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西洋美術史入門の決定版! 岩波新書『カラー版 名画を見る眼(Ⅰ・Ⅱ)』

フェルメール「絵画芸術」──象徴的室内空間

 累計82万部、50年以上読み継がれてきた西洋美術史入門の大定番、高階秀爾『名画を見る眼』『続 名画を見る眼』のカラー版を刊行いたします。本書で紹介している名画からご紹介いたします。

フェルメール「絵画芸術」
──象徴的室内空間

フェルメール「絵画芸術」
フェルメール「絵画芸術」.油彩,カンヴァス,
130×110 センチ,1666 年頃,ウィーン,美術史美術館所蔵.

 不思議な静けさ

 画家には、天性雄弁な人と寡黙な人とがいる。ミケランジェロやルーベンスが前者の代表的な例とすれば、後者の代表としては、例えばイタリアのピエロ・デラ・フランチェスカや、フランスのコローなどが思い浮かぶ。しかし、西欧の長い絵画の歴史のなかで、誰よりも慎ましやかで、誰よりも静寂を愛したのは、デルフトのヤン・フェルメールであったように思われる。

 そのことは、43年の生涯のあいだにやっと36点、どんなに多く見積もっても40点とは描かなかった彼のどの作品を見ても明らかである。その大部分は、静かな昼の光に照らし出された平凡な室内で、たいていの場合ただひとり、多くてもせいぜいふたりか三人の人物が、身動きもせずじっとしているところを描き出したものである。

 といって、彼らが何もしていないわけではない。フェルメールの人物は、眠っていたり、ただ無言でもの想いに耽っていることもあるが、いろいろ仕事をしたり、時にはふたりか三人で語りあっていることもある。しかし、そのような時でも、彼らの話し声は、われわれのところまで聞えてこない。フェルメールの世界は、まるで厚いガラスで隔てられてでもいるかのように、沈黙のなかに沈んでいるのである。

 そのことは、彼の作品のなかで、「デルフト眺望」(ハーグ、マウリッツハイス美術館所蔵)と並んで最も有名なこの「絵画芸術」を見ても、はっきりと感じられる。

フェルメール「デルフト眺望」
フェルメール「デルフト眺望」.
1660-61 年頃,マウリッツハイス美術館所蔵.

 場面は、彼の作品にしばしば見られる黒と白の格子模様の床の一室、おそらくは、デルフトの市場に面した彼自身の住居の一室で、重々しい垂幕の向こう側に、画架に載せたカンヴァスに向かってモデルの姿を一生懸命写し出そうとしている画家の後ろ姿が見える。モデルは、頭に橄欖の葉で編んだ冠をいただき、右手に大きなトランペット、左手に黄色い表紙の本を持って、身体は横を向いたまま、顔だけはほぼ正面に向けている。もっとも、正面と言っても、われわれ観客の方を見ているわけでもなければ、直接画家の方を向いているわけでもなく、視線を下に向けたまま、おそらくはすぐ眼の前のテーブルの上の種々雑多なものを、じっと眺めている。

 天井からは、真鍮の豪奢ごうしゃ)なシャンデリアが吊り下がり、背後の壁には、オランダ17州をあらわした地図がかけられている。

 床の格子模様のタイルから判断すれば、われわれ観客の位置は、ストゥールに腰かけている画家のほとんどすぐ後ろにあって、同じ室内に立っているはずであるが、理屈ではなくて、この画面に接した時の最初の印象から言えば、まるで隣の家でも覗きこんでいるようないささかの距離感を感じる。それは、ひとつには、フェルメールの奥行表現が巧みなためでもあるが、同時にまた、画面を支配する異様なまでの静けさもその印象を強めていることは否定できない。

 青い衣裳をつけて静かに立つモデルの少女は、何か話しかけられても決して口を開きそうにない。制作中の画家は、後ろ向きなのでどのような表情で描いているのかわからないが、おそらく唇をしっかりと閉ざしたままであるだろう。しかし、もしかりに画家が何か話しかけて、少女がそれに答えたとしても、ふたりの問答は画面手前の厚い垂幕に吸いこまれて、われわれのところにまでは届きそうにない。実はきわめて近いところにありながら、このアトリエはわれわれとは明らかに違う世界に属しているのである。

 巧みな奥行表現

 技巧的に見れば、平らな画面に三次元の空間の幻影を実現させる奥行表現において、この作品は完璧と言ってもよい。ひとくちに奥行表現と言っても、その方法はいろいろあるが、ここでは、ルネサンス以来の西欧絵画が苦労に苦労を重ねて自己のものとしてきたあらゆる技法が、きわめて自然に、ほとんど無意識のうちに巧みに応用されているのである。

 

* * *

続きは本書でご覧ください。

岩波新書『カラー版 名画を見る眼 Ⅰ』高階秀爾

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