スージー・リー『せん』を語る
お子さんたちが幼かったころ、思い思いに本を読んだり、本で遊んでいるようすを眺めるのが好きだったという韓国の絵本作家スージー・リーさん。紙がバラバラにならないように真ん中で綴じられてできている本の、「ノド」の部分に注目し、それをおはなしに使ったらどうかと思いつきます。そうして生まれた絵本『MIRROR』『なみ』『かげ』は、世界中で大きな反響をよびました。いずれも本のノドが、現実と想像の世界の境界線になっていて、その境界を自由に行き来する主人公の子どもの姿が生き生きと描かれています。
その後も自由な発想の絵本で人気を博している絵本作家が、8年ぶりに来日し、講演とワークショップを行いました。さて、新作 絵本『せん』をめぐっては、どんなアイディアが語られたのでしょうか。
日本女子大学特別重点化資金企画講演 会「スージー・リー 新作絵本『せん』を語る」 2019年2月10日 より
スージー・リーさん(左)と通訳の前沢明枝さん
カバーを広げてみると……みなさんお気づきのとおり、私はずっと同じアイディアを使い続けています。異なる世界が重なり合う、混じり合っているところを描いているのです。主人公たちは、その重なり合っている部分のボ ーダーラインをしょっちゅう越えています。この『せん』の表紙の女の子もちょうどそのボーダーラインを越えたところですね。 『せん』カバー ボーダーラインの左側は、ちょっとザラッとした紙でできていますけれども、右のほうはUVコートのしてあるつるりとした紙でできています。 で、そのつるりとした紙のところで女の子が滑っていますから、これは氷を表していることがわかると思います。ところが真ん中のところには鉛筆があります。で、これはスケートについての本なのか、それとも絵を描くということについての本なのか、いろいろな情報をカバーから読み取ることができます。
スケートのアイディアはどこから?
スケートの絵本は、ずっと描きたいと思っていたんです。 なぜかというと、まず私はスケートが好きだから。子どものころのとても楽しんだ思い出があります。 それから二つめは、子どもを連れてスケートに行ったときに、 滑った跡にできる線が、すばらしいドローイングのように思えたから。もしもスケートの本を作ることになったら、それは、このすてきな線の本にもなるんじゃないかなと思いました。 それともう一つ。じつはある絵を見てから、いつか自分もスケートの本を描きたいなと思っていたんです。それは「ドゥッディングストン湖でスケートをするロバート・ウォー カー師」という絵で、スコットランド・ナショナルギャラリーにあります。1795年にヘンリー・レイバーンという人が描いたものです。 私はこの絵をとても気に入っていたのですが 、あるとき、デイビッド・ホックニーがこの絵についてエッセイを書いているのを見つけました。 それにはこんなことが書いてありました。 画家のレイバーンは、スケートの刃で氷の上にできた傷まで、ちゃんと描いている。ところでこれは油絵なのだが、何年もあとに、絵のテクスチャーの部分に、乾燥による傷というか割れ目ができてしまった。そういう状態の絵をナショナルギャラリーが撮影して、ポスターとか絵はがきを作った。デイビッド・ホックニーはそのポスターを買ったんだそうです。ギャラリーの人はそれを丸めて筒状のものに入れて、アメリカへ送ってく れたのですが、ホックニーの手元に届いたときには、ポスターの表面にも途中でついた傷があった 。それを見て彼は最初、ああ、台無しじゃないかと思った。でも、壁に貼ったときに、ふと気がついたんですね。異なる段階の傷がいっしょに見えるということに。傷が加えられていったのだと。 それでとても気に入った絵になったのだというのです。 芸術家ってこういうところを面白がるのが面白いですよね。三層にわたってできた傷があって、目は三回違う傷を見ているわけですね。ちょっと引いてみると、べつの見かたができるわけです。
スケートの楽しい思い出
最初の見返しを開けると、紙があって、右端に鉛筆と消しゴムがあります。で、次のページを開けると、鉛筆で描いた線があって、それが次のページへとつながっていきます。赤い帽子をかぶった女の子へとこの線が続いてきます。 私はいま韓国に住んでいるのですが、以前シンガポールに6年住んでいました。シンガポールは住むのにとてもよいところなのですが、一つだけ問題がありました。季節です。シンガポールの友人がかつて私に「シンガポールには季節が二つしかないのよ」といいました。どんな季節か、おわかりですか? 答えは、暑い時期と、もっと暑い時期の二つです。 私は本当に四季が、とくに冬が恋しくなりました。子どもたちはシンガポールで生まれたので、冬に韓国に帰ると、雪や氷を見て大喜びしました。それで、よくスケートリンクに子どもたちを連れていきました。子どもたちはスケートが大好きで、何度も何度も円を描いていました。私はスケートが得意というわけではありませんが、本当に久しぶりだったのにもかからわらず、身体はちゃんと氷の上で滑るということを覚えていました 。 子どものころ、私は都市と田舎の境界のようなところに住んでいました。近くには田んぼがあって、冬になるとだれかが水を張ってくれて、とてもすてきなスケートリンクになりました。私はだれよりも真っ先に自分のスケートの跡をつけたくて、いつも早起きをして出かけました。早朝の静けさを感じることができました。時間が経つと、だんだん混んでくるのですが、ここに滑りに来る人たちは、みんなすぐに友だちになりました。 初めてスケートを習ったのは父からです。でも本当に滑る楽しさを覚えたのは、こういう仲間たち からだったという気がします。前に進むことさえできれば、友だちと遊ぶことができました。
線という表現
この本を作るときには、YouTubeでキム・ヨ ナのスケートを何度も何度もみて、その姿をたくさんたくさんスケッチしました。その中からどの 絵を使うか選ぶのには、とても苦労しました。どの動きも本当に美しいので、できることなら全部使いたかったくらいです。でもスケートの教科書を作るわけではないので、その中からほんの少しだけ選びました。
私はこの絵本を描くときに、子どものころにひとりで氷の上を滑っていたときの感覚をよみがえらせたいと思いました。ネット上で見つけたスケートの写真も参考にしまし た。氷に傷をつけるときの、削るような音が聞こえてくる、滑った跡。線を、たくさんたくさん描きました。 これはソール・スタインバーグの絵です。この人はルーマニア系アメリカ人で、漫画家でありイラストレーターでもあって、文芸誌『ザ・ニューヨーカー』のイラストで有名です。子どものころから持っている彼の本は、私にとってはバイブルのような本です。
非常にシンプルな絵の中にも、二つの世界があるのを見て取れますでしょうか。線にはちゃんと色というか、あるいは主張というか、そういうものがあって、例えばこの絵を見ると、このお父さんはこの子にとってはあまりいい親ではなさそうだなということが分かります。 これはウィリアム・ワンドリスカの『Long Piece of String(長い線)』というABCの本です。
この本の見返しを見たときに 、私は息子が2歳のとき描いた絵を思い出しました。あまり変わらないんですよね。私は子どもが描く線が好きです。怖いもの知らずで、悩みもなく引かれていて、その瞬間瞬間の状態が表われていると思います。子どもたちは、その瞬間を線にのせている。
うまくいくとはかぎらない
『せん』にもどりましょう。いろんなスケー トの動き楽しんでいる彼女は、いよいよジャンプに挑みます。頑張って跳んだけれど、着地に失敗してしまいます。そして、次のページには、とつぜんクシャクシャになった紙が現れます。 読者は丸められた紙がいきなり出てくるので、いったいこれはどこから来たの? 何なの? とびっくりするかもしれません。 スタインバーグの絵に、描いている人が自分の描いた顔の上に×を描いているものがあります。自分で自分に×をしているという絵です。『せん』のこの場面は、同じような発想による絵です。 絵を描いている人を描いている人が描いている絵です。こんなふうに自分で自分を描くということをやっていると、必ず出発地点に戻ってくる 。エッシャーの自分の手を描いている有名な絵を思い出します。 それから、クロケット・ジョンソンの『はろるどとむらさきのくれよん』 。それからアンソニー・ブラウンの 『くまさんのまほうのえんぴつ』。それから最近のものだと、アーロン・ベッカーの『ジャーニー』ですね。 同じようなコンセプトの本なのですが、何でもまず描いてしまえばそれが現実になるわけです。 この絵を見た瞬間、たぶん見ている方は、これは何だろうと、ちょっと一瞬現実に引き戻される感じになると思います。それは今まで私たちが楽しんできた世界が描かれていた紙で、楽しんできていた世界はただのイリュージョンに過ぎなかったということを知らされるからです。ただ面白いのは、このクシャクシャと丸められたこの紙も、また描かれたものだということです。 一つ身体を外に置いて見ると、自分がそれまで見ていたものがまた別のものに見えてきます。デイビッド・ウィズナーの有名な『3びきのぶたたち』では、絵本の中のページを使って紙飛行機を折るという展開があるのですが、この紙飛行機が墜落してしまいます。こういうページを見ると、常に紙に向かい合っている絵本作家は、とても興味を惹かれます。多分デイビッド・ウィズナーも同じような感覚を持っているのではないでしょうか。これを見た時に、ここまで読んできた読者は、すべてがイリュージョンだったのかなと考えさせられるわけです。 『せん』のクシャクシャになった紙というのは、同時にこの女の子の気持ちを表現しているというふうに読み取ることもできます。これまで一生懸命元気に作ってきた、自分で作ってきた線を一度消してしまったわけです。毎日の生活の中で私たちは、何らかの目標を達成しようと思って生きています。非常に野心的な目標のこともあれば、まあちょっとした目標だったりもするわけですけれども、それを達成するために一生懸命やっています。ところが、実際にこれだけはしっかりやろうとか、絶対頑張ってやろうとか思えば思うほど、ちょっとしたミスや失敗をしてしまうことがよくあります。
だれかが、何かが元気にしてくれる
この子はうまく跳ぼうと思ったのに失敗してしまった。さて、じゃあどうしたらいいのか。そこへ左の方から男の子が滑りこんできます。そこのシーンにどんどんと別の友だちが滑りこんできます。
みんなとてもぶざまな格好をしたりしていますが、とても楽しそうです。 この『せん』という絵本をとりあげたアメリカのある書評に、「だれかがきっかけをつくる。そうするととつぜん、みんないっしょにスケートを滑り出す」とありました。女の子は失敗をしてしまいました。それからこの絵を描いていた画家も、絵を失敗してしまった。でも、こんなふうにして人々は学んでいくものなのです。仲間がいるほうが、何か失敗があったときも均衡を保ちやすいものなのです。 みなさんのまわりにも、家族とか友だちとか、だれかしらいると思います。ある読者は、この女の子のまわりにいるのは私の読者なのではないか、といってくれました。そのコメントに、力をもらいました。失敗して落ちこんだときには、だれか、あるいは何か元気にしてくれる存在が必要です。 ちょっと変わった『All Messed up』という本を見つけました。そのなかに載っている絵のひとつなのですが、完璧に見えますけれども、じつは誤植があります。“We never make mistaks”――私たちは決してまつがえない。(こちらのブログで紹介さ れています。)
私もよくeを落としてしまうのですが、よく見るとこれ全部ボールペンでしっかりと塗りつぶしてあるんですね、まわりが。これを作るのにどれだけこの画家さんは時間を使 ったことでしょうね。こういうふうに元気をもらえば、肩の力を抜いて、そしてまた自分の仕事に戻ることができます。こういった間違いというのは、思いも寄らない方向に発展していくことがあ ります。 最後の場面です。 いかがでしょう。『せん』は、絵を描くということについても伝えているし、そのさまざまなプロセスについても伝えている絵本になっていると思います。それから、失敗とか偶然ということについて、それから、励まし合うこととか、人と関わり合うことについても表現されていると思います。
これが最後の見返しですね。子どもたちは、どこに行ってしまったのでしょうか。もうみんな、おうちに帰ってしまいました。絵もできあがりました。私の話も終わりです。ありがとうございました。 (通訳 前沢 明枝)
講演会後のワークショップの様子は こちら ↓