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前田健太郎 政治学を読み、日本を知る

大衆社会の政党組織 ──モーリス・デュヴェルジェ著『政党社会学』

【連載】前田健太郎「政治学を読み、日本を知る」(5)

「デュヴェルジェの法則」を超えて

 政党を語る上で、フランスの政治学者モーリス・デュヴェルジェの一九五一年の著作『政党社会学』(岡野加穂留訳、潮出版社、一九七〇年)は避けて通れない。小選挙区制が二大政党制を生み出すという本書の指摘は、後に「デュヴェルジェの法則」と呼ばれ、アメリカでは政党システム論の基本命題として盛んに研究された。日本でも、一九九〇年代の選挙制度改革で衆議院に小選挙区比例代表並立制を導入して以来、二大政党化の可能性を巡って多くの議論が行われている。

フランスの政治学者モーリス・デュヴェルジェの一九五一年の著作『政党社会学』(岡野加穂留訳、潮出版社、一九七〇年)
モーリス・デュヴェルジェ 著, 岡野加穂留 訳『政党社会学』(潮出版社)

 だが、本書で「デュヴェルジェの法則」に相当する記述は、実は後半の政党システム論の中で数頁ほど登場するにすぎず、その扱いは意外に小さい。むしろ、本書が力点を置いているのは、前半の政党組織論である。めい)ぼう))の連合体としての幹部政党と、大規模な組織を持つ大衆政党の対比は、多くの教科書に紹介されてきた。この類型論を踏まえて、ヨーロッパの政党研究では包括政党やカルテル政党といった新たな政党組織の概念が提示されている。

 これに対して、日本の政党組織の分析においては、デュヴェルジェの議論はあまり用いられてこなかった。近年では笹部真理子『「自民党型政治」の形成・確立・展開』(木鐸社、二〇一七年)の試みもあるが、その数は少ない。

 一体、なぜなのだろうか。それを考えるには、「デュヴェルジェの法則」を一旦脇に置き、『政党社会学』の歴史的な文脈に立ち返る必要がある。

大衆政党の条件

 前回取り上げたロバート・A・ダールの整理に従えば、西洋社会の民主化は、まず議会で政党の競争が始まり、それに続いて選挙権が拡大する形で進行した。デュヴェルジェの政党組織論は、この民主化の各段階に対応している。

 まず、一九世紀には議会の中から幹部政党が生まれた。フランスのように議員が出身地域別に同盟を結ぶ場合もあれば、イギリスのように国王と議会の対抗関係の中で議員がグループを作る場合もあった。幹部政党の代表例は保守政党であり、議員の緩い連合体である。その役割は、議会で法案を通過させることであって、選挙を勝ち抜くことではない。

 これに対して、二〇世紀にかけて選挙権が拡大すると、議会の外から大衆政党が参入する。その代表例が、労働運動を基盤とする社会民主主義政党である。大衆政党は党員の収める党費によって運営され、地方支部から選出された党の指導部が決定する綱領に従って、議員の議会での行動を規律する。この大衆政党は、形式的には民主的に運営されているが、実際には指導部に権力が集中している。その組織力は選挙で大きな力を発揮したため、幹部政党も選挙で勝ち抜くために組織化を迫られた。

 この論理を日本に当てはめにくいのは、産業化を通じた労働運動の成長が大衆政党の条件とされているためである。例えば、升味準之輔『日本政党史論5』(東京大学出版会、新装版二〇一一年)は一九二〇年代の男子普通選挙の導入時における二大政党である政友会と民政党を、いずれも財閥から政治資金を調達する党首と、各選挙区に地盤を持つ議員から成る名望家政党、すなわち幹部政党として特徴付けている。当時の日本は農業社会であり、労働組合も未だ合法化されておらず、大衆政党は成立しがたかった。

全体主義政党の台頭

 だが、ここまでの議論はデュヴェルジェの発明品ではない。幹部政党と大衆政党の対比はマックス・ウェーバーの名望家政党と大衆政党の概念を踏まえたものであり、大衆政党における党指導部への権力の集中はロベルト・ミヘルスの「)とう)せい)の鉄則」に由来する。

 むしろ、『政党社会学』の特徴は、大衆政党の中から第三の政党組織が生まれると論じたことにあった。それが、ファシズム政党や共産主義政党のような全体主義政党である。全体主義政党は、末端の地方支部から中央の本部へと意見を吸い上げるのではなく、中央の指導者から末端の細胞や民兵へと命令を伝達する、極めて集権的な組織を持つ。

 興味深いことに、この全体主義政党の台頭を、デュヴェルジェは宗教の衰退への反動として捉えた。その分析の基礎にあるのは、人間社会はその存続のために宗教を必要とすると考えるエミール・デュルケムの社会理論である。共産主義政党のマルクス主義も、ファシズム政党の人種主義も、キリスト教が衰退した近代社会における大衆の精神的なニーズを充足した。だからこそ、全体主義政党は、指導者を崇拝する党員の宗教的信念に支えられた「信者の政党」なのである。

 つまり、デュヴェルジェは戦間期のヨーロッパの状況を踏まえて、「寡頭制の鉄則」に一種の大衆社会論を組み込んでいる。普通選挙は産業化の進んだ社会で大衆の政治参加を可能にしたが、大衆は宗教的な情念に突き動かされ、政党の指導者を崇拝する。この政党の近代化と民主主義の相克を踏まえて初めて、『政党社会学』が後半で政党システムを論じる理由も理解できよう。政党の指導者への権力集中が進み、その政党が政府の全ての部門を支配すれば、三権分立のような政治制度は権力への歯止めにならない。必要なのは、複数政党制を保ち、一党制を退けることなのである。

東アジアにおけるナショナリズムと政党

 全体主義政党まで視野に入れてデュヴェルジェの議論を眺めると、東アジアでは産業化以前から政治指導者が大衆の情念を利用して政党を組織化してきたことに気づく。その情念とは、帝国主義と植民地化に抗うナショナリズムである。

 欧米列強による分割から辛亥革命へと至った中国において、政党の組織化を促したのは反帝国主義運動の潮流だった。その標的は、時代を下るにつれて日本へと切り替わる。五・四運動が起きた一九一九年には広東政府のそん)ぶん)が中国国民党を結成する一方、一九二一年にはちん)どく)しゅう)らが中国共産党を創設する。北京政府に対抗して組織を強化するために第一次国共合作で共産党を受け入れた国民党は、孫文の死後に北伐によって全国統一を行い、しょう)かい)せき)が指導者として台頭する。その過程で弾圧を受けた共産党では、国民党の攻撃を逃れるための「長征」を通じてもう)たく)とう)が権力を掌握し、やがて社会革命から抗日統一戦線の樹立へと目標を転換する。第二次国共合作で日本の侵略を退けた二人の指導者は、戦後の国共内戦を経て、中国と台湾でそれぞれ一党独裁体制を敷いた。

 一九四五年の解放と共に南北に分断された朝鮮半島では、日本の植民地支配に対する独立運動の指導者が支配政党を築く。韓国の初代大統領となった)スン)マン)は、一九一九年の三・一運動後に上海で成立した大韓民国臨時政府の初代大統領だった。その経歴から大衆的な人気は高かったが、国会の支持基盤がぜい)じゃく)だったため、自らを支える与党として自由党を結成し、反共右翼団体を動員して組織化を行う。パク)チョン))政権下では、こうしたエリート主導の政党組織が政党法で制度化され、与党として民主共和党が結成された。一方、北朝鮮では満洲における抗日闘争の指導者であるキム)イル)ソン)が首相となり、朝鮮労働党内の反対派をしゅく)せい)して絶対的な存在となる。それ以後も、北朝鮮の指導者は反帝国主義によって支配を正当化してきた。

 こうした事例から見れば、日本の特徴はナショナリズムが政党の指導者への権力集中に用いられなかったことにある。岡義武『明治政治史(岩波文庫、二〇一九年)が述べるように、明治維新が欧米列強からの独立を確保するための「民族革命」だったとすれば、そのナショナリズムによる崇拝の対象となったのは天皇であって、政党の指導者ではなかった。総力戦体制下では、既成政党の代わりにファシズム政党を模したたい)せい)よく)さん)かい)が創設されたが、天皇制の下では全体主義政党を作るのは困難であり、政治活動を行わない「公事結社」に留まった。

政党の近代化と民主主義

 政党が復活した戦後日本では、幹部政党から大衆政党への移行が政治改革の理念となる。戦前の二大政党の流れを組む保守勢力が結集した自民党は、議員の個人後援会の連合体であり、派閥抗争と政治腐敗が常に付きまとった。このため、中北浩爾『自民党政治の変容』(NHKブックス、二〇一四年)が描くように、自民党では結党当初から党近代化の試みが繰り返され、一九九〇年代の政治改革による小選挙区制の導入と政治資金改革へと至る。二〇〇〇年代には、小泉純一郎という強力な総裁も登場した。

 これに対して、二〇一二年に成立した第二次安倍晋三政権下では、議論の構図が一変する。自民党内の派閥が弱体化すると共に「安倍一強」が顕著となり、改革の弊害が指摘されるようになった。とりわけ安倍がナショナリズムを掲げる政治指導者だったことは、復古主義的であるという批判を浴びた。

 しかし、デュヴェルジェの議論において、大衆政党の成立と、その大衆の情念に支えられた指導者の出現は、表裏一体だった。そのことが忘れられているとすれば、それは戦後の欧米諸国でファシズムが復活せず、政党組織の空洞化が進んだからだろう。近年の排外主義的な政党指導者の台頭は、ポピュリズムという新たな現象として論じられている。

 この点、東アジアでは政党の指導者がナショナリズムによって権力を掌握する現象は戦後も繰り返されてきた。その角度から見れば、「安倍一強」も決して過去への退行ではなく、むしろ近代の東アジアでは一般的な現象なのである。その歴史を踏まえて『政党社会学』を読み直すことは、政党の近代化と民主主義の間に潜む緊張関係を、改めて思い出させるだろう。 

(まえだ けんたろう・政治学)

[『図書』2023年10月号より]

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著者略歴

  1. 前田 健太郎

    (まえだ・けんたろう)
    1980年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科教授。専門は政治学・行政学。2003年、東京大学文学部卒業。2011年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。首都大学東京(現・東京都立大学)社会科学研究科准教授、東京大学大学院法学政治学研究科准教授を経て、現職。著書に『市民を雇わない国家──日本が公務員の少ない国へと至った道』(東京大学出版会、第37回サントリー学芸賞〔政治・経済部門〕)、『女性のいない民主主義』(岩波書店)などがある。

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