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これで「武田信玄のタケです」と言える(武田砂鉄)

『武士の日本史』(髙橋昌明著)

書評 『武士の日本史』(髙橋昌明著)

これで「武田信玄のタケです」と言える

武田砂鉄

  お店で領収証をもらう時には「武士の武のタケでお願いします」と言うし、あっちが「ブシノブ?」と首を傾げるようであれば、続けて「武田信玄のタケです」と言う。意地でも鉄矢は使わない。武士と信玄を使い分けながら、「武田様」の領収書をもらい続けてきた。このところ、武田信玄と上杉謙信による「川中島の戦い」は、もう歴史の教科書に載せなくていいんじゃないかとの声が出ていると聞く。もっとも乱暴な言い方を探せば、あんなものはローカル同士の小競り合いであって、国家の大きな動きには絡んでこなかった戦いにすぎない、というのである。こちらは武田信玄と一切関係ない血筋なので怒る権限もなく、そのうち、喫茶店で若い学生バイトさんに「武田信玄のタケです」と言っても領収証が出てこなくなるのかも、との小さすぎる懸念があるくらいものだ。

 多くの日本人にとって、武士って、もはやイメージである。抽象概念である。消極的に「ながら見」する時代劇。必ず屋根や壁が壊れるか水浸しになる志村けんのコント。社長が経営哲学を語るインタビューで漏らす「武士道」。スポーツ界では、サムライブルーや侍ジャパンという言葉で男性アスリートの結束を表す。もはや、ヒストリーというより、メンタルの概念として「武士」が使われているといっても大げさではない。

 本書は、そういった思い込みの「武士」を丁寧に矯正してくれる。「武士を戦士であるとともに、ある種倫理的・道徳的存在とみなしてきた」のはなぜなのか。戦国武士は呪術にすら頼り、精神を充実させる術を持っていたが、こういった心理的な側面が、今、語られる、道徳的な武士道へと変節したのはいつのころからなのか。

 筆者はあとがきで、ドナルド・トランプが初来日前のインタビューで、対中国について語る際に「日本は武士の国(warrior nation)だ」と発言し、中国などの国が北朝鮮に厳しく対応しなければ、日本が動く事になるとほのめかした。彼は、実は好戦的な国・人種なのだぞと知らせる意味で「武士の国」を使った。この手の発言に日本政府が懸念を表明した形跡はない。国会議事録にあたれば、進展しない北朝鮮拉致問題について、再調査の報告書が出てこないことを「ただ、まあこれ、私は武士の情けで、しようがないなというのはあるんです。なぜなら、それは北朝鮮、非常識だからですよ」と語る姿なんてのがいくらでも確認できる(白眞勲・参議院予算委員会・2018年3月26日)。武士の精神が、提言にも言い訳にも安易に使われていく。ここでいう「武士の情け」ってなんだ。言語化できない。本書に頼れば言語化することができる。

 個人的に好きなアメリカのヘヴィロックバンド、システム・オブ・ア・ダウンのサージ・タンキアンは、2012年に発売したソロアルバムのタイトルを『HARAKIRI』(邦題『切腹』)とした。前年に発覚した鳥や魚の大量死、それを見て「現代の環境の継続性の危機的なものを感じている」(BARKS)ことから、このタイトルにしたのだという。いや、だけどさ、切腹って、責任をとって個人が死ぬことだろ、だから彼が大量死を「HARAKIRI」とまとめるのは間違っているだろ、と思って本書を開けば、切腹が広まるのは鎌倉末期から南北朝期で、近江番場で将士が集団自殺し、続いて鎌倉で得宗高時以下が大量自殺したことがキッカケなのだという。なんだ、武田より、アメリカのミュージシャンのほうが正しい知識を持っているのであった。 

 本書を通読することで、武士にまつわるあらゆる思い込みが正される。そして、現代人が植え付けている、あやふやな武士のイメージ、その危うさを告発してくれる。本書の知識を携えた今、自信を持って、「武田信玄のタケです」と請求書をもらえそうだ。

(たけだ・さてつ ライター)

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