『台湾の少年』刊行記念トークイベントレポート(前編)|台湾文化センター×紀伊國屋書店 共同企画
日本統治時代の台湾に生まれ、戦後に白色テロの被害に遭った蔡焜霖(さい こんりん)さんの人生を漫画で描いた作品『台湾の少年』。先日、本書の脚本を手がけた游珮芸(ゆう はいうん)さんと、作画を担当した周見信(しゅう けんしん)さんを招いたオンライントークイベントが、台湾文化センターと紀伊國屋書店の共同企画にて開催されました。台湾の複雑な歴史や多言語からなる社会をどのように全4巻の漫画に仕立てたのか。創作の経緯や制作上の工夫をうかがいました。
『台湾の少年』が生まれたきっかけ
須藤:岩波書店の須藤と申します。『台湾の少年』は、蔡焜霖さんの人生を通じて、台湾の歴史を描いた漫画です。蔡さんは日本統治時代の台湾に生まれ、戦後に白色テロの被害に遭われました。政治犯として10年間、離島の緑島(りょくとう)にある収容所に収容されていました。
釈放後は編集者になり、広告業界などでも大きなお仕事をなさった方です。退職後は人権ボランティアの活動を始め、ご自身のご経験を語ったり白色テロ時代に政治犯として収容された方々の名誉回復運動に携わるなど、いまもお元気になさっています。
1・2巻では、日本の植民地時代にあたる子ども時代と戦後になって緑島で10年間収容された時代について描かれています。3巻では釈放後のエピソードが描かれます。釈放後も続いた戒厳令の時代のなかで蔡さんは、編集者になって児童雑誌を創刊されます。4巻では、民主化運動が始まり現在にいたるまでの台湾について描かれます。全4巻を通して読むと、日本の統治時代から現代までの台湾の現代史をたどることができる作品です。
本日は台湾から作者の游珮芸先生と周見信先生をお招きして、作品制作のきっかけや物語の背景や製作上の工夫などについてお話をうかがっていきます。
游珮芸:日本のみなさん、こんばんは。『台湾の少年』の脚本を担当した游です。
周見信:こんばんは。作画を担当した周です。
須藤:まず全4巻というスケールの大きな作品を出すことになったきっかけからおうかがいします。游先生が蔡さんの人生について、ご自身にとって初めてとなる漫画というかたちで作品を制作をすることになった経緯を教えていただけますか。
游:はい。蔡さんとお話ししていくなかで、台湾のヤングアダルト世代の方々や子どもたちに蔡さんの生涯の話を伝えたいと思ったのです。台湾は最近、自国の歴史や文化を絵本にするのがブームです。いっぽうで絵本ですとやはりページ数や深みにおいて、内容の幅が限定されます。漫画であればやりやすいのではと思いました。漫画ではありつつやや重い話題やテーマを扱う本のジャンルとして「グラフィックノベル」があることを知り、そのかたちを採用することになりました。あ、蔡さんと私との出会いについては4巻で描いていただいておりますのでぜひご覧ください。
須藤:游先生は児童文学の研究者で、周先生は絵本作家で、子どもの本に携わってきた背景があります。そんなおふたりが漫画を作るうえで大変だと感じたところや工夫したところについて、うかがえますか。
游:まずは、漫画だからというわけではないのですが、資料が膨大だったところでしょうか。1930年から4巻の最終話は2020年まで、蔡さんが生きてきたほぼ1世紀のあいだに、歴史的な背景がかなり変わっています。そのなかでの出会いや、挫折、出来事など、それらは本当に膨大な情報でした。たとえば2巻の緑島の話ではさまざまな人物が出てきます。蔡さんだけでなく、蔡さんが出会った方々ひとりひとりのお名前からそれぞれの人生まで調べる必要がありました。その情報量は10巻の漫画にしても収まらないほどで、4巻分に収めるには、内容の取捨選択がかなり難しかったです。
周:漫画をつくるうえでは、歴史教科書みたいに説教じみたものをつくりたくなかったので、事実に基づきながら漫画としての楽しみも担保したいと思っていました。きびしい話や重い話があるかもしれないけど、楽しみとともに台湾の歴史を伝える──そんなストーリーにできたらと最初から考えていました。たとえば、1巻の蔡さんの子ども時代に、幼馴染やクラスメイトと砂糖きびを拾うエピソードがあります。その“小さな冒険”の描き方には、ちょっとしたユーモアを加えています。
大変だったところで申し上げますと絵の表現方法には悩みました。私自身、絵本は何冊も描いてきましたが、漫画は初めてでして。絵本とは全然ちがっていて、コマ割りやストーリーの流れなど細かなところに時間をかけました。また、いまはもうなくなった風景や建物をリアルに再現するには写真や情報が必要で、関連資料と参考書をかき集めて当時の状況を絵で再現するのにはエネルギーを注ぎました。
あと気を付けたのは、作品の中で歳を重ねるごとに変わる蔡さんのしぐさや表情ですね。ひとりの人物の小さいころから80代になるまでを描くようなことはやったことがなくて、ひとつの挑戦でした。
須藤:游先生がおっしゃったとおり、膨大な資料と向き合う大変さは巻末の注記を見てもよくわかります。人物ひとりひとりについても詳細な紹介が書かれていますし、各場面で描かれている建物の歴史的な説明もついていて、おふたりとも、すごく時間をかけて準備されたことがわかります。4冊を描くのにどれぐらいの時間がかかりましたか?
游:私が蔡さんへ正式に聞き取りを申し込んだのは2018年の1月でした。1巻は2020年の4月に出版され、4巻は2021年の12月に出版されましたので、およそ4年間かかりました。周さんには2019年から製作に加わっていただき、私がまず準備で資料集めと聞き取りを1年間して、それから周さんが漫画を描き始めました。
ちなみに蔡さんは現在92歳なんですけど、パソコンやスマートフォンをよくお使いになります。連絡はほとんどフェイスブックのメッセンジャーで行っており、最近までやりとりは続いていました。なので聞き取りは最初の段階だけではなく、たとえば最終巻となる4巻の制作中に、細かいところでもう一度確認をしたいときなどもメッセンジャーで質問して蔡さんからご回答をいただいていました。
須藤:2018年の1月から聞き取りを始めたということは、その時点から出版は決まっていたのですか?
游:はい、そうです。
須藤:その時点でもう4冊になることもわかっていた?
游:そのときはまだわかっていなかったですね(笑)。聞き取りのときは、600ページくらいで300ページ+300ページの上下巻になると考えていたんです。でも結局、1冊でまかなえる内容に限度があることに気づきまして。やはり4冊にしようと途中で方針を変えました。
須藤:この漫画は連載ではなくて描き下ろしですよね。4巻分の作品をいきなり刊行するというのは、日本の出版業界に当てはめて考えても大変なことだと思います。刊行までは苦労されたんじゃないでしょうか。
游:そうですね。まず、本当に小さな出版社でして。2013年に立ち上がった「Slowork Publishing(慢工出版)」という出版社なのですが、黄さん(黄珮珊)という方がほとんどひとりで運営している会社というか。彼女はフランスに留学して、ヨーロッパの、特にフランスの漫画などの影響を受けたそうです。そこで、グラフィックノベルとしてドキュメンタリー風の作品を出したいと考え、2013年からひとりでコツコツと出版業を始めたそうです。
私が黄さんと出会ったのが2017年。着眼点やアジアから世界に発信するという考え方を聞いて、とても個性的な出版社だと思いました。黄さんに蔡さんの話をしたら、彼女も台湾の話をつくって世界に発信しようと思っていたところだったそうです。ヨーロッパなど海外を視野に入れると、台湾を代表するようなロングストーリーが必要だと。フランスに持って行っても長編じゃないと受け付けてもらえない……とお話をするなかで、最終的に意気投合して「では一緒にやりましょう!」ということになりました。
須藤:フランスの漫画のことをわかってらっしゃるのも、ひとつ大きいのかもしれないですね。どういうものをつくるか考えるうえで、参考にするイメージを持てているというか。台湾の近現代史を扱った作品にしても、文学や映画で思い浮かぶものはあるのですが、これだけ長い、ひとりの人生の歴史を描いていく作品というものはあまり思いつきません。特に漫画では見たことがありませんでした。いまロングストーリーが必要だというお話がありましたが、制作にあたって参考にされた作品などはあるのでしょうか?
游:蔡さんの人生のような、90年とか100年単位のライフストーリーを描いた作品がこれまでなかったんですね。なので1巻の帯にもコメントを寄せてくださった、こうの史代さんの『この世界の片隅に』などの作品を参考にしました。政治的な大物などではない、ひとりの個人の人生と時代の流れというか、大きな時代の変化と絡んで翻弄された──そういう作品として参考にさせてもらっています。
須藤:以前、台湾で出たインタビューの記事でも、こうの史代さんの『この世界の片隅に』*1や、『マウス──アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』*2という作品を参照したとお話されていましたね。
游:あとは『ペルセポリス』*3も意識にありました。
製作のプロセス──各巻で異なる画風
須藤:では創作の手順についておうかがいします。まず游先生が漫画の脚本をつくって、周先生が絵を描かれるという順番だったのでしょうか?
游:はい。脚本が出来てから周さんがラフを描いて、そのあと編集長ともうひとりの担当編集者の4人でディスカッションをしました。ディスカッションを経て、ラフをもう1回書き直してもらったりして、かたまったらペン入れをしてもらう、という流れでした。
須藤:ディスカッションでは、まるまる1冊分の内容の議論をするんですか?
游:いえ、実は脚本を書くときには1話、2話と分けて書いていたんです。各エピソードにはタイトルが付いていて何が中心の話でテーマはこうで、と決めていたのですが、最終的に編集するときにはその区分はなくなりました。なので……1冊まるごとを考えていただなんて、とんでもない(笑)。
須藤:ちょっとずつ回を重ねてつくっていかれたのですね。さきほど周さんが、ひとりの人物が過ごしたとても長い時間を描く作品だったので、ずっと同じ姿ではなく、成長して変化していく姿を描くのが大変だったとおっしゃっていました。そのこととも関連するかもしれませんが、この本の大きな特徴は1巻ごとに絵のスタイルを変えている点にあると思います。どなたのアイデアでこうなったのでしょうか?
游:周さんですね。
周:はい。まだ本を読まれたことのない方のためにお話しますと、『台湾の少年』は4冊それぞれに絵のスタイルが少しずつ違います。この本を4冊にしようと決めた時点で、各巻で何が起こるのか構成がだいたい想像できました。主人公が過ごした時代の雰囲気や当時の出来事や心情は、人生のなかで大きく変わっていったと思います。絵の創作という観点から考えますと、4冊ぜんぶ同じ画風で描いてもよかったのですが、もっとおもしろいやり方があるのではないかと思いつきました。時代の雰囲気や環境の変化を、ストーリーだけではなく絵からも──たとえば主人公の表情や着ているものなどの描き方から感じとってほしいと思いました。
でも編集長に相談したところ、4冊すべてのスタイルをバラバラにするとそれぞれ違う人が絵を描いていると思われるかもとちょっと心配していましたね。でもまあ私の考えが強く、押し通しました。挑戦してみたかったんです。ぜひ各巻ごとの変化も楽しんでいただきたいです。
絵を描くうえでヒントを得たのは、やはり、こうの史代さんの『この世界の片隅に』でした。游先生と編集者と打ち合わせしているときも、みんなこの作品が大好きだったので一緒に読みながら考えました。『この世界の片隅に』の主人公の女の子は、絵を描くのが好きなキャラクターです。そして物語の後半で、戦争の影響で右手がなくなってしまう。物語の終盤、彼女が左手で描く絵は最初に右手で描いていた絵とはちがっています。タッチや線で、生理的・身体的なことと感情を表現している。そういう表現は『台湾の少年』でも活かしたいと思いました。
須藤:やはり『この世界の片隅に』は、重要な作品のひとつだったのですね。こうの史代さんには1巻の帯に推薦のコメントを寄せていただき、游さんも周さんもすごく喜んでくださいました。それから1巻ごとにスタイルを変えるにあたって編集者の方が心配したという話がありましたが、結果的には大成功でしたね。
周:ありがとうございます。
『赤とんぼ』『靴が鳴る』…効果的に配された「日本語の歌」
須藤:この作品でもうひとつ印象的なのは歌ですよね。1巻の蔡さんの子ども時代では日本の童謡の『赤とんぼ』が出てきたり、2巻以降も日本語の歌がたびたび登場します。日本語の歌以外の歌も出てきていて、それぞれの時代を表現するだけでなく場面にもぴったり合っていると思います。
游:蔡さんご本人がとっても歌がお好きだと知り、作中に採り入れようと思いました。緑島にいたあいだの10年や、緑島に監禁される以前に牢屋のなかにいたときには本当に自由がなくて、唯一の自由が歌を歌うことだったそうです。また、ご本人が人権教育や人権運動のボランティアの場でよく歌を歌われることも印象的に感じていました。蔡さんの人生を語る上でも、キャラクターとしての個性を表現する上でも、歌を使わない手はないと思ったんです。
須藤:蔡さんが台湾で出版されている自伝も『僕らは歌うしかなかった』という意味のタイトルですよね。作中の歌はどのように選曲されたのでしょうか?
游:たとえば1巻目に出てきた『靴が鳴る』は、蔡さんが幼稚園に通っていたころ砂糖きびを採りに行く場面で使用しました。すごくかわいらしいエピソードで、言ってみれば子ども時代の初めての冒険です。遠足に行く子どもたちのことを歌った『靴が鳴る』はぴったりなのではと考えました。そこで表現したかったのは台湾語の生活と日本語の生活です。その時代の台湾は幼稚園の数が少なくて幼稚園に通う子どももめずらしかったのですが、子どもたちは幼稚園に行けば日本語の歌を歌ったり、先生に「おはようございます」「さようなら」とあいさつをします。『靴が鳴る』も、幼稚園で先生から教わった歌ということになりますね。
『赤とんぼ』についてもエピソードがあります。蔡さんは三番目のお兄さんに連れられて図書館に初めて行ったことがきっかけで、読書が好きになりました。そんな図書館へ、お兄さんと一緒に放課後に向かうとき、蔡さんが歌う歌はなにがいいかな?と考えて『赤とんぼ』を選びました。お兄さんが蔡さんに「トンボって何か知っとんか?」と聞いて、絵本を見せながら教えてあげるシーンにつながるパートですね。蔡さんが清水公学校*4に通っていた時分に読書を好きになったきっかけや、学校で放送されていた音楽やラジオを聞いて好きになった歌とか、ストーリーが歌でつながっていく感じを選曲で表現したいと思っていました。
須藤:歌にはさまざまな意味が込められているのですね。非常に効果的かと思います。
游:あと、『赤とんぼ』の話でもうひとつ。1巻の表紙のイラストにはトンボが描かれています。空襲の場面がモチーフになっていて、飛んでくる戦闘機がトンボのイメージと重なっています。最初に、周さんのラフの絵を見てハッとして、これはうまい!と思いました。
周:蔡さんが小さいころから『赤とんぼ』を歌っていたり、お兄さんとのエピソードでもトンボが登場したり、子どものときの印象深い記憶として蔡さんの心に「トンボ」が残っていることが想像できたんですよね。そして1巻の日本統治時代の最後で、蔡さんは空襲に見舞われます。主人公の蔡さんの心のなかにはたぶん、幼いなりに、自分の子ども時代は過ぎ去り人生が不安な方向に向かっていく予感があったと思うんですね。空襲から逃げたときの心境を考え想像しながら、楽しかったころを象徴するトンボと、破壊のイメージを象徴する戦闘機とを重ねて、主人公の複雑な心境をあらわしたいと思って描きました。
*1 こうの史代による漫画作品。2016年には同名の劇場アニメーションが公開
*2 ホロコースト生存者の体験談を息子であるアート・スピーゲルマンがグラフィック・ノベルとして描いた作品。1980年代に雑誌『RAW』で連載され、92年にピューリッツァー賞受賞。日本語訳は『完全版 マウス──アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』(小野耕世訳、パンローリング社)。
*3 2005年に刊行されたマルジャン・サラトピによる自伝的グラフィックノベル。2007年、アニメーション映画が製作され、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。日本語版は『ペルセポリス 〈1〉 イランの少女マルジ』『ペルセポリス 〈2〉 マルジ、故郷に帰る』(園田恵子訳、バジリコ出版)。
*4 公学校……日本の小学校にあたる