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佐藤正午 月の満ち欠け

僕を泣かせてください。<佐藤正午 月の満ち欠け>

僕を泣かせてください。

岩波書店 編集局 坂本政謙


 1999年4月28日――この日、私は佐世保で佐藤正午さんにはじめてお会いし、書き下ろしの小説をお願いしました。それから18年。この4月に『月の満ち欠け』が刊行されるまでに、18年の歳月を要しました。
 物語の冒頭、プロローグにあたる「午前11時」と「1」の第一稿がメールで私の手許に届いたのは、2015年7月7日のことです。どのような小説にするか、その方針や物語の展開、登場人物たちの設定や背景、ロケーションなどについては執筆開始まえから何度も話し合ってきましたが、実際に書き上げられた原稿を目にするのは、そのときがはじめてでした。奇しくも七夕の日、ずっとずっと待ち続けたその書き出しにふれ、直感的に「イケる!」と私は思いました。
 以降、ほぼひと月ごとに、書き上げた草稿の区切りのいいところまでを送っていただき、読み進めながら情報や資料を収集し、感想を伝え、執筆に伴走してきました。
 そして16年11月10日――「ちょっと自信がないんだけど、これで終わっていると思うんだ。どうだろう? 読んでみてくれないかな」と正午さんに電話で告げられ、終盤の「12」「午後一時」「13」が届きます。
 終わっていました。確かに、物語は終わっていました。社のデスクで打ち出した原稿をまえに、私はしばらく顔をあげることができませんでした。いいオトナが不覚にも、といってしまえばそれまでですが、目頭が熱くなったのは物語の結末に打たれたからだったのか、ずっと待ち続けてきたこの日を思っての感懐からだったのか、それはもう憶えていません。ただ、本作の最後にふれ、プロローグに感じた手応えが確信に変わったのは確かです。
 なにが確信をもたらしたのか。それは『月の満ち欠け』がこれまでの佐藤正午作品と明らかに異なっていたからです。正午さんは、「以前と変わらず、おなじように書いただけ」といいますが。
 では、なにが違うと思うのか。もっとも決定的なのは最終章「13」です。登場人物が泣いたり叫んだり、ドラマチックというか、粟立つようなこの幕切れは、これまでの佐藤作品にはない、といっていいでしょう。ある種の断念と静謐な余韻を残す傾向が強かったエンディングからの、本作でのこの転換は、現在の正午さんだからこそ、と思うのです。18年まえの正午さんなら、事事しいとも受けとめられかねないこのラストを、「佐藤正午らしくないね」と評した可能性は大いにある。当惑する主人公を置き去りしたまま、前章の「午後1時」で物語は終わっていたかもしれません。
 本作の執筆開始まえ、正午さんにいくつかお願いをしました。そのなかのひとつは、「僕を泣かせてください」というものでした。これまでの佐藤作品とは異なるにもかかわらず、その色彩を失うことなく仕上げられた本作のラストシーンが、18年まえの約束と、私のこのリクエストに応えるものであったのはまちがいありません。直木賞受賞が、それを証明してくれています。編集者が感じた手応えと確信を信じていただいて、多くの方に、この、2時間に凝縮された30数年におよぶ数奇な愛の軌跡を堪能していただけたなら、嬉しく思います。
 
(初出:トーハン「新刊ニュース」2017年10月号)

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