イギリス革命の通奏低音を聴く(前編)|『イギリス革命と変容する〈宗教〉』
対談 イギリス革命の通奏低音を聴く について
1 装丁がカブった!
岩波書店担当者(以下、「岩波」) 二冊の本を並べてみました。左が、3月6日に法政大学出版局さんから刊行されたばかりの大西晴樹先生の『海洋貿易とイギリス革命』。右は、まだ出来ていないので束見本※ですが、3月26日に岩波書店から刊行される那須敬先生の『イギリス革命の変容する〈宗教〉』です。
※実際の本と同じ紙を使った見本。中は白紙。この対談は三月九日に収録された。
こうして並べてみると、やっぱりちょっと笑ってしまいますね。イギリス革命を扱ったモノグラフが二冊、近いトーンの装丁で、しかもそれが同じ月に刊行される。……こんなこと、あるんだなあと改めて思います。
二冊ともタッチが非常に似た絵を使っていますが、クレジットを見ると違う画家なんですかね。
那須 大西さんの絵はオランダの画家クロード・デ・ヨング※の「ロンドン・ブリッジ」ですね。私の選んだ絵も同時期のオランダ人画家による作品と言われています。
※Claude de Jongh(1600頃-1663)イングランドを旅行したユトレヒト生まれのオランダ人画家。この絵は、1632年頃のロンドン橋を西側(上流)から描いている。
岩波 どなたがチョイスされたんですか?
大西 担当編集者さんのリクエストで、私が探しました。もともとは、ロンドンの地図を使いたかったんです。でも、編集者からノーが出て。
法政大学出版局担当者(以下、「法政」) 地図は、単行本の装丁としては、できれば避けたいですよね。どう使っても、類書と似た感じになりますから……。
大西 だそうで。で、困ったな、と。
私の本は海洋貿易を扱っていますから、とにかく鮮やかな海の風景はないかというリクエストがあったんですね。でも、テムズ川の風景となると、本当にそういう絵は少ない。本とマッチする絵が見つからなくて、探して探してこの絵に突き当たりました。最初はもうちょっとブルーの絵を提案したんですけど、解像度の問題でこちらにしたんです。イギリスのイメージを象徴する、卓越した絵だと思います。
もっといえば、この本のタイトルも、装丁のイメージに導かれたようなところがあります。そもそもタイトルに「海洋貿易」という言葉は入っていなかったんですよ。
法政 大西先生はイギリスのセクト研究がご専門ですから、当初はもっと「宗教」が前面に出たものだったんですよ。でも、それだと類書に埋もれてしまって本の魅力が出ないと思って、違うタイトルをリクエストしていたんです。
大西 「プロテスタンティズム」だと、類書がいっぱいありますからね。もっとパンチの効いたのがないかって言われて。
そこで、この海洋貿易――最初は海上貿易って言っていたんですが――これとイギリス革命というのはいいね、と。その辺のタイトルのひねり出し方はさすがだと思いました。
学術書は編集者との共同作業でできるんだと改めて感じますね。
那須 似た経緯で、私もこの装丁に辿りついたんですね。最初に提案したのは、本文中にも収録した、革命期のあるパンフレットの表紙絵なんですよ。いろいろな主張の人間が「宗教」を引っ張り合うと、宗教全体がひっくり返る、という本書のモチーフを象徴しているので。でも、地味だから駄目って言われて……。
岩波 地味というのもあったんですけれども、宗教の教義や実践を内側から論じるものではなくて、一歩引いた外側から、宗教そのものの前提がひっくり返っていくダイナミズムを描いているので、いかにも宗教感のある装丁はそぐわないと思ったんです。
で、もっとダイナミックに、とお願いをしたら、この、引っくり返ったデザイン案をお送りいただいて。「ここまでやってほしいとは言っていないんだけどな……」と最初は面食らったんですが、いざ並べてみると、おや、ありかもしれない、と。
大西 ひっくり返したっていうのは、すごいよね。
那須 テムズ河南岸のサザークからロンドン全体を眺めたパノラマ画で、ダービーシャーにあるチャッツワース・ハウス所蔵の絵です。でも初めて見たのはロンドン博物館に展示されていた別のバージョンで、一目で気に入りました。それを撮った写真を眺めていて、ふと180度回転させてみて、「これだ!」と思って。不穏な感じで、いいですよね。
政治的・宗教的な混乱を、上下があべこべな世界として表現するのは、イギリス革命期によく使われた手法なんです。「ワールド・ターンド・アップサイド・ダウン」は、イギリスの著名な歴史家クリストファー・ヒルが革命期の宗教を論じた有名な本のタイトルにもなっています。オマージュのつもりで、私も天地をひっくり返してみました。
World Turn’d Upside Down(1647年、Henry E. Huntington Library and Art Gallery所蔵)
さかさまになった風景画を見ていると、頭に血が上るような変な気分になりますけど、しばらく見ていると、不思議な安定感も出てきます。そもそも地球は丸くて、重力はその中心に向かっているわけですから、これでもまあ「正しい」じゃないですか。見方によっては。
最初は驚いたり理不尽に思ったりしても、眺めているうちに、これもまたひとつの現実であると、受け止めざるを得なくなっていく――この本で論じているイギリス革命像と似ているなと思って、提案しました。
大西先生のカバーは、紙の工夫が面白いですね。表面がちょっと波を打っていてかっこいい。「海」のイメージですよね。
法政 特殊な紙を使って、ニス引きで仕上げています。
那須 研究会で見本を頂戴しまして、見事な装丁にびっくりして、帰りの新幹線から編集者にメールを送りました。「すごいかっこいいのが出てきた」と。
大西 あとは、以前若い研究者と話していて気付かされたのですが、学術書は図書館に置かれることを考えないといけないんですよね。カバーを取って、剥き出しで置かれてしまいますから。その状態でも、目を惹くものじゃないといけない。僕の本は、ここも、一ひねりしています。
那須 そこは気を遣いますよね。こちらは、カバーと同じロンドンの絵を背に小さく、ひっくり返さないで、入れています。実は、カバーではデザインの都合で、絵の左右を入れ替えているんです。つまりパノラマが小口側を経由して、裏表紙へとつながるようになっています。本を逆さまに立てて、回転させながら見てもらえるとわかると思います。
大西 やるなあ。
2 セクト研究との出会い
岩波 最初に述べた通り、この二冊の本は、17世紀に起こったイギリス革命史を扱っていますが、さらに「セクト」を対象にしている点でも共通します。「セクト」は、さしあたりは、マジョリティの信仰に属さない「分派」と理解すればよいでしょうか? イギリスで言えば、カトリックにも、あるいはそこから分かれたイギリス国教会にも、さらにはピューリタンにも属さないグループですね。お二人はなぜ、セクトに注目されたのでしょうか。
大西 それは、「自由」とは何か、という話から始まります。
岩波 (――えっ……?)
大西 我々が、国家神道から解放されて自由というものを手にしたのは敗戦後です。その時に、我々の先達たちは、マックス・ヴェーバーや、宗教改革研究で名高いエルンスト・トレルチの研究を読んでいました。橋川文三さんのような、当時日本思想史を研究している人も読んでいたようです。おそらく、西洋にあって日本にないものへの憧れがあったのでしょうね。
この二人が問題にしていたのが、「信教の自由」でした。その担い手として、セクトに注目し、高く評価した。国家と癒着した宗教的権威である教会(チャーチ)と、自由の源泉である「セクト」の二項対立の図式を描いたのです。
革命当時も、教会は公的な存在で、みな生まれながらにそこに所属しているという感覚です。日本で言えば神社神道が、日本人全員が氏子だということを言いますが、似た感覚かもしれません。それに対してセクトは、自分たちが選ばれていると思っている人たちが、自発的に教会を形成する。
つまり、ここに自由の契機があるわけですよね。自分たちが集まって、教会を形成することに自由があるのだ、と。その変化が、宗教史的にも、政治史的にも顕著だったのが、イギリスのピューリタン革命期なのですね。
しかし、ヴェーバーにせよトレルチにせよ、セクトそのものの内側に分け入って、その組織的な違いを論じたりすることはなかった。
那須 「イズム(ピューリタニズム)」論になって、そこで完結してしまう。
大西 そうですね。たとえば、セクトには、16世紀大陸ヨーロッパで拡がった再洗礼派(アナバプテスト)という人たちがいました。
彼らは、自分たちの信仰の純粋性を強調して、簡単に言えば、「この世の支配者はすべて悪である」と主張しました。それで、税金も兵役も拒否する。これなんかは「自由」としては、分かりやすいのですが、その帰結はどうなるか、中世のカトリックの修道院と同様に、この世から離れる方向(「世俗外的禁欲」)に向かいます。現在でも、再洗礼派の信仰的末裔である北米のアーミッシュは、いまなお世俗の生活を忌避して、コミュニティを形成していますよね。
ところが、カルヴァン主義の影響を受けた17世紀イギリスのセクトからは、同じように幼児洗礼を拒否し、成人の自由意思による洗礼に基づきながら、同時に社会内で教会を形成するグループが出てくるんです。単なる「イズム」を超えて、社会形成の原動力になっていく。それが言ってみれば、人権思想や、自由主義、あるいは民主主義というものが、社会的な制度として形成されていった過程に関係しているのではないかと。
ですから、ヴェーバーの構図を引き継ぎながら、イギリス史の中から「自由」が登場する経緯を歴史的に検証してみたいな、というところから、セクト研究を始めました。もう40年前のことですね。
那須 私は世代が異なるので、出発点となる問題意識も違います。私が研究をはじめた頃は、ヴェーバー的な関心からセクトを論じる傾向は弱まっていて、社会史研究の時代が来ていました。民衆文化や表象を扱う研究もいろいろ出てきていました。
くわえて、現代のキリスト教の置かれた状況についての関心もありました。
僕自身、教会育ちだったこともあって思うのですが、自発的に信仰を選んだ人たちが集まっている、という点において、現代社会のキリスト教会は、すべてセクトだと思うのです。いまや、国民全体がその教会の構成員であるような、国家や社会そのものと一体化した「チャーチ」は、存在しないですよね。じっさいイギリスでも、自分をイギリス国教会のメンバーだと主張する人は、人口の半数以下になってしまった。
そういう状況では、何らかの信仰を選択することは、それがどんな教会であれ、全体から見ればマイノリティになるということを意味するわけです。宗教的なマイノリティであるということと、同時に社会の構成員たる「公衆」の一部であるということのあいだに発生する葛藤というか、緊張感みたいなものに、私はずっと関心がありました。
その後大学生のときに、再洗礼派の歴史を知りました。宗教改革の時代に、あえて大多数が所属する体制教会に所属せずに、小さな集団に入っていく人々に強く惹かれたんです。
ただ、私はセクトに、大西先生がおっしゃったような、近代社会を形作る鍵を求めるのではなく、そのセクトを排斥しようとした側の論理に関心をもったんです。
大西 だから迫害する側の資料ばかり読んでいるんだね(笑)。どうしてなんですか。
那須 オウム真理教事件(1995年)の影響もあったと思います。あの事件の直後、テレビに宗教学の専門家たちが大勢出てきて評論したり、雑誌が新興宗教特集をやったりしましたよね。「カルトのカタログ」のような解説本も出て、表面的な情報が溢れました。これは、あとでお話しできると思うんですけど、再洗礼派が現れた革命期イギリスでも見られた現象なんですよね。
つまり、宗教的マイノリティの出現がどのような社会を作ったかという大西先生の問いとは逆で、マイノリティに対する社会の反応から、当時の歴史世界が見えてくるのではないか、と考えたんです。それで、セクトそのものの研究ではなく、セクトに向けられたまなざしのかたちである「異端学」の研究を始めました。チャーチ側は、どのようなロジックでセクトを「異端」と論じたのか、という問題です。
そもそも「異端」って、かなり攻撃的なラベルですよね。同じ17世紀でも、国が違えば魔女狩りや異端審問にかけられて焼かれてしまう可能性もある。イングランドの人々はどういうつもりでこの言葉を使って、それによって何が達成できると思っていたのだろうということに関心を持って、研究に入ったという感じです。
~~後編につづく~~