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『図書』2023年6月号 目次 【巻頭エッセイ】桜井英治「アイヌの貨幣」

◇目次◇
目が悪い……原田宗典
亀裂のある都市景観……大石和欣
破局表現考……池田嘉郎
西洋社会を学ぶ意味……前田健太郎
三冊目の『中国語学辞典』……竹越 孝
大学入試って何を試したいの?(下)……広瀬 巌
魯迅の「困惑」……三宝政美
笑いと臍の緒……谷川俊太郎
手術しました!!②……近藤ようこ
写本と版本が織り成す日本……佐々木孝浩
モモはうたう……小沼純一
チームで推進された日本の伝統美術振興策……新関公子
ソリテアが飛んできた道……川端裕人
A・J・P・テイラとトレヴァ=ローパ……近藤和彦
こぼればなし
(表紙=杉本博司)
 
◇読む人・書く人・作る人◇
アイヌの貨幣
桜井英治
 

 数年前、いまはダムの底に沈んでしまった北海道厚真町の遺跡から一四世紀初頭のアイヌ女性の墓が見つかり、副葬品として出土した漆器の図柄が鎌倉市内の遺跡でよく見かけるスタンプの「向い鶴文」だったことからひとしきり話題となった。ただし話題となった理由は、鎌倉から出土するからではなく、鎌倉以外では出土したことのないものだったからである。図柄が手描きでなく、スタンプなのは、庶民向けの粗製品であることを示している。贈答に使われるような高級品ではないから鎌倉以外では流通しなかったと考えられていたのだ。それがなぜはるか蝦夷地に運ばれてアイヌの副葬品となったのか、研究者のあいだにさまざまな想像をかき立てたが、結論は出ていない。

 一方、先日たまたま村井章介氏が翻刻した陸奥宗光の「東北紀行」を読んでいて、「アイヌは室内に剝落の古漆器を貯えている。彼らは漆器を重んじる。手に入れば宝のように大切にするばかりでなく、漁業に雇役する者には酒米を除き漆器をもって雇銭に代える。貨幣を給するようになったのはごく最近にすぎない」という記述と出会った。アイヌへの支払いがしばしば漆器で行われたことはこれまでも知られてはいたが、私はこの漆器を彼らの貨幣としてとらえ直せないものかと密かに考えている。それが「剝落の古漆器」であったことは厚真町の粗製品との連続性も窺わせる。歴史上、なぜといいたくなるようなものが貨幣になることは珍しくない。その起源や心性を探ることも歴史学の重要な仕事だ。

(さくらい えいじ・日本中世史)

 
◇こぼればなし◇

〇 肌寒い風を感じる初夏の某日、二、三日分の夕飯を作り置きすることにしました。駅前のスーパーに使いやすい真空パックのビーツが売っているので、それを使ってボルシチに。

〇 幾晩か、温めなおしたボルシチを食べながら、気になるのはやはりウクライナのことです。先月号小欄で『ウクライナ戦争をどう終わらせるか(岩波新書)を取り上げ、難民支援に際して心の傷(トラウマ)への対応も大事になってくるとの同書の訴えを紹介しました。ただ、そもそも戦下のウクライナの人びとにとって、日々の心の支えや糧となるはずの文化的な環境、たとえば本をめぐる状況はどうなっているのでしょう。

〇 『新文化』今年三月九日号の一面特集では、ウクライナの出版社の活動や読書事情がリポートされており、その一端を知ることができます。同紙によると、ウクライナ書籍会議所の調査として、二〇二一年には同国で二万一〇九五点が出版され、総発行部数は約四四七五万冊だったのが、二二年は九〇九六点(前年比五六・九%減)、約一〇〇〇万冊(同七七・七%減)という推計値になるそうです。

〇 同時に次のような事実も。「ウクライナ書籍協会によると、前線に近い地方の書店は閉鎖されているものの、侵攻を受けた最初のショックから立ち直った地域では、侵攻前の水準で書店が営業しているという。また、オンライン販売が伸長している」。ウクライナの約三〇〇の出版社のうち、昨年九月時点で八五・九%が稼働し、残りの一四・一%も部分的には稼働との報告にも驚かされます。

〇 事業の継続を戦争努力の一環と捉える出版社があることにもふれられていますが、同紙特集の見出しにあるように、「出版物が人々の拠り所に」なっていることは確かなようです。

〇 くつろいだ読書も大切な一部である、日常の暮らし。その尊さと脆さとを思います。以下は、三月に逝去された俳優の奈良岡朋子さんの言葉です。「大空襲の惨状を体験し、生と死のはざまを生き抜いて、疎開して緑の樹があり、桜が咲いていて、雑草があるのを見たとき、こんな草木も生きている、そして私も生きているのだと思い、生きていることをどれほど痛切に感じたか」(『私の「戦後70年談話」』、二〇一五年)

〇 佐藤正午さんの直木賞受賞作が原作の映画「月の満ち欠け」が、NTT docomoのプラットフォーム「Lemino」で五月二六日から一年間、独占配信されます。

〇 絵童話『けんかのたね(ラッセル・ホーバン作、小宮由訳、大野八生絵)が、第六九回青少年読書感想文全国コンクールの「小学校低学年の部」課題図書に選ばれました。また、絵本『ことばとふたり(ジョン・エガード文、きたむらさとし絵・訳)が、第七〇回産経児童出版文化賞の翻訳作品賞に決まりました。

〇 佐々木孝浩さんの連載「日本書物史ノート」は本号が最終回です。ご愛読ありがとうございました。新しく、前田健太郎さんの連載「政治学を読み、日本を知る」が始まりました。ご期待ください。


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