ことばに救われる経験(第5回/全5回)
出演:中村和恵、都甲幸治、平凡社ライブラリー編集長T(2016年12月24日 下北沢・本屋B&Bにて)
How we tell the truth: world literature, queer life his/her/story and beyond
(panel discussion re.Japanese translation of Jackie Kay Trumpet #5)
NAKAMURA Kazue x TOKO Koji x T (chief editor of Heibonsha Library)
翻訳に際して
──(会場からの質問で)LGBTの小説を日本語に訳すときに、何か大変なこと、特別に気を遣うことはありますか。
中村 LGBTだからということは全然ないですね。ただジャッキー・ケイは詩人でもあるので、文体が特殊で、現在形と過去形、三人称と一人称が入り交じり、どう訳すかいろいろ考えてやりました。掛詞もすごく多くて、それを日本語にして上手くいくところといかないところを判別しないといけないし。
都甲 いやそういうことじゃなくて、今の質問の意図は、女性の翻訳家は女性作家の作品を訳しやすい、男性の翻訳家は男性作家のほうが訳しやすい、というような考え方が日本ではあるけど、この作品の場合どうでしたか、ということじゃないですか?
中村 自分の生物学的な性と違う人になりかわるのって大変?ということですか? そういうことは考えたことないな。
都甲 よく言われることですが、日本の女性はインテリ業界に参入するときに必ずいちどオッさんになる、といいますね(笑)。
中村 このような言い方をお許しいただきたいのですが、と英語直訳文体で申しますが、物書く女って、頭にちんちんが生えてるんだと思う(笑)。先にも申しましたが、そうじゃないと日本語文化の伽藍に入場できない、という側面がある。BLにハマる女の子というのも、結局そういうことかもしれない。私、小学生のときBL番長だったんです。
都甲 強そうな、強くなさそうな(笑)。
中村 いやいや、番長ですがBLですから(笑)。それがさっき話したように国外に行く体験があって、学校つまんないとかいってBLにハマってる場合じゃない、リアルな世界はめちゃくちゃ大変でおもしろいじゃないか、と目が覚めて。ともかく、ジェンダーっていうのはまさに役割だから、物書く女・読む女というのは、そこをわりと自在に行き来してるんだと思います。都甲さんも女の子の語りだから訳しにくいことって全然ないでしょう?
都甲 訳しにくいとは思わないけれど、日本語だと女性言葉があるじゃないですか。女性言葉を入れずに女性感を出す、というのを常に考えてますね。なんというか、呼吸の感じで。昔の翻訳の「〜だわよ」みたいな感じにはしないでね。村上春樹などは昔のやりかたとは違うやりかたをするんですが、それとも違う、普通の感じって何かな、というのをさぐってますね。
中村 面白いですね。なるべくフラットなところを目指す翻訳者っているでしょう。都甲さんはそこまでフラットじゃない気がするけれど、私はどちらかというと「なりきり演じ型」もやってみたいほうなんです。ここではこの人かもしれないけれど、こっちではあの人、みたいな感じで。私の場合、日常言語からそういうところがあるんだと思う。すごい丁寧語と、すごいべらんめえ口調とが、一回の会話のなかで同居してしまうの、やむをえず(笑)。いろんな文体を自分の中に取り込んでいって、特徴のある文体をいくつもスイッチして使っている。おもしろくて、ついそうしてしまう。そういうことも翻訳に反映されているかもしれません。コールマンみたいに「ファック、ファック!」ばっかり言ってるのも可愛いし、イーディスお祖母ちゃんみたいに「まあ、いけないわ」なんて言ってるのも楽しい(笑)。
都甲 演じてる感じですね。
中村 そういうところはあると思います。翻訳者によって、またテキストによって、いろいろですね。
ことばが降りてくる
──(会場からの質問で)LGBTは状態あるいは現象であり、境界はつねに揺らいでいるというお話がありましたが、揺らいだ経験があっても、同時に「普通に戻れ」という圧力もあるように思います。普通の枠の中に戻っていく人といかない人の違いはどこにあるんでしょうか。
編集長T やはり周りからの圧力はありますよね。先ほどの、都甲さんが昔お友達や彼女から怒られつづけた話のような。でもそういうのを全部かきわけて、「自分はこうなんだ」という道を突き進みたい、という自分の気持ちもある。
都甲 自分の気持ちもあるんですけど、結局僕がいま乙女心を絶やさずにやれているのは、女っぽい男の人とじゃないと結婚したくない、という奥さんと結婚したことがあると思います……って、何でしょうこのノロケは(笑)。
あとは学校の先生って中小企業の社長みたいなものだから(笑)、自分にとって都合のいい教材を選んで授業をし、気持ちのいい環境をつくれるということもありますよね。本人の強さもあるだろうけれど、環境なんじゃないかしら。先ほどTさんがカミングアウトは必要なのかということをおっしゃっていましたが、ゲイでもレズビアンでも、どこでも四六時中そうある必要はないですよね。
中村 都甲さんだって、教授会でも乙女でいる必要はありませんからね(笑)。ずっと強くあるなんていうのもむずかしい。私も疲れはてて煮つまって自分でも考えられないようなことをポロッと言っちゃって、あとで「やっばーい!!」と真っ青になることもしょっちゅう。
でもそういうピンチのときに降ってくることばっていうのがある。この前降ってきたのはフェラ・クティという、ナイジェリアの「闘うアフロビートの戦士」といわれた人の歌詞だったの。「The secret of life is to have not fear.」ってやつがよみがえってきたのね。「なにも怖れないっていうことが人生の秘訣なんだ」。それでかえってひどい結果になったりもするんだけれど(笑)。
この『トランペット』にも励まされることばがある。じつは『トランペット』を読んで泣いたっていう声をたくさんいただきました。たとえばこういうところ。主人公のジョスはグレてる息子のコールマンに、遺言をのこすんですよ。そこにひとこと、すごく大事な言葉があるの。「わたし自身をおまえに遺す」って。
都甲 いいですよね。はじめてそこで、血がつながってないんだ、ということを超えるところです。
中村 「信頼された」と腑に落ちる言葉だよね。そういう芯のある言葉に励まされるということはあると思う。ぶん殴られたり、いじめられたり、いろんなことがあっても。
この本を、自分の物語だと思って読みました、と手紙をくれた人もいたんです。たまたま両親を亡くして養子になった。そうしたら義父のクローゼットから、ゲイ・ポルノがいっぱい出てきちゃって、最初はすごく怖かったんだって。
都甲 完全にコールマンとかぶってるじゃないですか。
中村 この義父の場合は、生きてるうちにバレちゃったわけですけどね。だけどそのうち、義父が本当に亡くなってしまったらしいんです。そうしたらそれで色んな意味が変わってきたという。そんなこと言ってくれた人がいましたね。それから病気の友人がこれを読んで泣いたといっていました。死とはなにか、ということもこの本の重要な主題になっています。本人と周囲の人の体験と考えから、死が思いがけない視点で考察されている。自分のこととして受けとめる人たちがたくさんいらっしゃるのにはそのことも関係しているんだと思います。
揺らぎながらも自分を肯定できる人は、そのためのサポート、言葉でも、考えでも、友人でも、経験でもいいけれど、そうしたものを自分で探しにいける人、率直さと探求心をそなえている人なのかもしれない。文学に救いを求めるということがいまもありえるんだってことを、『トランペット』を通じて知り得たのは思わぬ収穫でした。
都甲 救おうとしてるわけではないんだけれども、本気で書いてる作品には、結果としてなぜかわからないけど救われちゃうんですよね。すごくいい本だよね。
中村 そう、救おうと思ってつくられた物語じゃない、ただ生の真実に近寄っていく言葉だから、やむをえないそれぞれの事情に即して語られる物語だからこそ、解放や救済もあるんだと思う。
1966年生まれ、札幌市出身。詩人、比較文学研究者、明治大学教授。著書に『降ります』『地上の飯』(ともに平凡社)、『日本語に生まれて』(岩波書店)、詩集『トカゲのラザロ』『天気予報』(ともに紫陽社)、訳書にアール・ラヴレイス『ドラゴンは踊れない』(みすず書房)、トレイシー・K・スミス『火星の生命』(平凡社)などがある。
都甲幸治(とこう・こうじ)
1969年福岡県生まれ。翻訳家、早稲田大学文学学術院教授。著書に『きっとあなたは、あの本が好き。』『読んで、訳して、語り合う。都甲幸治対談集』(ともに立東舎)、『21世紀の世界文学30冊を読む』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、訳書にジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(共訳、新潮社)などがある。
平凡社ライブラリー編集長T
平凡社編集者。2014年より現職。『レズビアン短編小説集』『ゲイ短編小説集』『古典BL小説集』『クィア短編小説集』など、通称LGBT系ライブラリーを企画・編集。営業Sとともに平凡社ライブラリーのツイッターを担当。