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前田健太郎 政治学を読み、日本を知る

リアリズムと勢力均衡の原理──ケネス・ウォルツ著『国際政治の理論』

【連載】前田健太郎「政治学を読み、日本を知る」(10)

勢力均衡という生存戦略

 これまで、本連載では主に国内政治を扱ってきた。今回からは、国際政治に目を転じよう。取り上げるのは、ケネス・ウォルツが一九七九年に発表した『国際政治の理論』(河野勝・岡垣知子訳、勁草書房、二〇一〇年)である。本書は、安全保障論におけるリアリズムの中心的な著作として知られてきた。

ケネス・ウォルツ著『国際政治の理論』(河野勝・岡垣知子訳、勁草書房、二〇一〇年)
ケネス・ウォルツ著『国際政治の理論』(河野勝・岡垣知子訳、勁草書房、二〇一〇年)

 ウォルツによれば、国際政治を動かす国家の支配的な行動原理は、勢力均衡(バランス・オブ・パワー)である。国際システムの中で国力が劣る国家は、より強力な国家に対抗するべく、軍事力を強化し、他の国々と同盟を結ぶ。多くのリアリストと同じく、ウォルツは平和主義の理念や国際法には多くを期待しない。

 勢力均衡をもたらす根本的な要因は、国際システムの無秩序な構造、すなわちアナーキーにある。国内政治では、暴力を抑止する国家権力が存在するのに対して、国際政治では国家の上位の主体が存在しない。勢力均衡とは、そこから導かれる生存戦略である。強国と結び、勝ち馬に乗る(バンドワゴン)戦略を採用する国は、併呑(へいどん)されてしまうだろう。

 ウォルツの論敵は、国内要因で国際政治を説明する「還元主義的理論」である。例えば、マルクス主義においては資本主義の発展した国が帝国主義に乗り出すと考えるが、ウォルツは資本主義以前から帝国主義的な国は存在してきたと指摘する。国際政治の理論とは、各国の行動原理を国際システムの構造が及ぼす制約によって説明する「システム的理論」でなければならない。現実の各国は、国内要因の影響で勢力均衡から逸脱するが、それを説明する理論は「対外政策の理論」にすぎないのである。

 では、日本の安全保障政策は、ウォルツの理論からはどう見えるのか。冷戦後の国際システムは、アメリカが圧倒的な軍事力を誇る一極構造となった。そうであれば、日本は勢力均衡を図るべく、アメリカに対抗して周囲の国々と同盟を結ぶはずだろう。

 これは、日本におけるリアリズムの理解とは大きく異なる。一般的に、日本でリアリズムと呼ばれる立場は、冷戦期に共産主義陣営との対抗を説いた高坂正堯(こうさかまさたか)の『国際政治』(中公新書、一九六六年)のように、アメリカとの同盟を深め、軍備を強化することを提唱する。冷戦後の歴代政権も、この路線を踏襲してきた。

 なぜ、日本の安全保障論は、ウォルツの議論と食い違うのか。以下では、東アジアの歴史的文脈を踏まえて考察する。

ヨーロッパにおける国際政治の起源

 勢力均衡は、ヨーロッパの国際政治では古くから知られた行動原則である。その起源を考察したのが、リアリズムの祖とされるハンス・モーゲンソーの一九四八年の著作『国際政治』(原彬久監訳、岩波文庫、二〇一三年)だった。モーゲンソーが重視したのは、人間の本性である。権力を追求する人間の本性は、理念や制度では抑えられない。だからこそ、脅威に対しては軍備を整え、同盟を組むべきなのである。

 この世界観は、戦間期のヨーロッパにおけるナチスの台頭を止められなかった国際連盟の経験に基づいていた。これに対して、安定した国際秩序の模範とされたのが、一九世紀以前の近代ヨーロッパである。その国際システムは複数の大国が存在する多極構造であり、各国の勢力の変化に応じて同盟の組み替えが行われることで、勢力の均衡が保たれていた。

 ウォルツの独自性は、人間の本性ではなく、国際システムの構造から出発することで、多極構造ではなく二極構造こそが国際秩序を安定させると説いたことにあった。複数の大国の利害が複雑に絡み合う多極構造に比べて、超大国が二つに絞られた二極構造は遙かに不確実性が低い。実際、一九世紀ヨーロッパの国際秩序が第一次世界大戦によって崩壊したのに対して、二〇世紀の冷戦期には米ソ間の戦争は起きなかった。

 だが、ウォルツの世界観の基底にある、国際システムの無秩序という発想自体は、近代ヨーロッパの経験に由来する。岡義武(おかよしたけ)『国際政治史』(岩波現代文庫、二〇〇九年)が整理するように、中世のキリスト教世界では、宗教的権威を持つローマ教皇が世俗の君主間の争いを調停していたが、その権威は一六世紀の宗教改革で動揺した。そして、三十年戦争後のウェストファリア条約の時代を境に主権国家体制が成立すると、国家間の外交に基づく国際政治が始まる。

 主権国家体制の下では、国家の上位の主体は存在せず、各国は互いを対等な交渉相手として承認する。だからこそ、一国が覇権を握る試みには、その他の国々が協調して対処し、大きな戦争の後には各国が一同に会して国際秩序に関する合意を形成した。フランスのルイ一四世の勢力拡大に端を発するスペイン継承戦争後の一七一三年にはユトレヒト条約が結ばれ、フランス革命に伴うナポレオン戦争後の一八一五年にはウィーン体制が成立する。ウォルツの国際政治の理論は、こうした歴史に裏打ちされていた。

東アジアの国際秩序

 ヨーロッパが主権国家体制へと移行した時代、東アジアの国際秩序は大きく異なっていた。この地域では、古来より圧倒的な力を誇る中華帝国が冊封(さくほう)体制を敷いており、その国際秩序の構造はアナーキーではなくヒエラルキーだった。ウォルツの発想に従えば、各国は同盟を結んで中華帝国に対抗するはずだが、そのような現象は生じなかった。

 その大きな原因は、各国が互いを対等な存在だと認めなかったことにある。朝鮮では、満洲族の王朝である清国への朝貢(ちょうこう)が屈辱として捉えられ、自らを明の継承者とする小中華思想が生まれた。冊封体制の外側に位置した日本の徳川政権も、荒野泰典(あらのやすのり)が『近世日本と東アジア』(東京大学出版会、一九八八年)で指摘したように、日本を中心とする独自の華夷(かい)思想を抱いていた。江戸時代に来訪した朝鮮通信使の役割は、朝鮮から見れば夷狄(いてき)の慰撫であり、日本から見れば朝鮮からの朝貢だった。

 このような秩序は、一九世紀に欧米列強が進出してくると激変する。とりわけ、明治維新後の日本は、江華島(こうかとう)事件を契機に日朝修好条規を結び、清国に服属していた朝鮮を「独立」させるべく動き出した。それは、冊封体制と西洋の主権国家体制の衝突として説明されることも多い。だからこそ、川島真・服部龍二編『東アジア国際政治史』(名古屋大学出版会、二〇〇七年)の記述も、一九世紀の開国から始まる。

 だが、その後に展開した国際政治はヨーロッパとは大きく異なっていた。日清戦争の勝利で朝鮮を清国から「独立」させた日本は、朝鮮の主権を認めるどころか、その植民地化に乗り出す。日露戦争の勝利でロシアを排除し、日韓併合を行った日本は、辛亥(しんがい)革命後の中国大陸にも軍事的な介入を深めた。かつての中華帝国に代わり、自らが東アジアの覇権を握ることを目指す大日本帝国の試みは、アジア太平洋戦争の敗北まで続いた。

 この東アジアの覇権をめぐる半世紀に及ぶ動乱の決勝戦が、朝鮮戦争だった。敗戦と共に軍部が解体された日本にとって、この戦争は再軍備の機会だったが、南基正(ナムキジョン)が『基地国家の誕生』(市村繁和訳、東京堂書店、二〇二三年)で描くように、日本は国連軍の後方基地となり、日米安全保障条約によってアメリカに国防を委ねる道を選んだ。そして朝鮮半島は、南北に分断された状態で休戦となった。以後の東アジアでは、アメリカが韓国や沖縄に基地を築くことで、冷戦下の東西両陣営の勢力均衡が成立したのである。

中国の台頭と向き合う

 二〇世紀末の冷戦終結とソ連崩壊によって、国際システムはアメリカを中心とする一極構造となった。だが、ウォルツの予想とは異なり、アメリカの覇権に対抗する動きは生じず、日本もアメリカとの同盟を維持し続けた。

 その理由とされるのが、新たな超大国としての中国の台頭である。東アジアにおける中国の覇権を阻止し、勢力均衡を目指す立場から見れば、今後も日本の安全保障にはアメリカの軍事力は欠かせない。問題は、近年のドナルド・トランプ政権のように、同盟国の防衛に消極的な政権がアメリカで出現する可能性である。だからこそ、日本政府は集団的自衛権の行使を容認し、防衛費を増額するなど、防衛協力を深めることで、アメリカを東アジアに繋ぎ止めようとしてきた。

 興味深いのは、中国の台頭に直面する日本・韓国・台湾が、相互に同盟を結ぶのではなく、それぞれアメリカとの二国間関係に依存していることだろう。この同盟の形式は車輪の軸を模して「ハブ・アンド・スポーク」と呼ばれており、ヨーロッパのNATOのような多国間の軍事同盟とは性格が異なる。とりわけ、その「ハブ」に当たるアメリカは、各国の対等な同盟相手ではなく、安全保障に不可欠な上位者となる。

 この状況が続く理由については、覇権国であるアメリカの利害関心に加え、日本と韓国の歴史認識問題が挙げられることもあるが、それだけではあるまい。歴史的に、東アジアの国々は中華帝国の覇権を受け入れながら、しばしば他国を夷狄として見下した。戦後、軍事大国としての地位を失った日本も、長らく経済大国として振る舞ってきた。日本の国際的な地位の低落が著しい今日、このような態度では周辺国との協調は難しい。

 その意味で、ヨーロッパの経験に根ざした『国際政治の理論』は、東アジアにおける日本の安全保障の課題を浮き彫りにしているといえよう。軍備を拡大し、対米関係を強化する戦略は、一見するとリアリズムの原理に従っているが、アメリカの東アジアへの関与が見通しにくい時代には脆弱性を抱える。必要なのは、かつての大国としての態度を改め、隣国と対等なパートナーとして付き合う姿勢なのではないだろうか。

(まえだ けんたろう・政治学)

[『図書』2024年3月号より]

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