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神野紗希 世界でいちばん短い詩[『図書』2025年6月号より]

世界でいちばん短い詩

佐藤郁良『俳句を楽しむ』

 佐藤郁良『俳句を楽しむ』

 昨夏、息子の小学校の公開授業に出かけた折、廊下にずらりと俳句が掲示してあった。三年生になって初めて、国語の教科書に俳句が登場したのだ。載っていたのは〈古池や蛙飛び込む水の音 松尾芭蕉〉や〈菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村〉など、江戸時代の代表的な俳句である。五七五のリズムで、季語を通して伸びやかに世界を感受している点などは、やはり名句が名句たるゆえん。幼いころにゆたかな古典に触れることは、言葉の感覚を育てる上で大切な経験だ。と同時に、こうした俳句に触れるだけで、子どもたちが「俳句って楽しい!」と前のめりになるだろうか、とも考える。

 子ども時代の私は、正直、俳句にピンときていなかった。正岡子規の故郷である愛媛・松山で育ったので俳句に触れる機会は多かったはずだが、なんだか自分の世界と遠くにある言葉のような気がしていたのだ。友だちと学校帰りにアイスバーを齧ったり、吉本新喜劇の放送を弟と見てげらげら笑い転げたり。そんな日常と俳句がうまく結びつかなかった。

 ところが一転、私が俳句に深くはまりこむことになったのは、同世代の一句がきっかけだった。

 

いわしぐも進路相談室の窓

作者不詳

 

 高校一年生の夏、所属していた放送部の取材で、当時まだ始まったばかりの俳句甲子園を観に行った。その壇上で他校の高校生が披露した句だ。進路に迷っているから相談室でも先生の目が見られなくて、つい視線をそらしてしまう。窓には茫漠と広がる秋のいわしぐも。私、これからどうなるんだろう。未来への不安が十七音に震えていた。ああ、この句は私のことを詠んでいる句だ。俳句は古めかしい遺跡じゃなくて、私が悩んだり喜んだりしたことを受け止めてくれる、今を生きる詩なのだ。

 『俳句を楽しむ』の著者の佐藤郁良さんも、きっかけは俳句甲子園だった。開成高校の国語教師として生徒を大会に引率するうちに俳句の魅力にとりつかれ、いつしか自らも俳人に。第一章では、個性ゆたかな生徒とともに切磋琢磨するさまが、ルポルタージュ的にいきいきと描かれる。

 

小鳥来る三億年の地層かな

山口優夢

生まれし日の記憶どこにもなく泳ぐ

永山智郎

旅いつも雲に抜かれて大花野

岩田奎

林檎昏し匣が不自由ならば出よ

筏井遥

 

 この本では、俳句部の活動を通して生まれた高校生の俳句も多く採用されている。右に引いたのは、郁良さんの教え子の作だ。かつて私が同世代の一句に共鳴したように、ジュニア世代がページをめくって彼らの句と出会うとき、きっとみずみずしいシンパシーが生まれるだろう。それはとても貴重なことだ。

 さらに第二章では「俳句を鑑賞する」と題して俳句の鑑賞の仕方が、第三章では「季語の世界」と題して季語の在り方や具体例が示される。「や」「かな」「けり」といった切字や「取り合わせ」「写生」などの俳句独特の技法を説明しながら、教科書に掲載されるような古典の名句を明快に読み解いていく。まずは「詠む」より先に「読む」ことで、いい俳句とはどんな特徴をもっているのか、どんな俳句を目指せばよいのか、おのずと的が定まってくるというわけだ。

 俳句の鑑賞ポイントが押さえられたら、第四章は「実作への一歩」。いよいよ俳句を作るという段階でも、素材探しや詠むときに心がけることを、これまた要点を絞って促してくれる。その分かりやすさは、さすが先生。まるで本当に、放課後の俳句部で課外授業を受けているみたいで楽しくなる。

 そして第五章は、本のタイトルと同じ「俳句を楽しむ」。句会の方法が図解されていたり、吟行という俳句づくりのミニトリップの説明があったりと、実践的だ。

 そして、俳句を「読む/詠む」技術の解説を明晰に重ねてきた最後に、郁良さんはこう締め括る。

  「俳句は、人生を映す鏡だと言ってもよいでしょう。若い人には若い人にしか詠めない句があり、年配の人には人生を積み重ねてきたからこそ詠める句があるのです。(略)背伸びをしようとせず、平凡な毎日を一生懸命生きることこそが、俳句の上達のために一番大切なことなのかもしれません。(略)生活の中に俳句が寄り添うことで、皆さんの人生がより豊かになることを心から願っています」(第五章俳句を楽しむ④自分を磨く)

 こまやかな技術も、すべては「生きる」ため。そういえば、水に蛙が飛び込むことも、菜の花に日が沈むことも、考えてみれば、なんてことのない出来事である。「平凡な毎日を一生懸命生きること」を、俳句という詩は何百年も昔から、おおらかに肯定してきたのだ。

 教科書の俳句、もちろん素晴らしい。でも、それだけでは俳句の魅力は語り切れない。だから、たとえば副読本としてこの本をめくってみてほしい。きっと、これからを生きるための言葉と出会えるはずだ。

(こうの さき・俳人)


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