佐藤 研 なぜ十字架ではなく「杭殺柱」か[『図書』2024年1月号より]
なぜ十字架ではなく「杭殺柱」か
──『新約聖書 改訂新版』刊行に寄せて
激暑の中、いわゆる岩波版『新約聖書』の改訂新版が漸く校了した。本書は、初版が一九九六年に完結発刊され、二〇〇四年には一冊本として発売されたものである(責任編集・荒井献/佐藤研)。したがって今回は、四半世紀以上経っての「改訂新版」となる。この翻訳は、各書の訳者が自らの名前を公表し、翻訳の責任は訳者が個人的に負う形でできている(日本聖書協会訳などは、訳者名を出さない)。また各訳者は、内容に関して「傍注」を付け、原文とその訳の際の「敷衍」部分を明確にしつつ、できるだけ精確に訳出することを心がけた。その際、訳者間で敢えて訳語の一律的な統一はせず、できるだけ各訳者の独自性を尊重する、という原則のもとに翻訳された。
今回の「改訂新版」(責任編集・佐藤研)では、以前の方針を踏襲・徹底し、かつアップデートすることに主眼がある。私自身は以前同様、共観福音書(マルコ、マタイ、ルカの三福音書)を担当した。
そもそも聖書の翻訳では、すでにキリスト教内部で伝統的とされている訳語はすべからくそのまま踏襲されることが常識となっている。私は、今回の共観福音書の改訂に際して、初版の時にも増して、この原則を疑ってかかった。つまり、キリスト教訳語の伝統に縛られず、元来のギリシャ語の意味を生かすような訳語を選択しようと努めた。今、その内の一例をご紹介しよう。
「十字架」──誰もが知る、キリスト教の象徴である。ギリシャ語の原語は「スタウロス」(stauros)、その原意は「杭」である。元来はおそらくペルシャからローマ帝国に入ってきた処刑法と言われる。ラテン語ではこれに「クルクス」(crux)という語を当てた。一定の高さのある「杭」を一本地面に立てて(crux simplex)、そこに罪人を、手を上にし、足が地に着くか着かない形でくくり付けるか、釘付けにしておくと、体力が消耗して体が垂れ下がり、やがて呼吸困難に陥り、一時間もせずして苦悶の中に窒息死(asphyxia)ないしはショック死するという(したがって同刑は、高架に縛り付けて槍で刺す「磔」とは異なる)。そのように早く死なせてならぬというので、やがて縦木である杭の頂に横木を渡して固定し、その横木に罪人の手首を縛り付けるか、手首を釘付けにするという変形が編み出された(crux commissa, 全体はT字形)。もう一つの形は、横木を縦木の中に通す形(crux immissa)、これが普通に私たちが目にするものである。ただし、最も多かったのはT字形であったといわれている。その際、加えて縦の杭のちょうど股に当たる部分に突起物を設え、それに罪人が跨がるようにすると、衰弱した罪人が体重で一気に垂れ下がり死に至るのを防ぐことができる。つまり、罪人が苦しんで生存する時間を長める策であり、息絶えるまで普通は二、三日を要した、と言われている。これによってこの処刑法のおぞましい見せしめ効果は一層強化された。そのために、この処刑場は、普通は町の城壁外に設けられた。そうすれば、夜やってくる野禽たちに半死半生の罪人の肉を漁らせることにもなった。ぼろぼろになった罪人の死体は多くが正式に埋葬はされず、死体処理場の穴に放り込まれるのが通例であった。
この処刑法は、ローマ人にも醜悪に映ったらしく、したがってそれが妥当したのは、普通は属州の(つまり非ローマ市民の)反逆者などの重罪者か、奴隷で極悪罪を犯した者に限られていた。ローマ人の中でも、この処刑法を忌み嫌った者は多く、キケロがcruxという言葉すら、「ローマ市民の身体のみならず、ローマ市民の考えからも目からも耳からも消え去るべきだ」と訴えたのは有名な話である。
ここで大事なことは、上記の説明からすると「スタウロス」は、いわゆる「十字架」という語から想像される「十文字」の形を必ずしもしていなかったこと、多くがⅠの字やT字の形であったらしいことである。ということは、この処刑法を一律に「十字架刑」と呼び、その刑具を「十字架」と呼ぶのは、形態の名称としては必ずしも正しくないことになる。前述のように、ローマ人はこの処刑法を「クルクス」というラテン語でも呼んだが、その語源は実は未だに不明である。少なくとも「十文字」の意味ではなかった。
では、いつから「スタウロス」/「クルクス」は「十字架」になったのか。
ちなみに、この「十字架」という日本語そのものは漢訳聖書に由来する。事実、現存する最古の漢訳であるJ・バセ訳の『四史攸編』(一七三七年、原本はウルガータ)がすでに「十字架」と記している。それ以降の全ての訳も同様である。これは既に、ウルガータのcruxが、漢訳される頃には「十文字」の形をした刑具であると理解されていたことを示す。
それでは、いつから「スタウロス」/「クルクス」は、ほぼ例外なく「十文字」形になったのか。
そもそも「十文字」の意匠自体は極めて古く、いわば人類集合的な分布を示す。総じて天の「四方」を示唆し、四元素(火、風、水、土)を暗示し、全体性を示唆すると同時に完全性をも内包するシンボルである(仏教における卍印も「十文字」の変容形である)。
古代イスラエルおよびユダヤ教では、ヘブライ語アルファベットの最後の文字「タウ」(Tau, Taw)がX(回転させれば十文字に等しい)と表記され得、額などに付けられる帰属および保護の徴として理解された(エゼキエル九4―6)。これに基づき、新生キリスト教のヨハネ黙示録(七2以下、九4)にも同様の「額の徴」が現れる。ギリシャ語の「キリスト」(Christos)の最初の文字がX(キー)であり、ちょうど上記の「タウ」表記と符合する事実も幸運な偶然であったろう。そして紀元二世紀中頃になると、例えばユスティノスは、十文字形を万物の中に読み取り、それを十文字形の「スタウロス」と重ね合わせて理解していく。ここでは、十文字およびその形と理解された「スタウロス」は、明らかに一切を統べる力の象徴となっている。
他方、ローマ軍は(ギリシャに倣って)戦勝の度に、敵の武器や武具などを掛けてトロパイオン(戦勝標)を作ったが、これは多くが十文字形であった。興味深いのは、あのコンスタンティヌス大帝(在位三〇六―三三七年)が三一二年に、ミルウィウス橋の戦いの直前に天空に見た徴は、「スタウロスのトロパイオン」の形であったという。ここでは、「スタウロス」はおそらく十文字の意味に使われている。それが後に、彼によって定型化された「ラバルム」(Labarum)、すなわち「キリスト」の最初のギリシャ語二文字(ⅩとP [ギリシャ語の「ロー」])を組み合わせた「クリストグラム」の軍旗意匠となる。こうして十文字形は、死を乗り越え罪に打ち勝った勝利者イエスの像に見事に適合することになり、イエスの処刑具=勝利の形として理解されていく。
これと並んで、「スタウロス」/「クルクス」による処刑が二世紀ごろから四世紀までの間に徐々に減少していった過程が想定できる。その帰結が、コンスタンティヌス大帝下で実施されたといわれる同処刑法の廃止である。こうして、この処刑法がどのように残酷な形態だったか、ローマ人の記憶からも徐々に消えていくのである。
したがって、元来「Ⅰ字架」か「T字架」が大多数であった「スタウロス」/「クルクス」というおぞましい処刑具の形が、中世が始まるまでには総じて勝利の「十文字」架=「十字架」の姿を取るようになったと想定される。大英博物館が所蔵する、紀元四二〇―四三〇年に(ローマにて?)製作された象牙レリーフのイエス処刑場面──同場面の現存最古の造形物──では、「スタウロス」/「クルクス」は間違いなく十文字をしていると思われ、そこで両手を広げたイエスは死んでいるどころか、圧倒的な生命力で万物万民を見据えている絶対勝利者である。この輝かしい「十字架」意匠の延長に、「十字架」が美しいペンダントにもなるという現象が出てくる。日本語でも、「白亜の十字架」などと聞くと、どこか崇高な美しさを思わない人はいないであろう。「十字架を負う」という表現は美談を示唆する。そこでは、「十字架」が元来ギロチン以上に醜悪な刑具であった事実はもはや見えてこない。
そうであればなおさら、紀元一世紀の福音書に現れる「スタウロス」を、伝統的な「十字架」という言葉で訳出してよいか、考え直さねばならないと思う。福音書に出てくる「スタウロス」は、美しい代物では絶対にない。そこで今回の改訂新版の共観福音書の部分では、「十字架」という伝統的訳語を放棄し、「杭殺刑」「杭殺柱」という語を新たに作って訳出した。「スタウロス」の原意が「杭」であり、その「杭」で「殺す」刑具であることを直接示したつもりである。未だ「十文字・架」が「キリスト教」の象徴として登場していない紀元一世紀において、この処刑法の持っていたおぞましくも呪わしい姿を伝えたかったのである。
もっとも、この訳語は、岩波版『新約聖書』の他の訳者の賛同するところとは未だなっていない(正直に言えば、この筆者の見解をよしとする人には、残念ながらまだ一人たりとも会っていない)。しかし、訳者のこのような訳語の自由を許しているのも、岩波版『新約聖書』の特長と言うべきであろう。新たな読者の評言に浴することができれば幸甚である。
(さとう みがく・新約聖書学)