佐伯一麦 いまこそアスベスト禍への想像力を〈岩波現代文庫〉
2005年の6月にクボタが、「尼崎市の旧神崎工場で働いていた従業員ら78人が、アスベストが原因のがん、中皮腫などで死亡していた」と発表し、さらに、近隣住民にも中皮腫の患者がいることも公表した、いわゆるクボタショックから15年が経ちました。
当時私は、作家になる前と、作家になってからは二足の草鞋を履いていた電気工としての労働でアスベストに曝露した後遺症と付き合いながら、仙台で執筆生活を送っていました。もう吸ってしまったものは仕方がないのだから、という思いでいたところに起こったクボタショックによって、私は泣き寝入りすることなく、アスベスト禍と向き合うことを覚悟させられ、除去工事の過酷な現場の取材も体験し、2年をかけて本書の単行本を書き上げました。
それから13年が経ち、その間には、東日本大震災と原発事故がありました。そしていま、私たちは新型コロナ禍という災厄に遭遇しています。放射能やウイルスなど、アスベスト同様に目に見えないものへの恐怖や、高度成長期の死角のようなアスベスト被害に対する想像力は、いまこそ一般の市民にも共有されやすくなっている、と言えるかもしれません。
本書への武田砂鉄氏の解説にある、アスベスト禍に遭ったことを〈自業自得だ、と、自業自得ではない、に分けてはいけないと思う〉〈「禍」は、ただ発生するのではなく、発生させる主体がある。そして、「禍」を放置する主体がある。同じことが繰り返される〉という指摘は、この13年の間に私が痛感してきた思いを言い当ててくれました。
そのような中で再刊される本書によって、いまなおアスベスト禍に苦しんでいる労働者や工場の周辺住民たちは、かつてマスクも与えられずに、目に見えないリスクに長い間さらされ続けていた、ということに想像を及ぼしてもらえたら、と願っています。
(さえきかずみ/作家)