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コロナ禍の東京を駆ける

3『コロナ禍の東京を駆ける』登場人物たちのその後(小林美穂子)〈コロナ禍の東京を駆ける〉

3 『コロナ禍の東京を駆ける』登場人物たちのその後

小林美穂子

 
 生きていくのは大変だ
 高校生の頃、「人はどうして生きるのか」という根元的な問いにいきなりぶち当たってしまった。
成績が悪く、集団の中でも浮きがちな自分に今後何か素晴らしいことが起き得るとは想像しづらかった。「事実は小説より奇なり」なんていうけれど、平均的な人の一生なんて、突出した何かを持たない限りおおむね平凡だ。そして、私は小学校で初めてもらった通知表1(優)、2(中)、3(劣)の判定の中で、すべての教科でオール2の「平凡」の太鼓判を押されたような子どもだった。
 平凡ならまだ良い。理不尽づくしの辛いばかりの人生だったらどうしよう。そこで考えたのだ、人はなぜ生きるのかと。どんなに辛いことがあっても、人は生き続ける。それはなぜなのかと。
 野暮ったいセーラー服姿で、学校をさぼって一人過ごす寂れた神社のご神木の下で、葉の隙間から空を見上げていた17歳の私は、52になった今も生きている。それも貪欲に。
 どうしてそんなことを思い出しているかといえば、コロナ禍で出会った若者たちのことが常に頭にあるからだ。
 
 「こんな自分でも、ふつうの生活ができるようになるのでしょうか」
 「消えたい。心臓が動き続けるのが許せない」
 「サイレース〔睡眠導入剤〕を200錠くらい欲しい。1か月に5日間くらい起きてればいい」
 
 連載最後となる今回は、4月から続くコロナ禍の緊急支援で出会い、家も所持金もない状態から生活保護を利用してアパート入居を果たした人たちのその後、そして課題を書きたい。アパートはゴール? いいえ。アパートはスタートラインでしかないということを。
 
 関係がつづくケース、切れるケース
 これまで取材で聞かれても「数えていない」と答えられなかった「4月から私が支援した人の数」だが、今更ながら手帳を繰りながら数えてみた。
 SOSを受けての緊急支援に駆けつけ、とりあえずの宿泊費や食費を渡した人数が12月までで約50人、生活保護を希望して福祉事務所の同行支援をした件数が27人。そのうち無事にアパートに入居したのは24人前後。
 生活保護を望まなかった人たちは、次の仕事までのつなぎとして緊急支援金を使った。その後、仕事のあてが外れて生活保護の申請同行をした方もいた。
 同行支援をしたのは27人だが、申請時からアパートに入居するまでの間に、一人につき平均で3回、福祉事務所によっては5回以上同行しなくてはならず、身分証や口座開設など、各種手続きの手伝いや、アパート探し、家具家電の調達などで、一人の当事者とは何度も何度も顔を合わせ、併走しながら生活再建を目指す。
 中にはその過程で振り切っていなくなってしまった人も一人いたし、アパートの初期費用が支給される日に同行しなかったばかりに、「全額落としました」というメールが入り、それきり連絡が途絶えた人もいて悔いが残る。
 アパート転居後は着々と生活再建をし、できあがったマイナンバーカードの「写真にショックを受けました」なんてメールをくださったり、私たちの身体をいたわってくれたりして、支援者と被支援者を超えて対等な関係に近づいていく嬉しいケースもいくつかはある。
 律儀にもわざわざお礼に見えた方もいらしたし、ほとんどお手伝いする必要もなかった自立した男性は今ではご近所さん。「たまには顔出しますよ」なんてお元気な声をかけてくれる。
 
 私たちを悩ませる「連絡がつかない若者たち」
 私たちは、コロナ禍の緊急支援を始めた当初、「ネットカフェ生活者は住まいさえサポートすれば、あとは自力でやっていける人たちだ。これまでもネットカフェで暮らしながら働いていたのだから」そう思っていた。しかしそれが間違いであったことが、次第に明らかになる。
 アパートに入ったはいいが家賃を引き落とすための銀行口座を作れない若者や、金銭管理が苦手で生活保護の支給額で生活ができない人、お金を落としてしまう人、精神状態が不安定で苦しむ人……いろんな課題が見えてきたが、何しろ一番困るのは連絡が取れなくなってしまう人たちだ。これは特に二十代の若者に多くみられる傾向で、電話、LINE、Messenger、ショートメール、メールなど、そのすべてを使っても返信が来ない。どうしても必要な連絡が取れないのだ。アパートの保証会社からの電話にも出てくれないから、審査が通らない。生活保護の利用はできても、その先へ進めない。
 「できます!」と元気に答えていたのでやり方だけを教えて、「分からなかったら手伝うから言ってね」と別れてから数か月して、電力会社や水道局から料金未払いの知らせが相次ぎ、果てには家賃保証会社から「家賃未払いが続くので裁判の準備に入りました」などという電話が緊急連絡先の私に入って仰天するなんていうことが数件あった。
初期段階であれば電話一つで解決するようなトラブルでも、こじれたあとでは厄介だ。
 どうして連絡をくれないのだろう。そして、こちらから連絡をしても、シャッターでも閉めたように無反応なのはなぜなのだろう。彼は、彼女は、一体どうしたいんだろう? 分からなくて、私たちは頭を抱え続けている。

 多くの人はこんな若者たちに呆れ、「甘えだ!」と怒ってしまうかもしれない。私自身、いろんな人に「何で怒らないの?」と聞かれるが、その答えは簡単。
 「甘えんな!」と怒ったところで何の解決にもならないからだ。それですべてが解決するのならいくらでも怒るのだが、結果は火を見るより明らか。相手は殻を閉ざし、ますます事態を悪化させてしまうだろう。しかも今度は助けを求めなくなる。
 私たちは別に優しいわけではない。怒っても意味がない。だからしない。それだけ。
 若者たちの「連絡しない問題」の理由は、私たちにはまだ分からない。依存症とか発達障害、精神的疾患などの医学的理由かもしれないし、ただ単に生活習慣や、ネットの普及とともに対人作法が変化したせいかもしれない。もしかしたら、なにか新しい名前がつくような現象なのかもしれないし、成育過程での文化的背景が関係するのかもしれないが、現段階では分からないとしか言えない。
 
 生活困窮する若者たちの背景
 そもそも彼らはなぜ、家を失くし、働きながらネットカフェで生活をしていたのか。
 失職して住まいもないなら実家に帰ればいいのに、と思われるだろう。
 しかし、私が出会った人たちで、困ったら戻れる場所がある人はほぼ皆無だった。虐待やネグレクトがあったり、不仲だったり、関係が良好であっても親も生活保護基準をはるかに下回る経済状況だったり、中には、親きょうだいがどこにいるのかも分からなくなってしまった若者も複数人いる。
 子どもの頃から家族からの愛情も学校教育もろくに受けずに育っていたら、それなりに深い傷が心に残る。その後、地面を這うように必死に生きる中で、日常的に差別や危険にさらされ、傷や不信感は更に深くなる。どこに行っても居場所はない。
 自分を傷付けた親から離れたところでハッピーエンドになどならない。自分を責め、トラウマに苦しむ日々は何年も何年も延々と続く。
 「マジ、ウザいんだけど」
 「キモイ」
 「オレ、昔、ヤクザんとこで働いてたから」
 彼らがどんなに強がっても、私には大人の体の中に閉じ込められた子どものままの彼らが泣きじゃくっているようにしか見えなくて悲しい。どんな言葉をかければいいのか、分からなくなる。私は、彼らが親から受けるべきだったものや、失われた時間を提供することはできないから。心に空いた大きな大きな穴を埋めてあげることはできないから。
 
 私たちは、社会は彼らになにをすべきか
 では、私たちは同じ社会に生きる者として、何ができるだろう。
 人を殺してしまうほど追い詰める「自己責任」という言葉を疑うこと。そのために知ること。自分の物差しを脇に置いて、他者のこれまでに想像力を働かせること。人間の命や価値を「生産性」などという浅薄な言葉で語らぬこと。孤立している人を更に孤立させないこと。
 
 一人ひとりができることは実はたくさんある。自分のことで精いっぱいな中、他者にまで心を配るのは大変かもしれない。でも、辛そうにしている人に「大丈夫ですか?」と声をかけるところから。その勇気がなければ、誰かに託すという手もある。とにかく、存在を無視しない。些細に見えるそんな行為が広がれば、淀みは晴れていくものだと思う。
 そして、そんな社会はあなたにとっても快適なのだと私は確信している。
 
 ここで詳しくは紹介できないが、若き日の私が自分にとっての生きる理由を見つけたように、今を苦しむ若者達もいつか見つけて欲しい。見つからないとしても、淡々と生き抜いて欲しい。そして、いつか、ほんのちょっとでも嬉しいとか楽しいとか思う瞬間があって欲しい。そんなことを、若年層の死因第一位が「自殺」というこの国で、毎日祈るように願っている。
 

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