【座談会】予定調和のない音楽 飯山ゆい・いとうせいこう・星野概念・森本アリ[『図書』2026年4月号より]
知的な障害のある人や、音楽家などからなるアーティスト大集団、音遊びの会。即興演奏を中心とした、予測不能な面白さに満ちたパフォーマンスが大きな反響を呼んでいます。結成20年の軌跡を詰め込んだ一冊『即興がつなぐ未来 音楽と社会の狭間でおっとっと』(2025年12月小社刊)の刊行を記念して、音遊びの会代表の飯山ゆいさん、副代表で音楽家の森本アリさん、メンバーとして参加されてきたいとうせいこうさん、精神科医の星野概念さんにお集まりいただきました。
飯山 私は音遊びの会の代表をしています。神戸大学の修士課程に在籍していたころ、同じゼミの博士課程の先輩、沼田里衣さん(現在大阪公立大学大学院准教授)が代表となり、プロジェクトを始めました。作曲家であり即興演奏家の若尾裕という先生のゼミでしたが、そこで音楽療法、現代美術、現代音楽などを研究している仲間がメンバーとして集い、私も呼ばれました。その後、沼田さんの就職をきっかけに代表を継ぎました。
会の活動としては、月2回の神戸でのワークショップのほか、関西を中心に全国で公演を行っています。イギリスでの公演はNHKのドキュメンタリー番組になりました。
森本 森本アリといいます。音遊びの会の初期からのメンバーです。20年前、同じく初期メンバーで旧知のミュージシャン、大友良英さんに呼ばれて入りました。そのときはゲームボーイや口琴とか、ちょっと変わったもので演奏していました。今は音楽家側の代表のような立ち位置で、会の副代表をしています。
いとう 僕も名誉なことに音遊びの会のメンバーです。基本は言葉を生業にしてますが、音楽や芝居、コントもやっています。音遊びの会の話を聞いたときは、そんなに面白い「賭け」はないなと思いました。おもに即興演奏をしている集まりなので、僕ももし楽器ができたらもっと素直に入れたと思うけど、何しろ自分には言葉しかない。つまり言葉のもつ意味を背負って、意味があるかないかの算段ができない状態に入って、しかもお客さんからは、僕がみんなを引っ張っていくかのように見えちゃうだろうと。どういう立場でいればいいのか本当に難しいけど、難しいから面白い! と思いましたね。
森本 いとうさんが入った最初のワークショップはあまりに面白かったですね。本番(「音、京都、おっとっと、せいこうと」2021年)に向かって何回かリハーサルをする予定だったのが、これは面白すぎるからやめようとなりました。いとうさんが舞台上にいて、そこに十番勝負のように刺客が送り込まれていく。
いとう 次から次へとすごいやつが現れてさ。アドリブ好きな僕にとっても本当にスリリングでした。みんなが一心不乱に仕掛けてくる、それが本当に素晴らしかったですね。やっているうちにいくつかの「手」を覚えてしまって、それを繰り返すことになってしまうのが一番怖いことだと思ったから、もうやめましょうと。リハはただの駄弁りみたいになっちゃった。でも、あれで良かったと思う。
星野 僕は音遊びの会を体感したことはないので、今日なぜお招きいただいたのか謎ではあるのですが(笑)、僕は精神科医の中でも、障害とされるものを持つ人たちと関わらせてもらった時間が多分長いほうだと思います。本を読んで、これまでの経験とのいろいろな重なりを感じました。
「音、京都、おっとっと、せいこうと」リハーサル直後のいとうさんによる意気込み
音遊びの会とオープンダイアローグ
星野 僕が今一番探求しているのは、フィンランドで生まれたオープンダイアローグというものをベースにした対話の形です。現地では、対話の目的は対話をすることだけだといわれています。それから、対話は一回性であるとも。極端に言えばですが、メンタルヘルスの医療での常識とは、まず医療者が診断というラベルを考えるところから始まります。その診断から、この人はこれで困ってる、という症状を勝手に決め、治療を行い、症状が取り除かれたらゴール。もちろん本人と話をしながら進んでいくもので、完全にモノロジカルに進んでいくわけではないんですけれど。
でも、オープンダイアローグでの対話は、診断もしないしゴールも設定しない、まさに即興なんです。さらに、本人がいないときにその人の話をしないというルールがあるから、事前の打ち合わせもできない。だから対話の内容はそのときに集まったメンバーにもよるし、同じ人がまた集まっても、そのときのコンディションによって流れは全然変わる。この音遊びの会にも、予定調和みたいなものはないし、やろうとしても絶対に難しい形になっているような気がします。ものすごく自分の経験と重なるものを感じています。全然自己紹介じゃないですね(笑)。
いとう いやいや、音遊びの会にオープンダイアローグ性を見いだすのは、星野くんじゃなきゃできないよ。そんなに即興で行う取り組みがあるんだ。
星野 ある時間集まって、解散する、ただそれだけです。で、また集まりましょうって言って集まる。そういう集まりがなんだかわからないまま続いていって、その都度何かが起こったり、起こらなかったりする。何もなかったなと思って帰ってみたら、実は個々人の中では何かうごめいていたりする、みたいなこともありますね。
森本 音遊びの会は、ディスコミュニケーションを楽しんでる集まりなんじゃないかって思ってます。コミュニケーションにはリミットがあるというか、わかりあうってものすごく難しいことですよね。でも、わかりあえない平行線上でセッションすることを経験として蓄積することは、すごく面白いことやと思ってる。星野さんはいろんなものを受け止めてくれそうで、それは声をかけないと! って思いますよね。
星野 ありがとうございます(笑)。本の内容になりますが、僕はとくに大友良英さんのエッセイが面白かったです。大友さんは音遊びの会にファシリテーター的にも関わってこられたんですよね。最初は即興音楽的なワークショップの手法を試みて、「自由にやってください」と言ったら出ていっちゃう人がいたと。それで、誰かが何かをやったら拍手するっていうことをしたら、すごくうまくいくようになったと書いてあったんですよ。
拍手をされる人と拍手する人を分けるのは、演奏する人と聞く人を明確に分けるシステムじゃないですか。さきほどの対話の例でいうと、雑談みたいに声が行ったり来たりする状態をより豊かに作るには、話す人と聞く人を明確に分ける必要がある、とフィンランドの人たちは考えたんですね。話す人はより自由に安心して話し、聞く人も安心して聞く仕組みを作り出した。僕はその効果を実感しながら対話の取り組みをしているのですが、この拍手の話はすごくそれに近い気がして、感動しました。あと、やっぱり拍手をもらうということはすごく承認感覚を満たすと書かれていて、それもあり、拍手を使われたのは発明的なことだと思いました。素晴らしいなと。
「音遊びの会と大友良英 in Y+T MOCA」2025年
演者と観客の境界
いとう オープンダイアローグと音遊びの会の違いとして、お客さんの有無がある。お客が一番何か持って帰ってる感じがあるよね。それこそアリさんが言ってたディスコミュニケーションがずーっと続いても、それが良くないことだなんて、この会では誰も思ってないんだってわかるだけで、お互いの線路は別々でいいんだ、と自分の線路をまた帰っていくような感じがあるじゃん。音遊びの会でのセッションは、不思議な世界にずっといるような感覚があるけど、僕に何か手応えがあるとすると、それだけだな。
星野 音遊びの会では、バーバルコミュニケーションによるわかりやすい言葉のキャッチボールは少ないかもしれないですが、その場にいるという時点でいろいろ影響しあっていて、何か通じてたり、同期したりしているのは間違いないと思うんですよね。演(や)る側と観る側とで分けられてはいるんだけど、共鳴しているというか。音遊びの会は、舞台とステージの境目があまりないような場所で演奏しているイメージがあるけど、実際どうなんでしょう?
いとう 客席と舞台がしっかりあるところでやっていることが多いかな。にも関わらず、メンバーが勝手に客席の中で騒いでたり、演奏とかが始まってたりするときが平気である。それにお客さんがすごくびっくりしてるのが、僕はとても心地いいんだよね。最初の戸惑いは大きいだろうし、恐怖を感じてるぐらいの人もいるけど、でもそれが5分も続くと、どっちがどっちでもいいか、みたいになってくる。見てる人と演奏する人が向かい合ってるんじゃないんだっていうこと自体で、自由になっていくというか。
音遊びの会 ビッグ・バンド「KAVC Music Line "STATION" vol.5 大友良英と音遊びの会」2018年
森本 いとうさんは完全に無茶ぶりされてますね(笑)。
いとう そうなの? たしかにいろんな形で仕掛けてくるね。急に俺を見ていろんな駅の名前を言ってくるとか(笑)。一番初めにやったときは、大生くんという、あんまり言葉では反応しないと聞いてた子が、言葉じゃないんだけど、何かこう、リズムでわかるというか、調子でわかるというか、俺に心を許したな、今、って錯覚するような瞬間があった。それはやっぱりバーバルじゃないんだよね。
でも本当は司会にとってすごく重要なことで、例えばテレビ番組のMCでいえば、それを言葉に落とし込んで進めるのが仕事だけど、そのすごく生な形というか、一番わかりづらいんだけど心にはグサッときちゃう、みたいなことを彼らがやってくる。だから難しい。本当にいろんな司会者が経験した方がいい。司会とはどういうものかの概念が変わっちゃうんだもん。そして、あらためて音楽ってすごいなと思う。これは音楽じゃなかったらちょっとやりづらいでしょ。
飯山 メンバーとは20年間、月に2回くらい会って時間を過ごしてきてるんですよね。でも、主に音楽とか、言葉でないところで交流しているので、知らないことがいっぱいあります。相手のことをすごく知ってるような気になってるんだけど、いざ言葉を使って喋ってみると、こんなに問いかけに答えてもらえないんだとか、そのギャップはまだまだあります。
いとう 音遊びの会では、何となく友達感が出たかな?と思って話しかけると無視されることとかが、平気で起こるじゃん。でもよく考えたら、それが平気で当たり前。そうだった、ここはそういう場所だったんだと思って、気持ちがいいのよね。それで、思い込みよくないなあって思う。心の筋膜リリース感があるよ。何かくっついちゃってるものが剥がされて、そうだ、それぞれバラバラなんだったって帰っていける。しかもそれが、音楽をやってるときだけは、1つの空間に向かって音を出してる感じがある。あれは本当に不思議だよね。
森本 みんな今は完全に音楽をやってるなと思います。最初は遊びにきてる感じがあったけど、本番が大好きで、お客さんが前にいることも大好きで、僕ら以上に芸人やと思います。
いとう お客さんからもらえる、それこそ承認感覚というか、ここにいていいんだっていうか、待ってました感、あれはたまらないだろうね。
本という名のセッション
いとう そもそも、この本ができた経緯は?
飯山 はじめは、私に音遊びの会についてのブックレットを書いてほしいという依頼があったのですが、私1人でやることではないと思いました。いろんな人がそれぞれ自分の言葉で、自分の立場から、好き勝手に言いたいことを言うことが許されるものであってほしいと。
いとう 音遊びの会っぽいね。
飯山 まずは核となるまとまった文章を書くメンバーとして、会を立ち上げた沼田さんと、ずっと参加してこられた大友良英さんと細馬宏通さん、そして副代表の森本アリさんと森真由さん、私の六人が決まりました。そして編集者が言うには、「当の障害のあるメンバーが会について語っているものが見つからないから、彼らの言葉を入れることを試みたい」と。たくさんの人のたくさんの言葉を入れるところからスタートしました。
障害のあるメンバーは19人いますが、キャッチボールのような形で会話をする人は数名なので、その言葉を文字で表すのは本当に難しいだろうなと思いました。でも、その難しさを知らない人が、無謀にもそれをやろうとしてる。やってみなさいよと(笑)。結果として、障害のあるメンバーへのインタビューのコーナーができました。会話になっていたりいなかったりで、面白いですよ。
いとう それは編集者が、僕がみんなとやっているセッションをやったのと同じことだもんね。何か言葉を出したり、声を出したりして、誰かが反応してくるのを待つ。その反応をいかに繋いでいくかということに、ものすごく集中するから、とても難しい。その反応には意味があるようにも見えるかもしれないし、あるいは意味があると感じるのは僕の思い込みでしかないかもしれないけれど、ときどき錯覚のように言葉が通じたときに、お客さんが思わず笑って、何となく気持ちを緩めてくれる。でもだからこそ、その「会話」は深いものになる。
飯山 インタビューのいくつかに立ち会ってみても、またできた原稿を見ても、メンバーと編集者がセッションしてる感じでした。その人だからこその成り行きが見えて面白かったです。
いとう そうなんだ、これは本という名のセッションだったんだ。音遊びの会は、だから恐ろしいよね。人を問うからさ。だって編集者が隠れてられないってことでしょ。他の人だったらそれが起こるとも限らないし、音遊びの会で起こることは、全部その1回しか起こらない。星野くんは読んでみてどうでした?
「ある」けど「ない」道
星野 すごく面白かったです。定型をひっくり返していくところがありますよね。さっきのインタビューのパートでいうと、シュークリームスというボーカルユニットのメンバーでもある友里さんという方がいろいろ話してるんですけど、「みんなに言いたいことは?」って聞かれたときに、即座に「ないです」って答えてて。
シュークリームス 「KAVC Music Line "STATION" vol.5 大友良英と音遊びの会」2018年
実際に、ここで「ないです」と答える道って、あるけどないじゃないですか。僕は今いとうさんに「星野くんはどうなのか」と聞かれて話してますが、「いや特にないです」と答えることもできるんだ、と。小さいことかもしれないけれど、自分の中にあり、多くの人の中にあると思われる、社会的な常識みたいなものを簡単に飛び越えたり、簡単に裏返したりしてしまうというか、そもそもそれがないことがすごいなと思いました。
僕は重度とされる発達の偏りのある人たちが入所、通所するところで20年ぐらい働いています。この間までは津久井やまゆり園で働いていました。あとはアウトサイダーアートの美術館など、通所や入所をされている方々が作ったものを展示している場所、例えば、はじまりの美術館、鞆の津ミュージアム、工房まる、しょうぶ学園などを見学するのがライフワークになっています。そういうところで、やっぱり全員に共通の当たり前なんてないよなっていうことを、余裕で見せられちゃうみたいな。余裕で見せられている、というのも、僕が思っているだけで、その現象がただあるだけなんだっていうことに、毎回感動するんですよね。こうした点でも、僕の今までの体験と重なるものをとても感じています。もう少し喋っていいですか?
いとう いいよ。
星野 僕がある意味レアな体験をさせていただいたのは、音遊びの会を、まず本だけで知ることができたことです。音源や動画もあるのを知ってるんですけど、あえて観ずに、まず読んでみようと思ったんです。文字情報は体感と切り離されてると思うんですね。だからこそ、詩や文学は、そこからどう体感や情景を想像させるかが面白いところなんだと思うんですけど、もしかしたらこれも文字だけから入るのが面白いんじゃないかと。
そうすると、出てくる皆さんが僕の知ってる人たちと重なってきて、実際に見に行きたくなるし、一緒に音を出したくなった。そしたら「おわりに」で、飯山さんが「ぜひ遊びにきてください」と書かれている。まんまとそこに行き着いてしまった、と思いました。すごく駆動されるかたちになってます。
それから、本を通して、皆さんが一緒に音を奏でているメンバーのことを書くときの文章から、みんなめっちゃメンバーのことが好きなんだなと伝わってきたんですよ。少しツッコミみたいな気持ちで文章を書かれているんだけど、ネタにしているわけではなく、その人の良さとか、その人のそういう感じがたまらなく好きで思わず入れちゃった、みたいな感覚がありありとわかって。しっかりと実感を持って関わりを作られてるんだなと伝わって、読んでて嬉しくなるような感覚がありました。
バラバラなまま関係しあう
森本 近年は、会の2枚目のCD(「OTO」 試聴はこちらから)ができたり、2本目のドキュメンタリー映画(「音の行方」 予告編はこちらから)ができて、その流れで本もきた! と思いました。僕がすごく気に入ってるのは、関係人数が多い本になっていることです。ものすごく重層的に、多重積載になって立体的に音遊びの会が見えてくるような本になって、嬉しかったです。
あとは、ビジュアルで見せるのではない、言葉の本として仕上がったのも嬉しかったですね。音楽をしている団体が文章だけで勝負するのは、すごく潔いことでしょ。
いとう 本にするということが、実はすごくアバンギャルドなことでもあるじゃない。だって絵による説明がないわけだから。本って元来アバンギャルドなんだっていう部分が前に出ちゃうっていう。音遊びの会に関わると、そういうものが出ちゃうんだよね。
星野 僕の印象だと、第Ⅱ部の座談会やインタビューに差し掛かるといろんな人の声が入っていて、そうなると、どんな声なのか、どんな身体から出てくるのか、好奇心ががーっと膨らんで、体験しに行きたくなる。本としても面白いですが、座談会を読んじゃうと、もう絶対に会いたくなるっていうか。
飯山 座談会の方式は、メンバーにできるだけ登場してもらうために提案した覚えがあります。さっき数えてみたら、53人の人が何かしら言ってる(笑)。
メンバーの言うことはバラバラでいいと思いました。それは音遊びの会が大事にしているところでもあって。会のここが面白い、っていうのはそれぞれ違うはずで、なるべくそれを統率したくない。これは私自身がいつも思っていることでもあります。だからこそ面白いはずなんですよね。たくさんの人たちがその場でどう関係しながらやれるかっていうところが面白くって、一番のテーマ。
いとう 音遊びの会っぽいね。次に何が起こるか、全員に予測できないまま進む。でもセッションしてると時間は経つから、何かが起きて、駆動力が何なのかはわからないのに進んでいく、本当に奇跡が起きることが何度もある。もうそれは他では経験できない。お互い鳴らし合いながら、ゾーンを作る作業が面白いけれど、できた! と思った途端に簡単に誰かがひっくり返してくるから、それは快感なんですよね。普通こんなにウケたら続けるだろ! と思いきや、やめちゃった、みたいな。そういうところがやっぱりすごい。学ぶよね。そうした中で、アリさんや飯山さんは編集者っぽく動いて、ここでこいつを投入だ! みたいな感じで舞台に上げたりするじゃない。
森本 頑張ってるよ(笑)。一応それでも場を成立させて、みんなに出番が回るように曲を終わらせなと、僕と飯山さんがめちゃめちや裏工作をしてます。
飯山 この本の副題は「音楽と社会の狭間でおっとっと」なのですが、音遊びの会は、いつも本当に「おっとっと~!」としあってる感じがあります。
いとう メンバーに、一人ですごく歌ったり喋ったりする女性がいて、それが絶対終わらないから、アリさんかゆいさんがステージに別の人を押し出していく。そこに編集の妙を感じる。構造的な面白さがある。みんながただ自由なだけじゃなくて、一応こうしたらうまくいくんじゃないか? と思って賭けに出続けてる編集者がいて、それと僕らが一緒になってるから、レイヤーがすごいんだよね。だから、当然本だってそうなるよね。
森本 本の話に戻ると、障害のあるメンバーは映像ではめっちゃ強く表現できるけど、言葉では強く表現できないことが多い。だから、話せないメンバーたちのことを描き出すために、みんなで一丸となって頑張ってるような本でもあります。それも面白いところの一つだと思います。
いとう 他者紹介を続ける集団による本って、あんまり聞かないよね。普通はやっぱり自己紹介が続いちゃう。
医療と福祉の外で
星野 特にメンタルヘルスの領域で医療とか福祉に関わっていると、医療、福祉的なものは、その外にあることがすごく大事だなって思うんですね。医療や福祉の中だけにあると、外部と切り離されてしまう。音遊びの会には、福祉の大事な要素があるような気がするんですね。
そこにいる人たちがどう豊かになるか――障害のあるメンバーだけではなくて、その保護者の方々や、音楽家メンバーの人たちも、みんなそこでその時間を過ごすことで豊かになるこのありかたは、すごく福祉的だと思うんですよね。でも音遊びの会は、明らかに医療とか福祉の外にあるなと僕は思うんです。
いとう お客さんに医療や福祉に携わっていない人たちがたくさんいるのは、反応や雰囲気でもわかる。外に向かって打って出ることはすごく大事なことだよね。音遊びの会には、武者修行的っていうか、道場破り的な感じがある。みんなで乗り込んでいって、ウケて帰ってくるみたいな感じが。そういう意味での芸人感はすごくあると思う。
森本 最初の最初は音楽療法家なども参加していたけれど、もうほぼ医療関係者はいませんね。はじめは障害のあるメンバーとそれ以外のメンバーが一対一でペアを作って、誰かが見ておくみたいな感じでしたが、それももうほぼないです。
飯山 障害のあるなしというよりは、一個人として、この人はこういうシーンでこういうことが起こるのは苦手、というようなことを、関係性の中でお互いに知るようになってきています。
森本 最近では、障害のあるメンバーを保護者から離すようにしましたね。ごく初期にもそうした取り組みをしたことがありましたが、親たちの関係性が密になってとても良いものになった。
飯山 音遊びの会では、保護者も一緒にコミュニティを作っているメンバーであるという考え方を大切にしていたので、保護者が内容を考え、自身も舞台に上がってもらうライブをしたこともありました。ただ、私が代表になったころにコロナ禍がはじまり、ワークショップの人数を絞ることになりました。かつて小学生だったメンバーもみんな大人になったので、思いきって親御さんと離してみたら、個性がスパークしましたね。
離れて良い面があったとはいえ、保護者も会へ来るのが楽しそうなんですよ。付き添いをヘルパーさんに頼む選択があったとしても、メンバーと一緒にやってくるし。
森本 障害のあるメンバーと保護者の関係性、距離感も色々考えますね。
*
いとう 当然、これから出版記念ライブがあるわけでしょ。
飯山 神戸・塩屋の舫書店さんでトークイベントを開いてもらいましたが、ライブはまだです。
森本 東京でライブができればいいですよね。
いとう 俺はどこでも行くけど、そしたら星野くんも観られるもんね。というか、ギター持って参加したいでしょ。
星野 そうですねえ。
森本 オファーが来るように、これをしっかり記事に書いといてもらって……。
いとう そうだよね。何かうまく転がるものを持ってる集団ではあるから、絶対書いといた方がいいですよ(笑)。
(2026年2月18日、オンラインにて)
(いいやま ゆい・オトノバ主宰)
(いとう せいこう・作家、クリエイター)
(ほしの がいねん・精神科医)
(もりもと あり・音楽家)
「音遊びの会」のホームページはこちら
本稿は、『図書』掲載時に紙幅の都合で割愛した部分を増補したものです。





