『科学』2025年3月号 特集「マルチメッセンジャー天文学の時代」|巻頭エッセイ「科学書に「献辞」があった時代」田中一郎
◇目次◇
【特集】マルチメッセンジャー天文学の時代
ニュートリノで探る非熱的宇宙のすがた……石原安野
重力波で宇宙をみる……関口雄一郎
マルチメッセンジャー宇宙物理学とは何か?……吉田滋
重力波・ニュートリノ天体を「観る」……田中雅臣
X線観測が拓くマルチメッセンジャー天文学……岩切渉
重力波検出器と電磁波対応天体の観測衛星……都丸隆行・米徳大輔
[巻頭エッセイ]
科学書に「献辞」があった時代……田中一郎
2匹で1匹──クシクラゲの融合現象……城倉圭
学習物理学──AIと物理学の融合……橋本幸士
[氷河の保護の国際年]
ヒマラヤの氷河の現状……坂井亜規子
日本の氷河……福井幸太郎
[新連載]
夜の教室からリュウグウへ──定時制高校科学部の挑戦1
〈インタビュー〉そもそものはじまりから現在まで──顧問・久好圭治さんに聞く……久好圭治
[連載]
言語研究者,ユーラシアを彷徨う8 最後の話者たち 満洲語・モンゴル諸語の生きた化石──ダグール語……風間伸次郎
3.11以後の科学リテラシー146……牧野淳一郎
日常身辺の確率的諸問題13 この池には魚が何匹いるか?……原啓介
[科学通信]
大隅基礎科学創成財団の7年……大隅良典
緑藻ボルボックスの新種 ビワコボルボックス──古代湖で固有種を初めて発見……野崎久義
次号予告
表紙デザイン=佐藤篤司
ガリレオ・ガリレイの著書の多くには,その冒頭に献辞が付いている。ガリレオに限らず,彼の時代の著作物にはジャンルを問わず献辞があり,著書を自分より高位の誰かに献げるのは珍しいことではない。ただし,献辞の内容についてはもちろん,それが誰に献げられているのかについてはほとんど注目されることがない。重要なのは本文であって,献辞ではないからである。それでも当時の著者にとって,それを誰に献げるかは重大事だったということは想像に難くない。
ガリレオの場合,1606年の『幾何学的・軍事的コンパスの使用法』が献辞のある彼の最初の著書である。これにはやがてトスカナ大公コジモ二世となるコジモ・デ・メディチへの献辞が付いている。実用的な一種の関数尺についての手引き書を王侯貴族に献げるというのは奇異な感もなくはないが,この出版をきっかけとして彼は若きコジモの数学の家庭教師としてフィレンツェに招かれることになる。望遠鏡による数々の天文学上の新発見を公表した1610年の『星界の報告』もこのコジモに献げられたが,そこには木星の4つの衛星を「メディチ星」と命名しなければならなかった必然性がメディチ家のトスカナ統治の正当性と関係づけて述べられている。この献辞が功を奏してか,彼はトスカナ大公付き首席数学者兼哲学者として念願の故郷フィレンツェへの帰還を果たすのである。著書とその献辞を立身出世の手段としたのではないかと疑われても仕方がないが,学会というものがなく,研究の価値を認めてくれる学術機関がなかった時代,その評価を君主に求めざるを得なかったという事情も考慮すべきである。
このような科学研究を取り巻く状況が本文にも反映していたのではないかと考えても的外れではないだろう。ガリレオが1632年に出版した『天文対話』はフェルディナンド二世に献げられているが,その長文のサブタイトルに「ここでは四日間の会合で,プトレマイオスとコペルニクスの二大世界体系について論じられ,どちらの側からも同じように哲学的・自然学的論拠が決定的ではない形で提示される」と書かれていることもあって,両案併記とするために対話形式が採用されたと考えられることがある。しかし内容を見ると,公平な両案併記などではなく,論争の書である。アリストテレスとプトレマイオスに味方する対話者のシンプリチョは完膚無きまでに否定されているからである。皮肉な見方をすると,これは王侯貴族の臨席のもとで繰り広げられる御前試合なのである。著者は勝利を収め,臣下として君主に勝利の栄冠を献げる。
1638年に出版された『新科学論議』では少し事情が変わってくる。この著書はフランスの貴族でかつての教え子に献げられているが,彼は宗教裁判で有罪を宣告されたガリレオを救うことができる権力者ではない。新著を新教国のオランダで出版することにした言い訳としてのみ書かれているから,かつての献辞とは異質である。それだけでなく,この著書がイタリア国外で出版されたこともあって,ヨーロッパという広い学問世界での評価を求めていたため,君主への献辞はその役割を終えつつあったことも示しているだろう。ガリレオの献辞から,科学研究の評価は誰によってなされるべきかという考えの変化も見えてくるのである。