ人の物語』を文庫にする時、薄く分割したことを思い出しました。塩野氏にとって文庫とは、廉価で軽くてすぐに読了できるものだったのしょう。私も、一部のミステリ小説のレンガのような文庫は好みません。重くて廉価でないわけですから。やはり若い頃は、文庫本は二つ折りにしてジーンズの尻ポケットに突っ込みたいじゃないですか。
それにしても、臼井吉見先生から渡辺一夫先生まで、よくぞ「百点二百七冊」を並べた十五人の選者の皆さん。実は、読んでいないどころかお名前も知らない先生もいらしたことを白状しておきます。
冒頭で触れた私の拙い本の中で、上司だったある編集者を取り上げました。
幾つもの世界文学全集を作った後、『ラテンアメリカの文学』全十八巻から『吉田健一著作集』全三十二巻までほぼ一人で、複数の編集委員と闘いながら創ってしまった脅威の編集者です。私とは、お互い世界文学の話をする相手がいないため、編集会議で罵り合った後にそのままついつい呑みに誘い合う、という関係でした。私は十九世紀フランスとロシアの文学はかなり読んでいましたが、相手はまるで呑舟の魚(すみません、西村寿行氏の本のタイトルを借りました)、たちまち食べられてしまいました。あ、この先輩編集者との数行、二重売りをしてしまった。ごめんなさい。
彼の文学全集への偏愛は、怖いくらいの迫力でした。その巻だてを作る時の話がともかく面白かったのです。錚々たるトップ評論家と舌鋒鋭く戦った後、おだてたり、エッセイ集を出しますからここはひとつという反則技をくり出したり。合従連衡、これこそまさに『キングダム』の世界ではありませんか。
そこで「百冊の本」の巻だてを見るにつけ、ハーマン・メルヴィル、ジェーン・オースティン、ヘンリー・フィールディング、エミール・ゾラ、エドガー・アラン・ポオが入っていないのはこれいかに。トーマス・マンはやはり『ブッデンブローク家の人びと』だろうし、シェイクスピアは『マクベス』でしょう、と私は思うのですが、誰だって自分の好みがあることだし。この巻だてをつくられた方々がご存命だとしても、おそらく百数十歳のご高齢。さすがにお目にかかれてもお話は聞けず、何もかも闇の底でしょうね。
とにもかくにも、こういう取捨選択をくりかえし、文学の質は選ばれ守られてて何百年も生き残っていくのでしょう。
今後もし、次の岩波文庫「百冊の本」が文庫巻末に載ることがあるのだとしたら、それまでは生きていたいものだ、と思うものです。
(やまだ ひろき・編集者)