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グラフィック・ノベル『MARCH』著者インタビュー② A.アイディン 

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2018年4月18日
アメリカ議会図書館にて
インタビュアー:押野素子(翻訳者)
写真:柳川詩乃
 
アンドリュー・アイディン|グラフィック・ノベル『MARCH』著者インタビュー② J.ルイス&A.アイディン
アンドリュー・アイデン
©Shino Yanagawa

──『MARCH』は、どれくらいの規模で世界に広がっているのでしょう?
アンドリュー・アイディン(以下アンドリュー)ええと、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、スウェーデン語、韓国語、日本語、アラビア語、そして英語の9か国語で出版されたよ。コミックはあまり翻訳出版されないから、ここまでの規模で出版されるのは珍しいんじゃないかな。
 (押野が持っていた3巻を見て)あ、その巻は大変だったんだよ。最初の原稿が編集者に全く気に入ってもらえなくて、議会が休みだった夏の5週間で全部書き直したんだ。死ぬかと思ったよ(笑)。最初の原稿から45ページくらい足したんだ。

──3巻はなかなか難しかったです。アメリカの選挙システムについて理解しないといけなかったし。
アンドリュー:ああ。3巻ではミシシッピ州のフリーダム・サマー・プロジェクトとか、政党の構造とか選挙システムを網羅しているからね。でも、それが楽しいところなんだよ。
 選挙っていうのは、ただ出向いて投票するだけじゃないってことが分かるだろ。とくに、3巻が出たのは大統領予備選挙の直後だったから、この巻に共感を覚えた人たちも多かったみたいだ。

──1人で全部書き直したんですか?
アンドリュー:もちろん、ルイス議員にはアドヴァイスをもらったり、さらに話を聞いたりして助けてもらったけれど、リサーチャーはいなかったから、そういう点では1人でやった。編集者も助けてくれようとはしたけどね。

──ルイス議員とはすごく良い関係みたいですね。
アンドリュー:うん、お父さんみたいだよ(笑)。

──この前、ルイス議員に会う前、私も写真家もすごく緊張してたんです。政治家にインタヴューするのは初めてだったし。ミュージシャンにインタヴューすることが多かったので。
アンドリュー:そうなんだ。インタヴューした最初の政治家が大物だったんだね(笑)。ミュージシャンでは誰が印象深かった?

──ジョージ・クリントン(パーラメント、ファンカデリックを率いるPファンクの創始者)かな? 彼とルイス議員は同年代ですよね?
アンドリュー:ジョージ・クリントンの方が若いんじゃないかなあ?(ジョージ・クリントンは1941年生まれ、ジョン・ルイスは1940年生まれ。)まあ、クリントンはかなりハードな生活してきたしなあ。一方、ルイス議員はとことんクリーンに生きてきたし(笑)

──先日のインタヴューの時、私と写真家で話していたのですが、大変失礼ながら、あなたはすごくリッチで恵まれた白人青年に見えるので、ルイス議員のもとで働いているのは面白いなあと思っていました。こんなこと言ってごめんなさい。
アンドリュー:実は僕の父親は、イスラム教徒の移民だったんだよ。父親はトルコからの移民で、僕が幼いころに出て行ってしまったから、僕は母親に育てられたんだ。僕は一人っ子で、家は貧しかったよ。法定貧困レヴェル以下の収入だった。
 母は南部(アトランタ)に住むシングルマザーということで、いろいろな差別に遭ってきた。僕が育った80年代から90年代にかけて、南部ではまだシングルマザーに対する制度上の差別が多かったんだ。

──お母さんもトルコ人?
アンドリュー:いいや、母は南部の白人女性だよ。祖母も曽祖母もアトランタ出身で、曽祖父はコカ・コーラのトラックを運転していた。白人の労働者階級だ。だから、恵まれた白人ってワケじゃなかった。
 母は公立高校から夜間大学に通っていて、それでも僕には自分よりも良い教育を受けて、良い仕事に就いてほしいと、僕のために多くを犠牲にしていた。それに、家の中では僕が唯一の男性だったから、だんだんと自分でも「自分が大きくなったら、父親のようにはならないぞ。僕がこの流れを変えてみせる」って思うようになったんだ。
 そして全額奨学金で大学に行くことができた。これも母がずっと頑張って僕を育ててくれたからだと思ってる。僕はSAT(大学進学適正試験)ではほぼ満点を取れたし、なかなか賢かったんだよ。
 でもそれと同時に、学校の勉強に身が入らないこともあった。というのも、僕は読書が大好きだから、学校で読むものがつまらなく感じてしまって、授業中は話を聞くふりしてこっそり読書してたり(笑)。

──どんな本を読んでいたのですか?
アンドリュー:何でも読んでいたよ、くだらない本もたくさん(笑)。『スター・ウォーズ』の小説はすべて読んでたなあ。

──ガチなナードだったんですね。
アンドリュー:そうだね。大きな子どもって感じだったな。ナード・カルチャー(オタク文化)に傾倒していて、コミコン(サンディエゴで開かれる漫画や映画の祭典)に行ったりしてたんだけど、そういった場所が僕の避難所だったんだ。
 でも、母は心配してたんだよね。ああいう場所は、変人が行くところだって思ってたから。だから僕は「ママ、僕も変人のひとりなんだよ」って返しといた(笑)。
 13歳になると、1人でコミコンに行くことを許してくれるようになった。母は心配していたけれど、それでも僕が自立しなきゃいけないって理解していてくれたのさ。
 あの頃は自分の人生の中でも変革期だった。たくさんのクリエイターと出会って、彼らがどうやって自作のコミックを売っているのかも目の当たりにして、新しい本を読んで……お金はあまり持っていなかったけれど、自分の持っているコミックと新しいのを交換したりしてね……それに、自分の作った本をテーブル越しに売ったり、自分のアイディアを売り込んだりっていうコミック業界のメンタリティが、『MARCH』を実現する上で大きな役割を果たした。 子どもの頃に出会ったクリエイターの1人が、『MARCH』の出版にゴーサインを出してくれた人物を僕に紹介してくれたんだ。
 自分がテーブルの逆側に行って、自分の本を売れるようになったことが本当に嬉しかったな。僕はコミック・ブックのカルチャーが大好きなんだ。アメリカの大衆文化で、本を読むことが大好きな人々のみに向けた大きなイヴェントをやっているのって、コミック・ブック業界しかないだろう? まあ、今では映画がかなりコミコンに参入してきてるけどね。
 とにかく、僕はコミック・ブックという媒体に惚れ込んで、いつかコミック・ブックのクリエイターになりたいと思うようになった。コミック・ブック業界で成功してやろうとか思っていたわけではないんだけど、コミック・ブックのクリエイターは自立していていいなあと思っていたんだ。
 彼らは自分のアイディアというパワーで、生計を立てている。そこに惹かれたんだ。母が企業や非営利団体で働いて苦労しているのを見ていたからかもしれない。時に大企業や大きな団体っていうのは、人々を裏切ることもあるからね。だから、自分で新しいアイディアを生み出して、自分で決めたプロジェクトに取り組んで、という姿勢に惹かれたんだと思う。
 同時に、白人富裕層でない人々がアメリカではいかに扱われるか、それについて感じてきた憤りを忘れることもなかった。アトランタでは、スーパー・ホワイトじゃないかぎりは、「それ以外」って感じで扱われるんだ。僕も、「それ以外」の人間だしね。
 大学の時、僕みたいに人種がミックスした人々をテーマにした「OTHER」っていうドキュメンタリーを作ったんだ。ひとつの箱には収まりきらない僕たちみたいな存在は、なかなか認識されてこなかった。今では人種がミックスした家族が大勢いるから、すこし違ってきているけどね。

──確かに、私もあなたが白人だとばかり思ってました。
アンドリュー:そういえば、母は僕が白人に見えるよう、あごひげを生やしてほしくないって言っていたよ。あごひげを生やさなければ、白人に見えるからね。
 でも、あごひげを生やしはじめたのは、イスラム系の人々がアメリカで色々と言われるようになって、僕も何か言わなければならない、主張しなければならないって思ったからなんだ。僕はただのホワイト・キッドだと思われることが多いけど、僕が実際にどんな経験をしてきたのかを知ってもらうべきだって思ったのさ。
 僕はイスラム系移民の血が入っているだけでなく、その父親に捨てられた。でも、だからといってイスラム系を憎むことはない。僕たちは、個人の行動を基にある特定の集団を批判しがちになるけれど、これって最大の罪だと思う。人間ひとりひとりが、それぞれ自分の行動の責任を負っているってことを忘れちゃいけない。
 ルイス議員は、僕たちにはそれぞれ、意見を主張する責任があるって言っているけれど、あごひげを伸ばすってことが、僕の意見表明なんだ。こうしてあごひげを伸ばしはじめたら、イスラム系であることをオープンにしている人々から「ありがとう。ありのままでいいことを表明してくれる君のような人が私たちには必要だ」って言われるようになった。
 それから、それまでイスラム系であることを隠してきた人から「僕も隠すのをやめる!」って言われることもあったよ。ずっとイスラム教徒であることを隠して偽名を使ってきたけれど、本名を使うことにしたって言ってくれた人もいた。
 これ、全米図書賞のスピーチでも言ったんだけど、僕は自分の知らない男の苗字を名乗っている。母の苗字はヴァン・ビューレンで、これは僕のミドルネームだ。つまり僕は、自分が属していない世界というか、自分が知らない世界の名前を名乗っているってことだけれど、だからこそこの苗字を自ら再定義したいと思っている。この出自から逃げ隠れするつもりはない。これが僕のルーツなのだから。

──あなたはミレニアル世代(2000年以降に成人になった世代)ですか?
アンドリュー:今34歳だから、ミレニアル世代の最年長って感じかな(笑)。でも、ずっとインターネットで育ってきたよ。
 それから、やはり僕の人生では母が果たした役割はとんでもなく大きなものだった。母は、僕が良い学校に行けるように最善を尽くしてくれたし、常に読書するよう促してくれた。
 母は去年の夏に亡くなってしまったんだけど、 母が亡くなる前に、「僕を育てている時、僕に関して大きな夢みたいなのはあった? 全米図書賞を受賞するかも、なんて考えた?」って訊いたら、「ハニー、あなたのことは心から愛しているけれど、そんなこと夢にも思わなかった」って言われたよ。母が夢にも思わなかったことを実現できて、すごい幸運だと思ったし、母が生きている間にそれを実現できたのが嬉しかった。 
 
──先日、あなたは大学院の修士論文でキング牧師について書いたって言ってましたよね?
アンドリュー:ああ、ルイス議員が影響を受けた『キング牧師とモンゴメリー物語(Martin Luther King and the Montgomery Story)』の話を聞いて……

──あ、もう少し前に遡らせてください。ルイス議員の下で働くことになったきっかけは?
アンドリュー:2007年から働きはじめたんだけど、ルイス議員宛てのメールに返事をするっていう仕事の求人があったんだ。これ、本当に下っ端から始めたってことだからね。
 大学在学中からコネチカット州副知事の下で働いていて、2006年に大学を卒業してからもそこで働いていたんだけど、彼の任期が終わり、また違う議員の下で働きはじめた。でも、コネチカットから南部はかなり遠いし、もう少し母の近くに行きたかったんだ。母は歳を取ってきていて、世話が必要だったからね。
 だからルイス議員のメール返信係の仕事に応募して採用されると、2007年6月にここ(ワシントンDC)に引っ越してきた。最初は年に3万ドルしかもらえなかったから、大変だったよ。(ワシントンDCで普通にアパートを借りて暮らすには、6万5000ドルが必要だと言われており、2018年4月現在の家賃の相場はワンルームでも1500ドルなら安い方、ワンベッドルームだと2000ドルくらいする。押野注)
 友達の家のソファで寝たりしてね。給料が安いだけじゃなく、学生ローンも抱えてたし。大学から全額奨学金が出ても、大きな借金を抱えてしまうんだ。食費や住居費が必要になるからね。
 ルイス議員のメール返信係を1年近くやったところで、再選キャンペーンがあって、オフィスの中にコンピューターをきちんと理解している人がいなかったから、「ソーシャル・メディアをやった方がいいですよ。これから大きくなりますから」って僕が進言したら、「よし、こいつにやらせてみよう」ってことになった。それからアトランタに戻って再選キャンペーンをやって、そこで『MARCH』のアイディアが生まれたんだ。

──その再選キャンペーンではあなたが最年少だったのですか?
アンドリュー:ああ、最年少だ。少なくとも、お金をもらっているスタッフの中では最年少だった。でも、僕は6フィート3インチ(約190センチ)もあるトルコ系だから、みんなにはボディガードだと思われていたみたいだ(笑)
 それから、この話はこの前したかな? 『MARCH』のアイディアが生まれた時の話。この再選キャンペーン中に、『キング牧師とモンゴメリー物語』のコミックの話を聞いたって話、したよね?
 こうして再選キャンペーンが終わって『MARCH』に取りかかりはじめたんだけど、『キング牧師とモンゴメリー物語』のコミックが公民権運動中にどう使われたか、このコミックを誰がどのように作ったか、といったことに多くの疑問を持つようになり、大学院に行こうって思い立ったんだ。まったく、何考えてたんだろうな。
 こうして仕事をしながら『MARCH』を書きつつ、さらに夜には大学院にも通うようになった。再選キャンペーンが終わった1年後の2009年にジョージタウン大学の大学院に入学して、2012年に卒業したんだけど、今じゃ絶対できない。皆、僕は狂ってるって思ってたよ(笑)。
 さらに悪いことに、出版社が決まっていなかったから、本を書くことは儲からないどころか赤字だったんだ。資料用の本を買ったり、出版社に会いに行ったりするのにお金がかかるからね。それに、僕はこういった経費を学生ローンのお金で支払っていたから、『MARCH』が出せなければ、単に本が出ないってだけでなく、借金がかさむっていうリスクも背負っていた。つまり、あらゆるリスクを背負って『MARCH』を作っていたんだ。
 でも、ここまでやれたのは、『MARCH』が成功するって心から信じていたからだけど。

──そして、実際に努力が報われましたもんね。
アンドリュー:うん。学生ローンもようやく完済したよ。3巻目が出た後に(笑)。これって、アメリカの学生ローンの現状を物語っていると思う。
 
──多くの人々が、学生ローンの返済に苦しんでいますよね。
アンドリュー:学生ローンの返済が、活動家になれる世代の能力を抑えつけているような気がする。学生ローンの返済に追われて働かなくちゃならないと、アメリカを前進させるための活動ができないからね。

──それに、自己破産しても、学生ローンは帳消しにならないんですよね?
アンドリュー:そうなんだよ、すごい話だろ。『MARCH』絡みでニューヨークの連邦準備銀行に行って講演したんだけど、『MARCH』の話をした後で、僕は学生ローンの悪についても語ったんだ。統計も準備して、何か対策を立てないと、アメリカの経済が破綻しますって話をしたのさ。
 そしたら面白いことに2~3か月前、その講演を聞いていた連邦準備銀行の総裁が、米国議会でほぼ同じことを証言していたんだ。微力ながら、僕もアメリカが前進するための種を植える手伝いをしたような気がしたよ。
 それからその講演では、若者がアメリカの問題を自ら解決できるよう、『MARCH』をいかに使うかについて話しながら、アメリカの全学校で『MARCH』を教えるべきだって話したんだけど、会場のみんなに笑われた。みんな、コミック・ブックを授業に使うっていうアイディアを笑っていたのさ。
 でも、笑われたのが2015年だったんだけど、翌年の2016年にニューヨーク市の公立学校は、8年生の恒久カリキュラムとして『MARCH』を取り入れると発表した。ニューヨーク市の8年生が『MARCH』を読むことになったんだ。それこそ「今、笑ってるのはどっちだ?」って話だよね(笑)。出版されてからまだ5年しか経っていないけれど、『MARCH』はアメリカで最も教育的に使用されているグラフィック・ノベルになったのさ。

──あなたの情熱がなければ、このコミック・ブックは誕生していなかったですね。
アンドリュー:うん、僕は目的を成し遂げたコミック・ブック・ファンだな(笑)。誰もこんなリスクを取ろうとしなかっただろうし、オフィスの多くの人たちが、コミック・ブックなんてけしからんと思っていたんだ。コミック・ブックの可能性を理解できず、こんなものはルイス議員の威厳を損ねることになると考えていたみたいだ。

──なんだかあなたがルイス議員の下で働くようになったのは、運命のような気がします。
アンドリュー:そう、歴史の神様(『MARCH』に登場する台詞)のしわざだよね。

──ルイス議員はあなたのような若いスタッフがいて幸運だったと思います。若い世代にアピールできているのですから。
アンドリュー:うん、若い世代がオンラインでルイス議員のことを知るようになっているよ。
 僕はgoodtrouble(良い騒ぎ)ってハッシュタグを作ったりして、ソーシャル・メディアでルイス議員の活動を広めているけれど、10年ぐらい前に、どうやって若い世代に公民権運動を知ってもらうかでよく議論していたんだ。ルイス議員の功績を覚えている人が、あまりにも少なかったからね。
 でも、ここ10年でルイス議員が再評価されるようになったのは、ソーシャル・メディアと『MARCH』で若い世代にも彼のことが伝わったことが大きいと思う。ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストにも入ったし。

──トランプ氏がソーシャル・メディア上でルイス議員を「口先だけ」と攻撃して炎上したことも話題になりました(2017年1月14日の「All talk, talk, talk - no action or results. Sad」というツイート)
アンドリュー:あの時、トランプの発言に怒った大勢の人たちが、『MARCH』をホワイトハウスに送りつけたんだよ。トランプがホワイトハウスに引っ越して最初に目にしたもののひとつが、高く積まれた『MARCH』の山だったってワケだ(笑)。

──アメリカのそういうところが好きです。酷いことが起こっても、それに立ち向かう人が必ずいますよね。日本ももっとそういう方向に行けばいいと思うし、そのためにも『MARCH』のような本が今の日本には必要だと思います。
アンドリュー:ルイス議員は、チャンスがあればぜひ日本に行きたいと思っているよ。日本、韓国、フランス、ベルギーあたりは、コミックが正統な文化、文学として認められている気がする。アメリカではコミックってあくまでティーンエイジャー向けのもので、ようやく最近は、大人にも認められはじめているような感じなんだ。

──あなたとルイス議員の日々の仕事について少し教えてください。
アンドリュー:会期中は、朝オフィスにやって来て、ツイートすることがあればルイス議員と話し合ってツイートしたり、もっと大きな長期的なプロジェクトもあるし、色々だね。家に帰っても、『MARCH』関連の仕事をして1時間ぐらい電話で話したりするし、今はまた新しい本も制作中だから、夜の数時間は編集者と話しながら仕事をしているよ。週に6~7日、12時間から14時間くらいかな。

──ルイス議員の話に戻りますが、小さくてびっくりしました。
アンドリュー:(吹き出して)リトル・マンだよね。彼はすごく優しい人だよ。あと、本当にジョークが好きな人だ。すごい真面目な人だけど、笑うことも大好きでね。こうして何年も一緒に働いてきて気づいたんだけど、彼がよく一緒に時間を過ごす人たちって、彼を笑わせる人たちなんだ。
 僕自身の経験から考えると、母が亡くなってから、すごい真面目なスピーチができないんだけど、心境的には似ているところがあると思う。喪失感や苦痛を抱えている時って、ユーモアや笑いが生き延びる術になるんだ。ユーモアや笑いを見つけなければ、苦痛を乗り切ることができないって感じかな。
 ルイス議員が教えてくれたんだけど、キング牧師も人をからかうのが大好きだったそうだ。あらゆる人をからかってたんだって。僕たちはキング牧師のそんな一面、教えられていないよね(笑)。でも、すごく納得のいく話だ。キング牧師はずっと危険にさらされて生きてきた。だからこそ、生き延びるためにはユーモアが必要だったのさ。

──ルイス議員は人をからかったりするんですか?
アンドリュー:すっかり大物になってしまったから、あまりからかいすぎると相手が本気で傷ついちゃうだろ(笑)。だから優しくふざけたりする程度だね。でも、スタッフのことはからかうよ。だから僕たちも、「オーケー、ジョン・ルイスが冗談言ってるじゃないか」って感じで受け止めてる。

──あと、コミックを読んで驚いたのですが、子どもたちが議員のオフィスを尋ねることができるんですね。
アンドリュー:うん、あれは本当にしょっちゅうあることなんだ。

──先日おうかがいして、議員のビルにあんな簡単に入れるなんてびっくりしていたんです。日本では、議員のオフィスに気軽に入ったりできるのかな……できないと思います。
アンドリュー:ルイス議員は、いつも子どもたちと話しているよ。僕も議員のことについては詳しくなったから、ルイス議員がいない時には僕が代わりに相手をして、オフィスの中の写真を説明したりしてる。
 ルイス議員は、この前君たちにもやっていたように、オールを使って写真を指しながら、説明してくれるんだ。だからこそ、あのシーンをコミックの冒頭に使った。実際に今、子どもたちが経験していることをコミックの中に残したかったのさ。
 『MARCH』は、時代を超えて読まれることを目指したつもりだ。今の若い世代だけでなく、10年後、20年後、50年後、100年後の若い人たちにも読んでもらいたいと思って書いたんだ。公民権運動だけじゃなく、20世紀の後期から21世紀の初頭にかけての時代を学び、アメリカがいかに人種や平等といった問題に取り組んできたかを学ぶのにふさわしいコミックとして作られているから、初の黒人大統領誕生の風景も入っている。

──ルイス議員は若い人を大切に思っていますが、ご自身も若い頃から活動していましたよね。
アンドリュー:うん、最初に逮捕されたのは、20歳の誕生日から7日後、1960年2月27日だ。

──それなのに、自分は特別じゃないって言っていて、すごい謙虚だと思いました。
アンドリュー:公民権運動の頃も、家族の間でも、ルイス議員は特別扱いはされていなかったしね。それに、10年前だって、特別扱いはされていなかった。今では特別な存在として認められているけどね。
 とはいえ、彼は元々が謙虚な人なんだ。でも、たまには僕に電話してきて、「あの記事、見たかい?」なんて訊いてくることもあるんだ。「もちろん見ましたよ」って答えると「なかなか良く写ってただろ」なんて言うんだよ(笑)。ルイス議員だって、人間だからね。

──今後数年であなたがやりたいこと、目標は何ですか?
アンドリュー:母が亡くなってから、自分がこれから何をしたいかっていう目標を見つけられずにいるんだ。だから今も本を作り続けていて、それについてはやり続けているよ。
 でも、『MARCH』を始めた頃は、5か年計画を立てていたんだ。毎年の目標を書きだして、何をやるかを全て決めていたんだ。『MARCH』が完成し、大きな賞も取ることができたし、学校でも使われるようになった。こういったことも全て目標に入っていたのさ。でも、それをやり遂げた今は、追いかけていた車に追いついた犬のような気分だ。バンパーまでたどり着いたけど、それからどうする?って感じだね。
 それに、『MARCH』を作っていた時には母が病気で働けなくなっていたから、経済的にも個人的にも僕が母を支えていたけれど、その母が亡くなってしまったから、「さあ、これからはどうしようか?」って思ってしまってね。だから大きな目標はよく分からないけれど、当座の目標は、次の本を完成させることだな。

──次の本はどういうものになりそうですか? 
アンドリュー:うん。『RUN』というタイトルで、第1巻は、今年の秋に出版される予定だ。『MARCH』を出してみて、実際のリサーチ内容を巻末にまとめればよかったと思ったから、今回は実際の文献や背景についての情報をまとめることにしたんだ。
 というのも、『MARCH』が出版された当初、これを歴史に基づいたフィクションだって誤解している人が結構いたんだ。僕は「いやいや、コミックで使われている台詞の全てが、実際の資料から直接引用したものか、そうでなければ現場にいた誰かが覚えている言葉の間接引用です」って説明していたよ。
 SNCCの議事録を使って、会話部分を作ることができた。議事録には、誰がどんな発言をして、どんな立場を取り、どんな順番で話したかっていうことが書かれているからね。幸運にも、役に立つ一次資料を数多く見つけることができた。

──それから、コミックを読んでいて、キング牧師のことを良く思っていない人も多かったんだなと思いました。
アンドリュー:そう、公民権運動での内部のあつれきとか、そういったことを多くの人が忘れているよね。若い人たちが、キング牧師のことを神って揶揄したり。
 今の社会では、そういったことをわざと忘れるように仕向けているというか、こうした運動にはあつれきや衝突がつきものだってことを教えないでいる。そして、若い人たちが新しい運動を始めると、本当の運動がどういうものかを知らないから、「運動はこうあるべきである」という偽りの理想に囚われてしまい、新しい運動を弱めてしまう。
 それから、『MARCH』が学校の図書館に入るようになり、僕たちが非暴力の運動を子どもたちに教えるようになって5年経ち、非暴力の抗議行動が近年にない勢いを持っているのは偶然じゃないと思うんだ。僕の修士論文は、『キング牧師とモンゴメリー物語』についてだったけれど、その第1章で書いたのは、立ち上がって何かをしようと若者たちに決意させる瞬間をいかに作り出すか、ということだった。『キング牧師とモンゴメリー物語』はまさにそれをやってのけた。
 大勢の若者をインスパイアし、若者主導の運動を起こすには、コミックが有効なんだ。タイミングっていう点でも、すごく似ているよね。『キング牧師とモンゴメリー物語』が出版されたのが1957年で、それから3年後の1960年にグリーンズボロの座り込みがあったけれど、SNCCが確立したのは1962年から1963年。『MARCH』の第1巻が2013年に出版されて、それから5年というか4年半の間に、色々な抗議行動が起こるようになっただろう?
 コミコンでルイス議員がチルドレンズ・マーチを先導したと思ったら、その後子どもたちが自らワシントンでマーチをやったしね。
 僕たちが道を示すと、子どもたちはその道を自ら進んでいくんだ。これが功を奏しているし、実際にこれがアメリカを救う唯一の方法かもしれない。
 それに、これはアメリカだけでなく、他の国にとっても助けとなるかもしれない。『キング牧師とモンゴメリー物語』は、南アフリカでアパルトヘイト反対運動の訓練に使われたし、ラテン・アメリカやヴェトナムでも使われた。
 だから、『MARCH』の翻訳版が重要な理由は、それぞれの国で僕たちは同じ会話をその国の人たちとする機会を持てるということなんだ。
(了)  

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