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『ケルト人の夢』刊行記念対談 野谷文昭×ヤマザキマリ (全3回)

世界市民、ロジャー・ケイスメント  野谷文昭×ヤマザキマリ (第1回)|『ケルト人の夢』

 

野谷(N): このたびめでたく刊行となった『ケルト人の夢』の翻訳者、野谷文昭です。今日は、漫画家、エッセイストであり、最近はたいへん幅広い領域でご活躍されているヤマザキマリさんをお招きしての対談が実現しました。

 ヤマザキさんとの対談は三度目になりますが、今回お願いしたのは、本書を訳していて「世界市民」という言葉に出くわし、ヤマザキさんのことが思い浮かんだからです。主人公のロジャー・ケイスメントはアイルランドの代表的詩人イェイツから本物の世界市民だと言われました。人種や国籍に囚われずに他者と接する姿勢がヤマザキさんと共通すると思ったんですね。『テルマエ・ロマエ』をはじめ、手掛けられた作品からもそのことが窺えます。しかも、アマゾン先住民を密着取材したテレビディレクターと仲がいい。国境もジャンルも時間も越える活動ぶりには憧れてしまうくらいです。

ヤマザキ(Y): よろしくお願いいたします。もともと野谷先生とは、最初に「ユリイカ」でガルシア=マルケスをテーマに長い対談したのをきっかけに、その後もラテンアメリカ文学について名古屋外国語大学でお話しして、文学に限らず、ボランティアに行ったキューバの話だったり、いろいろと振れ幅の広い話に進展しながら南米の話に花が咲く機会がありました。

 数年前、野谷先生と『ヤノマミ』や『ガリンペイロ』の著者でありテレビディレクターの国分拓さんと一緒にご飯を食べた時に、今リョサの大作の翻訳が大詰めを迎えていると仰っていらしたので、対談のご指名をいただいたときはとても光栄でした。そして、いち早く作品を読みたい!という思いに駆られました。

 ですが、先ほど控え室で、先生が今日の対談相手は女性がいいかなと思っていたんだとおっしゃいました。これだけの厚さも気骨もある『ケルト人の夢』の魅力を短い時間でお伝えするのはたいへんですが、この本の主人公であるロジャー・ケイスメントという人物がなぜ読む者を夢中にさせるのか、彼のひととなりを先生のご要望通り、あえて女性としての視点で分析させていただけたらと思っております。

マグマとしてのバルガス=リョサ

N: ご存知の方も多いと思いますが、まずバルガス=リョサ自身について、簡単に説明いたします。彼は1936年生まれ、2021年11月現在85歳です。1960年代に世界でいわゆるラテンアメリカ文学ブームが起こり、1970年代末には日本に飛び火しました。作家では、フリオ・コルタサル、ガルシア=マルケス、カルロス・フエンテス、そしてこのバルガス=リョサが四人衆と呼ばれ、その中でも一番若かったのがバルガス=リョサです。他の三人はすでに亡くなりましたが、バルガス=リョサ一人が60年代のブームの威光を背負って、今も活躍しています。

 彼の日常はストイックで大酒を飲むこともなく、見たわけではありませんが、本人によると執筆を中心にした規則正しい生活を送っている。衰えないのはそのせいでもあるようですが、たいへん精力的な仕事ぶりで、いまだに長篇執筆に耐える体力をもっています。日本でもかなり多くの作品が翻訳されています。

 短篇集『ボスたち』に始まり、代表作としては彼を有名にした『都会と犬ども』『緑の家』『ラ・カテドラルでの対話』さらには『世界終末戦争』『楽園への道』などがあります。5作も挙がるのはすごいですね。そして代表作6作目と呼べる『ケルト人の夢』ですが、これが刊行されたあともペルーを舞台にした『つつましい英雄』、『シンコ・エスキーナス街の罠』、2019年にはグアテマラが舞台の『Tiempos recios(厳しい時代)』を発表するなどさかんに書き続けています。しかも長篇だけでなく、戯曲、さらには自身が役者として舞台にも登場している。それだけ好奇心が強く、表現したいというバイタリティにあふれた作家です。

Y: なんといっても大統領選に出馬するような作家ですからね。それ以前にまずバルガス=リョサという人の人生そのものがかなり特異ですよね。両親が早い時期に離婚し、彼はお母さん側に育てられますが、その後、自分よりも10歳も年上の自分の義理の叔母(!)と19歳で結婚しています。その人と別れた後にはなんといとこと結婚する。近親婚を繰り返すなんて、ギリシャ神話じゃないんだからとツッコミたくなりますが、とにかく彼の人生そのものがスタートの地点から中庸から完全に外れている。事実は小説より奇なりといいますが、バルガス=リョサの場合はそれを体現していますし、こういう人は必然的に作家になるしかなかったのだと思います。

N: 古くは作家が大統領になった例もありますが、今は大統領選に出馬すること自体、きわめて珍しいですね。しかも結局フジモリに負け、挫折します。

 義理の叔母との関係は『フリアとシナリオライター』の素材になっていて、そこに周りから反対されながら結婚を強行するまでのいきさつが書かれています。この作品はいとうせいこうさんや桜庭一樹さんが気に入ってくれたようです。

Y: 先生が翻訳されたものですね。バルガス=リョサはとにかくエネルギッシュでアグレッシヴな人というイメージが私には強いです。ラテンアメリカ文学〈ブーム〉の四人衆の中では最も猛々しいエネルギーを感じます。他の人が一日1500キロカロリーから2000キロカロリーを消費するとしたら、バルガス=リョサは4000キロカロリーぐらい消費しているのではと思わせるほどです。

 今でも若い頃と変わらずハンサムですが、さまざまな感情が染み込み、発酵してきたような顔をしていて、こういう内面が表に露呈している人の肖像画は描きやすい(笑)。リョサはとにかく横溢しているので、先生がおっしゃったように、さまざまな表現を駆使していないと気が済まないし、安心できない人なんだと思います。業に押し潰されそうになっているというか。貪欲というよりも、どうやって自分の中からとめどもなく放出されてくる思いを収められるのか、その対処に奔走しているというのか。自分にもそういうところがあるのでよくわかります。いくつもの表現のツールを使って自分を解放させなければならないというのか。

ⒸFiorella Battistini

Y: そうですね。何もしないでいると溺れてしまう。

N: バルガス=リョサはそれを自分で「マグマ」と呼んでいます。自分の中にマグマがある。彼が書くものは長篇が多いですが、その長篇自体をはるかに上回る豊富な材料が手元にあり、マグマとなって噴き出る寸前にある。それをいかに料理し小説の形にしていくか、そういう作業なのでしょう。

Y: たしかにバルガス=リョサは常に溶岩を噴き出している火山のような人かもしれませんね。マグマを擬人化してみろと言われたらああいうふうになる(笑)。一見洗練された紳士然としていても、目力が粘着質で熱いというのか、穏やかな感じには見えないですよね。そばに座っただけで、どんどんカロリーを吸い取られてしまうでしょう(笑)。

: 若い頃はもっと濃くて熱い顔をしていましたよ。1979年の初来日のとき挨拶できたのですが、声も物腰も凄く柔らかかったのでびっくりしました。2011年の訪日のときにはそばに座る機会がありましたが、かなりカロリーを吸い取られたかもしれません(笑)。

騎士道精神――自分の信じる正義を訴えたい

Y: 私は南米文学の中では突出してガルシア=マルケスが好きなんですが、バルガス=リョサは、そのガルシア=マルケスと決裂します。たしか政治的思想の齟齬が原因だったのでしたっけ?

N: 1975年のことですが、基本的にはキューバ革命の評価の違いが原因だと思います。

Y: 南米の文学者によく見られますが、バルガス=リョサも、ガルシア=マルケスもいったんはジャーナリズムに足を踏み入れます。ジャーナリスティックな視点とものの書き方を学んでから、それを作家として生かしていくところは二人に共通しています。そして1950年代後半のキューバ革命で南米に歴史的な転換点が訪れます。政治的な胎動があった激動の時代、みんな一度はキューバ革命にはまりましたが、バルガス=リョサはすぐに「何かおかしい」と思い始める。かたやマルケスは最後までフィデル=カストロと親友でした。このことでマルケスはバルガス=リョサにぶん殴られたってことですよね。

N: まあ、そうですね。メキシコで起きた有名な事件で、目の周りに青たんができたガルシア=マルケスの写真がメキシコの新聞に載りましたし、その場にいたという作家のエレナ・ポニアトウスカから直接そのときの様子を聞きました。キューバの詩人エベルト・パディーリャが反革命的な詩を書いたことを当局に咎められ、自己批判した事件をきっかけに、バルガス=リョサが世界の知識人を巻き込んで抗議の署名を集めます。ところが、ガルシア=マルケスはそれに与しなかった。そのときから二人は仲違いします。事件の直接の原因は、バルガス=リョサがガルシア=マルケスに自分の妻のことでからかわれ、怒ったことにあるようです。このときのバルガス=リョサを突き動かしたのは、一種の騎士道精神でしょう。妻と自分の名誉を守るという。

Y: 南米とはいえ、コロンビアのアラカタカで祖母から不思議な話を聞かされて育ったマルケスとの根本的な資質の違いを感じますね。私の一方的な見方ですが、ペルーには大西洋側やカリブ海側の暖かい地域とは違ったストイックさと気骨さを感じるので、自分が信じている正義をなんとしても訴えたい、人に分かってもらいたいと思うリョサの性格もそこに通じるというか。『ケルト人の夢』を手がけたのもつまりそういうことだと思います。

N: ストイックというか、たしかに主人公、ロジャー・ケイスメントの生き方もまっすぐです。バルガス=リョサは、ロジャー・ケイスメントと自分を重ねている節がありますね。融通の効かないところも。

Y: スペインで『ケルト人の夢』が出版されたのはノーベル賞の直後ですから10年前に遡ります。ヨーロッパでは早めに翻訳が済んで、イタリアでもすでに翻訳が刊行されていたので、日本はいつ出るのかなと思っていたところ、野谷先生が「いま、『ケルト人の夢』を訳しているんだよ」とおっしゃった時は嬉しかった。しかも野谷文昭訳ですからね! で、いつ出るんですか、って身を乗り出して質問をしてみれば「… さあ」と小さな声での弱気なお返事が(笑)。

N: ……言葉を濁した。約束を破るのが嫌だから。実際には破るばかりですが(笑)。それに妙に完璧主義的だから訳語にこだわって遅くなる。

Y: 翻訳するといっても、バルガス=リョサ自身、現地に行って、自分でコンゴもアマゾンもロジャー・ケイスメントの全人生を自分で辿りなおして、インプットしている。スペインやイタリアの書店の紹介文から察するに相当質感のある作品だということがわかりますが、翻訳に10年かかるというのは相当のことだと思います。焦燥感はありませんでしたか。

N: もちろんありましたよ。実際にはボラーニョ、セルバンテス、ガルシア=マルケスの翻訳、それに岩波書店のアンソロジーの編訳などと同時進行だったし、名古屋の大学に通いながらでしたから。翻訳では、先住民が残酷な目に遭うところなどは辛くて進みが遅く、アマゾンを抜けるのに時間がかかりました。

 それに、できることなら僕もケイスメントとバルガス=リョサの足跡を辿りたいと思いました。でもアフリカやアマゾンには簡単には行けない。せめてアイルランドには行ってみたかったのですが、まだ実現していません。

Y: ペルー料理屋で先述したテレビディレクターでノンフィクションライターの国分拓さんとピスコを飲みまくりながら、もがいている先生になんとかモチベーションを上げてもらおうとがんばったことがありました。国分さんは一応NHKの局員なんですが、ブラジルのアマゾンの奥地でガリンペイロという、出自のヤバい金鉱採掘人たちの生態や、イゾラドというペルーアマゾン川流域の消滅寸前の少数部族といったかなりすごい視点でのドキュメンタリーを撮られてますし、ジャングルに長く滞在しながら取材したヤノマミ族についての著書も書かれていらっしゃる方なので、南米のジャングルの無法地帯における不条理や理不尽さには精通していらっしゃいます。だから先生とお会いしたらおもしろいかなとあの会をコーディネートしました。

N: そういう配慮があったのですね。ありがとうございます。国分さんが語る先住民の話は確かに面白く、聞き入ってしまいました。ただ、黄金を求めるガリンペイロは共同体から外れた人々です。アマゾンのヤノマミ族の話は重なりますが、『ケルト人の夢』の背景はもう少し時代をさかのぼります。アマゾンの先住民が虐待され、ジェノサイドのように人口が減ってしまう。ロジャー・ケイスメントがそれを告発し、バルガス=リョサが小説にしました。

連なっていく物語――この小説を翻訳したかった理由

Y: いまの時代にこの小説を先生が翻訳されようと思った動機はどこにありますか。

N: バルガス=リョサの作品は常に興味をもって読んできましたが、とりわけ彼が何を書こうとしているのかに関心がありました。『密林の語り部』でも先住民の世界を描いた彼が何を書いたのか。本書には実に多くの問題が描き込まれている。人権無視しかり、植民地主義しかり、さらには死刑や裁判制度の問題を読み取ることもできる。同時に、惹かれたのは主人公の存在そのものです。彼の行動なくしてはゴムの生産地帯の実態は知られず、世界が動くこともなかった。

 バルガス=リョサが言うように、ベルギー国王、レオポルド二世がコンゴで行ったことは長らく忘れられていた。『ケルト人の夢』にそう書かれています。そしてベルギーではいまだにレオポルド二世の銅像があちこちに建っていると。その理不尽さにバルガス=リョサは正面から立ち向かったわけですね。道徳的な制裁が下されていない。それはおかしいじゃないかと。

 アフリカは今ひどいことになっています。コンゴはつい最近も火山の噴火があったりしてたいへんでした。それは自然災害ですが、アフリカの問題の根っこはヨーロッパによる植民に始まっている。これまでにもこういった問題を主題にした小説は書かれてきました。ラテンアメリカならグアテマラのアストゥリアスがバナナプランテーションを舞台にした作品を書いています。しかしレオポルド二世の時代まで遡って、かつ全体として捉えようとする作品はないようです。レオポルド二世だけを取り上げれば、それはそれで一つの物語になりますが、この『ケルト人の夢』にはいくつもの物語が連なっていきます。

 実際、バルガス=リョサは、ロジャー自身に、「コンゴとアマゾンは、遠く隔たっていながらも同じ臍の緒で繋がっている」と植民地主義が生んだ暴力と搾取からなる悲劇を発見させています。彼は気づくことで成長します。コンゴとアマゾンは、その構造が同じなのだと。そこからロジャーは故郷アイルランドに目を向ける。こういう捉え方をしている作家はあまりいないと思います。

Y: バルガス=リョサ自身がフィールドワーク的に、かなり広角な視点で世界を捉えています。人間を俯瞰で分析しているような姿勢は南米文学のおもしろいところでもあります。だから、さまざまな地域的特色は読者をエキゾティックな気分にさせてくれますが、本質的にはある種のお飾りであって、その向こう側に描かれているものはどの世界でも起こり得ることなんじゃないかと思うわけです。つまり南米文学というのは、先入観にごまかされない審美眼と想像力の旺盛さが問われる作品が多いと思いますし、バルガス=リョサについては彼自身が地底マグマを人間に置き換えたような人物ですから、そこは容赦がない。

 リョサは、気楽でのんびりした人生を送りたいと思っている人にとっては、相当圧の強い迷惑な人だと思います。私も圧が強いと周りからよく言われるのでわかるのですが(笑)、別に意図的に圧を強めたいなんて思っていないわけで、感性や思考が横溢するから、会話にしても何某かの行動を取るにしても、土砂崩れみたいになっちゃうんですよ。代弁するわけじゃありませんが、マグマと土砂が混じったような人物の人生を文章にしようと思えば、自ずと勢いが付いてしまうのではないでしょうか。リョサぐらいの人であれば、テクニックとして永井荷風のような物語も書こうとすれば書けるのでしょうけれども、なかなか想像しにくいですね、永井荷風風バルガス=リョサは無理があるかな。

N: フランス文学に惹かれたり権力に逆らったりするところは共通していますが、それこそ「圧」が違う。バルガス=リョサは粋な色街とか通人の心象風景なんかは書きませんね。

Y: 確かに。マグマは流れていく傍に生えている草花なんか意識しないですからね。

N: ガルシア=マルケスの娼婦の方が荷風的かもしれません。バルガス=リョサの比較的最近の作品、庶民的な世界を描いた『つつましい英雄』とか『シンコ・エスキーナスの罠』などは、軽く書いた感じですが、やはり登場人物はアクティブです。駆け出しの頃を除けば短篇は書いていないし、短くても中篇。あれもこれも書きたいということなんでしょうけれども、どうしてもほとんどが長篇小説になってしまう。主人公の背景を描いていくと、どんどん深くなり、広がっていってしまうんでしょう。

Y: 歯止めが効かなくなってしまうんでしょうね、溢れ出てくるものの勢いが凄過ぎて自分でもどうにもならない。作家であろうと、大統領であろうと、一介の人であろうと、やはり制御を効かせられないマグマ的要素の強い人というのは、穏やかに過ごしたい人にとってはなかなか迷惑ですよね。私もずいぶん周りに迷惑をかけている自覚があります(笑)。だから、そう考えるとリョサにはぴったりだったんですよ。勢いよく噴出する煮えたぎった感性と情緒に突き動かされるように生きたロジャー・ケイスメントという人物を描くのは。まさにリョサという作家によって書かれるべくして書かれた本なんじゃないでしょうか。

バルガス=リョサはなぜ、この小説を書いたのか

Y: 野谷先生は一見とてもお静かですが、この本を訳されたわけですから、先生にも内側で燃えたぎるようなマグマがあるんじゃないですか、実は。

N: 燃えたぎるほどではありませんが(笑)。

 ロジャー・ケイスメントは、少年時代から感受性が強く、詩も書きました。

 僕は自分が少年時代のロジャーにちょっと似ているなと思いながら、翻訳を進めました。ロジャーの場合はそれがどんどん過激化していく。その過激さは大統領を目指す前のバルガス=リョサにも重なりますね。

Y: 壁に頭をぶつけないと自覚できないタイプとでもいうんでしょうか。痛みと衝撃でああ失敗した、と気がつくのだけど、バルガス=リョサはそんなことも全て自分の作品として昇華してしまう、エネルギッシュかつ要領の良さも備え持った作家だなと感じます。感情移入しやすい人物という意味でもロジャー・ケイスメントはリョサにとって格好の人物であり、さらに言えば、自分の想像力を凌駕する生き方をした人間を自分の作品として描くことで、良質の糧が得られるのではないかと考えていたのかもしれない。動機の憶測はともかく、まず先生から、『ケルト人の夢』のあらすじをお話しいただいてもよいでしょうか。

N: 主人公のロジャー・ケイスメントは実在した人物です。1864年にアイルランドに生まれますが、少年時代に、最愛の母親との別れを経験します。母親は、その後の人生で何度もロジャーの夢の中に現れる、そういう存在でした。父親は軍人で、強圧的なところにロジャーは反発を感じています。その意味ではこの小説は父殺しの文学とも言えます。

 ロジャーはきまじめな人で、父親が亡くなった後、身を寄せていた父方の大叔父から、生活費を稼ぐために学校を辞めて働くように言われ、それをきっかけに、15歳のとき、イギリスの商船会社で働き始めます。その後、アフリカを実際に訪れる機会を得て、すっかりアフリカに魅了されてしまいます。自分もアフリカに文明とキリスト教の福音をもたらしたいと勇み立つ。そして憧れのヘンリー・モートン・スタンリー探検隊に加わった。アフリカの奥地に入ったきり、行方が分からなくなっていたリヴィングストン博士を探し出したというこの探検家のことをロジャーは子どもの頃から知っていました。

 憧れのスタンリーのいるアフリカですが、働き始めたころの描写だけを見ても、すぐに帰りたくなってもおかしくない状況です。しかし彼はへこたれない。使命感を抱き、いろいろな発見をしていきます。しかもスタンリーの山師的なところも見抜いてしまう。ロジャーは妥協できないんですね。

ロジャーが見たもの

N: 生ゴムはヨーロッパや米国の「文明社会」を支え、それだけに「黒い黄金」と呼ばれたくらいたいへん貴重なものでした。例えば自動車のタイヤを作るためには生ゴムが必要です。そしてベルギーの対コンゴ貿易は最初は象牙、その後は生ゴムによって成り立っていました。ヨーロッパは発展していきますが、それを支えるのはコンゴの先住民の過酷な労働で、彼らは奴隷的に働かされて、ゴムを集めていました。しかし労働の対価はほとんどなかった。

 自分がやっていることは、アフリカに進歩をもたらすと思っていたけれども、実はそうではなく、先住民を虐待することだったんだとロジャーは気づきます。そこから彼は変わっていく。

 時代は第一次大戦の前で、列強の力関係も影を落としています。イギリスはベルギーのレオポルド二世の植民地政策を告発し批判する側に立ちます。

 ロジャーはたいへんなメモ魔で、植民地の状況をくまなく記録しました。このレポートがきっかけとなってレオポルド二世の治世下、植民地となったコンゴで何が起きているのかを人々が知るところとなります。それは大きな反響を呼び、世界的なスキャンダルとなりました。

 報告書にするとき、抵抗があったり圧力がかかったりしてもおかしくないのですが、彼はそれでもやり遂げてしまう。ここは、バルガス=リョサが惹かれたところでもあると思います。

Y: 妥協しないところですね。

N: やめろといってもやめない。死にそうになってもやめない。人間の力ですから、もちろん限界はありますが、限界を超えてもやってしまう。

繊細をかたちにしたような美男子、ロジャー・ケイスメント

N: その後、ケイスメントはアマゾンの生ゴム生産地帯でも、コンゴと同じ、あるいはそれを超える惨状を目にします。そして同じように報告書をまとめ上げるわけですが、アフリカのゴム農園で先住民が虐待され、拷問を受けたり、手足を切断されたりするといった状況を告発したことによって、イギリスの外交官だった彼は勲章を受け、人権活動家として世界的に認められます。さらに今度はアマゾンのゴム生産地帯に派遣され、先住民の虐待が行われていることを報告書によって告発する。これも大きな反響を呼び、彼は爵位を受けます。

 一方で、祖国アイルランドは英国に支配された植民地といっていい状況なのではないかと自問自答を繰り返す。こうしてアイルランド独立を考えるようになっていくのです。状況を考えるともうすこしうまくできたのではないかと思う面もありますが、いずれにしても彼は闘いをやめません。ふつうなら目をつぶってしまうような問題も放っておかない。

 ゴムを輸入して栄え、株式会社が生まれ、株主は大金持ちになっていく。そういう人々はアフリカやアマゾンで何が起きているかは知らない――この様子は現代に通じていると思います。

Y: 最近ではバナナにカカオ豆、そしてパーム油といった熱帯地域での農業生産物に携わる労働者たちの問題点が指摘されていますが、ケイスメントの当時から何も進化していませんよね。

N: フェアトレードどころかトレードにさえなっていないことも少なくない。状況はまさに今に通じます。そのことも本書を訳さなければならないと思った理由の一つです。

Y: ブラジルのアマゾナス州へ行った時に現地の人から「ここではゴムの採取のために数えきれない人が犠牲になった」という説明を受けていたので、ケイスメントの功績は大きかったんだなと思いました。ブラジルといえば北東部出身の作家ジョルジェ・アマドが『カカオ』や『果てなき大地』でカカオ農園をめぐる園主と労働者や一攫千金を狙うものたちの争奪戦のあれこれを書いています。現代のわたしたちからすれば、奴隷制は遠い昔の過ぎ去った話のように思いがちですが、足枷こそはめられてはいなくても同じような立場に置かれている人たちは今も存在している。しかも『ケルト人の夢』はつい前世紀の初頭が舞台ですが、ついこないだまでこんなに残虐な扱いを人間にしていたのかと、驚くような描写が出てきます。

N: 小説ですから写真は入っていませんが、バルガス=リョサが資料にしたアダム・ホックシールドの本にはそれこそ手や足を切断された先住民の写真も載っています。また、ロジャーも傷だらけになったり骨と皮になったりした先住民の写真をカメラに収めています。

Y: ここまでの話を聞いていた方は、ロジャー・ケイスメントという人物像を、向こう見ずで無鉄砲な冒険家という、例えば西部劇で男気溢れる役を演じるジョン・ウェインみたいなイメージをもたれる方も多いのではないかと思います。

 しかし実際はこの山高帽をかぶった気品に満ちた紳士がロジャー・ケイスメントなんです(写真を見せる)。大変な美男子で、萩尾望都先生の漫画に登場するようなイメージとでも申しましょうか(笑)。

ロジャー・ケイスメント(1911年頃)

ロジャー・ケイスメント

 対談が始まる前、もしこの話が映像化されたとしてロジャーを演じるならば誰かな、故人だけどやっぱりピーター・オトゥールかな、ピーター・オトゥールは『アラビアのロレンス』のロレンス役で有名ですが、彼はこのように異国で反旗を翻す英国人の役がはまるね、という話で盛り上がりました。実際、私は『ケルト人の夢』の概要を読んだ時に、『アラビアのロレンス』みたいな感じかなと思ったんです。そういえばピーター・オートゥールは『ドン・キホーテ』も演じていますが、繊細でありながら情熱と正義感の横溢した役が当たっているのかもしれませんね。

ピーター・オートゥール

N: 本を読んでくれた友人たちは、ベネディクト・カンバーバッチとかデヴィッド・ボウイなんかを挙げていましたね。

第2回へ続く☆

 

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