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西洋美術史入門の決定版! 岩波新書『カラー版 名画を見る眼(Ⅰ・Ⅱ)』

高階秀爾『カラー版 名画を見る眼』刊行記念対談「眼と頭がつながること」(宮下規久朗、前田恭二) Vol.2

高階先生のこと

 

 高階秀爾 著『カラー版 名画を見る眼』の刊行を記念して、この本が人生を決めたとおっしゃる宮下規久朗先生と、長く美術記者を続けてこられて、今は大学で日本美術史を教えていらっしゃる前田恭二先生に対談をお願いしました。第一回でお届けした青版『名画を見る眼』の刊行当時のお話に引き続き、今回は著者の高階先生について、直接教えを受けたからこそ見えるお話を伺いました。

高階先生の怖さ、すさまじさ

宮下 高階先生は、学生時代の私たちからすると、実は何を考えているか分からない方でした。その場の世間話をして場を和ませてくれますが、逆に、愚痴をこぼすことなどはありませんでした。

宮下規久朗先生

前田 ほんと、愚痴のようなことはおっしゃらない。

宮下 私はもう長い間先生とおつきあいがありますが、数十年来の弟子にも初対面の人にも同じような態度で接してくださいます。

前田 僕は新聞記者になってから、展覧会のオープニングなんかで「やあ前田くん、元気ですか」と声をかけてくださる。いつも明朗快活という印象。
学生時代、クロード・ロランとプーサンを対比しながら、当時のフランス美術を語る趣向の講義を聴きましたが、あれも明快だった。教養学部の講義でしたっけ。

宮下 文学部で法文2号館の大教室での講義でした。

前田 美術史学科では、エミール・マール*1の『ゴシックの図像学』(国書刊行会)のフランス語講読もありました。僕は仏教美術だったんだけど、あれはなぜか出ていた。そう言えば、ゼミ合宿の研究発表のとき、高階先生が寝ていた……というか、船をこいでおられたのも、ちょっと忘れがたい思い出だな(笑)。

前田恭二先生

宮下 高階先生はゼミ合宿でも日頃のゼミでも寝ていましたよ(笑)。ショートスリーパーで、電車の吊革につかまってでも寝られる。あまりにお忙しいせいか、ちょっと時間があればすぐ寝てしまうのだと思います。
しかし、ずっと寝ておられたはずなのに、発表が終わると、だめなところ、欠けているところをずばずば指摘される。学生はみんな舌を巻きました。

前田 お忙しい方だし、うとうとしていたのは間違いないと思うんだけど、しかし、発表が終わると、見事にまとめてみせる。あれはどういうことなのか……。

宮下 寝ながら聞いているのか、起きている最初の時間にすべて見通していたのか、二つの説がありました。

前田 身近に接した高階先生の怖さ。

宮下 あれでかえって尊敬していました。

前田 その後、シンポジウムのモデレーターをなさっているのも聞いたことがありますが、とにかくパネルの発言を受けて、的確に要約し、コメントしていく。

宮下 様々な意見を一つにまとめて進行させる能力がすごい。司会者としても天才的な方だと思いますね。実は、私が高階先生の影響をいちばん強く受けているのはこの点かもしれません。私も学会のシンポジウムなどで司会をする機会がふえたのですが、高階先生だったらどうなさるかと、いつも先生を念頭に置いています。

前田 相手が何を言うかを見切っているのでしょうか。あれほど正確に理解してもらえると、パネルの方々も納得ですよね。

宮下 パネリストが言えなかったことまでちゃんとすくい上げて見事にまとめてくれます。IQが非常に高いという噂もありましたが、あんなに頭が切れる方は知りません。

前田 国立西洋美術館にいらした若い頃、手元では日本語の文章をどんどん書きながら、同時にフランス語で楽しそうに電話なさっていたのだとか。その姿に、周囲の人たちは圧倒されたという話を聞いた記憶があります。

宮下 膨大なお仕事を抱えておられたため、締切に追われていることも多かったようです。高階先生がフランスに出かけてしまわれると聞いて、頼んだ原稿をもらいに成田まで追いかけていった編集者からこんな話を聞いたことがあります。空港で先生が「分量はどのくらいですか」と訊かれたので、編集者が「(原稿用紙)2枚です」と答えたら、その場ですらすらとピッタリ2枚書いてしまわれた。頭の中で出来上がっている文章を機械的に書き写しているだけのような感じだったそうです。
たしかに先生は、すべて頭の中に入っているようです。だからコピーを取らない。一回読めば頭の中に入ってしまうし、まったく同じ文章も書けるんです。

前田 それなのに、決して偉そうになさらない。ちなみに、第Ⅱ巻のあとがきで「興味を広げていただけたらたいへん結構なことだと思う」とある。「たいへん結構です」は、私自身もよく耳にしてきた“高階先生ワード”。若い頃から言っていたんだと思った(笑)。

美術史家に与えた影響

宮下 そして、ご自分のことは多くを語りません。アンドレ・シャステル先生*2とイタリアに行ったことなど、留学時代の話は語られますが、日本ではどうされていたかとか、卒論でベルクソンをなさったのに、どうして美術史を研究されるようになったのかとかは分からない。
同じく第Ⅱ巻の「あとがき」で、「学生運動がさかんであった頃のことである」と執筆の頃を振り返っておられますが、その苦労話は決して書かれない。あの当時東大にいた先生方は苦労話をする人が多いように思いますが。一つの信念があるのだと思います。

前田 どこか別格というのか、自然と敬意が集まる感じは、それもあってのことなのかな。

宮下 尊敬のあまり、近寄りがたいところもありました。これは、先生を取り巻くいろいろな人が言いますね。

前田 ただ、突っ込みどころはありますよね(笑)。あの日本人離れしたファッションとか。日本のおじさんはふつう、ああいうふうにはスカーフを使えない。

宮下 それから上着は、袖を通さずに羽織る。現在、国立西洋美術館館長の田中正之さんも、私と前田さんの同級生でいつも仲よくしていたのですが、学生時代によく上着を羽織っていたので、「なんで袖を通さないの?」と聞くと、高階先生の真似だと得意になっていました(笑)。

前田 田中さんは当時、宮川淳*3を読んでいましたね。

宮下 彼はデュシャンなども好きで、現代アートに関心があったのですが、やはり『名画を見る眼』を高校時代に読んで美術史に関心を持ったと聞いたことがあります。

前田 ただ、学生時代はオーソドックスな美術史に少し距離を置いていた気もする。

宮下 実は私もそうでした。どうしても学生の頃は、正統なものに反発してしまう面があるんでしょうね。私は卒論をカラヴァッジョで書いたのですが、大学院生のとき、カラヴァッジョの日本での紹介者であった若桑みどり*4先生が非常勤講師として来てくださいました。岩波新書の『女性画家列伝』もよい本ですが、若桑先生はエネルギッシュでカリスマ性があり、パッションや毒気があって、そのエネルギーに惹き込まれました。お宅にもたびたびお邪魔して貴重な洋書もたくさんお借りし、私淑しました。一方、高階先生は対照的に冷静で淡泊に見えましたから、はじめて読んだ小学生の頃はともかく、大学生になって本格的に美術史を学ぶと先生のオーソドックスな語りに飽き足らなく思えてしまったのです。ただ先輩からは、高階先生の偉大さは年をとるとともに明らかになると聞いたことがあって、まさにその通りでした。学生の頃は未熟でよくわからなかったのですが、とくに自分が本を書くようになってからは先生の偉大さをひしひしと感じるようになりました。『名画を見る眼』を30代で書いていたことを知ると、やはりすごいなと思います。

若桑みどり『女性画家列伝』(岩波書店)

前田 若い頃に、猛烈に勉強されたんでしょうね。

宮下 淡々と書いていますが、背景には膨大な知識があり、だからこそ自信を持って書いている。

前田 曖昧なところがありません。そう言えば、池上英洋さんの『西洋美術史入門』(筑摩書房)にも、『名画を見る眼』を読み、「アルノルフィニ夫妻の肖像」の最初の一文で美術史をやろうと思った、と書いてありました。

池上英洋『西洋美術史入門』(筑摩書房)

宮下 大阪大学におられてゴッホ研究で有名な圀府寺司さんも、東京大学名誉教授で静岡県立美術館館長の木下直之さんも、高校時代に『名画を見る眼』を読んで美術史をやろうと思ったという話を聞いたことがあります。一般読者もそうですが、この本がいかに多くの美術史家に影響を与えてきたか、ということです。

前田 とはいえ、いわゆる“高階スクール”みたいな感じって、ほとんどないような気がする。自分はすぐ新聞記者になったから、よくわからないけど。

宮下 高階先生ほど、一子相伝という発想から遠い方はいないかもしれません。弟子になったからといって特別扱いはしませんが、一人一人をちゃんと見守ってくださっているのがわかります。

日本近代美術史の仕事

前田 高階先生には、国立西洋美術館館長をはじめとして、長く、多くの公職がありました。

宮下 今も大原美術館や日本芸術院のお仕事などでお忙しくされていますが、しかしあれだけの知性の人が西洋美術を紹介してくださったことが日本の西洋美術史にとってどれだけ大きなことだったか。同時に、日本近代美術史のお仕事も見逃すことはできません。

前田 『日本近代美術史論』(筑摩書房)は不朽の名著ですよね。

宮下 この本は先生には珍しく、高橋由一の章にはパッションを感じます。フランス留学から帰ったときに由一の「花魁」を見てその不気味さに驚き、一体これは何なのかと思ったと。そこから日本近代美術のおもしろさや独自性を考えるようになったと告白されています。

前田 西洋美術史をよく分かっている人が書いている安定感があります。

宮下 日本近代美術史には青木茂*5という巨人がいます。青木先生は、一次資料をどんどん掘り起こされて、日本近代美術史の研究を開拓された方です。私も何かとお世話になりました。

前田 一方で、高階先生はアカデミックな西洋美術の概念を踏まえて、日本の近代美術をどうとらえるか、大きなフレームを示された。

左から、『日本近代美術史論』(筑摩書房)、『ルネサンスの光と闇』(中央公論新社)、『美の思索家たち』(青土社)。いずれも高階秀爾の著作。

宮下 高階先生は黒田清輝に自分をなぞらえているところがあったように思われます。フランスで学んだ黒田が、日本の洋画界に構想画やヌードといった西洋のアカデミックな美術理念を移植しようとした先駆的な役割を、戦後の日本の美術史界に対して行っているという使命感があったのかもしれません。先生は一般向きの啓蒙書ばかりでなく、『ルネサンスの光と闇』(中央公論新社)や『美の思索家たち』(青土社)で、パノフスキーのイコノロジーなど西洋の美術史学の方法論を詳しく論じて、日本の美術史研究の底上げをしてくださいました。そんなことは意識されていなかったかもしれませんが、先生は黒田清輝と同じような歴史的役割を果たしたといってよいでしょう。

 


 

 第三回では、ふたたび『カラー版 名画を見る眼』の魅力、そして絵を見る、読む楽しみについて語っていただきます。知識が伴うと美術はもっと面白くなるということを、本書の感想を伺いながら、また宮下先生、前田先生のご経験を踏まえながらお話ししただきます。

>>第三回へ

 

宮下規久朗(みやした・きくろう)

1963年愛知県生まれ。神戸大学大学院教授。専門はイタリア美術史および日本近代美術史。東京大学文学部美術史学科卒業、同大学院人文科学研究科修了。
著書に、『ヴェネツィア──美の都の一千年』(岩波書店)、『闇の美術史──カラヴァッジョの水脈』(岩波書店)他、『カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞受賞)など多数。

前田恭二(まえだ・きょうじ)

1964年山口県生まれ。武蔵野美術大学教授。専門は日本近現代美術史。東京大学文学部美術史学科卒業。読売新聞社勤務を経て現職。
著書に、『やさしく読み解く日本絵画──雪舟から広重まで』(新潮社)、『絵のように──明治文学と美術』(白水社、芸術選奨新人賞受賞)のほか、『関東大震災と流言──水島爾保布 発禁版体験記を読む』(岩波書店、近刊)がある。

 

*1 1862-1954、フランス中世美術史の大家。『ヨーロッパのキリスト教美術』(岩波書店)など。


*2 1912-90、フランスの美術史家。パリ大学文学部美術史学科教授を務めた後、コレージュ・ド・フランスの教授となった。


*3 1933-77、美術評論家。主著に『鏡・空間・イマージュ』(白馬書房)、『美術史とその言説』(水声社)など。


*4 1935-2007、美術史家。千葉大学教授などを務めた。主著に『薔薇のイコノロジー』(青土社)、『絵画を読む』(筑摩書房)など。


*5 1932-2007、美術史家。町田市国際版画美術館長などを務めた。高橋由一などを中心に近代美術を研究。

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