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『図書』2022年8月号【巻頭エッセイ】中澤達哉

◇目次◇

民主政の危機の時代に……中澤達哉
天国のパパへ……高橋奈里
犬は文化を嗅ぎ分けられるか?……大黒俊二
黒人神学とあなた……榎本空
戦争に向きあう中学生たち……黒田貴子
生態学者の「さとやまガーデン」づくり……鷲谷いづみ
世界市民のための音楽……大岡淳
レオン・ブルムの弁護士とその娘……今枝由郎
この歌手は誰だ、と僕は叫んだ……片岡義男
座標……谷川俊太郎
さびしいおおかみ……文月悠光
八月、密林、草原、そして砂漠……円満字二郎
土をつくる……岡村幸宣
拒否られる虚病姫……中川裕
書物の元祖の権威性……佐々木孝浩
編み物に向く読書……斎藤真理子

こぼればなし

(表紙=杉本博司) 

 

◇読む人・書く人・作る人◇

民主政の危機の時代に

中澤達哉

 「フランス共和国皇帝ナポレオン」。この語のもつ響きに違和感を抱く読者は少なくないだろう。この違和感はまた、以下の深刻な問いを私たちに投げかける。現代世界が前提としてきた市民革命期の原理は果たして自明のものなのか、と。「共和国皇帝」を一八〇四―〇七年のフランス硬貨に刻まれた例外として理解すれば、それで済むのかもしれない。しかし、次の言い回しはどうだろう。一七九一年にロベスピエールは、「国民は君主と共にあっても自由でありうる。共和政と君主政は相反しない」と述べた。一七九三年にハンガリーのハイノーツィは、「主権は国民に存する。国民は一人の王、貴族、民衆からなる」と主張した。いずれも市民革命期の欧州で流通した文言である。この時期、共和政は君主政と矛盾するものではなかったし、必ずしも民主政と等価の関係にあるわけではなかった。

 どうやら現代人の想像以上に、欧米近代は一筋縄ではいかないようだ。実際に、今般のコロナ・パンデミックおよびロシア・ウクライナ戦争前後から、従来の近代理解の一面性が明らかになりつつある。民主政と共和政を実現していたはずの米英で、議会の機能を停止しようとする指導者が現れた。ロシアの大統領は皇帝のように振る舞っている。私たちは今、市民的な徳や倫理、そしてそれに裏打ちされた人文主義や啓蒙思想によって作り上げられてきた民主共和政の機能不全を目撃しているのかもしれない。欧米近代の基盤それ自体を点検する時期がやってきたのではないだろうか。拙編著『王のいる共和政 ジャコバン再考』をご一読頂きたい。

(なかざわ たつや・歴史学)

 

◇こぼればなし◇

◎六月とは思えない猛暑が続いたあげく、あっというまの梅雨明け宣言。見上げると、目が痛くなるような青空が広がっています。そんな一日、見本ができたばかりの小社の新刊本を読み、四〇年ほど前にソ連からアフガニスタンへ送り出された若者たちが仰いだ圧倒的な青空と強烈な日差しを想像しました。

◎小誌六月号の逢坂冬馬さんと奈倉有里さんの対談でも語られていた、アレクシエーヴィチ『亜鉛の少年たち――アフガン帰還兵の証言 増補版』(奈倉有里訳)。人びとの肉声に加え、作品内容をめぐり作家本人が一部の証言者から提訴された裁判の記録も収録し、旧版の約二倍と大幅な増補となった新訳版です。

◎現地での植樹、橋や道路の補修といった「国際友好の義務」との名目で戦地に派遣された、あるいは志願して赴いた青年や女性たち。戦没者は封印された亜鉛の棺に納められて故郷に送り届けられます。本書は、遺された母親や妻の声、作家が現地で聞いた兵士たちの声、腕や足を失い、鉛のような心を抱えたまま生きる帰還兵たちの声とが織りなされてできた作品です。

◎とりわけ痛切に読む者の胸を抉るのが母親たちの肉声、出征前や休暇で帰宅した息子との会話の証言ではないかと思います。「「なあおふくろ、俺は派遣されることになったんだ」/「どこに?」/黙ってる。私は涙が出てきて、/「どこに行くのよ、ねえってば」/「どこってなんだよ。決まってるだろ。仕事をしにいくんだ…」」(三一六頁)。

◎だからこそ、でしょうか。右記引用とは別の人物ですが、民事訴訟の原告となった戦没者の母が、捏造され、名誉を傷つけられたと作家をなじる激した言葉と、本文部分での真率な語りとのあまりの乖離に驚き、ショックを受けます。

◎訳者解説にあるように、しかし裁判自体が原告ら個人の意思によるものではなく、「黒幕」が背景に存在した茶番でした。最終審理の速記録(一九九三年一二月八日)に見られるアレクシエーヴィチさんの問いかけが重く迫ってきます。

◎「けれども私はお母さんたちと話をしにきました」「…なぜ私たちはこうも好き勝手に扱われ続けなければならないのでしょう。亜鉛の棺を送りつけられた母親たちが、今度は作家を訴えろとけしかけられる――我が子にお別れのキスさえもできず、墓地の草に頬擦りし、亜鉛の棺を撫でることしかできなかった、その経緯を書いた作家を……。いったい私たちは何者なのでしょうか」(三九五頁)。

◎本書「手帳から(戦地にて)」一九八八年九月二一日の項には、作家の次の言葉があります。「…小さな、個人的な、個々のケースが必要になるはずだ。一人の人。誰かにとってかけがえのない人。国家から見てその人がどういう人なのかではなく、母親や妻にとって、子どもにとってどういう人なのか」(二五頁)。

◎第三九回渋沢・クローデル賞奨励賞を、金山準さんの『プルードン――反「絶対」の探求』が受賞しました。

 

 

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