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原田宗典 おきざりにした悲しみは

《対談》そこには光が差している──原田宗典 × マカロニえんぴつ はっとり

原田宗典 × マカロニえんぴつ はっとり|おきざりにした悲しみは 01

原田宗典さんの自身6年ぶりとなる新作書き下ろし小説『おきざりにした悲しみは』刊行を記念して、かねてから原田宗典さんの作品に親しまれてきたという、ロックバンド「マカロニえんぴつ」のはっとりさんをお招きし、原田宗典さんとご対談いただきました。

「お近づきの印」に

原田:今日は来てくれてありがとう。実は、プレゼントを持ってきたんです。

はっとり:「お近づきの印」……。開けちゃってもいいですか?

原田:どうぞ開けて見てみてください。

原田宗典 × マカロニえんぴつ はっとり|おきざりにした悲しみは 02

はっとり:おおー。

原田:今朝、彫りました。

はっとり:彫った?

原田:篆刻っていいます。書を書いた人の名前のとなりに、ポンとハンコが押してあるでしょう。あれです。仲の良い人にお近づきの印として彫ってあげるんだけど、みんな喜んでくれるんだよね。

はっとり:ええ、僕のハンコを彫ってくださったんですか? うわ、うれしい。これすごいな。大、小とふたつもありがとうございます。いやーほかにはない僕だけの印だ。どういう場面で使おうかな。大したことない言葉のとなりに押すだけで説得力がぐんと増しそう。

原田:そうなの、そうなんですよ! 本当はね、大きい方は「マカロニえんぴつ」って彫りたかったんだけど、俺さ、目が悪くてね。10年くらい前から緑内障で、どんどん悪くなってて、細かいところを彫るのが大変で。今朝、5時に起きて、はっとり、はっとり、はっとり……って何度も彫ったから、はっとりっていう名前があんまり好きじゃなくなったよ(笑)。

はっとり:そんな大変ななか彫ってくださったんですね。ありがとうございます。嫌になるほど彫っていただけたのもうれしいです(笑)。

原田:昨日の朝コーヒー飲みながら、そうだ明日はっとり君に会うんだった、来てくれた御礼がしたいな、篆刻かな、でも道具はぜんぶ八ヶ岳の山荘に置いてあるからな、んーもう買いに行こう! って勢いで新宿に行ってこの「篆刻セット」を買ってきたの。篆刻はおもしろいよ。このセットごと、あげます。

はっとり:ええっ。いいんですか!?

原田:はい。荷物になるけど。過去の対談記事(※)で、趣味を探していると仰っていたでしょう。僕の趣味がこれだったんです。

※『マカロニえんぴつ はっとり 対談集 会いに行く支度する。』より

はっとり:ありがとうございます! 家に帰ったらやってみます。逆さで名前を彫るのってコツが要りそうですね。

原田:ぜひ新しい趣味として楽しんでみてください。それにしてもマカロニえんぴつって名前、いいよね。おもしろいよね。どうやって考えたの?

はっとり:バンドの名前は僕が考えたものではなくて、メンバーが語呂で決めたんですよ。そのメンバーはやめてしまったんですけど。後付けでいろんな理由をつけたりはしたんですけど、本当は、ノリでメンバーがつけたバンドの名前なんです。柔らかいのと硬いのってことなんですかね。

原田:なんとなくなんだねー。いいとこついてると思う。マカロニかあ。

「おきざりにした悲しみ」を救う物語

はっとり:『おきざりにした悲しみは』とってもおもしろかったです。原田さんの文章はリズムがしっかりしていて読みやすくて、つまずくことなく最後まで一気に読んじゃいました。群像劇のように登場人物にスポットが当たっていくじゃないですか。それぞれがおきざりにした悲しみだったり、はたまた自分がおきざりにされた側だったり、その悲しみにやさしく光が差して、あたたかく、じんわりと救われていく。最後はとてもハッピーな気持ちになりました。

原田:うれしいなぁ。

はっとり:救われてほしいと思いながら、心配で読み進めちゃうんですよ。主人公の長坂誠は、おきざりにされた子どもたち、真子ちゃんと圭くんに出会わなければ、自分がおきざりにした悲しみを救いに行くことをしなかったと思うんです。最終的には、誰かの悲しみを救ったことで、長坂誠自身が救われている。

原田宗典 × マカロニえんぴつ はっとり|おきざりにした悲しみは 03

 読んでいて、うるっとくるところがたくさんありました。あの長坂誠のお母さん、自分が住んでいる岡山に息子が戻ってきてくれたら、やっぱりうれしいじゃないですか。でも、すぐに用事を済ませて東京に帰っちゃうでしょう。そのとき、お母さんが長坂誠に手渡した封筒に書いていた言葉──僕も30代になってからか、母親に会いたいと思うことが増えたんです。そんな気持ちとも重なって、じわーっときました。あと「待っている人がいるということは、こんなにも気持に張り合いの出るものなのだな。」って長坂誠が思うところがあるじゃないですか。すごくわかるんです。最近、犬を飼い始めたんですけど、家で待ってると思うだけで帰るのが楽しみなんですよ。「ただいま!」って言って帰るんですけど、「ただいま!」って言うようになったのは久しぶりだなって思い出しました。

原田:そうだねえ。いま俺が母親と一緒に住んでるとなりの部屋に、90代かな、おばあさんがひとりで住んでるんだよ。そのおばあさんがさ、部屋のドアを開けて「ただいまー!」って言ってから入っていくのよ。いいな! 俺も一人暮らしになっても、誰もいない部屋に「ただいまー!」って大きな声で言おう! って思ったね。おばあさんが、何かを教えてくれたような気がしたよね。

アナログ×デジタルでうまれるもの

はっとり:本の帯にも書かれていますが「水のような文体」というのは、読みやすさを追求されたということなんですか?

原田:読みやすさと、リズムかな。リズムはいつも大事にしてる。最初は原稿用紙に筆ペンで手書きするんだよね。2章目の途中くらいかな、50~60枚目ぐらいまでは手で書いて、リズムができてきたら、今度はそれをパソコンで打ち出す。

はっとり:パソコンで書き始めてからは手書きに戻ることはないんですか?

原田:うん。俺はね、早い時期にワープロを使い始めたんだ。誰もまだそんなものは使わず手で書いていたようなときにね。自分の字が嫌いだったのよ。下手だなあと思ってて。ワープロってもんが登場して、それで書いた作品で新人賞を獲ったんだ。だから、最初のころはワープロで書いてた。でも俺なんかよりずっと前に、安部公房先生がワープロを導入してたらしいんだよね。当時はフロッピーディスクにデータを記録していたんだけど、安部先生は「初期のフロッピーディスクって、LPジャケットくらいの大きさのあれでしょ」って言うんだよ。そんなフロッピーなんて見たことない(笑)。それをガシャン! ってピアノみたいに大きなワープロに差し込むんだって。

はっとり:ええっ。初期のワープロってそんな感じなんですか。

原田:いっちばん最初のワープロだよね。だから俺はそのあとくらいにワープロを使い始めたことになるんじゃないかな。30代なかばくらいのエッセイはみんなワープロで書いてたからワープロでリズムができてたんだけど、30代の後半に差しかかったころになんか違うなあって思って。自分があこがれていた作家像は万年筆で原稿用紙に書いて「ダメだ! くしゃくしゃ、ポイ!」ってやつで、キーボードを叩いてるようなのじゃなくてね。それで30代の後半ぐらいから手で書くようになって、10年くらい続けてたら手書きのリズムになって、歳を重ねていくにつれてそのリズムがしっくりくるようになってきたんだよね。だったら最後まで手書きで書けばいいんじゃんって思うかもしれないけど、ワープロの癖もやっぱり残ってて。

はっとり:手書きとワープロの両方を使うのが、原田さんには合っていたんですね。

原田:俺にとってはね。

はっとり:原田さんのお話と似ているところがありますかね、音楽でもパソコンじゃなくてアコギを持って弾き語りしながら作り切ったデモのほうが説得力が出たりするんです。大枠はアナログというか、自分で弾いて歌ったもの。アレンジの段階に入ったら、やっぱりパソコンを使いますね。パソコンのおかげでアイデアが湧いてくるというか。

原田:うん、似てるね。

はっとり:設計図の「骨」の段階はアコギを持ちながら作るんです。肉付けはアコギだけじゃできないから、エレキギターに持ち替えたり、ベースを弾いたりドラムを打ち込んだりでイメージを作っていくんです。やっぱり、アナログとデジタルの両方が必要なんですよね。

原田:両方使えばいいんだよね。どっちかに偏らなくてもいいと思う。ワープロにはワープロの良さがあるし、手書きには手書きの良さがある。でも、ワープロの欠点があってさ。手書きだと書いた次の日に読み返して違うなと思うと、そこを消してとなりに書き直す。だから修正の跡が残るんだけど、ワープロだとどこを直したのかわかんなくなるんだよね。そうなると、いつまでも直し続けちゃうんだよ。

はっとり:あー。患部がわかんなくなるんですね。

原田:そうなの。

はっとり:原稿を読み返して直すことは、よくあるんですか?

原田:いまは少なくなったけど、最初のころは原稿用紙がめちゃくちゃになるぐらい直してたね。

はっとり:編集者に言われてっていうより、ご自身が気になるから直すんですか?

原田:自分でだね。声に出して読んで、リズムが違うとか、この言葉が余計だな、とか。

長篇小説を支える仕組み

はっとり:僕は、短篇集の『優しくって少し ばか』と『時々、風と話す』から、原田さんの作品に入ったんです。もちろんエッセイも読ませていただいて『十七歳だった!』と『貴方には買えないもの名鑑』は大好きです。大学で出会った友だちが本読みで、彼に、たぶんはっとりは好きだと思うよ、気に入ったらほかの作品も買ってみるといいよって教えてもらったのが原田さんの本だったんです。それが原田先生の作品に触れるきっかけでした。

はっとりさんによる朗読「バイクになった猫」(原田宗典 著『時々、風と話す』より)

はっとりさんによる朗読「かければ瘦せる【ダイエット眼鏡】」(原田宗典 著,長岡毅 イラストレーション『貴方には買えないもの名鑑』より)

原田:最初期の作品だねえ。

はっとり:自分で文章を書くこともあって、ファンクラブのブログで短い創作ものだったり、エッセイじみたものをたまに載せたりしています。近い雰囲気を出せたらと思いながら、いつも原田さんの文体を意識しています。

原田:そのうち小説も書くんじゃないかな。

原田宗典 × マカロニえんぴつ はっとり|おきざりにした悲しみは 04

はっとり:書いてみたいんですけど、今回『おきざりにした悲しみは』を読んで感じたのは……作品を支えている仕組みがわからなかったんですよ。どうしてこんなに長いものが書けるんだろう、無駄がないのに、ご都合主義でもない、でも偶然がちゃんと繋がっていく。一体、どういうロジックなのか不思議で。まだ長い文章を書く自信はないです。

原田:俺もね、最初は短篇型の作家で、自分には短篇しか書けないと思ってた。30歳になるまで短篇しか書かなかったよ。その代わり、高校生のときから『○○短篇集』っていうのがあったら必ず読むようにしていて、短篇をずっと磨いてきた。長いのが書けるようになったのは、芝居に関わるようになってからだね。20代後半くらいからかな、東京壱組っていう劇団で作家として脚本を書き始めたんだよね。芝居だとね、「ハコ書き」っていうのがあって。ひとつの場面を「一場」「二場」っていうんだけど、場ごとに、登場人物が誰で、何が起こってというのを「ハコ」として一枚の四角い紙にまとめて、ぶわーっと並べる。ここまでを一幕として、二幕目はこの場から始まる、っていうのを整理して芝居を書いていくの。

はっとり:場が変わるっていうのは、シーンが切り替わるってことですか。

原田:うん、切り替わりだね。ハコ書きをやるようになったら長篇小説も書けるようになった。

はっとり:切り替えればいいんだ。『おきざりにした悲しみは』もまさにそうですよね。

原田:すっごいたくさんハコ書きをつくったよ(笑)。24章あるんだけど、話はこう流れていくから、ここは逆かな、うーんでも終わりはこうだから、じゃあ音楽入れるのはここで、次はここに入るから、この場はこのへんかな……っていうふうに作っていった。

原田宗典 × マカロニえんぴつ はっとり|おきざりにした悲しみは 05原田宗典Instagramより(harada.munenori

はっとり:じゃあ、時系列でいう終わりの場を、最初に決めることもあるんですか?

原田:うん、いろんな書き方をする作家がいるだろうけど、おそらく俺は始まりと終わりが決まらないとうまくいかなくて、書き始められないんだよね。これもたぶん、芝居の影響かなあ。芝居って終わり良ければすべて良しなの。お客さんはたいてい、観終わったあとに途中のことなんて覚えていないんだよ。覚えているのは最後。最初のシーンさえ忘れてるお客さんもいるくらいだし(笑)。でも、最後が良ければ「あの芝居はいい芝居だった」って、みんな言うんだよね。

はっとり:言われてみればたしかに! すっごくおもしろかった芸人さんのライブとか、何個もコントがあったのに、あんなに笑ったのに、観終わったあとはおもしろかったってことだけを覚えていて、なんで途中を全く説明できないんだろうってことがあります。

原田:そうでしょ、途中にあったことは忘れちゃうよね。

はっとり:じゃあ中国の占い師みたいな人が出てくるところは、あとから湧いたアイデアなんですか?

原田:うん、あれは途中からだね。最初から誰か神様みたいな人がいてほしいとは思っていたの。そういう人がどこかで見ていて、何かを授けてくれるようにしたいとは考えてた。

昭和が香る令和の物語

はっとり:原田さんの作品は、登場人物のひとことで、設定を説明されなくてもどんな人なのか想像できるんです。それがまた無理をしていない自然体の言葉遣いだからか、感情移入もしやすくて。カギカッコの中の文章がすごく優しくて、人間くささがあって、素敵ですよね。登場人物には、細かな設定をしているんですか?

原田:ありがとう。作品に出てくる人物にはモデルがいるんだよね。だから実際の人物を思い浮かべながら書いてる。だけど自分が10代、20代のときはね、カギカッコの中の文章は苦手だった。それが克服できたのは、やっぱり芝居のおかげかな。

はっとり:芝居だと実際に役者さんがその言葉を声に出して話すわけですから、違和感があると気づける?

原田:そう。最初のころは、カギカッコ外のところでいろいろと説明をしてたけど、お芝居の数を重ねていくにつれて、こういう人でこういう外見でこういう声でとかいう説明をあんまり書かなくなった。それは役者さんがやってくれることで、書かなくていいことだからね。それからは小説でもあまり気を遣わずに書けるようになったと思う。

はっとり:お芝居の経験が原田さんの小説に与えた影響は本当に大きいんですね。タイトルの吉田拓郎さんの「おきざりにした悲しみは」はもちろん、藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」といった音楽からは、昭和の香りがしました。文体や言葉遣いも90年代ぽいなと思いながら読んでいました。でも、Adoやあいみょんみたいな令和の流行歌の歌手や、トー横のゴジラが出てきたとき、あ、令和の話なんだとふいに思わされて。ウクライナ情勢だったり、時事的な話題も出てくるじゃないですか。浮かぶ情景は令和でした。

原田:2023年の8月からリアルタイムで書いていった物語だから、自然と令和っぽさが出たのかもね。

はっとり:「暑い。」って何回出てくるんだよって思いましたけど、昨年(2023年)の夏はとにかく暑かったですもんね。そんななかで奮闘する長坂誠の姿に、人情を感じました。汗をかきながら働いて、飛び回って、自分のことでいっぱいなはずなのに、子どもたちのことを思う。でもたぶん、長坂誠自身は無理してるのが好きなんですよね。

原田:やせ我慢をする男だよね。

はっとり:長坂誠の言動からは、いまの時代にはめずらしい人情が感じられます。他人の事情に踏み込むと損すると思う人が多い世の中で、長坂誠はためらいながらもおせっかいをする。読んでいて、他人にそんなに親切にして大丈夫? って心配になりましたもん。でもほっとけないんですよね。長坂誠のあたたかさや「粋」が昭和の人特有のものなのか、令和の情報が飛び交う世界とのギャップをおもしろく感じたのかもしれません。65歳だけど、感覚は若いですよね。全部のことにこなれていないようなところとかは、年齢問わず誰もが自分を投影できるんじゃないでしょうか。年齢を感じさせないんだけど、歳だけとっちゃって、自分で「俺はもうおじさんではなく、おじいさんだ」と言い聞かせている。

原田宗典 × マカロニえんぴつ はっとり|おきざりにした悲しみは 06

 でもきっと、まだ情熱の火種があるからこそ、おじいさんになったことが悔しいんでしょうね。やらなきゃと思っていることをやり残したまま歳をとっていくことって嫌じゃないですか、焦るじゃないですか。スペインに行けよと他人は言うんです。思い立ったら行ける、けど「でも旅費がなあ」とか考えちゃって腰が重くなる、長坂誠の行動力のなさ。僕にも同じようなところがあります。生きているとそんなことばっかりですよ。自分の不甲斐なさは自覚してる。でも人には優しくしたい。その原動力が実は、孤独だったり、悲しみだったりするんだなって。僕は歌を書くとき、絶望を歌うけど、希望を見せたくて。光がちょっと差すようにして終わるようにするんです。原田さんの物語の終わらせ方は、僕にフィットするんですよね。最後のページは、話がそこで切れているだけで終わりじゃない。そこには光が差している。この人たちはこれから頑張れそうだなって、安心して本を閉じられる。そこがすごく好きです。

主人公・長坂誠の秘密

はっとり:今回の作品が生まれたのは、やっぱり吉田拓郎さんの「おきざりにした悲しみは」を聴いたことがきっかけだったんですか?

原田:そう。主人公の長坂誠のモデルになった、表紙の絵を描いてくれた長岡毅ってやつがいるんだけど、一緒に神保町のカラオケに行ったときにそいつが「おきざりにした悲しみは」を歌ったんだよ。歌っている姿を見て、かっこいいなあ、いい歌だねえ……生きているのはみっともない、そうだよねえ、と思って。で、「長岡さあ、お前がいま住んでるアパート、となりのとなりに母親と娘と息子の三人家族が引っ越してきたって言ってたよね」って聞いたの。長岡は「ああ、もう引っ越したよ」って言ったんだけど、もしお母さんがいなくなって、ふたりの子どもがおきざりにされていたら、長岡はどうするかなと思って。それが始まり。ここに描かれている冒険みたいな人生も長岡の人生そのもので、案外脚色してない。とてもほんとうだと思えないよね。でも、ほんとうの話。

原田宗典 × マカロニえんぴつ はっとり|おきざりにした悲しみは 07

はっとり:長坂誠が大阪に行くのも、長岡さんのご経験に沿ってるんですか?

原田:うん。お店は「エロ・スペイン」って名前じゃないんだけど。あと、ギターじゃなくてタンバリンだったんだけど。

はっとり:そうなんだ! 長岡さんとはいつからのお知り合いなんですか?

原田:高校のときから。ちなみに長岡毅は『十七歳だった!』に登場するN岡君です。

はっとり:えっ。あのカッチョいい家出をした、岡山のN岡君?

原田:そうそうそうそう。

はっとり:えー! じゃあ長坂誠の岡山弁は、N岡君の岡山弁なんですね。岡山弁いいなーって思ってたんですよね。

原田:方言っていいよね。俺はもともと東京で生まれて、高校の3年間だけ岡山にいたんだよ。

はっとり:あ、原田さんのお生まれは東京だったんですね。

原田:そう。高校に入るときに親父が仕事で岡山に引っ越すことになったの。おまえはどうするって聞かれて。東京に残るなら全寮制の都立高校があるぞって言われて、まあ見に行ったんだ。そしたらこれがとんでもなーい! すっごく汚い寮だったのね。こんなところで暮らしたくはない! というわけで、親父についていったの。そしたらアイス食べてる小学生なんかも「わしゃあアイスが好きじゃあ」なんて言ってて、もう強烈だったよ。みんなわしわし言ってて、最初はものすごく抵抗があったね。でも女の子の「いけーん」とか「おえーん」とかいうのはかわいくてさ。女の子の岡山弁はいいなー。いまでもそう思うね。

悲しみ、痛みを知っている人に届いてほしい

はっとり:本日はありがとうございました。とても楽しかったです。僕はあまり本を読み返すことはないんですけど、『おきざりにした悲しみは』は読み終えたあとにもう一回読みたいと思いました。悲しみ、痛みを知っている人に届いてほしい、大事にしたい作品です。原田さんの繊細な文体とともに、水のように心に沁みていくものがあるはずです。あと、現代社会への皮肉も込められているんじゃないかな。あの警部補さん、出てくるじゃないですか。事情を知ろうとせずに、自分の見たいようにしかものを見ない人。ネット・SNS社会を象徴しているなと思いました。自分の正義感だけ振りかざしてSNS上で攻撃してくる人たちがいますけど、それに近いものを僕は見ました。嫌なまとわりつき方をされたりしてネット社会に疲れた人は、読むと浄化されるものがあるかもしれない。いまの時代を生きる人に、ぜひ読んでほしいです。

原田:その通り! そこは狙っていたよ。今日はどうもありがとうございました。

はっとり:ずっと原田先生のことが好きだったので、お会いすることができてとても嬉しかったです。

原田宗典 × マカロニえんぴつ はっとり|おきざりにした悲しみは 08

(写真:西村智晴 撮影協力:カフェ ティシャーニ)

 

はっとり

2012年「マカロニえんぴつ」を結成。バンドではメインソングライターとボーカル、ギターを担当。エモーショナルな歌声とキャッチーなメロディ、聴く人の心を摑んで離さない歌詞の世界に幅広い年代から人気を集め、数々のCMや映画、ドラマの主題歌を担当。2021年度の「日本レコード大賞」では最優秀新人賞を受賞し、翌年には優秀作品賞にも選ばれ2年連続の受賞を達成。2023年には自身初となる全国アリーナツアーを開催し全公演SOLD OUT、2025年にはデビュー10周年を迎え、横浜スタジアム2DAYSの開催が決定している。バンド活動以外でもドラマや映画での俳優活動、NHK番組『偉人の言葉 Archived by NHK』にてナレーターとして参加するなど活動の幅を広げ、自身初となる歌詞集『ことばの種』(双葉社、2022年)や対談集『マカロニえんぴつ はっとり 対談集 会いに行く支度する。』(東京ニュース通信社、2024年)を出版しマルチな活躍をみせている。

>>マカロニえんぴつOfficial Site

原田宗典(はらだ・むねのり)

1959年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1984年に「おまえと暮らせない」ですばる文学賞佳作。主な著書に『スメル男』(講談社文庫)、『醜い花』(奥山民枝 絵、岩波書店、2008年)、『やや黄色い熱をおびた旅人』(岩波書店、2018年)、『乄太よ』(新潮社、2018年)、『メメント・モリ』(岩波現代文庫)、訳書にアルフレッド・テニスン『イノック・アーデン』(岩波書店、2006年)がある。

原田宗典『おきざりにした悲しみは』

おきざりにした悲しみは

原田宗典

2024年11月8日発売

定価=本体2,000円+税
四六判・上製・272頁
ISBN 978-4-00-061665-2

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