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深澤英隆 ジャズを聴きなおす[『図書』2024年4月号より]

ジャズを聴きなおす

 

 日本は、ジャズ聴取者が多い国だとよく言われる。また「聴取」というべきか否かはわからないが、ジャズの有線を流している飲食店や店舗は驚くほど多い。それがなぜなのかも解明の余地があるが、こうした傾向は、数字にも表れている。ジェトロの二〇一七年の調査報告によると、アメリカでの音楽ジャンル別の売り上げシェアは、ジャズとクラシックがともに一%で最下位である。いささか愕然とする数字ではある(少しさかのぼるニールセンの調査では、クラシック二・八%、ジャズ二・三%だが、やはり最下位一、二位となっている)。一方日本レコード協会が日本人を対象として二〇一九年に実施したアンケートでは、よく聴く音楽ジャンル(複数回答可)としてジャズを挙げた者は全体平均で一〇%前後であり、これが六〇代男性では二三%となる。日米対比では、確かに発祥の地を抑えて、日本に軍配が上がるようだ。

 さて、その二三%に属する人文系研究者の筆者は、半世紀を超えて飽かずジャズを聴き続け、多大なインスピレーションを受けてきたのであるが、自戒を込めて言えば、この種のジャズファンは、いろいろと偏りも多い。もちろん音楽なのであるから好きなように聴けばいいのだが、日本のジャズリスナーにはどうも半可通な知識とそれぞれの意固地な偏愛が目立つ、と言われてもしかたがないようなところがある。マイク・モラスキー著『ジャズピアノ──その歴史から聴き方まで』上下巻は、そうした日本人ジャズマニアたちに鉄槌/てっついを下す! というわけではまったくなく、ともかくジャズ知識にさまざまな盲点をかかえ、また楽理が分からないまま聴き続けてきた多くの日本のジャズリスナーたちに向けて贈り届けられた、類いまれな教育の書なのである(もちろんこれからジャズを聴こうという方にも、何よりのガイドとなることは間違いない)

 著者のモラスキー氏は、戦後日本文化史や現代文化に関わる数多くのユニークな著作で知られるが、それらの書物同様、本書も日本語で書き下ろされた。著名なジャズ・フォトグラファー、中平穂積氏によるジャズ・ピアニストたちの魅力あふれる肖像写真のカバーにはじまる本書は、上下巻計八〇〇頁におよぶ長さの、熱量溢れる力作である。本書では、表題通りジャズピアノを通じてジャズの歴史的変遷を追い、また各々おのおののジャズの様式を代表するピアニストの技法を詳細に分析することが試みられている。著者は、大学で人文科学の教鞭をとる一方で、ジャズクラブに出演もするピアニストでもあるが、これは本書の記述がジャズ演奏の当事者的理解のうえになされているということであり、このことは本書に大きな説得力と精彩とを与えている。以下では本書の特徴をなすいくつかの点を指摘してみたい。

 

 「ジャズ」という問題── もともと蔑称であったとされる「ジャズ」というジャンル名を忌避する黒人ミュージシャンはめずらしくない。また音楽のジャンル分けがもつ不当な拘束力が問題とされることもある。本書の第五章のエピグラフには、デューク・エリントンの「一九四三年に「ジャズ」という言葉を使わなくなった。その時点でカテゴリーを信じなくなった」との言葉も引用されている(上、二五一頁。本書の各章の冒頭にはミュージシャンのことばがエピグラフとして掲げられており、これがどれも含蓄に富んでいる)。もちろん著者はこの語の制約などは先刻承知の上で、本質主義には陥らないかたちで、対象領域を区分しているのである。それはスイング、ビバップからフリージャズに至る「ジャンル」名についても同様であり、著者は十分にジャンル化の限界を意識しながら、ジャンル別にすることによって「定着したジャンルを新鮮な角度から見直すこと」を本書の目的ともしている(上、二五三頁)

 

 「ジャズピアノ」ということ── 本書はピアノ/ピアニストを通じて、ジャズの歴史を理解し、ジャズの特質を明らかにする試みである。セロニアス・モンクは、ピアノは「音楽の最も主要な楽器」であり「すべてのスタイルはピアノの発展から成り立っている」と言う(上、一頁)。ところが他の章のエピグラフでは、他ならぬピアニストのキース・ジャレットの「ピアノはジャズ楽器じゃない。私の感覚では、声、ドラム、そしてトランペットやサックスなどが本当のジャズ楽器だ」ということばも紹介されている(上、一三頁)。著者の説明によると、キースの念頭には、ピアノが声に近いような「口述音」を出せないことがあるらしい。しかし実際のジャズ史の、とりわけ初期は、ピアノが中心的楽器だった。そして本書の全体が示しているように、ピアノは確かにジャズの発展を牽引した中心的楽器にほかならない。「ピアノ宇宙」とは言えるが、「サックス宇宙」「ベース宇宙」というのは少々据わりが悪い。ピアノはやはり、そのなかで複雑な音楽構造が懐胎され音響化される楽器なのだ。

 なお、本書ではピアノだけではなく、エポック・メイキングな他の楽器奏者についても随所で詳しく取り上げられている。

 

 本書の構成上の特徴── 本書を他に類のないジャズ図書としている特徴について、いくつかふれてみたい。

 まず日本のジャズリスナーの盲点としては、ジャズの発祥地のアメリカの地域差やミュージシャンの出自への無関心ということがある。東西両岸の傾向的な違いということはよく知られているが、地方諸都市のジャズ文化の相違といったことは、日本ではほとんど意識されないだろう。また本書で引用されているウィントン・マルサリスのことばで言われるようにブルースがジャズの「出汁だし」のようなものだとするならば、地域ごとに異なるブルースがジャズの多様性の有力な源泉であったとも言える(上、二一─二七頁)。このジャズのローカリティを肌身で知っている著者の叙述は非常に示唆に富む。本書の全体を通じて、このローカリティの問題が繰り返し浮上してくる

 第二は、歴史的展開の解明ということである。現代日本のジャズリスナーの多くにとっては、一九二〇年代からのジャズの展開を漠然と知ってはいても、古典ジャズを鑑賞すること自体がしばしば難しい。本書では第二章「「古臭い」ジャズを聞け!」から第四章までが、ビバップ以前のジャズの解説に当てられているが、これらの章には大きな発見や驚きがある。ラグタイムから始まりアート・テイタムにいたる各章の記述では、第三章の「ビバップ以前のモダニスト達」というタイトルにもうかがえるように、スイング・エラ以来のビバップ前史のなかでいかにモダニズムやジャズの前衛化の種子が蒔かれ準備されてきたかが分かるのである。第三章のエリントン論、第四章第三節の「テイタム前衛論」などはことに見逃せない。

 本書の第三の特徴は、楽理的な分析が縦横になされている点にある。日本語で書かれたジャズ書は膨大な数にのぼるが、著者はそうしたジャズ書に「肝心なに対する具体的な記述が少ない」(上、二頁)と言う。そこで著者は、ジャズピアノの音楽的要素としてリズム、タッチ、ヴォイシング(コード構成)、ライン・フレージング、リハーモナイゼーションなどを挙げ、個々の事例に即しながら楽理的分析をも交えた具体的記述を行ってゆく。ただし五線譜は出てこず、また(筆者もそうだが)楽理がわからなくても、問題はない。楽理に暗いジャズファンにとっても、無意識に聴き分けてきた音楽的差異に明確な楽理的説明が与えられること自体が興味深いだろう。もちろん楽理にある程度以上通じた読者なら、著者の分析からさらに学ぶことが多いに違いない。

 さて、楽理ばかりが前に出ると一般読者はついていくのが難しくなるが、本書の第四の特徴として挙げられるのが、記述の事例中心的な具体性である。文中では実に周到に、言及される演奏者や曲目につきユーチューブを中心とする特定の音源ソースが挙げられ、またその演奏が秒単位で分析されることも多い。つまり示された楽理的説明を、読者はフリーにアクセスできる音源で具体音として確認できるのである。加えてその際、ピアノ演奏だけでなく、他の楽器とのインタープレイについても詳細な分析が加えられることがしばしばである。これは著者のような演奏者でなければ容易になしえないものであろう。

 

 本書は、アメリカで著しく発展を遂げたアカデミックなjazz studiesの成果を踏まえている。実際、注で触れられている文献名を見ると、こんなマイナーなプレイヤーについても博士論文が書かれているのか、と驚くこともしばしばである。それと同時に日本では翻訳や紹介がなされていない証言集やインタヴューなども膨大な数にのぼる。著者はこれらをも踏まえているのだが、そうしたなかから本書で紹介されるエピソードや証言は実に興味深いものが多い。たとえばストラヴィンスキーを愛聴していたチャーリー・パーカーは、ある演奏会に当のストラヴィンスキーが来場していると知って、即興演奏のソロ中にストラヴィンスキーの曲のフレーズを織り込み、ストラヴィンスキーを大喜びさせた(上、二九五頁)。マッコイ・タイナーの生家は美容院だったが、その店内に置いてあったピアノを、近所に住むバド・パウエルが練習に使っていた。パウエルは営業中も構わず弾いていたので、客は間近でパウエルの演奏を無料で聴くこととなった(下、九八頁)等々。色々な証言も面白いが、盲目の超天才、そのピアノを聴きにホロヴィッツも足を運んだというアート・テイタムについてのミュージシャンたちの証言には、なにかたががはずれたような、賛嘆と畏怖が混ざったものが多い。テイタムにもっとも近いと言われてきたオスカー・ピーターソンもまた、「テイタム・トラウマ」に襲われたひとりであり、彼にとってテイタムは「ライオンのようなものだ。怖くて仕方がないけど、あまりにも美しい動物なので、近づいてその吠え声を身近に聞きたくなる」(上、二一五頁)存在であった。

 大著とはいえ、当然ながら取り上げられたピアニストやアルバムの数には制限がある。第九章「ジャズピアノを編成別に聴く」では、現在活動中のピアニストも取り上げられているが、読者としては、なお論じてほしいピアニストも多いだろう。それについては、著者が準備中の岩波新書『ピアノトリオ』に期待したい。

 何にせよ、本書を読む前と後では、ジャズの聴き方、聴こえ方が変わる。このことは読了した誰もが感じるに違いない。

(ふかさわ ひでたか・宗教学)


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