〈対談〉ショスタコーヴィチの謎と仕掛け 後編
〈対談〉
ショスタコーヴィチの謎と仕掛け(後編)
亀山郁夫×吉松隆
共産党入党と音楽の変容
吉松 でも、そのあと逆にちょっと体制寄りの交響曲も書かなければ、というので、革命を題材にした11番「一九〇五年」、12番「一九一七年」を書いたとき、西側でのショスタコーヴィチの権威というのは地に落ちたわけですね。体制べったりの作曲家だと。
亀山 そうです。
吉松 それがちょうどさっき話した、六〇年代の前衛の時代に笑いものになっていた時期ですね。ところが、その後、13番「バビ・ヤール」、14番「死者の歌」という問題作を発表し、西洋のショスタコーヴィチに対する見方が変わる。ユダヤ問題や死を題材にすることで「反体制的かつ前衛的な」顔を見せた。これは、ある意味で内側向けには十分やったから今度は外側向けにやる、というバランス感覚のような気もします。
亀山 一つのターニングポイントとしては、やはり一九六〇年ですね。フルシチョフによってむりやり共産党員にさせられるという事件。
吉松 ああ、そうですね。
亀山 やはり共産党員にさせられて、「ああ、彼の音楽は共産党員の音楽だ」とみなされてしまうと、彼がそれまで苦心してきた謎かけが全部、意味をなくしてしまうわけです。だから、あの六〇年が、根本的に彼が変わるきっかけになった。つまり共産党員になったことによって初めて、自分は本気で作曲家として西側に認められようと思いはじめる。
吉松 西側に焦点が合ってきたということですよね。13番以降。
亀山 そう、13番以降ですね。ソヴィエト的メンタリティから自由になる。
吉松 ただ、今の平和な状況で考えても、たとえば僕が、南京問題と朝鮮人問題についてバリトンがソロで歌う交響曲なんて、そんなもの怖くて書けないですよ。どういう感覚だったんでしょうね。
亀山 私の仮説といいましょうか、妄想というか憶測ですと、やはり彼が六〇年に入って共産党員になって、なおかつ結婚しますね。相手が、ユダヤ人の若い女性ということがあってそれが大きかったと思います。彼女に支えられているという思いが、彼にものすごく大きな勇気を与えていたと思います。
作曲家と暗号
亀山 ところで、作曲家には、暗号を好む作家と好まない作家がいるように思えるのですが。
吉松 作曲家には、昔から、割と暗号を好む人がいますね。始めたのはシューマンあたりで、バッハも近いことをやっていますが、ポイントはドイツ語音名なんです。ドレミファが「ABCDEFG」だけの場合、それだけで作れる単語っていうのは限られていますが、ドイツ語音名だと、ミのフラットはエス(Es=S)、シのナチュラルはハー(H)と読める。ここが要です。
亀山 なるほど。
吉松 それがSとHに使える。シューマンとかショスタコーヴィチとかは頭文字が「S」でしょう。自分の頭文字を使うのは非常に便利なんです。これに気づいた作曲家だけが、たぶん暗号にこだわったんじゃないでしょうか。
亀山 非常に面白い仮説ですね。ところで、ショスタコーヴィチ自身のイニシャル「DSCH」の音型にはいろいろバリエーションがありますけれども、作曲家の立場からすると、あれは、「非常に豊かな創造性、可能性を持った音型」というか、それとも「聞きにくい貧しい音型」なのか、どちらだと思います?
吉松 「CH(ド・シ)」という並び自体が半音でしょう? 「DSCH」と、半音でぶつかること自体、調性音楽としてはもうアウトです。というより、それを使うと一瞬にして、「ああ、これ何かの暗号なんだな」ってわかっちゃうから、非常に危険なんですよ。
たとえば、内輪の友人の名前とか、恋人や奥さんの名前を使用するのは可能だけど、もしそこでスターリンとか政治的な名前をやった場合、それを解かれたらもう逃げようがないわけでしょう、証拠になっちゃいますから。だから、そういう高度に政治的な暗号は残してないと思います。
暗号好きな作曲家としてシューマンやエルガーあるいはベルクのような人が居ますが、みんな暗号自体はプライベートな内容です。ショスタコーヴィチもそこから大きく外れてはいないと思いますね。いわゆる反体制詩人的な、刑務所に入れられても反抗して暗号を発信するというような感じは全くしないです。
亀山 ええ、私もしません。やはり権力には弱かったし、逆にその権力からものすごい力をもらっている。印税なんか、当時の労働者が五〇〇ルーブルぐらいしかもらえないところを彼は二万ルーブル以上もらっているわけですからね。スターリン賞なんかもらうと、日本円でもう数千万円単位のお金に近いものをもらっているわけです。ノーベル賞とそう変わらないかもしれない。
吉松 独ソ戦真っ只中のレニングラードで交響曲(第7番)を書いたというのは凄い話ですが、ちゃんと政府が疎開先とか、そこまでの電車とか別荘とかを全部、用意してくれていたそうですね。そういう点では、我々が考える反体制的というのとは、ちょっとイメージが違う気もします。
軋轢から生まれた傑作
亀山 結局、スターリンはショスタコーヴィチを愛していたわけですね。おそらくは、神の子として。ところが、そのスターリンが五三年に死ぬ。そして、新たに登場したフルシチョフには音楽どころか芸術全般に対する関心が全くない、となると、ショスタコーヴィチとしても逆に苦しいわけです。音楽を書くアイデンティティみたいなものが失われてしまうわけですから。
でも、ことによると、それが良かったのかもしれない。つまり逆に権力によって見捨てられたからこそ、フルシチョフ体制末期そしてブレジネフ体制になってから、どんどん音楽が内面化していって、14番みたいな傑作が生まれる。
吉松 ただ、作曲家当人にとって良かったのか悪かったのかというのと、聞き手である我々にとって良かったか悪かったかというのは、大きく違いますよね。
亀山 本人は苦しかった。でも、14番とか15番のような交響曲を書けた彼は、幸せだったんじゃないでしょうか。
吉松 僕は、やっぱり第5番にこだわるんですが、本来はあんな曲を書く筈じゃなかったのに、あの時点で無理やり5番をひねり出したわけでしょう。あの天才的な出来具合、あれはショスタコーヴィチ一人じゃ、できなかったと思うんですよ。
亀山 それはどういう意味で?
吉松 あの曲は、ショスタコーヴィチが芸術家として自分がやりたいことをやってできた、という曲じゃない。悪く言えば、色々な軋轢から生まれた妥協の産物ですよね。
亀山 なるほど。
吉松 ところが、そんな神経質で気弱な妥協の結果、驚くべき強靭で骨太の名曲が生まれた。そういう生まれかたの曲ってちょっとないですよね。個人的にも彼の作品の中で、あれが一番良くできていると思うし。聞くのに一番恥ずかしい曲ではあるんですけど。
亀山 うん。いいですよね。
吉松 カラヤンなんか、もう恥ずかしいから演奏しないって、その気持ちは非常によくわかるんですよ。でも、僕はよく言うんです。「人間、一番恥ずかしいことが、一番気持ちいいことなんだ。気持ちいいことは恥ずかしいんだ」って。
亀山 それを、今日の話の結論にしましょうか(笑)。
(かめやま いくお・ロシア文学)
(よしまつ たかし・作曲家)
『図書』10月号より転載