『台湾の少年』刊行記念トークイベントレポート(後編)|台湾文化センター×紀伊國屋書店 共同企画
日本統治時代の台湾に生まれ、戦後に白色テロの被害に遭った蔡焜霖(さい こんりん)さんの人生を漫画で描いた作品『台湾の少年』。台湾文化センターと紀伊國屋書店の共同企画にて開催された、本作品のオンライントークイベントの様子を、前編に引き続きお届けします。台湾での反響、複数の言語によるアプローチ、作品が語られるうえでのキーワードなどについて、本書の脚本を手がけた游珮芸(ゆう はいうん)さんと、作画を担当した周見信(しゅう けんしん)さんに、岩波書店編集部・須藤がうかがいました。
台湾の読者にとっても厄介な本
須藤:刊行されてから、台湾の読者の反響はいかがでしたか? 日本の場合は、漫画になると手に取りやすいとおっしゃる方が多いのですが、台湾でも同様でしょうか。
游:2021年に『台湾の少年』1・2巻は、台北国際ブックフェアで、子どもと青少年向け部門の最優秀賞図書に選ばれました。漫画がそのような賞をとることはめずらしく、初めてだったはずです。また金漫奨(ジンマンジャン)という漫画賞をいただきました。私たち、ふたりの年齢を合わせると100歳を超えるのですが、新人賞でした(笑)。あと、金鼎奨(ジンディンジャン)という台湾文化部主催の賞があって、前年に刊行された本から選ばれる賞なのですが、青少年部門の賞をいただきました。専門家のあいだでは大変評価をいただいているようです。一般の読者の反応としては、高校生や大学生の若者にとって、白色テロという重いテーマの本にもかかわらず、手に取りやすかったという声を聞きました。実は1巻が出たときに、蔡さんのお孫さんが感想文を書いてくださって、いままでおじいさんの蔡さんの話だけでは湧いてこなかった具体的なイメージが、漫画を見てよくわかったとおっしゃっていました。
須藤:漫画で表現されるからこそわかることは多いですね。作画はもちろんですが、原書の文字表現も独特です。原書では台湾語も日本語も北京語も、原語表記のままセリフのなかに出てきます。複数の言語を混在させて書く手法は、日本の漫画ではあまり見ない表現で、とても台湾らしいと思いました。やはり、日本統治時代から現代まで描くとすると、ひとつの言語で通すことは考えられなかったのでしょうか?
游:台湾のほかの漫画作品は、ひとつの言語で描かれているものが多く、複数の言語を交えた表現をしている作品はあまりないはずです。でも映画作品の場合はめずらしいことではないです。字幕があっても、音声では複数の言語での会話が交わされています。
須藤:たしかに台湾の映画では、北京語だったり客家語(はっかご)だったり、さまざまな言語が使われています。有名な『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』*1などもそうですが、どの場面で誰が何語で話しているかは、字幕だけ見ているとわかりづらいですが、実は重要な情報です。『台湾の少年』の原書を初めて読んだときも、言語の使い分けを新鮮に感じつつ、やはり内容にふさわしい形だと思いました。
游:日本語のできない台湾の人々も、日本の映画を見ると、関西弁なのか北海道弁なのか方言の区別はできません。たとえば関西弁で主人公が話した言葉には、なにか意味があるんでしょうけど、ぜんぶ字幕に直すとわからなくなります。その人の立場とか微妙なニュアンスが、すべてわからなくなってしまう。
私は日本に留学した経験から、ある程度の日本語は理解できるので、インタビューした時に蔡さんの話す日本語にも台湾語にも対応できました。蔡さんは日本語で勉強した知識は日本語で記憶されています。私がお話を聞いていたときは、その点では自由にお話しいただけていたようです。博士課程で台湾の植民地時代の研究をしていたとき、その時代の経験者の方にインタビューした際も同じようなことがありました。
台湾の日本植民地時代の「国語」は日本語です。戦後に「国語」は北京語となります。子どもたちは「国語を使いなさい」と教育の現場で指導されます。そのような状況も作品の中で表現したいと思っていました。たとえば戦後になって蔡さんが、国民党の主催する青年サマーキャンプに招待されたとき、登壇している人とは話ができても会場にいる台湾の少年少女たちは北京語がわからず、通訳を通さないと全然話が通じない(1巻参照)、ということがあったそうです。そんな少し変わった状況は、複数の言語を使わないと描けません。たぶん、台湾の読者にとっても厄介な本だと思います(笑)。ふつうは台湾語の表記なんてできないんです。なので原書には北京語の翻訳もついています。雰囲気を感じ取ってもらうために、わざと読みづらくしているんです。
須藤:なるほど。日本語版もその微妙なニュアンスは落としたくなかったので、どう区別をつけるか悩みました。それぞれの言語の書体を変えたり、翻訳も明確に区別して訳してくださっています。
游:訳者の倉本知明さんがすごい工夫をされましたね。大変だったと思います。須藤さんにも丁寧にルビを振っていただいたき、ありがとうございました。
須藤:なお原書では台湾語のセリフがある場合、その下に北京語で翻訳がついています。ふたつの言葉が入るので、吹き出しのスペースが広いんですよね。中国語から日本語への翻訳はどうしても文字が多くなるので……。
游:あ、ちょうどいいですよね(笑)。
須藤:そうなんです。すごく助かったところでした(笑)。
「移行期正義」と台湾のコンテンツ
須藤:この作品が台湾で紹介されるとき、しばしば「移行期正義」という言葉が使われていました。「移行期正義」とは、ある社会において起こった過去の人権侵害などに、現在から向き合って対処しようとする試みのことですが、この言葉は日本ではまだそこまで浸透していないかもしれません。こうした“移行期の正義”をテーマにした作品は、台湾では増えているのでしょうか?
游:日本でも上映された『返校 言葉が消えた日』*2という映画がありますよね。『返校』が上映されていたころ、白色テロの話に真正面から取り組んでいるコンテンツが多く、映画だけでなく、漫画や小説、絵本などが世に出ていました。
須藤:『返校』の映画やドラマは日本でも公開されました。白色テロのことを振り返る作品として、まず名前が挙がるのは『悲情城市』*3ではないかと思うのですが、近年またそのような作品が増えているんですね。
游:『悲情城市』は、かなり前の、戒厳令後に初めて白色テロの時代をふり返るというテーマを扱う映画ですよね。そこからかなり時間がたって、またちがう世代の読者や観衆に向けて、ちがうかたちで表現する作品が登場してきたのだと思います。『台湾の少年』では、移行期正義というか白色テロの時代の人権侵害を描いて批判するだけではなく、台湾の歴史全体を蔡さんの人生を通してふり返り、「将来のことをいっしょに考えましょう」というメッセージを投げかけているつもりです。
須藤:本日のイベントの参加者の方からも「私が台湾の白色テロを知ったのは『悲情城市』などの映画からでした。これらの作品は意識されましたか?」とご質問いただいていました。
周:白色テロを描く映画としてはほかにも、直近では『超級大国民(スーパーシチズン)』*4も挙げられます。これらの作品は私の創作の源泉の一部となっているので、無意識に出てきているかもしれないです。
須藤:『超級大国民』は、日本でも公開されてDVDになっていますよね。関連して、参加者の方から周さんへのご質問をご紹介します。
作画をご担当されるなかで、どこに絵本と漫画と違いを感じましたか? それから、作画の際に“台湾らしさ”は意識しましたか? もしそうであれば、どのあたりに気持ちを込めましたか?
周:絵本と漫画の違いについてお話しますと、作画するとき、絵本は30~40ページほどしかないので、ページをめくるときの間隔とストーリーの進行はある程度は決まっているというか、どうすればスムーズにいくのかだいたいわかっています。漫画はたくさんのコマを分けてストーリーを描いていくため、より複雑だと思います。何が起きていて、主人公の心境がどう変わっていくか。セリフもたくさんあります。今回初めて漫画を作ったのですが、たとえばコマ分けで時間の流れも前後できるし、表現方法はさまざまです。そこが漫画と絵本の一番の違いかと思います。
そして漫画を描いていると、どうしても日本風になってしまいます。作画していた当時も、フランスのグラフィックノベルなどを参考にしましたが、日本の漫画を当たり前に読んできている台湾人にとってはやっぱり漫画は日本のものですから。でも、絵本も漫画も、創作するときは台湾らしさというか味が出せるように試行錯誤しています。それによって台湾らしい表現ができているかはわからないですが、常に意識はしています。
須藤:たしかに日本の漫画とも異なる表現の奥ゆきがあるように思います。構成や絵の描き分け、言葉の配置など、台湾らしさが随所に感じられるのではないでしょうか。
日本の読者へメッセージ
須藤:『台湾の少年』をつくるにあたって、若い読者と台湾の未来を一緒に考えたいという思いを込められたとのことですが、台湾の歴史は日本とも非常にかかわりが深いものです。ぜひおふたりから、日本の読者にメッセージをお願いいたします。
周:『台湾の少年』が日本語で刊行され、とてもうれしく思います。今日は日本のみなさんに向けてお話をする場をいただけて光栄でした。本を読んで、台湾の近現代の歴史、この100年の発展と、主人公の蔡さんが見せる不屈の精神を感じていただきたいです。ありがとうございました。
游:私にとって、蔡さんは本当に尊敬できる方です。なんというか、アイドルじゃないけど、自分が90歳になったらこういう人間になりたいと思ってこの漫画をつくりました。日本のみなさんにも、この100年近い歴史をいろんな人と出会いながら生きてきた蔡さんを通じて、台湾の歴史、台湾と日本の関係を考えてもらえたら、とてもうれしいです。
須藤:本日は、貴重なお話をどうもありがとうございました。
周・游:ありがとうございました。
游珮芸(ゆう はいうん)[写真左]
台湾大学卒業後、お茶の水女子大学で博士号取得。台東大学児童文学研究所所長。研究、教育のほか、児童文学の編集、創作、翻訳、評論に携わる。本作の脚色を手がけた。
周見信(しゅう けんしん)[写真右]
台北芸術大学卒業後、台東大学児童文学研究所博士課程在籍中。絵本や児童文学の挿絵を手がけ、気鋭のイラストレーターとして活躍中。
*1 1991年公開の映画作品。日本では4Kレストア・デジタルリマスター版が2017年に再公開された。エドワード・ヤン監督。
*2 2019年公開の映画作品。台湾の赤燭遊戲が開発したホラーゲーム『返校』を題材にしたメディアミックス作品。
*3 1989年公開の映画作品。二・二八事件を背景に時代に翻弄される家族の姿を描き、同年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲得。
*4 1995年公開の映画作品。1950年代、戒厳令下の時代に読書会に参加して逮捕された青年が主人公。2017年東京国際映画祭でデジタルリマスター版が上映された。