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『図書』10月号【試し読み】宇野重規/桐野夏生×武田砂鉄/岸政彦×小川さやか

◇目次◇
 
   *特集「桐野夏生 日没」に掲載中
演劇と絵画の結婚       高階秀爾
でこぼこに          川上弘美
ユカラとは?中川裕 20
〈対談〉調査する人生(1 後編) 岸 政彦・小川さやか
知識と社会の過去と未来(2)  佐藤俊樹
仏作って、魂入れず      亀山郁夫
少女の物語に『気』を喚起された 高橋三千綱
音を楽しむ          時枝 正
多摩川沿いの工場で(2)  斎藤真理子
もののけのたぐい  藤原辰史
「珠玉のカバーソング集」とは 片岡義男
光ふる紙  橋本麻里
花守の系譜  長谷川 櫂
 
十月の新刊案内
 
(表紙=司修) 
(カット=中山尚子) 
 
 
◇読む人・書く人・作る人◇

福島の哲学者とオルテガ

宇野重規

  かつて福島県の原町(現・南相馬市)に、佐々木孝という哲学者がいた。生涯をオルテガ・イ・ガセットやミゲル・デ・ウナムーノを中心とするスペイン思想の探究に捧げ、スペイン語とスペイン文化を教えた。定年前に父祖の地である原町に移住し、そこで病気の妻の介護をしながら紡いだ思索の成果は、著作や翻訳はもちろん、死の直前まで更新を続けた「モノディアロゴス」と題したブログからもうかがえる。

 この地で福島原発事故を体験した佐々木は、その禍中にあってスペイン思想の意味を考え続けた。彼が研究したウナムーノは、一八九八年の米西戦争敗北を受けて、スペインとは何か、スペインの再生はいかにして可能かを考えた。佐々木は同じように、原発事故を受け、東北のみならず日本とは何か、東北と日本の再生はいかにして可能かを模索した。佐々木の目に、事故の原因究明はもちろん、そこに至った日本の近代を徹底的に問い直すことなく、目をそらす日本の現状は嘆かわしいものだった。

 佐々木が残した訳稿によって、先頃、岩波文庫でオルテガの『大衆の反逆』が刊行された。この新訳から浮かび上がるオルテガは、貴族主義的な大衆批判者という通俗的なイメージとは大きく異なる。彼のいう大衆とは、文明の便益を享受しながら、その文明を可能にしたものについて問わない人々であった。それはまさに現代人の自画像である。佐々木の思索を引き継いでいく必要を感じる。
(うの しげき・政治思想)
 
◇試し読み◇

〈対談〉調査する人生 (1) ――すべてを感じたい(後編)

岸 政彦
小川さやか
 
 *前編はこちら
 
小川 マイノリティや、難しい対象を研究しようと思うのは勇気がいると思います。さらに生活史には、しんどい話がいっぱい出てきますよね。それを聞くのは、誰でもできることではないし、私からするとよっぽど難しい。なぜそういう調査をしようと思われたんですか?
 そもそも社会学は、他の領域に比べると、社会問題から入る人が多い。博士課程で入った大阪市立大学の社会学教室が、貧困や差別のそうそうたるフィールドワーカーを出しているところなので、そうした環境に影響された面もあります。
 個人的な理由としては、沖縄にハマった。二四、五歳の時に、当時付き合っていた彼女とたまたま二泊三日で旅行に行って、むちゃくちゃハマった。沖縄の本を読んだり、当時は手に入らなかった泡盛を買ってきて家で飲んだり、三線を弾いたり。いわゆる「沖縄病」でした。大学院に落ちて行き場所もないから、ああいうところにハマってしまう。
 もともとは理論の勉強をしていましたが、当時はブルデューの翻訳も出たばかりで、フィールド調査をしたいと思ったので、沖縄を選びました。自分の生活史とすごく結びついた形で調査をはじめたので、コミットメントが他の人よりも強いと思います。
 で、何年か研究を続けていくと「俺、キモいやん」と思うようになりました。だから、ぼくが沖縄について書いている本は、当時の自分を否定する作業をずっとしている。
小川 当時の素朴だったころを?
 そうそう。わりと左翼やリベラルの文化人が、「近代社会を乗り越えられるような可能性が沖縄にあるんだ」という形でハマりがちなんです。そういうのが途中で嫌になって、なんとか落とし前をつけたいと思った。沖縄に入ってみると、基地や貧困の問題があり、日本人として明確に加害者の立場に立たざるを得ない。沖縄にはナイチャーに対する根強い反感もあって。みんな優しいので、友達になるんだけど、なんかふとしたところで、それが出てくるんですよね。
 最近は、沖縄戦の調査をはじめました。沖縄に入って二〇年経って、やっとはじめたところです。それまでは覚悟が足りなくて、でも二〇年経つとなんで沖縄戦をやってこなかったんだろうとすら思う。だから、自分から選んで入っていったというよりも、引き寄せられて入っていって、長年続けているうちに、よりしんどいところに行った感じですかね。
小川 マイノリティや戦争の研究は、不条理に対する憤りを持たないと続けられないものなのでしょうか。
 「かわいそうだ」と思ったことは一度もないですけどね。社会問題の被害者がいると思ったことはない。むしろ尊敬するんです。基地にしても、七〇年経って未だに反対をちゃんとしている地域は他にない。すごいなこの人らと思うことが多くて。基地を押しつけている側のナイチャーが言うのはおかしいのですが。
小川 自分自身でも反省するんですけど、そういう時に「すごいな」と書きすぎると、すごく難しい構造的な問題にぶち当たらないですか?
 そうなんですよね。全体的な構造のしんどさの中で、個人がどう生きているのかを書くと、「かわいそう」か「たくましい」の話法のどちらかになります。小川さんは、すごくポジティブに書きますよね。ものすごいしんどい状況があって、その中で生き残っている人がいる。その生き残っている有様を書きたいわけでしょう。そうすると、社会問題自体が消えちゃうんだよね。
小川 よくわかります。日常的抵抗論に対する批判もそうですよね。
 例えば、セックスワーカーやキャバ嬢の人がいて、その人たちが男をダマしながら「たくましく」生きていることを描けば描くほど、その状況を自分で選んだんだから、何をしても自己責任という形になってしまう。その辺をどうやって描けばいいのかは未だにわからない。
小川 すごく難しい。かといって、彼女たちの権利などを代弁するものとして描こうとすると、それはそれで……。
 難しいよね。それって必要だけどね。
小川 必要ですけどね、そうするとすごく難しいバランスが必要になるじゃないですか。そこに正面から向かおうとするのはいろんな意味でハードですよね。
 ぼくがやっている普段の調査では、歓迎されることの方が多いですよ。沖縄戦についても、高齢化しているので、語りを文字起こしして、報告書にして配るとすごく喜ばれる。だからハードな調査をしている小川さやかはすごいと思う。沖縄のヤンキーをテーマに調査し続けている打越正行もすごいけど。
小川 私は逆にやんちゃな子達の方が、やりやすいです。もちろん彼らなりに複雑ですが。戦争ものや病気のテーマの映画を見ると、一週間くらい廃人になっちゃう。毎日同じシーンをぐるぐる考えたり、反芻してぼんやりしたりして、なかなか回復できない。
 わかる。いつも言うのですが、生活史を聞くのは一日に一人が限界なんです。できれば、前後に一日あけたいくらい。ぼくはおしゃべりやからわかるんだけど、聞く方がしんどい。一度、三人連続で沖縄戦の聞き取りをしたことがあって、次の日は予定をキャンセルして一日休んだ。那覇のホテルで廃人になっていた。人の話を聞くことの純粋なしんどさはある。ぼくも、ぼくは好き嫌いが激しいタイプだけど、二時間話をがっつり聞いた時に、嫌いになった人が一人もいないですね。毎回「すごい話を聞けたな」と思う。
 ぼくは小川さんと逆で、相互行為とか、人の付き合いがわからないんです。参与観察は小集団研究なので、目の前のネットワークの分析になりますよね。小川さんは人びとのつながり方を描くのが抜群に上手いと思う。でもぼくはそれが苦手で、大きな歴史的な構造の中で、必死で生きている一人の個人の物語しかわからない。だから生活史を選びました。
      *   *   *
小川 なるほど、大きな歴史的構造のなかで個人の物語の単独性に対するストイックな思いが生活史にむかう原動力なのですね。生活史を聞いた人たちと、もう一回お会いしてまた聞いたりすることはありますか?
 めったにないんですよ。ワンショットサーベイがほとんど。
小川 ワンショットでああいう語りが聞き出せるのはすごいですよね。
 よく講演会などでも「どうやって人の人生を全部聞くんですか? 岸さんが聞けない話の方が多くありませんか?」とちょっと意地悪な感じで言われる。でも、いや当たり前やん、って思うよね。
小川 当たり前ですよね。
 わずか一時間、二時間のインタビューでその人の人生の何がわかるねん。何もわからないかもしれないし、嘘をついていることがあるかもしれない。つじつまが合わへん話もたくさんあるわけ。「復帰前、大阪で出稼ぎをしている時に、沖縄の映画を見たんです。懐かしくてそれでUターンしたよ」という映画が公開されたのが実はその二〇年後だったりする。そういう話がいっぱいある。つじつまが全然合わない。
 本当の真実がそこで話されているわけでもないし、その人の人生すべてがそこで話されているわけでもない。ワンショットサーベイなのは、ぼくは連絡を取るのがすごく苦手なんです。
小川 私もです! シンポジウムを組織するために誰かと連絡とってくださいとかもズルズルと先延ばしにしてしまう。
 わはははは。しかも高齢者の場合は電話で、ハードルの高さがはんぱない。もともとコミュ障で人が嫌いなんだよね。だいたい、小川さんもそうだと思うけど、よく喋るやつは暗い。
小川 そうかも(笑)。
 だから何回もやり取りすることはほとんどない。喋って一回会って、原稿チェックして報告書にまとめて送るともう会わない人が大半です。
 それぞれのキャラでできる調査もあると思います。小川さんみたいに、現地に入り込んでものすごい関係性をつくって自分の有り金をばらまくみたいな、身体のはり方。ぼくはそういうのができない。
小川 無料が一番怖いんですよね。謝礼金を払いますっていうのはすごくさっぱりしている。そう言うと「さやかからお金なんかもらえない。君はぼくの友達なんだから」と言われるけど、その代わり「俺は最近、実はちょっと……」みたいな話が全部降って来て、あとから計算すると私が助けてもらいたいことよりも、向こうが助けてほしいと要求する方が全然多い。フィールドワークにとっぷり入ると、どこまでが調査で、どこからがフォーマルなインタビューなのか、そういうのが無くなってしまう。しかも、私、ほれっぽいんだよね……。
 (笑)。感情的なコミットメントは生じますよね。ぼくのようなワンショットサーベイをやっていてもそうです。
 二〇年やっているうちに、だんだんと巻き込まれていって、調査対象と友達になったり、時には関係者と喧嘩をしたりする。地元紙で連載したり、本屋でイベントしたり……。調査に入るときも、誰かに紹介してもらう。いきなり飛び込むことができない社会だからです。
 そうすると、書けないことは出てきませんか? 政治的にふるまってしまいませんか? 学問的真実がゆがめられてしまいませんか? と聞かれます。でも相手との関係性の中で書いていくわけだから、書ける範囲の中だけ書くのは当たり前のことです。それに、書ける範囲の中でも面白いことは十分にあるし、まだまだ書かれていないことのほうがはるかに多い。むしろ、巻き込まれていないと調査にはならない。例えば、小川さんが関わる路上の行商人達は、お金持ちではないよね。
小川 まぁ、貧乏人ですね。
 貧困の物語として書くことも可能ですよね。小川さんの世界観に反するから書かないのもあると思いますけど、貧困を書くことによって、当事者に対して裏切っちゃう感覚がありませんか?
小川 たしかに。商人たちは基本的に私の師匠なんですよね。はじめは行商なんかわからないし、交渉もわからないし、古着を売りに出かけても三枚しか売れない私に対して、彼らはたくさん売れる。「お前は全然わかっていない! アホ!」と怒ってくる師匠たちです。客観的に見れば彼らは貧困層なんだけど、師匠たちを「偽装失業層」とか「不安定就労層」とか、インフォーマル経済の用語で呼ぼうとすると、私と彼らとの関係性が根底から変になる。
 だけど逆に、「沖縄の人は基地にたくましく反対してきた」とナイチャーの立場で書くのも、ものすごく裏切った感じになる。調査が進んで行けばいくほど、書ける選択肢が狭まって行く感じがする。これは書かないといけない! ってことだけしか書けなくなる。その時に自分なりの世界観があるかだと思います。
 小川さんは、異なる秩序の在り方、開放的で自由な空間を描こうという強力な意思がある。ぼくの場合は、アウェイ感や孤独感。沖縄で調査をしているんだけど、沖縄の共同体のことを一切書いていない。最初の本でも、単身で沖縄から東京や大阪に出稼ぎをしにいった人の話を書きました。要するに、コミュニティから出た人の話です。
 今沖縄の階層格差の本を書いているのですが、そこでも、共同体から出ちゃった中間層の話を書きたい。公務員になって定期的に給料をもらえるようになったら、地元のしがらみからは離れてくるわけでしょう。それに合わせてデータをねつ造したり、当てはめて解釈することはほとんどないけれども、人が一人で生きているということを書きたい。
小川 アウェイ感を真剣に受け取ってそれを基点に思考しているのですね。同じフィールドに入ったとしても、調査者によって何に興味を持ってなにを拾ってくるのかは全然違いますね。目をそらしているわけではなく、興味を持つことがそれぞれの人生を賭けているから違うと、いつも実感します。岸さんの本からも、人はそれぞれ別個の生をつむいでいるんだという突き放した世界観を感じるときがあります。
 私はどっぷり型しかできない。山登りをしてたら生活のすべてが山登りで染まり、クラリネットをやってたらクラリネットになってしまう。路上商人を研究していたら夢にも路上商人しか登場しないし、いつもいつも路上商人の話をしてしまって、友人に「聞き飽きた」と怒られる。趣味として生活に組み込んで細々続ける方法がわからないし、以前にはまったものも、かつてと同じ熱量でやることを想像するから、二度とやらない。
岸 ぼくは長いですね。でも切るときはめちゃくちゃ切りますけどね。スルー力がすごい。何を言われても全然平気です。その都度その都度のアドリブ的なネットワークなのか、一人の人間の生活史なのかは、その人の世界観だよな。
     *   *   *
 もう一つ、ディテールに対する愛は、調査するときにはみんなある。ぼくはワンショットサーベイでやっているけれども、それでいつも感動するのは、どんな人のどんな話でも、ものすごい小さいミクロなエピソードが沢山あるんですよ。解釈もできないんですけど、それがすごい好きです。
 例えば、石垣島で戦争の時に、空襲はないけれども、戦争マラリアがはやっていて、自分のお母さんがマラリアになって、高熱が出るから枕元にたらいを置いて、そこに頭をつけて寝ていた。その反対側から蛇が水を飲んでいたという話をした人がいた。それだけの話なんだけど、ずっとそれが頭にある。
 あとあれも石垣島の人だったかな、空襲でいっぱい死んで、死体が波打ち際に流れてきたんだけど、昔の沖縄の女の人は髪の毛が長くて、その長い髪の毛が海藻のように広がって、お互い絡みついていた。あれは忘れられんよという話とか。
 「戦争の悲惨さ」といったらそれまでだけど、こんな語りってなかなか聞けません。
小川 ディテールに対する愛と、余白のような、語りえぬものというか、そういうものを岸さんの文章を読んでいて感じますね。ココアのエピソードとか、ささいなことだし、それ自体は表現しがたいことなのだけど、なぜかわかる、そういうディテールに心震えます。
 たくましいとかわいそうだけではない。調査をやっていくとだんだん、簡単に書けなくなってくる。でも書かないといけないことは次々出てくる。だんだんだんだん、道が狭まってきて、やらなきゃいけない仕事をただしている感じになる。今は迷わない。最後に残るのはディテールなんですよ。だから、もうそこは社会学の論文にしなくてもいいのかなと思っている。だからといって文学にもしないですが。
小川 よく分かります。私の場合は身体感覚としてはわかることをどうしたら言語化できるかにいつも悩む。間とか、誰かと一緒にやる時の身のこなしを言語化したいんだけど、それもディテールなんです。本筋には関係ない。彼らがその時、ちょっと立ち止まる。私自身もそれをする。演技じゃなくて彼らと同じ身体動作をしようとしてしまう。彼らの交渉している時の気分のようなものを、完全に写し取って、実感したいと思う。すべてを感じたい! なんか自分がキモい。でも、書きたいと必死になることはそういうディテールなんです。
 キモくない(笑)。そうなると、書かざるを得ないことを書いていくだけの作業になっていくよね。
(きし まさひこ・社会学) 
(おがわ さやか・文化人類学) 
構成:山本ぽてと
 
 
◇こぼればなし◇
◎ 出版科学研究所がことし一月から六月までの出版市場規模について発表しました(『出版月報』七月号)。

◎ それによりますと、紙と電子をあわせた出版物の推定販売金額は、前年の同期より二〇二億円多い七九四五億円(前年比一〇二・六パーセント)でした。

◎ 内訳をみてみますと、書籍と雑誌をあわせた紙の出版物の推定販売金額は六一八三億円(九七・一パーセント)。そのうち、書籍は三五一七億円(九七パーセント)、雑誌は二六六七億円(九七・一パーセント)となっています。

◎ 新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言によって多くの書店が休業となった影響もあって、書籍では感染症に関連して売上を伸ばすものもありましたが、文芸書、文庫、新書、実用書といった主要ジャンルはいずれも前年比でマイナスとなりました。その一方、学校が臨時休校に入ったため、家庭学習用の学習参考書や問題集、児童書が売上を伸ばしたと報告されています。

◎ 雑誌に目を転じてみますと、コロナ禍のため取材ができなくなるなど、制作が困難になったことから二五〇誌以上が合併号や刊行延期に追い込まれたほか、休刊も相次ぎ、月刊誌は前年比九八・四パーセント、週刊誌は九一・五パーセントと落ち込みました。

◎ 書籍、雑誌とも厳しい状況ではありましたが、コミックスだけは別だったようです。書籍では『鬼滅の刃』(集英社)が爆発的な大ヒット。月刊誌でもコミックスだけは前年比で三〇パーセント近い伸びを示していますから、コロナ禍のなか、紙による出版物の売上減を二・九パーセントに押しとどめたのはコミックスのおかげ、ということになるでしょう。

◎ では、電子出版はどうだったのか。一月から六月までの推定販売金額は一七六二億円。前年同期比で一二八・四パーセントという大幅な伸びを示しています。

◎ 内訳は、電子コミックが一五一一億円(一三三・四パーセント)、電子書籍が一九一億円(一一五・一パーセント)、電子雑誌が六〇億円(八二・二パーセント)。電子雑誌以外は前年を上回っていますが、電子も紙もコミックスが市場を牽引していることがわかります。

◎ 電子出版の売上が三割近く伸びた要因としては、書店の休業や自粛による在宅時間の増加などが推測されますが、全体としてみても、このコロナ禍が出版市場の、延いては出版の在り方に急速な変化を促している、ということでしょう。

◎ 出版市場全体における電子出版の占有率は二二・二パーセント、全体の◎ 以上の規模となり、「文春オンライン」(文藝春秋)など雑誌から生まれたWebサイトのPV数も大きく伸びていると報告されています。また、公共図書館における電子書籍貸出サービスも拡大しています。もはや電子化、Web化の流れは加速することはあれ、止めることはできない趨勢といえるでしょう。

◎ 中川裕さん「アイヌユカラ 「 虎杖丸いたどりまるの曲」 を読む」がスタートです。英雄叙事詩の読み解きに、ご期待ください。 

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