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THIS ONE SUMMER

THIS ONE SUMMER 訳者あとがき(三辺律子)

ディス・ワン・サマー

訳者あとがき

 さんざん遊んだ心地よい疲れに包まれて、つい自分のベッドではないところで眠ってしまう。すると、だれかが――そう、信頼できるだれかがだっこして、ベッドまで連れていってくれる。半分夢の中でうとうとしながら運ばれていくときの安心感、朝、ベッドで目覚めたときの不思議な気持ち……。

 どこか懐かしさをかきたてる、そんな回想シーンから物語は幕を開ける。主人公のローズは思春期に差しかかっている。夏を過ごす湖の別荘は、父親にベッドに運んでもらっていた幼いころから毎年訪れているけれど、今年はなぜか、いろいろな風景が少しずつちがって見える。一歳半年下の友だちウィンディは、去年までいっしょに砂のお城を作っていたのに、急に幼く見えるようになって、たまにいらいらしてしまう。かと思えば、近所に一軒しかない食料雑貨店で働いている青年ダンクが気になってしかたがない。おそらく五歳以上は離れている彼を目で追いかけるうちに、それまではあまり注意を向けてこなかった地元の若者たちの生活も視界に入ってくる。また、両親のあいだがぎくしゃくしているらしいことにも、ローズは気づいている。母親がずっと赤ん坊をほしがっていたことを知っているローズは、複雑な気持ちを抱かずにはいられない。

 イラストレーターのジリアン・タマキは、カナダのオタワで生まれ、カルガリーで育った。学校には、ほかにアジア圏にルーツを持つ子どもはいなかったという。早くからコミックに関心を持ち、フェミニズムをテーマとした作品を多数発表している。一方の、作家マリコ・タマキは多文化が共生するトロント育ちだ。父親は日系三世で、自身のルーツに関心があるからこそ、作品には必ず「非白人」を登場させると言っている。

 ふたりはいとこ同士で、『THIS ONE SUMMER』は二度目の共作となる。初の共作となる『GIRL』では16歳のキンバリーを主人公に、キンバリーの女性教師へのあこがれ、ゲイの同級生の自殺、親の離婚や失恋などを描き、思春期のただ中の少女のうつうつとした心の動きを繊細に追っている。

 この繊細な描写に、本作ではさらに磨きがかかっている。恋への憧れ、性的なものへの嫌悪感と関心、母親への反発、大人たちへの冷めた視線など、定型の言葉でまとめてしまうとこぼれ落ちる曰く言い難いものを、ジリアンの絵とマリコのストーリーがすくいあげる。ホラー映画を無理して観たり、結婚相手を占う他愛ないゲームに一喜一憂したり、大人たちが子どもにはわからないと思って話している内容にいらついたり、両親のセックスを示唆するものへ過剰な反発を覚えたりといった、数々のシーン。母親と叔母が話しているのをカメラで撮ったあとの後ろ姿や、ウィンディの母親にうしろから抱きつかれたときの表情、思い切ってダンクにジェニーのことを話そうとするときの手の動き(中略)などのイラスト。それらには、言葉では説明できない思春期のありようが宿っている。

 さらに心惹かれるのは、語り手であるローズが語っている以上のものが描かれていることだ。流産した母親の苦しみ、それを思いやっているはずの父親とのすれ違い、「生理がくる前に妊娠した」と平気でしゃべる若者たちの無知、ダンクに「医学部」へいってほしいと夢見るローズの無神経な無邪気さ、アミューズメントパーク化した先住民の「歴史村」で働くジェニーの境遇。簡単に言語化しないことで、読者は捕えようのない複雑な自分の感情と向き合うことになる。

 本書が2015年にコールデコット賞のオナーに輝いたとき、驚いたのを覚えている。19世紀イギリスの絵本画家ランドルフ・J・コールデコットにちなんだこの賞は、もっともすぐれた絵本作品の画家に対して贈られてきた。グラフィック・ノベルとしては初の快挙だ。同年に、米国図書館協会がすぐれたヤングアダルト作品に贈るマイケル・L・プリンツ賞のオナーにも選ばれている。

 これを皮切りに、児童書の文学賞にもグラフィック・ノベルが顔を出すようになる。2020年には『New Kid』(Jerry Craft)が、アメリカの児童文学に贈られる賞としては最も権威あるニューベリー賞を受賞している。2021年のマイケル・L・プリンツ賞にも『Dragon Hoops』(Gene Luen Yang&Lark Pien)がオナーとして名を連ねている。大人の文学でも、ニック・ドルナソの『サブリナ』がグラフィック・ノベルとして初のブッカー賞候補に選ばれたのは、記憶に新しい。

 現在では、漫画(コミック)の“文学的価値”を疑う読者はいないだろう。言葉にしえないものをストーリーとイラストで伝えるグラフィック・ノベルは、感覚的に物事をとらえるのに長(た)けていると言われる現代の読者と親和性が高い。善/悪、正しい/間違っているといった単純な二元論で語れない現代社会において、これからもますます目の離せない分野だ。

 最後に、タマキさんの意向で変更を加えた箇所があることを言い添えておく。質問に快く答えてくださったタマキさんと、お世話になった編集者の三輪侑紀子さんに心からの感謝を!

三辺律子

(2021年7月)

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