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武蔵野から宮本常一を考える――W刊行記念 赤坂憲雄 ✕ 木村哲也

武蔵野から宮本常一を考える――W刊行記念 赤坂憲雄 ✕ 木村哲也(前編)

イベントで対談する木村哲也さん(左)と赤坂憲雄さん(右)

ともに岩波書店から出版された『いくつもの武蔵野へ 郊外の記憶と物語』(赤坂憲雄著)『宮本常一――民俗学を超えて』(木村哲也著)の刊行を記念して、著者のお二人によるトークイベントが開催されました。

東北をフィールドとした学際的な研究「東北学」を立ち上げた赤坂さんは、現在は生まれ育った東京に戻り、故郷である武蔵野にあらためて向き合っています。今回の『いくつもの武蔵野へ』のなかで、赤坂さんが武蔵野を考える手がかりのひとつとして掲げているのが、宮本常一です。宮本もまた、武蔵野に長きにわたって暮らし、多くを書き残した人でした。

木村さんは、武蔵野の地の高校で学んだ10代の頃から宮本常一の著作に魅了され、宮本の資料を所蔵する周防大島文化交流センターの学芸員も務められました。

かねてから、ぜひ対談したいと思われていたお二人。互いの新著を契機としながら、宮本常一と武蔵野について縦横無尽にお話しいただいた内容を紹介します。

2026年2月14日(土)主催:今野書店、会場:西荻シネマ準備室
登壇者プロフィールはこちら

 

前編:宮本常一は民俗学を超えたのか?

「創造的な読者」が映す宮本常一像

赤坂 今日の木村さんとの対談を楽しみにしていました。初めてお会いしたのは木村さんが周防大島にいらっしゃったときですね。

木村 2005年です。2004~2006年までの3年間、周防大島文化交流センター(現在の愛称は宮本常一記念館)で3年間、学芸員をしていました。

赤坂 (『宮本常一』を掲げながら)この本、とってもいい本ですね。こういう宮本常一の論じ方もあるんだなと、気づかせてもらいました。鶴見太郎さんの「創造的な読者」を踏襲しているというか。同時代の知識人や研究者を鏡にし、そこに映っていた宮本常一像を丁寧に拾っています。

こういう読み方が可能になるには、宮本さんが亡くなってからこれだけの時間――45年が必要だったのかもしれない。同時代の研究者や学者の仕事を、こういうかたちで論じることは難しいでしょう。この本のなかに出てくる人で宮本さんと直に会ったり師弟関係にあったりしたのは、網野善彦さんだけです。他の人はみんな、同時代であっても直接に交流があったのではなくて、書物を通してなんですよね。

同時に面白いのは、周防大島文化交流センターのデータがすごく充実してきて、宮本さんの日記も全部読めるようになっていること。だから、宮本さんが誰に会ったりしたかを全部チェックしながら、この本を書かれているでしょう。

木村 はい、宮本の日記が出版されて、附録にCD-ROMがあり(『宮本常一 写真・日記集成』上・下巻およびCD-ROM「宮本常一 戦前・戦後全日記」が附録の田村善次郎編『宮本常一日記 青春篇』。いずれも毎日新聞社)、全文検索できるんですよ。例えば、「ヤポネシア」(島尾敏雄が日本列島を捉えなおすために用いた造語)が、たった1回だけ日記に出てきて、それがどういう出方をしているのかがわかります。

赤坂 書評だった?

木村 書評ではなくて、谷川健一が一緒に『ヤポネシア』という雑誌を作りましょうと言ってきた話ですね。書評でいうと、森崎和江です。宮本は、ものすごく厳しい批判を森崎から受けているんですが、その森崎の名前がたった1回、日記に出てくるんです。森崎の『まっくら』(三一書房。現在は岩波文庫版がある)を褒めていて、その書評も書いているんですよね。そういうことがわかるのは、データベースのなせるワザでしたね。

赤坂 なるほどね。宮本常一が島尾敏雄さんのヤポネシアの考え方にある種の影響を与えていたということも、とても新鮮でした。

もう一人、司馬遼太郎さんとの関係も。司馬さんの著書には、あまり宮本さんの名前が出てこない。

木村 そうですね。『街道をゆく』(朝日新聞出版)には、ちょこちょこ宮本の名前が出てきますけどね。

赤坂 司馬さんは、宮本さんの追悼文を書かれているんですよね。

木村 あれはとってもいい文章です。

赤坂 俺は宮本常一と仲良いよ、とか、そういうことはいっさいなしで、静かにその影響を受けていたというか、司馬さんが宮本さんの仕事に敬意を持っていたことが、木村さんの本でよくわかります。

木村哲也『宮本常一 民俗学を超えて』

『宮本常一――民俗学を超えて』木村哲也著(岩波書店)

書き込みを見るために周防大島へ

赤坂 蔵書のデータベースもあるんですね。

木村 そうなんです。宮本の蔵書が2万冊ぐらいあって、僕が働いていたときから、周防大島文化交流センターでは目録を作っていました。本のタイトルのほかに書き込みの有無も記録してあり、今回の本で取り上げた何人かの著作について宮本の蔵書にあればリストをくださいと頼んだら、書き込みの有無までリスト化したものを提供してもらえたんですね。

ただ、わかるのは書き込みの有無だけで、内容まではわかりません。それで去年(2025年)、実際に蔵書を島へ見に行ったんです。そうしたら、宮本が誰のどういう本にどういう書き込みをしているかがわかった。それは大きかったですね。

赤坂 そこから見えたことが、たくさんあるでしょうね。書き込みがたくさんあったのは、安丸良夫さんの『神々の明治維新』(岩波新書)でしたっけ。

木村 そうです。ずいぶん傍線を引いて、熱心に読んでいましたね。

赤坂 そうやってわかるのも、なんだか怖いね。僕の蔵書は5万冊ぐらいあるけど、死ぬ時はちゃんと全部始末したいなと思う。

木村 残したら全部調べられますよ。

赤坂 そんなに読めるわけがないので、ほとんど読んでないんです。たった1行を読みたいがために買わなきゃいけないものもあるし、本っていろいろなんですよね。

「土佐源氏」への折口信夫の影響

赤坂 木村さんのこの本を読んでいろんな発見がありました。例えば、宮本さんの「土佐源氏」(『忘れられた日本人』所収)への折口信夫の影響なんて、誰も言ったことがないでしょう?

木村 誰も言っていません。初めてですね。

赤坂 折口信夫が、昭和20年代の終わりには亡くなっていたからかもしれない。この指摘は新鮮でしたね。

木村 ありがとうございます。今度書いた本には、ありがたいことにいくつか反響があるんですけど、折口信夫の章についてはほとんどなくて、「大丈夫かな?」と思っていました。真っ先にそこを言ってくださって、嬉しいですね。

失明した「乞食」が身分を超えた性愛を告白する「土佐源氏」には、創作じゃないかという話が付いてまわります。高知の檮原(ゆすはら)で、宮本がモデルのおじいさんに話を聞いたことは事実なんですけどね。

「土佐源氏」への折口信夫の影響については、今の職場、国立ハンセン病資料館に来て、気づいたんです。資料館の常設展示室に「俊徳丸」の展示があります。「俊徳丸」は中世以降、大阪に伝わる口頭伝承で、説経節や人形浄瑠璃、歌舞伎になったり、三島由紀夫や寺山修司が現代演劇にしていたりもします。

俊徳丸という男が継母の呪いで失明し、「乞食」になって大阪の四天王寺で物乞いをする。その後、四天王寺に願かけをして回復し、恋仲にあった高貴な娘と結ばれるという話で、「土佐源氏」とまったく同じ構造じゃないかと気づいたんですね。

民俗学の古典ともいえる折口の『古代研究』(全4巻、中公クラシックス)のなかに、「餓鬼阿弥蘇生譚」という論考が3本入っています(「餓鬼阿弥蘇生譚」、「小栗外伝(餓鬼阿弥蘇生譚の二)魂と姿との関係」、「小栗判官論の計画 餓鬼阿弥蘇生譚終篇」の3篇)。餓鬼阿弥とは、いわゆる物乞いのことで、「俊徳丸」など、その身分に堕ちた主人公が蘇生するという筋書きを持つ話をまとめ、それが日本の物語の重要な型のひとつであると論じるものです。折口のそれを読むと、「色懺悔」も出てくる。過去の性愛を告白する「色懺悔」の物語の大元に「餓鬼阿弥蘇生譚」、つまり「俊徳丸」があるんだと論じているんです。それで、宮本が折口の「餓鬼阿弥蘇生譚」を読んで「土佐源氏」のヒントにしたのではないかと考証してみました。

折口が生まれて宮本が青春時代をすごしたのは、同じ大阪の四天王寺界隈です。かつては物乞いが多かったところで、ハンセン病患者もたくさんいたことで知られています。それを折口も宮本も見ている。そうした事実が「土佐源氏」の背景にあるんじゃないかということは、たぶん誰も指摘していない。

「俊徳丸」には、ハンセン病のモチーフもあるんですよ。継母の生き肝の血を飲んで、俊徳丸がハンセン病から蘇る。宮本常一は、さすがに「土佐源氏」の語り手のおじいさんをハンセン病の設定にはしていませんが、「強盗亀」と呼ばれた池田亀五郎という実在の人物について、ハンセン病の治療のために子どもをさらって生き肝を食らうと人びとが恐怖したという噂話を挿入しています。そんな史実でもないことを宮本がなぜ書き込んだのか、研究者の間でも謎だったんですよ。だけど「俊徳丸」を補助線にすると、あっけなく解けてしまいます。

赤坂 ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』(新潮文庫)の「土佐源氏」への影響は、いろいろな人たちが指摘していますが、それだけじゃないんですね。

聞くと書くの間には編集作業が入る

赤坂 それにもうひとつ、宮本さんと石牟礼道子さんとの関係が気になってきました。僕は石牟礼さんの『西南役伝説』(講談社文芸文庫)の解説を書いていて、その時に調べたことがあるんです。宮本さんが、のちに『忘れられた日本人』に収められる老人の聞き書きを、1960年の少し手前から『民話』という雑誌に連載していて、石牟礼さんは、それをたぶん読んでいる。

『西南役伝説』は聞き書きで、いろんな話が何本も入っています。木村さんの今回の本では『西南役伝説』には触れられていませんでしたが、宮本さんから石牟礼さんの『苦海浄土』(講談社文庫)へとつながっていくラインが、この本を置くと、くっきりするのではないか。石牟礼さんもあきらかに創造的読者の一人なんだと思いますね。

木村 『苦海浄土』の文庫版の解説で渡辺京二さんが指摘されているように、『苦海浄土』も聞いたまま書かれたものではないと言われています。

赤坂 石牟礼さんは、聞いたままなんて書いていないですよね。だって言葉を持たないような水俣病の患者の方にも語らせちゃうんだから。でも、「そういう声が聞こえてくるんだもん」と石牟礼さんに言われると、そうなんだと納得しちゃう。

木村 そういうことですよね。

赤坂 「土佐源氏」も聞き書きのかたちなので、それが本当かどうか、いろいろなことを言われる。でも、僕も聞き書きをいろいろやってきたので少しだけわかるんですが、「聞きたるままを書きたり」が聞き書きじゃないんだよね。聞くと書くとの間には、編むという編集作業が絶対に入っている。

民俗学と文学の関係は、ある意味ではとても卑猥で淫靡で、そういうわけがわからないところが編むという作業のなかにもたくさんあるんだと思うんです。木村さんの本の「土佐源氏」の章に石牟礼さんが出てきたことで、これは面白い問題だなと思いましたね。

木村 ありがとうございます。今じゃなかったら、今度の新書を書けなかったような気がします。学生の頃は折口なんか全然わかんなかったですもんね。今になって「餓鬼阿弥蘇生譚」などの世界が響いてきています。

「民俗学やってたら、宮本常一なんてわかるわけない」

木村 最初に赤坂さんにお会いしたときに言われたことが、すごく思い出深くて。私は大学院に入ってから民俗学をかじって、学部では歴史学を専攻していたんです。それを赤坂さんに伝えると「それなら、わかった」と。「どういうことですか?」と訊くと、「民俗学やってたら、宮本常一なんてわかるわけないもん」って言ったんですよ。

赤坂 じつにいい加減なことを言っていましたね(笑)。

木村 「えー!」と思って。なんてことを言うんだと思ったんです(笑)。

赤坂 いやいや木村さんも、今回の本のサブタイトルに「民俗学を超えて」って書いていますよ。

木村 そうなんです。あの時のことも、つながっているんです。

赤坂 その場面を全然覚えていませんが、言いそうなセリフですよね。木村さんは、宮本さんの教えを直接に受けた人たちの後に、歴史学から入ってきた。だから、こういう本を書けたんだと思います。

民俗学の世界、あるいは宮本門下の立場からの宮本常一論は、限界があるんですよね。それは仕方がないことだと思います。例えば柳田国男も、亡くなってから再評価された(1962年没)。『遠野物語』を多くの人たちが夢中で読むようになったのは、1960年代ですよ。時間的なズレがなければ語れないものがある。

木村さんは、「民俗学を超えて」とあえて書いて、民俗学プロパーではない人たちがどういうふうに宮本さんの書いたものを読んで、それぞれの仕事のなかに活かしていったのかを追跡した。その作業は、宮本さんを知る第一世代や、もともと民俗学の人には無理なんです。

文学だから読まれ受け継がれていく

木村 この本の章の扉には、写真をいくつか入れています。最初と最後の写真の提供者は、宮本常一のご長男の宮本千晴さんです。今年で89歳になられますが、お元気で、宮本が住んでいた府中の家に、そのままお住まいです。できあがった本を千晴さんにお送りし、そのお礼としていただいたメールで、「本で書かれていることにまったく異存はないけれど、ひとつだけ……」と言って千晴さんが伝えてこられたのは、「父は終生「民俗学者」を名乗っていました」ということでした。ただ、千晴さん自身もそのことに疑問を感じないではなかったとも書かれていました。「民俗学を超えて」というサブタイトルの本に対して、とても大きな問いかけをされたなと思いました。

赤坂 あえてこのサブタイトルを添えたのは、木村さんの覚悟でしょう?

木村 覚悟というほど大げさじゃないですが……。本のなかに正直に書いたように、私が大学で民俗学を学ぼうとしていた時代には、宮本常一は冷遇されていましたからね。とくに民俗学者からは冷笑され、「あんなものをやって何になるの?」と。その理由を尋ねたら、もう返事は決まっていて、「実証性がない」「理論がない」。そんなことばかり言われていました。

赤坂 柳田が亡くなった時もそうだったんですよ。「体系化されていない」「方法がない」「実証性がない」とか。さんざん叩かれるものだから、アカデミズムのなかに民俗学を制度として埋め込もうと、民俗学者はみんな苦労した。民俗学には歴史学へのコンプレックスがあるんですよ。柳田は平泉澄という東大の国史の教授がその場にいる講演で、彼を名指しで批判しましたが、柳田は偉くて権威があったからできたことで、そんなことは普通できないですよね。

ぼくは柳田国男論をたくさん書いてきて、何度も決別しようと思ったんですが、気がつくとまた戻ってしまう。柳田国男は民俗学的な眼差しで日本文化をトータルに語った人で、何か困って柳田の全集を開くと必ずどこかに書いてある。柳田の全集は日本文化をめぐる百科全書だと思います。

でも、折口には誰もそれは求めない。着想が全然違うから。じゃあ、宮本常一はどういうふうに読まれるのか。たしかに宮本さんも、「「土佐源氏」は話としては面白いけど、あれはなんなんだ」といった批判をさんざん受けてきましたが、木村さんが書かれたように、民俗学の外側にいる人たちこそ宮本常一を受け止めている。民俗学的に宮本常一を継承するよりも、もっとやわらかいかたちでたくさんの人たちに開かれたほうが、絶対に面白くなると思いますね。それでいいのに、制度のなかに一生懸命回収しようとして、小さく貧しくしてしまっていると感じます。

民俗学と文学は、とても不思議な関係ですよね。『遠野物語』も、はっきり言えば文学です。文学だから、たくさんの人に読まれて受け継がれていく。だから、『忘れられた日本人』も、ある意味では文学なんです。では、文学ではいけないのか。

先ほども話しましたが、聞くと書くとの間には編むという作業があります。つまり、編集している。100時間テープを回して、全部を書き起こして膨大な資料を作ったところで、意味がないんですよね。民俗学を超えたほうが、宮本常一の仕事は活かされるし、生き延びるし、豊かになるんじゃないか。そういう感触があります。

聞き書きは生の出来事

木村 現在の私たちが宮本常一を読むときに、何か民俗学のアカデミックなトレーニングを受けなくちゃいけないということはないですからね。

赤坂 僕もまったく受けていません。木村さんも、トレーニング、受けていないでしょう?

木村 受けていないですね。大学院に宮田登さんがいましたから、単位を取るために民俗学を少し学んだという感じです。

赤坂 僕は、聞き書きはずいぶんやってきました。聞き書きって不思議な方法です。インタビューにはある種の権力関係があると思いますが、聞き書きは話してくれる方が主人公なんです。だから、僕がすごく豊かな聞き書きをした人のところへ教え子の学生に行ってもらっても、結果はまったく違う。話し手との関係が違うから、同じ聞き取りをするのは無理なんですね。例えば、シベリア抑留から帰ってきて開拓村に入った人の目の前に、20歳過ぎの若者がいても、伝わらないだろうなと思われてしまって語られないということが起きる。聞き書きは生きもので、聞き手の身の丈以上のことは聞けない。

宮本さんのように、やわらかくて、身の丈が大きな人は、いろいろな声を聞き取れる。誰もが言いますが、宮本さんは人たらしだったらしいですよね。初めて会いに行ったおじいちゃんが飛びついてくるとか、「あんたに会いたくて俺は来たよ」と言われるとかね。

木村 赤坂さんの今度の本(『いくつもの武蔵野へ』)のなかで、府中の大國魂神社の祭礼で若い衆が太鼓を叩く場面を、ものすごくいきいきと書いていますよね。あの大きな太鼓がどこから来たかを、宮本常一が調べています。浅草の皮革産業の地区です。そこへ調査に行ったときが、先ほどの赤坂さんの話と同じで、宮本の学生が頑固な職人に追い返されるんですね。「お前なんかにわからない世界だから」と。「どうにもラチがあきません」と教え子が宮本のところに泣きついてくる。それで、どれどれと宮本が行ったら、顔を合わせた瞬間に、それまでの態度が嘘みたいに心を開いたという話があります。

赤坂 聞き書きは、1回きりの生(なま)の出来事なんですよね。次に行ったときに、前の話の続きで緊張度の高い聞き書きができるかというと、全然違ったりする。

木村 同じ人が行ってもそうですよね。

赤坂 むしろ、「そんなこと、俺、喋ったか?」ということが、いくらでもあるくらい。僕もすぐ忘れちゃいますからね。学生に、先生があの時こう言いましたと言われても、何も覚えていなくて。でもそれは、いい加減ではないんだよね。その場やその流れのなかでしか出てこない言葉がある。

木村 宮本は、そういうものをキャッチするのに、本当に長けていたんだと思います。

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