web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

結城円 ドイツの中の「日本写真」[『図書』2025年2月号より]

ドイツの中の「日本写真」

写真専門のミュージアム・キュレーターとコレクション

 美術館にどのような作品が収蔵されているか、意識的に観たことはあるだろうか。収蔵品を扱ったコレクション展よりも、企画展のために美術館を訪れることが多いのではないだろうか。しかし、実はコレクションこそが美術館の要であり、館のアイデンティティを形成していると言っても過言ではない。これを私が実感として学んだのが、ドイツでキュラトリアル・フェローとして美術館に勤務した時であった。

 ドイツには写真専門のミュージアム・キュレーターを養成するための奨学金がある。それが、1999年よりアルフリート・クルップ・フォン・ボーレン・ウント・ハルバッハ財団が主催し、二年かけて4つの写真コレクションで実務経験を積ませるプログラムである。私がこの奨学金を受給したのは2011年から2013年にかけてだった。このプログラムで私は、ドイツ国内では国立写真研究所の設立候補地にもなったエッセンにあるフォルクヴァング美術館、ミュンヘン市立博物館、ドレスデン国立美術館銅版画館、それにアメリカ・ロサンゼルスにあるゲッティ研究所の各写真コレクションで働く機会を得た(現在プログラムが改訂され、ドイツ国内ではエッセン、ミュンヘンを回り、スイスのヴィンタートゥール写真美術館で研鑽を積んだあと、ドイツ語圏以外の地域としてパリのポンピドゥー・センター、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館、ゲッティ研究所の3館から1つを選んで滞在することになっている)。このプログラムの一番の特長は、写真に特化したミュージアムでのキュレーターの実務を多岐にわたり経験できることである。ここに選定されている館を見れば分かるとおり、美術館や博物館に加えてゲッティ研究所という芸術図書館をも研修場所にしており、写真をアート作品としてのみ捉えるのではなく、写真利用の多様性をも視野に入れた上でのキュレーター養成が念頭におかれている。また地域的な特色もあわせて経験できるように、ドイツの分断と再統一の歴史を直接経験している旧東独のドレスデンの他に、ドイツ以外の場所も研修先に組み込まれている。

 キュレーターの仕事というと、まず展示の企画・運営を思い浮かべるかもしれない。しかし、ミュージアム・キュレーターの仕事の大部分を占めるのは、収蔵品に関することである。ドイツの美術館や博物館では、教育・普及や広報などは別部門になっており専門の職員がいる。そのため、キュレーターと呼ばれる人たちは収蔵作品についての専門家として、自身の専門分野に特化した仕事をする。収蔵品の研究・調査だけでなく、コレクションを維持・拡大するための資金調達など様々なことが日常業務である。その中でも収集した作品をどう分類し、調査し、展示やカタログという形で公表するのかというところにキュレーターの個性が表れる。

ハンブルク芸術工芸博物館の日本写真コレクション

 この写真専門ミュージアム・キュレーター養成プログラムの元奨学生であるエスター・ロルフスが、2012年からハンブルク美術工芸博物館の写真・ニューメディア部門のチーフ・キュレーターを務めている。彼女が2016年12月から2017年4月まで、この博物館の写真コレクションを概観する企画展「ReVision」をキュレーションした(図1)。ハンブルク美術工芸博物館では1877年の開館当初から写真がコレクションされ、1911年にはすでに写真が展示されていた。これはドイツで最も古い写真コレクションのひとつである。「ReVision」展は、この長い歴史の中で継続的に収蔵されてきた約7500点の写真作品を現代の視点から再考察・再評価するものであった。

図1 Sabine Schulze; Esther Ruelfs編『ReVision: Fotografie im Museum für Kunst und Gewerbe Hamburg[リ・ヴィジョン:ハンブルク美術工芸博物館の写真]』Göttingen, Steidl, 二〇一七年、展示カタログ表紙

図1 Sabine Schulze; Esther Ruelfs編『ReVision: Fotografie im Museum für Kunst und Gewerbe Hamburg[リ・ヴィジョン:ハンブルク美術工芸博物館の写真]』Göttingen, Steidl, 2017年、展示カタログ表紙

 展示は全11章で構成され、「旅」「科学」「建築」「複写」「ピクトリアリズム(19世紀末頃に流行した芸術写真)」「ポートレイト」「抽象と実験」「広告」「ルポルタージュ」「額装」の他に「日本写真」もテーマの1つとして含まれていた。「日本写真」について私が展示カタログに執筆することになり、幸運にもコレクションされている日本写真作品を全て見る機会を得た。先述のキュラトリアル・フェロー中に、ドイツのミュージアム・コレクションの中で「日本写真」がどのように分類され、調査されているのかを検証していたこともあり、とても貴重な体験となった。

 まず驚いたのが、ハンブルク美術工芸博物館での日本写真コレクションの収蔵作品数の多さとその多様さである。キュラトリアル・フェローとして回ったドイツのコレクションでは、「日本写真」というカテゴリーで収集されている作品は、19世紀のお土産写真か1960年代以降のドキュメンタリー写真が中心で、非常に偏ったセレクションであった。19世紀のお土産写真は、もともと欧米の写真家が横浜や長崎で写真館を開業し、裕福な外国人のために富士山や鎌倉大仏といった日本の観光地、芸者や侍、相撲などの日本の風俗を撮影して販売したことから始まったものだ。一方、現代のドキュメンタリー写真として集められているものは、基本的には日本人作家によって日本国内で撮影された写真であった。日本国外からみて、視覚的にもわかりやすい日本が「日本写真」として集められていた。それに対してハンブルクでは、ピクトリアリズムと名付けられた写真黎明期の芸術写真や、ドイツの写真史にとって重要な役割を果たす1930年代の近代写真など、海外では一見するとヨーロッパの模倣との評価を受け「日本写真」のカテゴリーとして積極的に受容されないような作品も含め、19世紀から1980年代まで網羅的に日本人作家の作品が収蔵されていた。

 このハンブルクでの日本写真コレクションの始まりは1981年だった。このとき、「Hundert Jahre Japanische Fotogra­fie[日本写真の100年]」展(1985年)の準備のため、当時のハンブルク美術工芸博物館の近代部門長であったハインツ・シュピールマンが2ヶ月間、日本に滞在し、写真家や学芸員と面談・情報収集を行った。その結果、1982年から1985年にかけて約800点の日本人作家の作品が、1980年に設立されたばかりの「ハンブルク美術工芸博物館写真友の会」によって購入・収蔵されることとなった。

 シュピールマンは日本での調査結果を1984年に『Die Japanische Photogra­phie: Geschichte・Themen・Strukturen[日本写真:歴史・テーマ・構造]』(Dumont)として出版している。このカタログは、日本という異国に対するヨーロッパのまなざしが色濃く表れている。まずカタログの表紙と裏表紙には、蚊帳が吊るされた和室の布団の上に座っている日本髪に結った裸の女性と、赤い和傘の写真が使われており、西洋におけるステレオタイプな日本像を踏襲したものが選ばれている(図2、3)。内容的にも、ヨーロッパの美術史・写真史の文脈で日本の写真の特性を考察した上で、西洋とは異なる「日本的なるもの」を見いだしているといえよう。例えば、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ピクトリアリズムと呼ばれる、写真の印刷技法を使って絵画のような印象を与える芸術写真が積極的に制作される時代がある。西洋美術史において日本との最初の出合いとみなされているジャポニズムとの関連から日本のピクトリアリズム写真を紹介することで、西洋美術史における日本の特性を強調するように記述している。このような視点を取ることで、当時のドイツの来訪者に、日本写真をわかりやすく説明している。

図2、3 Heinz Spielmann『Die japanische Pho­tographie: Geschichte・Themen・Strukturen』Köln, DuMont Buchverlag, 一九八四年、表紙
図2、3 Heinz Spielmann『Die japanische Pho­tographie: Geschichte・Themen・Strukturen』Köln, DuMont Buchverlag, 一九八四年、裏表紙

図2、3 Heinz Spielmann『Die japanische Pho­tographie: Geschichte・Themen・Strukturen』Köln, DuMont Buchverlag, 1984年、表紙、裏表紙

 しかし同時に、シュピールマンのヨーロッパ中心主義的な視点により、抜け落ちてしまう「日本」もある。例えば、現在の「日本写真」の代表とも言える荒木経惟の写真も1984年に11点購入されているが、シュピールマンは、荒木の作品から緊縛写真に限定して選定している。それを「ヌード」という美術の伝統的なジャンルに分類し、江戸時代の日本文学を参照することで日本のヌード描写の伝統上に位置づけている。このような荒木の緊縛写真を、日本のヌード表象の文脈に置くことで、日本独自のアートとして受容する見方はドイツの展示では今でもよく見られる。例えば、ハノーファーにある現代美術に特化した美術館であるケストナー・ゲセルシャフトでの「Araki meets Hokusai」展(2008年)では北斎の春画とともに荒木の緊縛写真が展示された。このような見方では、荒木に代表される日本人写真家が1980年代にはアートとしてではなく、主に広告や雑誌媒体で作品発表しているという事実が認識されないことになる。

 「日本写真」と一言でいっても、その定義はとてもあいまいである。日本で撮影された写真全てを指すのか。撮影場所にかかわらず、日本人作家が撮影した写真なのか。日本で生まれ育った人だけを日本人写真家と呼ぶのか。美術館・博物館の中で「日本」というカテゴリーで収集されている作品群も、どの視点から見るかで、「日本写真」の構成要素が変わってくる。特に、歴史的にみて一時期を除き地理的にも政治的にも文化的にもドイツと日本の繋がりは希薄である。そんな国であるから、写真コレクションにおいて「日本」が重点的に収集されることはそもそも少ない。このような直接的に関わりの薄い完全な「他者」である日本を、ドイツの観客に受け入れやすく、同時にその多様性を提示するような視点は果たして見つけられるのであろうか。このようなことを考えながら国外での日本写真の美術館コレクションを引き続き観察していけば、興味深い結果が得られるのではないかと想像している。

(ゆうき まどか・写真史、写真論)


『図書』年間購読のお申込みはこちら

タグ

関連書籍

ランキング

  1. Event Calender(イベントカレンダー)

国民的な[国語+百科]辞典の最新版!

広辞苑 第七版(普通版)

広辞苑 第七版(普通版)

詳しくはこちら

キーワードから探す

記事一覧

閉じる