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リヴァイヴ文子!――今この時代に、「金子文子」の爆弾を ブレイディみかこ ✕ 浜野佐知

リヴァイヴ文子! ブレイディみかこ ✕ 浜野佐知 (前編:『私たちのテロル』がバイブルだった)

ブレイディみかこ『女たちのテロル』金子文子『何が私をこうさせたか』

過酷な境遇で育つなかで自ら抵抗の思想を獲得し、国家と対決して獄中で死を選んだ金子文子。今年の7月には没後100年を迎えます。金子文子を描いた2つの作品──ブレイディみかこさん『女たちのテロル』の岩波現代文庫版刊行と浜野佐知監督の映画『金子文子 何が私をこうさせたか』の公開を記念して、トークイベントが開催されました。お2人に金子文子について存分に語り合ってもらった内容の一部を紹介します。

2026年2月26日 誠品生活日本橋にて
登壇者プロフィールはこちら

 

前編:『私たちのテロル』がバイブルだった

集大成として文子をどうしても撮りたい

浜野 私はもともと女が映画監督になれない時代に映画監督をめざしたので、大手の映画会社や撮影所には就職できなかったんです。それでも諦めきれずにピンク映画の業界に入り、1971年に23歳で監督としてデビューしました。それから300本ぐらいの作品を世に送り出しています。

当時のピンク映画は男の欲望を具現化したものばかりだったので、私は女の性を女の手に取り戻すことをテーマに撮ってきましたが、女優以外にはスタッフにもプロデューサーにも女がいないなかで、私の主張が受け入れられないこともありました。女が自ら全裸になって「ねえ、やろうよ」という台詞を書いたら、プロデューサーに「女にやろうと言われて男が欲情するはずがない!って怒られたり。このままでは撮りたい作品を撮り続けられないと思い、1985年に自分の製作会社「旦々舎」を作りました。

1996年に、東京国際映画祭イベントとしてカネボウ国際女性映画週間」(後の東京国際女性映画祭)が開催されて、岩波ホール総支配人の髙野悦子さんをはじめ日本の女性映画人総出で、日本に女性監督を増やすんだ、世界の女性映画を紹介するんだという、すばらしい取り組みでしたが、その記者会見で、日本の女性監督で最多本数を撮ったのは田中絹代監督の6本ですと発表された。私は300本も撮っているのに女性監督としてカウントされないんだと、ショックを受けました。無籍者として存在するのにしないとされた金子文子と一緒なんです。それは私がピンク映画の監督だったからなんですね。

イベントで話す浜野さんとブレイディさん
浜野さん(右)とブレイディさん(オンライン参加)
浜野さんの隣(中央)は『女たちのテロル』の編集担当者

それで、女性監督として自分が今、ここにいることを映画界にわからせたいと、ピンク映画ではない映画を撮る決意をしました。でも、ピンク映画は300万円ぐらいで撮れますが、当時、一般映画は最低でも5000万円はかかるわけです。一介のピンク映画監督に、そんなお金があるわけがない。そこで、髙野悦子さんなど、その映画祭の関係者の人たちが支援に立ち上がってくれたんです。

最初の一般映画のテーマとして選んだのが、戦争に向かっていく100年前の日本で自分自身を貫いた、作家の尾崎翠でした。その次は、ロシア文学者の湯浅芳子。同じく100年前、レズビアンという言葉もなかった時代に、男が女を愛するように私は女を愛する性質(たち)なんだとカミングアウトして、中條百合子──のちの宮本百合子と7年間を共に暮らした女性です。

私は、戦前の日本、天皇を頂点とする家父長制のなかで、自分自身を貫いた女性に惹かれて映画を撮ってきたんですが、集大成としてどうしても撮りたかったのが、今回の『金子文子 何が私をこうさせたか』でした。

金子文子のエンパシー

ブレイディ 監督の映画を見て、文子の人生のここを切り取るのかという驚きがありました。死刑宣告を受けた文子が万歳するシーンから始まったので、これからどう描くんだろうと思って。その後の獄に入ってからの期間は文子の人生のなかでも動きがないところなので、密室的な話になり、映画にするのが難しいと思ったんです。

金子文子の映画には、韓国で作られた『金子文子と朴烈』がありますが(イ・ジュニク監督、2017年。日本公開は2019年)、あれは朴烈の映画です。原題も『朴烈(박열)』ですし。ちょうど私が『女たちのテロル』を連載しているときに公開されたので見てみると、とても動きがある青春活劇で、朴烈はカリスマ性があって豪気でチャーミングな人物として描かれていた。文子はそのサイドキック、紅一点という感じ。今回の監督の映画は、その対極のやり方で、文子の映画として撮ったものだと思いました。

非常に不遜なんですけれど、もしかして『女たちのテロル』を読んでいらっしゃるかな?と思うところが、映画のなかで、ちらちらとあって。それを一番感じたのが、文子と看守や女囚とのシスターフッドが描かれていたところです。

『女たちのテロル』で獄中のシーンを書くときに、文子が遺した歌を読んで参考にしました。なかでも惹かれたのが、めざしの歌、「塩からきめざしあぶるよ女看守のくらしもさして楽にはあらまじ」です。獄中に入ってからは転向政策がとられたので、もちろん文子はきついめにあっていますし、さらに文子の思想からすれば看守なんて国家の犬です。そうした敵の立場の女性が食べるめざしの匂いを嗅いで、あの人の暮らしも楽じゃないんだろうなと想像する。私たちのように年をとって苦労をしていると、こういう視点はわりと持っていますよね。でも、二十歳そこそこの女性でこうした視点を持っていて、敵であるはずの人のなかにぐっと入ることができる。文子のそのエンパシー──他人の視点まで自分のものにできる視野の広さは、ほんとうにすごいと思いました。日本にも抵抗する女がいろいろいますが、そこは金子文子の独自性だと思います。

誠品生活店内に設置された金子文子関連本コーナー
誠品生活店内に設置された金子文子関連本コーナー

私は『他者の靴を履く』(文藝春秋)という論考に近いようなエンパシーについての本も書いているんですが、そのなかでも文子のめざしの歌を取りあげていて、エンパシーといったらやっぱりこれだろうという感覚があるんです。

『女たちのテロル』はノンフィクションの評伝だから、文体はいくらはっちゃけられても創作はできない。シスターフッドを描こうとしても、例えば、文子と女性看守とはどういう話をしてどういう交流があったのかは、記録に残されていないので書けませんでした。だから、このめざしの歌に思いを託して掘り下げて、あくまでノンフィクションの伝記の枠の中で私の戦いをやったわけです。

でも、監督の映画では自由に描かれているじゃないですか。文子が女の子の囚人に万年筆をあげるシーンなど、こういうふうに創作して描けるのがすごく羨ましかったです。朴烈の描き方もそう。あの韓国の青春活劇的な朴烈とは正反対で、物静かで不器用で、ちょっと、こう言っては何ですが、ぼーっとしている。でも、こっちのほうが信憑性があるなと思いました。金子文子のような女は、意外とこういう男性にコロッといっちゃうんじゃないかって。

同じ人物や題材を描いた作品でも、自分の見方とは違うな、いろんな人の見方があるなと感じることがほとんどですが、この映画は自分の本とつながっている感覚がありました。

ひとりで寂しく死なせたくなかった

浜野 文子が大好きですから、ひとり苦しめて、寂しいなかで死なせたくはなかったんです。映画でなければできない表現で、シスターフッドを描きたい、女性たちの連帯を撮りたいと思ったんですけれど、現場のスタッフにはなかなか伝わりませんでした。

例えば、男たちが独房にズカズカと入ってきて文子を連れていくシーンで、文子に敵対していた女性看守が独房の戸に手を置いて悔しそうな表情をする。そのカットは、ひとりで国家に向かって立つ文子という女を彼女が知ることで、自分の職務に土足で入ってくる男たちへの反抗心に気づき変わっていくことを表現するために重要なんです。でも現場にいた男性スタッフが、「なぜこんなカットを撮るんですか? 文子が暴れながら連れて行かれるところで終わったほうがいいんじゃないですか」と言うんですね。「これはシスターフッドなんだよ!」と怒鳴りながら撮りましたね。

ブレイディ 『女たちのテロル』では、イギリスのサフラジェットでもっとも有名と言ってもいい人と、アイルランドの独立蜂起の女性スナイパーと、文子を、三つ巴にして書いていたんです。私も文子にひとりで悲しい死に方をさせたくなかったというか、一緒に戦っていた同士がいたと伝えたいというか……。離れた場所ではあったけれど同じ気概を持って戦った女性たちがいて、あなたも一緒に走っていたのよと、書きながら思っていました。『女たちのテロル』も三つ巴のシスターフッドだと思いますね。

この与太者が、文子だ!

浜野 文子の映画を作ろうにも、資料限られています。文子が拘置所で書いた『何が私をこうさせたか』(岩波文庫)と短歌、予審調書や裁判記録、それに文子の手紙を収録した山田昭次さんの本(『金子文子』影書房)などを参考にしましたが、肝心の栃木女子刑務所に送られて自死するまでについては、ほとんど資料がない。脚本家が注目したのが、50年後の歌集に突然加えられた自死する直前に詠まれたと思われる短歌8首ほどでした。そこでは刑務所当局の肉体的な弾圧に抵抗する自分の姿が描かれています。今回の脚本は、文子の最後の短歌をモチーフに構成しました。

さらに私は監督として、文子のキャラクターを知りたいわけですよね。どういう性格でどういう喋り方をして、どんなアクションをする女だったんだ、と。最初は瀬戸内寂聴さんの『余白の春』(岩波現代文庫)を参考にしていました。瀬戸内さんが国内だけでなく、韓国まで行って文子共に闘った同志たちに話を聞き、こういう人だったという証言を拾いあげた評伝で、とても役に立ったんですよ。でも、私の描きたい文子には何かが足りないと思っていたときに、ブレイディさんの『女たちのテロル』を読んで、これだ!このスピリットだ!と思ったんです。この与太者が文子じゃないの!って。それはたぶん、私のなかにもある与太者性なんです。

もうキャスティングも決まっていて、どう文子を演出して描いていくかを悩んでいたときだったので、すぐに『女たちのテロル』を文子役の菜葉菜さんに送りました。

私、ブレイディさんと直接こうやってお話しできて、とても嬉しいんです。ブレイディさんの本は最初に『花の命はノー・フューチャー』(ちくま文庫)を読んで、「お、与太者がいるぞ!」と思っていました。私は、与太者をすぐ仲間だと思っちゃうんです。だから、ブレイディさんが『女たちのテロル』を書いてくださって、文子が私の心の中にストンと落ちたです。ほんとうに、『女たちのテロル』は私のバイブルです。

イベントで話す浜野さんとブレイディさん
浜野さん

イギリスで再会した文子の本

ブレイディ ありがとうございます。嬉しいです。与太者というのは、私のなかではパンクなんですよ。パンクは音楽のジャンルだと思われていて、パンクミュージックは日本では特にちょっと信仰の対象みたいにもなっていますが、もともとは英語で「チンピラ」って意味なんです。まさに与太者ですよね。

私が瀬戸内寂聴さんの『余白の春』を読んだのは、中学生のときです。寂聴さんは昔の女性たちの伝記小説を何冊も出していて、母親の本棚のなかにも伊藤野枝や金子文子の本がありました。それでまず伊藤野枝の本(『美は乱調にあり』『諧調は偽りなり』(ともに岩波現代文庫))を読んで、その後に文子のものを読んだんですが、文子のほうはあまり印象に残らなかった。野枝の本は寂聴さんが入り込んで書かれていて、私は野枝と同郷というのもあり、野枝もこの海を見ていたんだと思って読んだりしたんです。文子のほうは、もう少しジャーナリスティックに書かれていて、小説のような感じではないですよね。

でも高校生になって、高校の近くの古本屋さんで『何が私をこうさせたか』を見つけて読んだら、こっちはもうガーンときた。文子の血や肉を感じて、これはパンクだと。100年前の日本のほうがパンクがあったんじゃないかと思ったんです。

それから間があいて、イギリスに来てから文子に再会しました。ブライトンのジュビリー図書館という大きな図書館に、アジアのフェミニズムという棚があり、日本人作者の本でそこに入っていたのは、『ある日本女性の獄中記』というタイトルのものだけ。なんだろうと思って引き出してみたら、表紙に金子文子の写真が使われていて、『何が私をこうさせたか』だったんです。ほかにその棚に並びそうな人たちがたくさんいるなかで、なんで文子なんだろうと、興味を持ちました。

それでネットで検索してみたら、イギリスのアナキストの人たちが文子のことをブログに書いているのを見つけたんです。100年前のイギリスの動きと照らし合わせたときに、文子の思想はすごくリンクしている、とか、この人を朴のサイドキックにしていちゃいけない、男のために尽くす利他主義で生きる女というのは彼女の思想と正反対なので自分がそう描かれていることを文子が知ったら墓のなかで悔しがるだろう、と書いている人もいました。そういうものを読んで、これは自分も文子を書かなければいけないと思ったんです。

『女たちのテロル』では、一緒に描いたイギリスとアイルランドの女性たちの暴れっぷりが尋常じゃない。イギリスにはテロリストといわれたぐらい街頭で暴れたサフラジェットの女性たちがいて、アイルランドはイースター蜂起で女性が凄腕のスナイパーとして銃を撃っていた。そういう躍動感に文子も引っ張られて、実物よりも余計に与太者になっているかもしれません。

浜野監督の映画も、動きのない獄中の最後の文子を描いていながら、まったりしてないんですよね。静かな中に熱がある。私の本が少しでもお手伝いができたなら、すごく光栄です。

浜野 日本という天皇制国家にたった一人でケンカを売った女ですから。そういう意味では、これはもう最高のテロルだったと思います。

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