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前田健太郎 政治学を読み、日本を知る

資本主義に抗う政治──エスピン=アンデルセン著『福祉資本主義の三つの世界』

【連載】前田健太郎「政治学を読み、日本を知る」(8)

福祉国家と階級連合

 ここまでの連載で取り上げてきた著作は、いずれも安定した民主主義の条件を考察するものだった。これに対して、今回は民主主義のもたらす社会的な帰結を論じた著作を紹介する。資本主義の発展とともに生じる経済格差を、民主主義は解消できるか。政治学では、この問題を巡って様々な議論が展開されてきた。その中でも、デンマーク出身の社会学者イエスタ・エスピン=アンデルセンの一九九〇年の著作『福祉資本主義の三つの世界』(岡沢憲芙・宮本太郎監訳、ミネルヴァ書房、二〇〇一年)はとりわけ重要な見解を示している。

デンマーク出身の社会学者イエスタ・エスピン=アンデルセンの一九九〇年の著作『福祉資本主義の三つの世界』(岡沢憲芙・宮本太郎監訳、ミネルヴァ書房、二〇〇一年)
エスピン=アンデルセン著, 岡沢憲芙・宮本太郎監訳『福祉資本主義の三つの世界』(ミネルヴァ書房)

 本書は、労働者を「脱商品化」する福祉国家の働きを分析し、各国が市場のリスクから労働者を保護する体制(福祉レジーム)に三つの型があると論じた。三つの型のうち、保守主義レジームは伝統的な職業集団や家族による福祉の供給を重視し、自由主義レジームは市場経済を前提に最低限の生活保護を提供し、社会民主主義レジームは充実した社会保険制度と社会福祉サービスを提供して普遍的な社会保障を行う。それぞれの型の福祉国家による脱商品化の程度は、英米圏を中心とする自由主義レジームが最も低く、大陸ヨーロッパ諸国に多い保守主義レジームが中程度であり、北欧諸国における社会民主主義レジームが最も高いというのが、本書の基本的な主張だった。

 では、この三つの福祉国家の型は、各国においてどのように選択されたのか。この問題に関して、本書は階級連合の働きに注目する。特に重要なのは、福祉国家の発展を求める労働者が、農村部に同盟相手を見出せたかどうかである。イギリスのように資本主義の発展過程で農業部門が消滅した国では資本家が優位に立ち、自由主義レジームが成立した。ドイツのように地主が資本家と連合を組んだ国では労働者が孤立し、保守主義レジームが成立する。これに対して、スウェーデンのように労働者と農民が手を結んだ国では、社会民主主義レジームが成立したのだと本書は論じる。

 この福祉レジーム論は日本でも名高く、多くの教科書で紹介されてきた。だが、日本の福祉国家を三類型に当てはめることはもちろん、その発展を階級連合の形成によって説明する試みも、あまり成果を挙げていない。むしろ、福祉国家の発展において地方政府が鍵を握ったと論じる北山俊哉『福祉国家の制度発展と地方政府』(有斐閣、二〇一一年)のように、国家の役割を重視する著作が目立つ。

 

 以下では、エスピン=アンデルセンの議論が日本には当てはまらない理由を、東アジアの歴史から考えてみよう。

階級連合の基礎

 本書の学説史的な意義は、民主主義と資本主義の関係を従来とは異なる形で示したことにあった。その見方に従えば、国家を資本家の道具と捉え、民主主義に特段の意味を見出さないマルクス主義も、選挙を「民主的な階級闘争」と呼び、民主主義が格差の縮小をもたらすと考えたS・M・リプセットの近代化論も一面的な見方を示しているにすぎない。民主主義の下では、様々な福祉国家の可能性が存在するのである。

 だが、なぜ福祉国家の型は三つなのか。この三類型は、直接的にはヨーロッパにおける主要な政党に対応している。だが、それが福祉国家の型と結びつく理由を説明するには、各国で特定の政党が有力になった経緯を知る必要がある。

 その意味で重要なのは、福祉国家の型を階級連合によって説明するという議論の組み立て方が、第3回で取り上げたバリントン・ムーアの発想を下敷きにしていることだろう。ムーア以来、政治学では戦間期ヨーロッパにおける政治体制の選択肢として自由民主主義とファシズムの二つを考えるのが一般的となった。ムーアは、イギリスでは地主が消滅して資本家となり、自由民主主義が成立したのに対して、ドイツでは地主が残存して資本家を従えた結果、ファシズムが成立したと考える。この思考を継承したのが、本書における自由主義レジームと保守主義レジームの分類に他ならない。

 エスピン=アンデルセンの貢献は、ここに新たな選択肢を付け加えたことにあった。それが、ムーアの議論には登場しない北欧諸国の事例である。これらの国々では、一九三〇年代に社会民主主義政党が農業政党と連立を組むことで政権を獲得し、社会民主主義レジームが誕生した。本書は、この連立政権を「赤と緑の同盟」と呼ぶ。

 ヨーロッパの小国の事例から新たな視点を得る手法は、ロバート・A・ダールやアレンド・レイプハルトにも通じる。本書が見出しているのは、福祉国家の一般理論ではなく、西洋社会の歴史の多様性なのである。

東アジアにおける福祉国家

 以上のような福祉国家の政治力学を東アジアに当てはめようとすると、大きな障壁が立ちはだかる。なぜなら、既に本連載で述べてきたように、東アジア諸国の政党政治は、階級対立ではなく国際的な軍事対立によって規定されてきた。上村泰裕『福祉のアジア』(名古屋大学出版会、二〇一五年)が、東アジアで福祉国家の成り立ちを決定づけたのは階級ではなく国家だったと指摘するのは、この歴史的条件を意識しているためだろう。

 東アジアの軍事対立の最も重要な帰結は、福祉国家の発展が先送りされたことだった。特に冷戦下で反共の権威主義体制が成立した韓国と台湾では、軍事費を賄う観点から経済成長が優先され、重工業部門への積極的な資金配分が行われたのに対して、社会保障支出の水準は最低限にとどまった。そして、労働運動が抑圧された一方で、産業化による企業の成長を通じて労働者も恩恵を享受できるという論理で体制の正当化が図られた。

 このため、政治学ではこれらの国を福祉国家ではなく開発主義国家と呼び、日本、シンガポール、香港と合わせて国家主導の産業化が行われた事例として位置づけることも多い。そこには、東アジアを官僚の支配する儒教圏と見なす欧米の文化的なステレオタイプが反映されていたものの、権威主義体制下の韓国や台湾の特徴をよく捉えたモデルだった。

 その一方で、この開発主義国家論の図式から、日本は大きく逸脱していた。戦前は労働運動と左派政党が弾圧され、経済格差も大きかったのに対して、戦後は政党が自由化され、自民党政権の下で「一億総中流」が実現する。その所得分配は、多くの欧米諸国に比べても平等であったため、日本は実質的に社会民主主義の国だという主張も行われた。

 しかし、自民党政権を欧米諸国と比較して社会民主主義と呼ぶことには、やや無理がある。新川敏光『日本型福祉レジームの発展と変容』(ミネルヴァ書房、二〇〇五年)が示すように、戦後日本の福祉国家は左派政党と労働運動が政策過程から締め出された状況下で築かれた。宮本太郎『生活保障』(岩波新書、二〇〇九年)が図式化したように、その特徴は国家が業界ごとに生産者を保護し、その副産物として労働者の生活が保障されるという「仕切られた生活保障」だった。

 そうだとすれば、東アジアから接近した方が見通しは良くなるだろう。開発主義国家の論理とは、韓国における財閥のような特定の成長分野の企業を国家が選別し、支援するというものだった。それと比較すれば、日本の特徴は国家による支援の対象が遥かに広かったことにある。戦後改革によって財閥が解体された日本では、自民党政権が公共事業や補助金を通じて中小企業や農家に対する利益分配の体系を築き、権力の座に留まり続けた。その基盤は、階級ではなく、生産者の連合だった。

福祉国家の危機

 ある時期まで、この日本型福祉国家は成功事例だとされていた。一九八〇年代以降、経済成長率の低下した欧米諸国では社会保障支出が増大する一方、グローバル化の進行と共に税収は伸び悩み、財政赤字が拡大し、福祉国家の危機が語られるようになった。すなわち、労働者による階級闘争を通じて発展してきた福祉国家に対して、資本家が反撃に転じたという図式である。それと比較して、日本は社会保障支出を抑えながら所得分配の平等を実現した「福祉社会」だった。

 しかし、かつての評価は、今は見る影もない。日本の福祉国家が社会保障支出の増大によって財政的な限界に直面していることは、もはや明らかだろう。その一方で、危機の構図は欧米諸国とは大きく異なる。日本における福祉国家の危機の原因は、グローバル化ではなく、少子高齢化にあった。

 このことは、日本の福祉国家と社会民主主義レジームの違いを雄弁に物語る。横山文野『戦後日本の女性政策』(勁草書房、二〇〇二年)が示したように、戦後日本の福祉国家は男性労働者の保護を通じて女性と子どもの生活を保障する「男性稼ぎ主モデル」だった。それは、企業に雇用された男性労働者を支えるために、配偶者の女性が家事や育児を一手に担うことを前提とした体制である。従って、その保護から外れた女性たち、とりわけ不安定な雇用の下で育児を担うシングルマザーは経済的な苦境に直面しやすい。だからこそ、女性が結婚と出産を回避することを通じて、少子高齢化が進行してきたのである。

 この日本の直面する少子高齢化とジェンダー格差の問題は、他の東アジア諸国についても指摘されてきた。ここには、伝統的なジェンダー規範の影響とは別に、国家が市民の生活を企業などの生産者の保護を通じて間接的に保障してきたという東アジアの歴史的条件が表れている。このことを踏まえて『福祉資本主義の三つの世界』を読み直すことは、しばしば混同されてきた社会民主主義レジームと日本の条件の違いを改めて認識し、より幅広い市民の生活を保障する福祉国家を構想する手がかりとなるだろう。

(まえだ けんたろう・政治学)

[『図書』2024年1月号より]

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著者略歴

  1. 前田 健太郎

    (まえだ・けんたろう)
    1980年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科教授。専門は政治学・行政学。2003年、東京大学文学部卒業。2011年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。首都大学東京(現・東京都立大学)社会科学研究科准教授、東京大学大学院法学政治学研究科准教授を経て、現職。著書に『市民を雇わない国家──日本が公務員の少ない国へと至った道』(東京大学出版会、第37回サントリー学芸賞〔政治・経済部門〕)、『女性のいない民主主義』(岩波書店)などがある。

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