思想の言葉:陣野俊史【『思想』2024年10月号 特集|スポーツ論の現在】
【特集】スポーツ論の現在
〈討議〉変貌するスポーツと自由の行方
町田樹・石岡丈昇・山本敦久
〈座談会〉現代サッカーにおける理性と感性
三笘薫・小井土正亮/山本敦久(司会)
ポスト・スポーツ論の射程
──部位と機械からなるアッセンブルな「身体」
山本敦久
生身の実戦相手
──グローバルサウスからのスポーツ論
石岡丈昇
〈座談会〉クローゼット化するスポーツ
下山田志帆・村上愛梨/田中東子(司会)
境界と絡み合う
──フェミニスト・スポーツと運動する身体
田中東子
クリップ・セオリーとスポーツ
──性別二元論と健常身体主義/能力主義の地平を超えて
河野真太郎
思想を生きるコーチの道
──栗山英樹とフィル・ジャクソン
佐良土茂樹
eスポーツの身体論
──コンピュータに媒介される拡張身体の経験
田中彰吾
第1回近代オリンピックアテネ大会の神話を解体する
牛村圭
ファンダムの唯物論序説
小笠原博毅
オリンピックと音楽
パリオリンピックが閉幕して数週間が経ち、パラリンピックが開幕するタイミングでこの文章を書いている。オリンピックに限れば、開幕の式典でどんな音楽が流れるのか、注目していた。選手団が船に分乗して、セーヌ川を存分に活用しながら式典が繰り広げられたことや、たとえばアルジェリア選手団が、過去にアルジェリア人虐殺のあった場所で花を手向けたことなど、エピソードには事欠かなかったのだが、何よりも、今回は開会式で歌われる歌が話題を集めていた。
今年の春のこと。オリンピックのオープニング・セレモニーにアヤ・ナカムラが抜擢されるという情報が流れた。アヤ・ナカムラはいまのフランスを代表する女性歌手。世界中で聴かれている。マリのバマコ出身で、幼少期にフランスに移住している。極右の団体は、オリンピックが開かれるのはパリであって、バマコじゃない、と反発した。いかにも移民排斥を訴える連中が言いそうなことだが、さすがにそこまで差別的なことをオフィシャルには言わない。彼らの反対は大きく分けて三つあった。一つは、アヤ・ナカムラは歌が下手である、ということ。これは、彼女の声にはエフェクトがかけてあって地声に美しさがない、という主張だ。そもそも声を加工していない歌手など(ほぼ)いないのではないかと思うし、その限りで言えば、現在の音楽状況をまるで理解していない。
二つ目が、彼女の歌う歌は、フランス語ではない、というもの。これはちょっと面白い主張で、彼女の歌のタイトルは(カタカナ表記すれば)「ジャジャ」とか「ボボ」であり、聴いただけでは意味がわからない音が(タイトルだけではなく)サビを作っている。そんなの、フランス語じゃない!というわけだ。私に言わせれば、そうした音の違和感こそが面白い。アパレルのブランド名をラッパーが連呼したがるのも同じだが、日常をちょっとだけ逸脱した音が使われているからこそ、音は魅力的に聴こえる。アヤ・ナカムラの使う語彙の音声的魅力は、ジャジャやボボだからこそ、なのだ。
そして、極右たちがもっとも反発したのが、アヤがエディット・ピアフの曲を歌うとの噂だった。ピアフがフランス人にとってどんな歌手かという議論は字数の関係で無理だが、フランス人の心性に触れる歌手であることには異論はないだろう。じっさいには、アヤ・ナカムラは自分の持ち歌をメドレー形式にして、ルーブル美術館前の特設ステージから金ピカのゴージャスな衣装で歌った。ピアフの「愛の讃歌」を朗々と歌い上げたのは、式典の最終盤に登場したセリーヌ・ディオンで、闘病中のカナダ人セリーヌが歌う「愛の讃歌」を極右の人々がどう聴いたか、寡聞にして私は知らない。
事前に予想されたオリンピックと歌の悶着は以上だが、差別的な意見や臆断とは別に、今回のオリンピックで注目されたのは、ヒップホップ、わけてもラップ・ミュージックの存在感だった。周知のように今回から競技としてブレイキンが採用され、「アーバン・スポーツ」と呼ばれるジャンルがいよいよ存在感を増してきた。スケートボードやBMXも含めたストリート・カルチャーとラップは、オリジンを共有している。親和性が高い。とすれば、開会式でもフランスのラップが数多く紹介されるのでは、との希望的観測も。
フランスはじつはラップ大国である。一説にはアメリカに次ぐ市場規模とも言われる。ヒットチャートを参照すれば、トップ一〇の七~八曲はラップだ。私見では、これほどの人気ジャンルになったのは二〇一〇年前後。それ以前は、移民系の若者が好む特別なジャンルだった。オリンピックの開会式に起用されたラッパーは、リム・カ。移民二世や三世の若者たちを魅了するアルジェリア系ラッパーであり、最近でも再生回数が数億回に及ぶヒット曲を生んだベテランだ。長いキャリアだけではない。彼をオリンピックに起用したことには特別な意味がある。
アメリカ発祥の音楽のジャンルをフランスふうに転換し、独自の発展を遂げる礎を築いたのがリム・カたちだった。一九九九年、リム・カの属するグループ113(フランス語で「サントレーズ」)は、大胆なアフリカ回帰の曲を発表する。「トントン・ド・ブレド」(村のおじさん、の意味)と題されたその曲は、自分たちの住む街区(パリ郊外の、貧困層の住む団地)が好きだが、親の出身地・北アフリカの村へ淡い期待を胸に小旅行に出かける、という物語仕立て。アラビア語がまるで理解できない主人公だが、地元の人たちは優しくて、絶品のクスクスでもてなしたり、浜辺でヤバいコーラを奢ってくれたりする。旅行は終わってパリへ戻る。もう一度、あの「村」へ行ってみたい、というあたりで曲は終わる。
パリに住む移民二世のメンタリティ、何よりもアフリカ回帰をフランスのラップに持ち込んだ最初期の人物こそがリム・カなのだ。開会式の中盤、セーヌ河岸で、真っ赤なルイ・ヴィトンのジャケットを着たリム・カが歌っていた内容はおおむね次のようなことだ。「皆が一緒になれば、互いに結束して、世界を変えることができる/爆弾をやめさせるための、まさに平和の一日/流れる涙をごまかすための、まさに雨の一日/(中略)俺を育てたのは、いろんな失敗/俺に噓をつかせたのは疑り深い連中/野心や希望、俺はおまえに俺の話をしてやる/俺の物語を語ってやる」。リフレインは──、「おまえは街のプリンスになれる/キングにも皇帝にもなることができる/人生は厳しい、俺はツケを払っている/人生は厳しい、俺は自分の心を鍛えた」。
曲名は「キング」。歌詞の「街のプリンス」は、113のアルバムのタイトルだった。「おまえ」とは誰か。相変わらず、移民系の若者たちへのメッセージなのか。それとももっと抽象的な誰かなのか。いま、人生には暗雲が垂れ込めているとしても、努力次第で成り上がれる、と誰を鼓舞しているのか。
当たり前のことを書けば、オリンピックは、ナショナリズムと結託したスポーツを強化する場である。ところがそのなかに、もともとナショナルなものと無関係に、ストリートで育ったスポーツが入りこみ、独自の存在感を発揮したのが、今度の大会だった。オリンピックのシステムは、アーバン・スポーツを回収していくのか。それともオリンピックの側が形を変えるのか、消滅するのか。両者はせめぎ合っている。そして、フランス代表のラッパーとして開会式に登場しながらも、あくまで郊外の移民の若者をエンパワメントするリリックを連ねたリム・カに、そのせめぎあいの具体的表象をみた気がした。