星川淳 温暖化のはずなのに大雪が降る不思議[『図書』2025年3月号より]
温暖化のはずなのに大雪が降る不思議
鹿児島県の屋久島へ移り住んで43年目。そのかん、ユネスコの世界自然遺産登録(1993年)をはじめ地域にも自分自身にも数多くの変化が起こった一方、変わらないものもある。本稿では、環境分野でもかなりの著訳書を手がけた文筆家として、アマチュアの自然愛好者として、また何よりこの地で暮らし、ささやかながら自給的な農業をたしなむ生活者として、屋久島から一種の定点観測を続けた雑感を記したい。
ミツバチとネオニコチノイド
日本列島在来のニホンミツバチは屋久島の森にもいて、わが家では2010年代半ばから自然林のニホンミツバチを巣箱に迎える方法で、一時は自宅周辺に10群を超える賑わいと、季節の花々が香る蜂蜜を楽しんだ。ところが、5年ほど前にパッタリと姿を見かけなくなり、春に用意する巣箱にも寄りつかなくなった。分蜂(分封とも)といって、群れの構成員が増えすぎると、新しい女王蜂が生まれ、それまでの女王が群れの半数を引き連れて巣分かれする。その際、引っ越し先の目星をつける探索蜂がわが家の換気口から紛れ込んできたりするので、それを捕まえて屋外の巣箱を様子見させると、気に入ったら家移りの群れ全体を呼んでくる(数千匹のミツバチが乱舞する壮観!)。それがすっかり影を潜めてしまったのだ。いくつか思い当たる原因のうち、世界的にミツバチへの悪影響が懸念されるネオニコチノイド系農薬が最も怪しい。
日本でも徐々に名前とリスクが知られるようになってきたネオニコチノイド(以下、ネオニコとも略称)系殺虫剤は、1990年に日本人科学者が合成に成功し、その後7種まで増えて、90年代前半から次々と市場に投入された。タバコのニコチンと同様、害虫の脳内でニコチン性アセチルコリン受容体に作用して昆虫を殺す効果の高い神経毒だ。神経毒性とともに、作物の根や葉から植物の全体に沁み込む浸透性と、種子の段階から実がなるまで長く効き目が続く残効性が特徴で、他の類似化合物と併せて「浸透性殺虫剤」とも総称される。
ところが、効き目は強いし、長く効いて省力化にも役立つし、おまけに害虫以外の昆虫にも、ましてや人間にも害がないという農薬メーカーの謳い文句と裏腹に、21世紀に入ると様々な悪影響が報告されるようになった。標的の害虫だけでなくミツバチやトンボが姿を消したり、ツバメやムクドリなどの食虫鳥類が激減したり、水生プランクトンがいなくなって魚が獲れなくなったりと、想定外の事態が日本を含む全世界で多発したのである。
そこで、ヨーロッパ(EU)を筆頭に世界各国では2010年代前半から浸透性殺虫剤の規制に乗り出す(http://organic-newsclip.info/nouyaku/regulation-neonico-table.html)。被害の報告にとどまらず、科学的にも悪影響が明らかになってきたからだ。そんな中、国連食糧農業機関(FAO)の統計によると単位面積あたりの農薬使用量で世界の五指に入る日本は、ネオニコ系農薬の規制を突出して緩め続けたため、いまや日本人のほとんど全員がネオニコに汚染され、日本の河川からはほぼ例外なく複数のネオニコ系農薬が検出される(地域によっては水道水も高濃度汚染)。
筆者は文筆業の傍ら、ここ14年ほど助成(資金援助)という形で環境分野の市民活動を後押しする仕事に携わり(https://www.actbeyondtrust.org/)、ネオニコチノイド系農薬に関わる調査・研究の支援にも力を入れてきた。その成果の一つが昨年末、平久美子著『ネオニコチノイド 静かな化学物質汚染』(岩波ブックレット)として刊行された。本稿ではこれ以上の素人談義を控え、ぜひ同書の一読をお勧めする。とりわけ、著者の平医師は浸透性殺虫剤による人体影響の実態解明において世界の第一線に立つが、農薬メーカーの言い分と異なり血液脳関門も胎盤も通り抜けるネオニコ系農薬は、子孫の代まで情動や行動に神経発達障害を引き起こす可能性が明らかにされつつあって、大変気になる。いまも淋しく空っぽのわが家の巣箱が、暗い未来の前兆でないことを願うばかりだ。
変わる作物、上がる海面
次に取り上げるのは、近年の激化とともに「気候危機」とも呼ばれる気候変動だが、やはり身近な観察から。屋久島に住み着いて数年は、質素な住まいを通る風で夏をすごすことができた。そこへ扇風機が加わり、21世紀に入る頃には、ずっと抵抗のあったクーラーも使わざるをえなくなって、現在では熱中症予防に必須とされる。
暑さのレベルが上がるにつれて、以前は冷やかし程度に植えていたバナナの実りが良くなり、味も妻が若い時分に知る小笠原や沖縄の地元産に迫るほど。パパイヤもしかり。反面、長く特産柑橘類として親しまれたポンカンやタンカンの生育に変調の兆しがあり、気温が緯度にして1度、2度とズレてきていることを実感する。西日本で稲の高温障害が顕著になる一方、北海道が米どころに浮上したのと相似のこうした現象は、列島各地で見られるものだろう。
海も同じか、もっと変化が激しいらしく、屋久島で専業漁師となった息子は、早くから「海水温の上昇が尋常ではない」と断言していた。これまた北海道を例に取れば、サケの漁獲量が激減して、かわりにブリが豊漁の昨今、日本列島近海の海水温は世界有数の高どまりで、台風が昔なら信じられないくらい北で発生したりする(進路も定石コースから逸脱することが多い)。

海水温の上昇で打撃を受ける生物の一つにサンゴがある。とくに海面近くが高温のまま、台風などでかき混ぜられる機会が少ないと、サンゴ虫と共生する褐虫藻という光合成プランクトンが暑さで逃げ出し、いわゆるサンゴ礁が白く色抜けしてしまう(挿絵写真参照)。何らかの理由で高温状態が和らぐと褐虫藻が戻る場合もあるが、暑さが続いて戻れなければサンゴ虫も死滅し、その海域のサンゴ礁は海の瓦礫と化す。筆者の経験では、屋久島でも1990年代から波状的にサンゴの白化が起こり、そのたびに復活の兆しが見えたものの、当分のあいだ高温トレンドが変わらない以上、存続は危ういかもしれない。面積では海全体の0.5パーセントにすぎないのに海の生き物の25パーセントに生息域を提供していたり、生物の栄養となる有機物生産量では地球のトップだったりと、海洋生態系の中でサンゴ礁の果たす役割は極めて大きく、全世界的なサンゴの白化現象は気候変動問題の中でも特に注視を要する。
気候変動に関する科学的知見は、1988年創設のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)に世界百数十か国から合計数千人の専門家が協力して積み上げてきたもので、人類の活動が原因であることや、気温の上昇を産業革命以前に比べて摂氏1.5度以内に抑えなければ生物多様性が脅かされ、人類自身の生存も難しくなることを、限りなく事実に近い作業仮設と認定した。2期目を迎えた米国のトランプ大統領をはじめ、温暖化自体にも人為説にも異論を唱える人はいるが、筆者は、科学者たちの分析に自分の体感も交えて気候変動をリアルに受け止める。
体感の一つを紹介しよう。1980年代半ばから20年ほど、筆者の家族は海辺にある露天温泉の常連だった。この温泉は、満潮時には海中に没し、干潮前後の数時間だけ岩場を掘り込んだ複数の湯舟が現われる野趣に富んだもの。潮が引くにつれ、湯舟に湧き出す熱い真水の温泉水が海水を追い出して、干潮ピークには絶好の湯加減になる。
常連となれば、いつもその日の干潮時間を意識して、地元のお年寄りたちと四方山話を楽しんだ。しかし1990年代に入ると、だんだん入浴可能な時間幅が狭まる感触を拭えなくなった。IPCCの分析では、2006―15年の海面上昇が1年あたり平均3.6ミリメートルで加速中だそうだから、1990年代でも微妙とはいえ無視できない変化だったろう。
暴れる水とつきあう
素人談義を書き連ねたついでに、気候変動に関する筆者なりの現状分析を紹介して結びたい。原生林で有名な屋久島だが、筆者の生活感覚では何より水の島だ。周囲百キロメートル余りのほぼ丸い島ゆえ、標高2000メートル近い中央山塊(九州の上位7座を数える)から流れ出す川は長くても20キロメートル程度。黒潮から立ち上った雲が山や森にぶつかって降らす雨は、あっというまに川を駆け下って再び海へ還る。地球の水循環が眼前で展開する島なのである。
この島で暮らすうちに、やがて水を通して考える癖がついた。そんな筆者の目に、気候変動は地球の気候システムが相転移の様相を呈し、「水が暴れている」複合現象と映る。地球生態系の総体を巨大な有機生命システムとみなすジェームズ・ラヴロックのガイア仮説や、サイバネティクスと人類学と心理学をつないで複雑系に関する理論的基礎を築いたグレゴリー・ベイトソンの著作を訳したこともあり、基本的に文系ながら複雑なシステムの挙動に関しては筆者なりの“土地勘”が働く。
アマゾンの熱帯林を「地球の肺」になぞらえるとおり、気候システムは生物まで含む超複雑系と考えられる。システムは、何らかの理由で一つの安定状態(相)から別の安定状態(相)へ移ることがあり、その移行を「相転移(phase shift)」と呼ぶ。一般に相転移の段階は不安定で、システムのゆらぎが起こりやすい。たとえば、安定して回っている扇風機を一つの相、羽根が欠けた末に倒れて止まった扇風機を別の相とすると、その相転移段階では扇風機がグラグラ揺れる。あるいは、蛇口から安定的に水が出ている水道の栓を締める際、完全に止まる前に流れがひどく乱れるところを想像してみてほしい。
地球の気候システムは、温暖化によって大気圏内を巡る水が急増しつつあり(雪や氷の溶解、海水面からの蒸発など)、これまでのような安定した循環パターンを維持できずに、ゆらぎを強めているのではないか。抱えきれない水分を一気に落としたり(豪雨、豪雪、洪水)、かと思うと降るはずの場所に雨を降らせなかったり(干ばつ)、しかも年によって気まぐれな挙動を見せる。気候システムの相転移が何十年続くのか、はたまた何百年、何千年といった長尺で次の安定状態へ移るのか、まだわからない。おそらく相転移段階に差しかかったことは間違いないし、二酸化炭素やメタンに代表される温室効果ガスの排出をすぐには止められない人類社会である以上、最善の対策に取り組みながら、気候の激しいゆらぎに当分つきあうしかないのだろう。シートベルトをお締めください!
(ほしかわ じゅん・作家、翻訳家)