解説より―倉本知明[台湾の少年]
『台湾の少年1 統治時代生まれ』解説より
倉本知明
白色テロの被害者として知られる蔡焜霖ですが、彼の経歴はそれだけに止まりません。高校時代、校内の読書会に参加した蔡焜霖は「非合法組織」に加入したとして緑島で十年の懲役判決を受けました。
しかし、服役を終えた蔡焜霖は、日本のマンガや児童雑誌を参考に、台湾のマンガや児童文学を掲載した少年誌『王子』を刊行、台湾のサブカルチャーに大きな影響を与えることになります。
さらに彼の経営する王子出版社は、ブヌン族(中央山脈で暮らす原住民族)を主体とする台東の少年野球チームを資金援助して、当時リトルリーグで世界一となっていた和歌山県の少年野球チームと交流試合を行い、台湾で空前の少年野球プームを創り出すなど、戦後台湾の大衆文化の流れを作り上げてきました。
出版業を離れてからは、台湾を代表する大企業國泰グループに入社。美術館の館長への就任や台湾初の百科事典の出版など、台湾のハイ・カルチャーにも大きな影響を与えてきました。
広告会社を退職してからは白色テロ時代に受けた自らの経験を語るなど人権活動に参加、台湾の若者たちから「蔡先輩」の名で親しまれています。
2018年5月、台湾本島から遠く離れた緑島で「国家人権博物館」の除幕式典が行われましたが、蔡焜霖はその式典で,蔡英文総統を前に緑島で受けた経験について語りました。
その際蔡英文総統は「蔡先輩」の言葉を受けて「移行期正義」を推し進めることを約束。同月には行政院移行期正義促進委員会を立ち上げました。
移行期正義とは、独裁体制から民主制度へと移行する過程において、過去に行われた人権侵害を糺し、真実を明らかにすることで社会正義や国民間の和解を実現する試みを指しています。
台消では蔡英文政権誕生(2016年─)以降、この移行期正義に基づいて、積極的に戒厳令時代に行われた人権侵害の調査やその関連施設の保存が進められているのです。
日本で2021年に公開されたホラー映画「返校 言葉が消えた日」(台湾では2019年公開)も、こうした移行期正義が実施される社会状況の下で誕生した作品でした。
その意味で、『台湾の少年』もこうした移行期正義を語ろうとする台湾社会の延長線上にある作品なのです。
本書の刊行を受けて、台湾の人気オルタナティブ・ロックバンド、拍謝少年(Sorry Youth)が「時代看顧正義的人(時代が見守る正義の人)」という歌を台筒語で発表しました。
そのMVには、蔡焜霖本人に加えて、香港で中国政府を批判する「禁書」を販売して拘束された林栄基書店長が出演して大きな話題を呼びました。
本書は暗い過去の反省の中から新たなカルチャーを生み出そうと躍動を続ける、台湾社会の「今」を伝えようとする作品でもあるのです。
台湾社会の持つ「豊かさ」の原因を考えるためにも、台湾がかつてどのような暗闇の時代(それは日本とも無関係ではありません)を経てきたのか、その声に耳を澄ませる必要があります。