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『図書』2023年8月号 目次 【巻頭エッセイ】高草木光一「私の伯父さん」

◇目次◇
私の伯父さん……高草木光一
銭湯のロマン……森見登美彦
シグナルズ……中野聡
煙草について……原田宗典
サルと文学……坂野徹
『クマのプーさん』を読みながら……司修
中国古典と向き合うために……古勝隆一
波……志賀理江子
ふつうでいるために…という努力……山谷典子
美術学校の精神的象徴としてなかば公開制作された《悲母観音》……新関公子
Brief Encounter……谷川俊太郎
狂言「猿座頭」……近藤ようこ
農村から近代に至る道……前田健太郎
モモとわたし……寺地はるな
オオウミガラスの聖地巡礼……川端裕人
マクミラン社の兄弟……近藤和彦
こぼればなし

(表紙=杉本博司)
 
◇読む人・書く人・作る人◇
私の伯父さん
高草木光一
 

 私の母方の伯父は、この世の中に貨幣など存在しないかのように生きた人だった。自給自足と物々交換とで、結構楽しく、豊かに暮らすことができた。こうまいな思想をもっていたわけではない。演歌歌手・三沢あけみの大ファンで、コンサートとなれば、どこやらからチケットを入手してきて、前橋市の自宅から浅草や新橋の会場まで約百キロの道のりを自転車で往復した。

 戦時中は徴兵されたものの、しばしば激しい神経痛の発作に見舞われ、多くの時間をベッドの上で過ごした。戦闘には一度も加わらなかった。神経痛は、今は知らず、当時は他覚的な検査方法がなく、医師は患者の主訴に従うほかなかった。敗戦直後に病は突如寛解し、山ほどの物資を背負って帰って来た。

 この度私は、『鶴見俊輔 混沌の哲学──アカデミズムを越えて』を上梓した。生前一度もそのけいがいに接することはなかったが、仮にいま鶴見と対面できたとしたら、鶴見とほぼ同世代のこの伯父の話をしてみたい。兵役を拒否した例は数多あるが、制度に正面から理念的に立ち向かえば、深傷ふかでを負うことは避けられない。伯父のように、一種コミカルな抵抗を強かに貫いた例に対して、鶴見はどんな表情を浮かべるだろうか。

 伯父は、終生「変人」として生きた。誰からも尊敬されることはなかった。しかし、鶴見のデモクラシー論を読み解いていくと、に自分のスタイルを守り通した伯父が、意外にも未来に向けて意味ある存在のように思えてくる。鶴見を通して、これまで慣れ親しんでいた風景が様変わりして見えてきた。

(たかくさぎ こういち・社会思想史)

 
◇こぼればなし◇

〇 六月に刊行した岩波科学ライブラリー『大規模言語モデルは新たな知能か──ChatGPTが変えた世界』の勢いが止まりません。発売早々から刷を重ね、大きな反響をいただいています。著者の岡野原大輔さんは、日本のユニコーン企業(起業から一〇年以内で評価額一〇億ドル以上、未上場の企業)の中で先頭をゆくPreferred Networksのトップとして、AI開発やディープラーニング研究を牽引されてきた方です。

〇 本書は、AIを深く知る著者による書き下ろしで、世界中を騒がせているChatGPTなど「大規模言語モデル」とは何かを知りたい人必読の一般書といえるでしょう。数式が出てこないのがありがたく、どこを切っても文系の血しか出ない小欄筆者のような読者にも読み通せるのがうれしいところです。

〇 著者によれば、スマートフォンがたくさんの電化製品を一つに統合してしまったように、「大規模言語モデルを使った対話サービスを通じて多くのサービス(翻訳、編集、検索、予約、メール、カレンダー、ショッピングなど)をユーザーが利用するようになる可能性もでてきている」といいます(序章「チャットGPTがもたらした衝撃」より)。大規模言語モデルの開発と進化が、仕事や生活をどう変えていくか。その様々な恩恵の可能性と、リスク・危険性が明快に述べられます。言語モデルの研究と開発の歴史、さらに原理やしくみも、図とともに丁寧に解説。各章のコラムも充実しています。

〇 そして本書全体を貫く重要なメッセージが、「大規模言語モデルは、人間の理解に重要な役割を果たすと考えられる」ということです。「人が言語をどのように理解し、考えるのかを理解できるかもしれない。私たち自身がどのように世界を認識し、考え、他者と交流しているのかについて、より深く理解できるようになれば、人の世界の認識の仕方や、考え方、私たち同士の関係も、大きく変わっていくことができる」(終章「人は人以外の知能とどのように付き合うのか」より)

〇 ところで、岩波科学ライブラリーが創刊して、今年でちょうど三〇年になります。「一線の研究者が、最先端の話題を読み物として臨場感あふれる筆致で自在に料理。面白くて、読んだ後に世界観が少し変わるような読書体験を提供してきました」とは自然科学書編集長の弁。岡野原さんの本がまさにそうです。本叢書は、第六七回(二〇一三年度)毎日出版文化賞(自然科学部門)をシリーズ全体として受けるなど、高い評価をいただき、多くの読者の皆様に支えられてきました。これからもどうぞご期待ください。

〇 ご報告です。國分功一郎さんの岩波新書『スピノザ──読む人の肖像』が第一一回河合隼雄学芸賞を、また『目で見ることばで話をさせて(アン・クレア・レゾット作、横山和江訳)が、第七回日本子どもの本研究会作品賞を受賞しました。

〇 谷川俊太郎さんとブレイディみかこさんの往復連載「言葉のほとり」は、本号が最終回。『その世とこの世』とタイトルを変えて、今秋、書籍刊行予定です。


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