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西洋美術史入門の決定版! 岩波新書『カラー版 名画を見る眼(Ⅰ・Ⅱ)』

高階秀爾『カラー版 名画を見る眼』刊行記念対談「眼と頭がつながること」(宮下規久朗、前田恭二) Vol.3

「見て楽しい」の一歩先へ!

 

 高階秀爾 著『カラー版 名画を見る眼』の刊行を記念して始まったこの対談。最終回は、あらためて『カラー版 名画を見る眼』の魅力、そして絵を見る、読む楽しみについて語っていただきます。この本が人生を決めたとおっしゃる宮下規久朗先生と、長く美術記者を続けてこられて、今は大学で日本美術史を教えていらっしゃる前田恭二先生にはこれまで、第一回では青版『名画を見る眼』の刊行当時について、第二回では著者の高階先生についてお話いただきました。あわせてご覧ください。

新しい解釈

宮下 『名画を見る眼』がカラー版となって出版されることを最初にうかがったとき、正直なところを言えば、50年前の本を新しくしても……、という気持ちがありました。美術史は、他の学問と同じように、どんどん乗り越えられていく学問です。そこが、文学作品とは異なります。解釈も新しいものが出てきます。でも今回改めて読んでみたら、その危惧はほとんど当たらなかった。すでに前田さんがおっしゃったように超然としたところがあり、いまでも十分読む価値があると思いました。
 ただ、冒頭の「アルノルフィニ夫妻の肖像」についてだけ、ひと言補足しておきます。今回のカラー版では、「その後の調査により、アルノルフィニ夫妻が結婚したのは(画中に記された1434年ではなく)1447年であったことが明らかとなった」とあり、この場面が「(結婚式ではなく)「婚約」の誓いの場であることを示すものであろう」と注記されています。

ファン・アイク「アルノルフィニ夫妻の肖像」、ロンドン、ナショナル・ギャラリー
ファン・アイク「アルノルフィニ夫妻の肖像」、ロンドン、ナショナル・ギャラリー

 それよりも、近年この絵のモデルは従来考えられていたジョヴァンニ・ディ・アリゴ・アルノルフィニではなく、その従兄弟でやはりブリュージュに住んでいたジョヴァンニ・ディ・ニコラ・アルノルフィニという別人だという説が提出されています。1434年というのは、このアルノルフィニの奥さんの一周忌に当たります。この絵では男は左手で奥さんの右手をとっていますが、左手で相手の手をつなぐのは不自然ですし、全体のどこかもの悲しい雰囲気を考えても、これは追悼の絵ではないかと考えられるのです。実際、ルネサンスの夫婦の肖像画は、伴侶との死別後に残された者が依頼することが多かった。つまり、この絵は死者のための追悼画だと考えることが優勢になっています。
 この絵については、私は美術史の入門授業の初めにいつも紹介するのですが、これだけの名画でも時代によって解釈が変わってしまう。それが美術史のおもしろいところなのだと。

前田 なるほど。このところ、宮下さんは死の問題を研究されていますね。

宮下 だから余計にこの解釈に惹きつけられるというのもあります。

前田 『名画を見る眼』は、あまり死の問題には言及していないかな。

宮下 レンブラント「フローラ」では、妻、サスキアが亡くなったあとに描いた絵についてなどを説明しています。

レンブラント「フローラ」、メトロポリタン美術館
レンブラント「フローラ」、メトロポリタン美術館

前田 美術史上の知見もそうですが、批評的な立場もどんどん変わります。ドラクロワのアルジェリアものは、この感じでは書けなくなっているかもしれませんね。

宮下 いま論ずるならば、「アルジェの女たち」ではオリエンタリズムの側面をもっと前面に出すでしょうね。

ドラクロワ「アルジェの女たち」、パリ、ルーヴル美術館
ドラクロワ「アルジェの女たち」、パリ、ルーヴル美術館

前田 そこを含めて、この本自体が戦後美術史の1コマという重みを持っているように思います。そして、その時々の高階先生のご判断があった。

宮下 まさに古典に価するものです。

『名画を見る眼』のセレクト

宮下 『名画を見る眼』は、西洋美術の定番中の定番を主題とした本であると思っていましたが、名画の選択には意外にも偏りというか傾向があります。アマゾンのレビューにもありましたが、女性像が多い。ゴヤの場合は、「マドリード、1808年5月3日」ではなく「裸のマハ」、レンブラントは「夜警」ではなく「フローラ」、セザンヌは、「リンゴとオレンジ」でも「サント・ヴィクトワール山」でもなく、「温室の中のセザンヌ夫人」が登場します。女性像が一つの軸になっているのは、先生が意図したことなのかどうか、それはわかりませんが、有名であっても一般的な代表作でない絵を選んでいるようです。

  • ゴヤ「マドリード、1808年5月3日」、マドリード、プラド美術館
    ゴヤ「マドリード、1808年5月3日」、マドリード、プラド美術館
  • ゴヤ「裸のマハ」、マドリード、プラド美術館
    ゴヤ「裸のマハ」、マドリード、プラド美術館
  • レンブラント「夜警」、アムステルダム国立美術館
    レンブラント「夜警」、アムステルダム国立美術館
  • セザンヌ「りんごとオレンジ」、パリ、オルセー美術館
    セザンヌ「りんごとオレンジ」、パリ、オルセー美術館
  • セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」、パリ、オルセー美術館
    セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」、パリ、オルセー美術館
  • セザンヌ「温室の中のセザンヌ夫人」、ニューヨーク、メトロポリタン美術館
    セザンヌ「温室の中のセザンヌ夫人」、ニューヨーク、メトロポリタン美術館

前田 宮下さんのご専門、カラヴァッジョがいないのはどうですか?

宮下 69年当時、カラヴァッジョは日本ではあまり知られていなかったので、仕方がないように思います。でもプーサンをあげているのはさすがです。誰がいないかといえば、たとえばミケランジェロやルーベンスでしょうか。

前田 セレクトを言い出すとキリはないけれど、ヴェネツィア派も、ラインナップには入っていませんね。

宮下 たしかに、ティツィアーノやジョルジョーネも出てこない。あとこういう西洋美術史はジョットから始めるのが定番ですが、ジョットもいません。日本で人気のあるブリューゲルもいない。これは、意図的なことではないかと思います。第Ⅱ巻、つまり現代はモンドリアンで終わっていますが、今の観点からするとジャクソン・ポロックあたりは入れてもよかったのではないか……。

前田 それを言えば、デュシャンがいない。

宮下 第Ⅱ巻のセレクションは基本的にはモダニスムですよね。デュシャンが入る余地はなかったのかなと思いますね。

前田 たしかに全体として、構図の問題を丁寧に検討なさっていて、モダニスムを背景にした絵の見方を展開されています。

宮下 そして画面分析や様式のことはしっかり論じているから、それが時代を超える安心感につながっています。全体の構成もよく考えられている。「アルノルフィニ夫妻の肖像」と「宮廷の侍女たち」が呼応していますし、先にも述べたように、ドラクロワの「アルジェの女たち」(「キオス島の虐殺」などでなく)そして第Ⅱ巻のモネの「パラソルを指す女性」(「印象日の出」ではなく)など女性像が一つの軸になっています。

モネ「パラソルをさす女」、パリ、オルセー美術館
モネ「パラソルをさす女」、パリ、オルセー美術館

前田 あまり意識しなかったけれど、言われてみると、本当にそうだな。

宮下 「セザンヌ夫人」はふつう取り上げない。

前田 なんでリンゴじゃないのかと。

宮下 モネも睡蓮ではない。

前田 全体に理知的なものがお好きということでしょうか。

宮下 ラファエルロの章も構図分析に力を注いでいます。高階先生はラファエルロがお好きなようで、先生がローマのボルゲーゼ美術館を訪れたときに、ラファエルロ初期の代表作「キリストの埋葬」を長時間ずっとご覧になっていたと聞いたことがあります。私は、あの作品は、上手いけれども深い絵ではないのではないかと少し軽んじていた時期があります。しかし高階先生がそれだけ時間をかけて見ているということは何かが違うんだろうと思い、それから徐々にラファエルロの偉大さが分かるようになってきました。高階先生は、端正なもの、そしてバランス感覚がよいものを好まれるように思います。

ラファエルロ「キリストの埋葬」、ローマ、ボルゲーゼ美術館
ラファエルロ「キリストの埋葬」、ローマ、ボルゲーゼ美術館

前田 どの章にいちばん感心しましたかという質問を編集部から事前に受け取って、ちょっと考えてみましたが、ひとつだけ選ぶなら、僕はラファエルロだな。

ラファエルロ「小椅子の聖母」 フィレンツェ、ピッティ宮殿パラティーナ美術館
ラファエルロ「小椅子の聖母」 フィレンツェ、ピッティ宮殿パラティーナ美術館

宮下 私も同じです。構図の分析がすばらしいと思いました。誰でも知っている平明な絵、見て分かりそうな絵の構図を緻密に分析して、この絵の特質を明らかにした文章はすばらしいです。

前田 ああいう“ど真ん中”のものは語りにくいんですよ。真ん中からずれた絵の方がとっかかりがあって、テキストは作りやすい。あれは誰の目にもきれいだなとなるけれど、おもしろく書けるかと言われると、普通は言葉がもたないと思う。

宮下 たとえばボッティチェルリの「春」などは、学説を並び立てればえんえんと書けますが、ラファエルロの「小椅子の聖母」はそうはいかない。まさに先生の独壇場です。

前田 ラファエルロはハードルが高い。意見が合ったね(笑)。

宮下 先生の端正な文章とこのラファエルロの名画がみごとに呼応していて、本書の白眉だと思います。

前田 そこにまいってしまう。高階先生ご自身がど真ん中の人とも言えるのかな。

宮下 アカデミックな、ど真ん中の人ですよね。

前田 アカデミズム的な知識が必要だと思っていらっしゃるわけですね。

宮下 秩序とバランスが必要ということでしょう。だから情熱的なミケランジェロではなく、秩序あるラファエルロを重視する。先生の趣向が表れているという気がしますし、先生の文章自体がまさにラファエルロのような安定感に満ちています。

前田 なるほどミケランジェロか。システィナ礼拝堂を取り上げていないよね。

宮下 世界最高の名画と呼ばれているシスティナ礼拝堂を選ばないという点では、『名画を見る眼』は、万人受けする名画の定番というよりも、高階先生というフィルターを通した西洋美術史の古典だと言えます。そしてこの端正な文章と文学性によって、ずっと長く読まれる本なのだと思うんです。

眼と頭がつながるよろこび

前田 宮下さんも『名画の生まれるとき 美術の力II』(光文社)の序文でお書きになっていますが、「見ればわかる」、「見て楽しかったらいい」というのではなく、美術には知識も必要だということを、高階先生も、『名画を見る眼』第Ⅰ巻の「あとがき」で触れておられますよね。

宮下規久朗『名画の生まれるとき 美術の力II』(光文社)

宮下 高階先生はあまり声高には主張しないのですが、私はつねづね、「美術は感性ではなく知性だ」とか、「日本の美術教育は実技ばかりで、美術をどのように見るかという美術史がないからだめなんだ」と言って回ってきました。

前田 第Ⅰ巻の「あとがき」では、「絵画とは精神的なものである」というレオナルドの言葉も引用なさっています。

宮下 先生には確信があったのでしょう。見てきれい、楽しいという経験はもちろんあります。しかし知的な背景を知るからこそ、さらに感性が働く余地が出てくる。高階先生の説明を読んだ上で絵を見ると、色彩の意味や構図の精妙さが分かる。その美しさは、感性に響くものとなります。知的な興味が感性を刺激します。

前田 僕はよく「眼と頭がつながる」という言い方をするんですが、作品の前に立ち、見ているうちに、頭の中でいろいろなリンクが張られていく。作家の過去の作品だったり、同時代の別の作家だったり、さらには時代背景なども思い浮かぶ。そうなると、また違う細部に眼が行く。どうしてここはこう描いているんだろうと。眼と頭がつながり、連動しはじめると、すごく楽しくなってくる。
むろん感覚的な要素が大切だということについては、何の異論もないんです。ただ、自分のことを振り返っても、高校時代まで、学校教育では「見る」方のトレーニングはしていない。美術史を学んで、はじめて眼と頭がつながった。

宮下 日本人は、学校のお絵かき教育のせいで、美術というものは自分で作るものと思いがちです。でも自分で作る必要なんかまったくない。美術館に行き、あるいは画集を見ることが大事なのですが、日本の教育ではごそっと抜け落ちてしまっています。

前田 ざっと100年前、山本鼎*1が提唱した自由画教育運動(お手本を通じた描法の習得でなく、児童の創造性を尊重する教育運動)、あるいは高村光太郎や白樺派のように、自分の個性や人格が最優先で、そいつをそのままぶつければいいんだ、といった考え方から、ほとんど変わっていないんじゃないかと感じることすらあります。

宮下 美術に知識が必要だと考える日本人は少ないということですね。

前田 新聞社から大学に移って、講義後に、絵を見るのに知識は必要なんですかという質問を受け、ちょっと戸惑いました。背景には、本来、美術は一目で分かるもので、知識を踏まえて見るのは不純、という考え方があるようですね。

宮下 前田さんのいる美大でアーティストを目指す人でも、そのように知識をおろそかにしがちだという状況があるんですね。

前田 高階先生は、絵画が全人間的な精神活動だとお書きになっている。本当にその通りだと思います。

宮下 美術や芸術は、たんに美的感性とか芸術センスなどではない、人間の文化の重要な一部を占めていて、文学と同じように知的な活動です。

前田 高階先生のスタンスは一貫して理知的で、主題の問題、モティーフの問題、伝統的な図像の問題、それから作家のキャリアと、すべての角度から論じていきます。そのバランス感覚には目をみはるものがあります。

高階先生のそのほかの著作について

宮下 『名画を見る眼』、『続 名画を見る眼』この2冊の間には、2年の時間が開いています。もともとは、高階先生は最後に近代絵画のはじまりとしてマネを登場させ、『名画を見る眼』を完結させました。しかし近代も書いてほしいということになったんだと思います。だから最初から2巻本の計画ではなかったのではないのでしょうか。

前田 『続 名画を見る眼』は、書き方がやや手慣れてきた印象を受けますね。

宮下 初発性は第Ⅰ巻にありますね。第Ⅱ巻は、高階先生がよくご存じの内容で、自家薬籠中のものですが、第Ⅰ巻はそのためにしっかり研究されたのではないかと思います。西洋美術の王道、メインストリームを扱ったのが第Ⅰ巻、第Ⅱ巻はエピソードが数多く登場しています。

前田 あらためて読んで、第Ⅰ巻はほんとにいいなあと思いました。

宮下 やはりカラー版となった『近代絵画史』上下(中央公論新社)もこの機会に読み返しました。『近代絵画史』は中央公論社の美術全集「世界の名画」の連載でした。しかし、さきほど前田さんがおっしゃった「眼と頭がつながること」によって発見される美術のおもしろさというのは、『名画を見る眼』が傑出しています。『名画を見る眼』第Ⅰ巻で興味を持たれた方は、第Ⅱ巻、そして流れがよくわかる『近代絵画史』も読まれるといいと思います。

高階秀爾 『カラー版 近代絵画史』(中央公論新社)

 さらに興味を持たれたら、前回登場した、池上英洋さんの『西洋美術史入門』(筑摩書房)をご覧になるとよいと思います。美術史という学問がどういうものか、どういうことを学ぶことができるか、そのルートを示してくれます。
 私は子どものころ『名画を見る眼』を読んで美術史に夢中になり、美術史を学ぶためには高階先生の教えておられる東大に行かなければならないのだと思い込んで学校の勉強を始めた口ですが、日本にもたくさんのルートがあります。美大や芸大に行かなければならないと思われる方もいるかもしれませんが、普通の大学の文学部の多くには美術史専攻があります。もう大学を卒業されている方も、展覧会で感動されたら、そこで終わってしまったらもったいない。ちゃんとした本を読んで美術史的な部分にも触れると感性はより豊かになって、美術がよりおもしろくなるはずです。

おわりに

前田 これからの時代、美術新書がどれくらい読まれていくのか、正直なところ、なかなかきびしいものがある気はします。一目でわかるものが好まれ、インスタグラムなどでも、超絶技巧で驚かせる動画をよく見かけます。技巧は、しかし美術の一部分でしかありません。そこだけが突出して、理知的な部分が理解されないとしたら、美術書というのも、先行き大丈夫なのかなと。

宮下 美術そのものについても言えることですよね。写実派絵画は人気がありますが、現代アートからは、一般の人は遠ざかっています。

前田 『名画を見る眼』の時代からあまり変わっていない。むしろ後退しているんじゃないかとすら思います。

宮下 一方で電子書籍は、白黒で出た本でもカラーになったりします。絵が拡大できますし、美術書には向いているのですが、日本では今ひとつ普及しません。

前田 デジタルにはデジタルの良さがありますが、本というメディアは手軽だし、アクセスがいい。デジタルはいろいろなデヴァイスを必要としますから。そもそも紙の書籍であれ、デジタルであれ、言葉で伝える部分はなくならない。美術に関して、きちんとした言葉が書かれなくてはならないわけで、そこは変わらないでしょう。

宮下 美術新書の将来は明るい?

前田 明るくはないんでしょうが(笑)、なくなっていいとは思わない。

宮下 新書もカラーになっていくのはいいことです。文字だけでなく、ビジュアルも大事です。
『名画を見る眼』の時代は、美術全集が百科事典とともに多くの家庭にありました。人々もそういうものを求めていました。いまは百科事典や美術全集が家にあるという家庭は少ないでしょう。最近、田舎のおばあちゃんを訪ねたら美術全集があって珍しかったから一所懸命見たという学生がいましたが、美術全集は遠いものになってしまったのかなと思います。
 現在はたしかにもう美術全集の時代ではないのかもしれません。しかし本を手にとって1ページ1ページ見る。興味を持ったらその解説を読む。そういう経験はとても有意義だと思います。
 個々の作品の情報は、Wikipediaなどをみればあらましはわかります。ただそれを超えるもの、奥行きや深みが高階先生の本にはあります。これは、チャットGPTには出てこない内容です。

マティス「大きな赤い室内」、パリ、ポンピドゥーセンター、国立近代美術館
マティス「大きな赤い室内」、パリ、ポンピドゥーセンター、国立近代美術館

 いま、東京都美術館では、マティス展が開催されています。マティスの「大きな赤い室内」は晩年の絵ですが、『カラー版名画を見る眼』第Ⅱ巻ではこの絵が取り上げられています。本物を見る機会があったら、それに関連する本を読むという習慣をつけていただけたらすばらしいと思います。


編集部より──

『カラー版 名画を見る眼』も電子書籍版として発売されています。絵を「見る」本であると同時に、文章を「読む」本なので、紙の本ではふつうの新書用書籍本文用紙に刷りましたが、どうしても紙自体の色があります。一方、電子書籍は絵そのものを美しく見られると好評です。是非ご覧ください。

 

宮下規久朗(みやした・きくろう)

1963年愛知県生まれ。神戸大学大学院教授。専門はイタリア美術史および日本近代美術史。東京大学文学部美術史学科卒業、同大学院人文科学研究科修了。
著書に、『ヴェネツィア──美の都の一千年』(岩波書店)、『闇の美術史──カラヴァッジョの水脈』(岩波書店)他、『カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞受賞)など多数。

前田恭二(まえだ・きょうじ)

1964年山口県生まれ。武蔵野美術大学教授。専門は日本近現代美術史。東京大学文学部美術史学科卒業。読売新聞社勤務を経て現職。
著書に、『やさしく読み解く日本絵画──雪舟から広重まで』(新潮社)、『絵のように──明治文学と美術』(白水社、芸術選奨新人賞受賞)のほか、『関東大震災と流言──水島爾保布 発禁版体験記を読む』(岩波書店、近刊)がある。

 

*1 1882-1946、日本の版画家、洋画家

 


カラー版
名画を見る眼Ⅰ──油彩画誕生からマネまで
(2023年5月19日刊)

岩波新書『カラー版 名画を見る眼 Ⅰ』高階秀爾

Ⅰ ファン・アイク「アルノルフィニ夫妻の肖像」──徹底した写実主義
Ⅱ ボッティチェルリ「」──神話的幻想の装飾美
Ⅲ レオナルド「聖アンナと聖母子」──天上の微笑
Ⅳ ラファエルロ「小椅子の聖母」──完璧な構成
Ⅴ デューラー「メレンコリア・Ⅰ」──光と闇の世界
Ⅵ ベラスケス「宮廷の侍女たち」──筆触の魔術
Ⅶ レンブラント「フローラ」──明暗のなかの女神
Ⅷ プーサン「サビニの女たちの掠奪」──ダイナミックな群像
Ⅸ フェルメール「絵画芸術」──象徴的室内空間
Ⅹ ワトー「シテール島の巡礼」──描かれた演劇世界
Ⅺ ゴヤ「裸体のマハ」──夢と現実の官能美
Ⅻ ドラクロワ「アルジェの女たち」──輝く色彩
XIII ターナー「国会議事堂の火災」──火と水と空気
XIV クールベ「画家のアトリエ」──社会のなかの芸術家
XV マネ「オランピア」──近代への序曲
あとがき/『カラー版 名画を見る眼』へのあとがき

 

カラー版
名画を見る眼Ⅱ──印象派からピカソまで
(2023年6月20日刊)

岩波新書『カラー版 名画を見る眼 Ⅰ』高階秀爾

Ⅰ モネ「パラソルをさす女」──光への渇望
Ⅱ ルノワール「ピアノの前の少女たち」──色彩のハーモニー
Ⅲ セザンヌ「温室のなかのセザンヌ夫人」──造形のドラマ
Ⅳ ヴァン・ゴッホ「アルルの寝室」──不気味な内面世界
Ⅴ ゴーギャン「イア・オラナ・マリア」──異国的幻想
Ⅵ スーラ「グランド・ジャット島の夏の日曜日の午後」──静謐な詩情
Ⅶ ロートレック「ムーラン・ルージュのポスター」──世紀末の哀愁
Ⅷ ルソー「眠るジプシー女」──素朴派の夢
Ⅸ ムンク「叫び」──不安と恐れ
Ⅹ マティス「大きな赤い室内」──単純化された色面
Ⅺ ピカソ「アヴィニョンの娘たち」──キュビスムの誕生
Ⅻ シャガール「私と村」──回想の芸術
XIII カンディンスキー「印象・第4番」──抽象絵画への道
XIV モンドリアン「ブロードウェイ・ブギウギ」──大都会の造形詩
あとがき/『カラー版 名画を見る眼Ⅱ』あとがき

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