リヴァイヴ文子! ブレイディみかこ ✕ 浜野佐知 (後編:金子文子という爆弾を、次世代に手渡したい)
ブレイディみかこさん『女たちのテロル』の刊行と浜野佐知監督の映画『金子文子 何が私をこうさせたか』の公開を記念して、お2人に金子文子について存分に語り合っていただきました。前編はこちら。
後編:金子文子という爆弾を、次世代に手渡したい
映画を見る人に思想を伝える義務がある
浜野 私は金子文子を撮るにあたって、文子がなぜ死んだのかの答えを見つけたいと思っていたんです。
自死する日の朝、遺書を書いている文子のところに小鳥が飛んでくるシーンがあります。鉄格子に小鳥が止まり、それを文子が見上げる。その文子の表情こそ、私がこの作品のなかで一番こだわった表情です。肉体は消えるけれど、自分の思想は、小鳥の命に託して未来に向かって飛んでいく。私は文子の死を、けっして悲劇にはしたくなかった。文子は自分を生き切るために死を選んだ、自らの思想を活かすために死んだんだという結論に行き着いたんです。
それともう一つ、100年前の文子を蘇らせるからには、今この映画を観てくれる人たちに何を伝えるか。映画のなかで文子を姉さんと慕う若い女囚を出したのはフィクションですが、文子がハンガーストライキをしてまでも取り返した万年筆を、10代の女囚に渡し、「読んで、考えて、書くんだ、それが大したことになる、私もそうだった」と言う。あの万年筆こそ、観てくれる皆さんに渡す文子からのバトンだと思って撮りました。そのバトンの意味は、自分の頭で考え、強いものに決して従属せず、尊厳を持って生きるということです。
今こんなにも底が抜けた日本で、皆が自分の頭で考えなくなっている。忖度さえすればなんとか無事に生きていける、と思っている人たちが多くなっている気がするんです。私は、そうじゃないと言いたい。とにかく自分の頭で考える、結果がどうあろうとも、自分をど真ん中に置いて、自尊心を持って生きる。人間は人間であるという資格だけで全ての人間は平等なんだという文子の思想こそを、今を生きる人たちに伝えたいと思っています。
服従しない、長いものに巻かれない
ブレイディ 一昨年(2024年)に出した筑摩書房の中高生向けの本(『地べたから考える』)の、「中高生に読んでほしい本」というページで、『何が私をこうさせたか』を紹介したんです。そのときに、韓国では金子文子が映画になって賞も取っていて、すごく有名になっているんだけれど、日本では映画にもなっていないという意味を考えてほしいと書いたんですが、今やそこを変えないといけませんね。
日本では文子の映画は作れないだろうと正直思っていたんです。韓国の映画が日本で公開されたときに街宣車が来たりとか大変だったと聞いていて、そういうことがあると萎縮してしまいがちなので。だから監督が金子文子の映画を撮ってくださって、ほんとうに嬉しいです。
イギリスも今、底が抜けかけています。週末に英国アカデミー賞の授賞式を見ていたら、『ハムネット』という映画のジェシー・バックリーさんが主演女優賞をとり、そのスピーチが印象に残っています。この方もちょっとした与太者で、最初に述べたのはエージェントの人への感謝だったんです。いかにも田舎の子という格好でアイルランドからロンドンに出てきたときからエージェントの女性がずっと支えてくれた、服従しないその態度でいいんだと言い続けてくれたから私は今日までそのスタンスで仕事してこれた、と。
それで最後に自分の娘に向けて、「この賞をあなたにも捧げたい。このとんでもない世界で、あなたがあなたとして生きていけるように、私はこれからも不服従であり続ける」と言っていました。若い女性の俳優がこういうことを言う世の中に、ふたたびなってきたと感じます。
イギリスでは、女性や少女への暴力がとても増えていて、政府はいろいろな施策を打ち出しています。例えばオンラインのポルノには非常に暴力的で女性の首を絞めるようなものも多く、実際にこれが不幸な事件につながっているんですね。そういうものを10代の男の子が見ると、セックスというのはそうしなきゃいけないんだと思ってしまいかねないので、首を絞めるポルノは去年から禁止されています。
そういう今の状況のなかで、服従しない、長いものに巻かれない、という抵抗の動きが、若い女性たちから出てきていると思うんです。だから私も『女たちのテロル』を書いたときに、監督の映画で金子文子が万年筆を渡すように、次の世代に何か渡していかなきゃいけないという思いがありました。
生きづらいのは、生きていないから?
浜野 別の取材で対談した人が言っていたのは、最近は「思想強め」とよく言われるという話でした。何かを言うと、「そんな思想強めで、どうやって生きていくの?」「どうやって友達をつくるの?」と言われるらしいんです。ということは、思想強めはやめたほうがいいと考える人たちが、どれだけ多いかということです。
思想が強くて悪いどころか、思想を持たないと人なんて生きていけないんですよ。自分自身を持って「個」として生きる。金子文子が命をかけて闘ってきたのは、そういうことなんです。全ての人間はどんな関係性であろうとも平等である、という文子の思想を、今こそきちんと知らせていかなければいけないと思います。
ブレイディ 先ほど、文子がどうして死んだのかを撮りながら見つけたかった、とおっしゃっていましたよね。自殺ではなかったのではないかと言う人もいます。伊藤野枝はとても自分で死にそうにないタイプですが、金子文子はどうだったんだろうかと私も考え、最終的には、やはり自死を選んだのだろうというところにたどり着きました。
『女たちのテロル』は単行本では7年前に出していて、その7年後の今はどう考えているかを、今回の文庫化に長めの「あとがき」として入れました。そのなかで、ここ数年、生きづらいという言葉をいろいろなところで耳にするし、生きづらい世の中というのが定型句にもなっているけれど、その生きづらいというのは、自分自身を生きていないということの言い換えなのではないかと書いたんです。
というのも、日本の20代女性と定期的にオンラインで座談会をし、それをまとめて原稿を書くという連載を3年ぐらいしていたんですが、その時にすごく感じたのは、なんでこんなに閉塞しているのだろうということでした。思想が強いと思われたくないからなのかもしれませんが、彼女たちは自分の周りや社会を変えられると思っていないんですよね。「立ち上がらないと」とか「戦え」とか与太者的なことを言うと、すごく引かれてしまう。どちらかというと、自分を変えなきゃいけないと思っている。「セクハラが辛いんです」と言われて、「それは上司が絶対良くないから、誰かに言うとか戦わなきゃ駄目だよ」と言ったら、「もう十分戦ってます」と怒られた。彼女たちはセクハラに耐えていけるよう、うまくこなしていけるよう、自分の考え方や対応を変えながらなんとか世の中を渡っていくことが、戦いだと思っている。でも、それはとても内側の戦いなんですよね。自分が何かを思っていても、こういうふうに思うとつらいから考えないようにするという感じになっているんじゃないかと、日本の若い女性たちと話していて感じたんです。
自分の出力調整をしていたって、人間はコンピュータじゃないからエラーが起きちゃいますよね。金子文子の「天皇制があるから私たちは平等じゃないんだよね」「世の中を叩き起こすために爆弾を投げてやる」というような考え方を、もう少し注入していかないといけない。だから、監督の今回の『金子文子』は、今、切実にいろいろな方に見ていただきたい映画だと思います。
金子文子という爆弾を、今の日本にぶん投げる
浜野 生きづらいと言いながら生きるのは、どこかに甘えがない?と聞きたくなっちゃうんですよね。生きづらかったら変えればいいじゃないかと思うんですよ。もちろん自分の環境なんて、すぐには変えられない。けれど、生きづらいといって自分のなかに逃げ込んでいるのなら、とにかく自分のいる場所を自分が変えていく。自分がやらなきゃ、誰も変えてくれないですから。一人ひとりの力が集まれば、どんなことだって変えられるかもしれない。
50年前から同じようなことを言い続けてきましたが、私も責任を感じています。こんな世の中にしたのは私たちじゃないかと。私たちの世代は、女は映画監督になれなかったし、女になれない職業があった。それでも、いろんな制約があるなかで頑張ってきたのは、あとに続く世代に少しでも生きやすい世の中を残したいという気持ちがあったからです。私が映画監督を職業として続けてきたのは、映画という武器で時代や社会と戦いたいと思ったからです。でも、どれだけ頑張っても、世の中はどんどん悪くなっていく。そういう絶望感もありました。
私もこの映画が監督としての最後の仕事になるかもしれません。だからこそ、私は文子という爆弾を今の日本という国にぶち込みたい。そしてこの男社会で生きざるを得ない女性たちが、その爆弾を受け取って自分自身を生きるための武器にしてほしい。誰にも媚びずに尊厳を持って生きるための武器に。そういう想いで作りました。渋谷ユーロスペースを皮切りに日本全国の映画館で一人でも多くの人に観ていただいて、金子文子という100年前にたった一人で国家に喧嘩を売って、戦い抜いた、そして自分自身を生き切った一人の女性の存在を伝えていきたいと思います。
ブレイディ 大ヒットを祈願しています。





