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桐野夏生 日没

松浦寿輝 ブロッコリーの恐怖──『日没』文庫化に寄せて

 国家権力が思想と表現に強圧的なコントロールを課す、悪夢のような近未来ディストピア。これ自体はフィクションの題材としてさして新しいものではない。革命と戦争の世紀だった二〇世紀を通じて、絶対権力が個人の内面まで管理するに至った暗黒社会という仮想は、小説家の想像力を刺激しつづけ、そこから『われら』や『1984年』や『華氏451度』といった傑作群が産み出されてきた次第は周知の通りだ。

 桐野夏生『日没』を読みはじめた当初、これもまた例のジャンルの一変種かと高を括る気持ちがあったことは否定できない。しかしほどなくわたしは、主人公が幽閉される海辺のみすぼらしい「療養所」で起こる薄気味の悪い出来事の連鎖に巻き込まれ、息詰まるような興奮から逃れられないまま読み進めることになった。桐野氏はザミャーチンともオーウェルともブラッドベリともまったく異質な感性によってこの主題に接近し、静かな恐怖のみなぎ)る独創的な物語空間を造型し遂げてみせた。

 政府側の職員は一見、人間的な弱みを抱えた卑小な人物ばかりだし、建物内の売店では埃まみれの「コアラのマーチ」を売っている。貧しい食事に二株添えられた茹で過ぎのブロッコリーがものわび)しい。そんなさりげない日常がじわじわと恐怖の電圧を帯び、やがてどす黒い悪夢に突入してゆく。結末で語りは一挙に加速してぷつりと途切れるが、この呆気なさがまたすばらしい。SNSの繁栄でますます高まりつつある同調圧力の行き着く先を、鋭利な預言的想像力によって指し示してみせた傑作である。

(まつうら ひさき・詩人、小説家)
[『図書』2023年10月号より]

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